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看笃姬 学日语(第八回)お姫様教育
时间:2009-05-21 09:49:36  来源:  作者:

篤姫(第八回)お姫様教育(淑女教化)

単語:
別れを告げる(つげる):告别
居城(きょじょう):(诸侯)说住的城堡
大奥(おおおく):将军夫人的住所,后宫
職制(しょくせい):职位编制
しきたり:惯例,规矩
お仲居(おなかい):女佣
御末(おすえ:在宫中,大澳从事杂役的女仆
侍女(じじょ):侍女
老女(ろうじょ):武家侍女长
奥女中(おくじょちゅう):江户时代在诸侯家里直接伺候主人的上房女佣。
待ち構える(まちかまえる):做好准备,等候
仕る(つかまつる):谦语,表示谦虚。
休息(きゅうそく):休息
からかう:逗弄,戏弄
御退屈(おたいくつ):无聊,寂寞
お手水場(おちょうずば):厕所
思し召し(おぼしめし):意思,想法,意愿
侮る(あなどる):侮辱,轻视
誉れ(ほまれ):荣誉
申し付ける(もうしつける):命令
有様(ありさま):样子,光景,情况
万端整った(ばんたん整った):万事俱备
輿入れ(こしいれ):新娘出嫁
はしたなき:卑鄙,下流,无耻
付加える(つけくわれる):增加,添上
譲る(ゆずる):让,转让
復帰(ふっき):回归
生き返る(いきかえる):复活,苏醒
普賢菩薩(ふけんぼさつ):普贤菩萨
国書(こくしょ):国书
史書(ししょ):历史书
歌留多(かるた):写有和歌的日本纸牌
取り寄せる(とりよせる):拉到手边,索取,要来。
召しだし(めしだし):召见
地獄(じごく):地狱
気落ち(きおち):心情低落
薩摩守(さつまかみ):萨摩长官
紫式部(むらさきしきぶ):紫式部
局(つぼね):有独立房间的女官
訛り(なまり):地方口音

台詞:
1.今和泉家に別れを告げた(つげた)於一は、ついに島津本家の養女として、斉彬の居城(きょじょう)鶴丸(つるまる)城に向かったのでした。この鶴丸城には江戸城と同じように大奥が存在しました。そこに勤める女性たちの職制(しょくせい)は江戸城大奥のしきたりに倣って、作られていました。お仲居(おなかい)、御末など、雑務をこなす下級侍女(じじょ)たち、そして、総取締役である老女(ろうじょ)を頂点に、身分と役割が細分化(さいぶんか)された上級侍女たち、鶴丸城の大奥ではこのように厳しい序列のもとで働く奥女中たちが於一を待ち構えたのです。
与今和泉家告别的阿一,终于成为了岛津本家的养女,(阿一)出发前往齐彬的城堡鹤丸城。鹤丸城里与江户城一样也拥有大奥,在那里奉公的女性们的职位编制也是模仿江户城大奥的规则而制定的。做女佣,杂役的下级侍女们,以及,以总管侍女长为最高(职位),按照出身和职责细分等级的上层侍女们,在鹤丸城的大奥中,严格按照顺序规定分工的女佣们正在等待着阿一的到来。
2.姫様はこれをお読みになる時、私はこの世にはおりません、勝手な振る舞いを、まずはお許しくださいませ。これまで、私は、姫様はあまりにご豁達(かったつ)で伸びやかゆえに、眉を顰めた(ひそめた)ことがありました。行くすえを案じたことも二度や三度ではありませぬ、されど、ご本家からの養女の話が参りました時に、わたくしは私の間違いに気づきました、姫様、あなた様ははじめから、高いところを行かれる定めたのお方だったでしょう、私は、一時、お預かりしただけのこと、今後、どのようなところを行かれようと、、どんな方たちと見えましょうと、たとえ一言なく、、前へ前へとお進みくださいませ。それこそが姫様らしさであると信じます。そして、それこそが、あなた様をお育て申した、菊本の最後の願いでございます。女の道は一本道にございます、定めに背き、引き返すは恥にございますよ。
小姐在读这封信的时候,我已经不在这个世界上了。请先原谅我的任意妄为,迄今为止,一直觉得小姐的生性豁达过于自由成长,为此我感到忧虑,常常为你的前途而担心。但是,自从知道你将成为本家养女的事情之后,我突然发现到了自己是错的。小姐,您是那种天生注定就要往高处去的人,我只是一时照顾你的人而已。今后,无论去哪里,遇见什么人,即便是一言不发也要不断向前,这样才真正是我家小姐。而且,这才是抚养了您多年的菊本的最后的心愿。女之道,乃是一本之道,违背天意,中途折返是可耻的事。

篤姫紀行:
横須賀市(よこすかし):
横须贺市,是一个位于神奈川县南东部三浦半岛的城市。由于横须贺市处于东京湾入口,使得横须贺市成为一个繁荣的军港都市。现在,日本的海上自卫队、和美国海军第七舰队的司令部等都设立于此。人口数在神奈川县内位于横滨市、川崎市、相模原市之后,排名第4位。是中核市。

ペリーの黒船来航(くろふねらいこう):
黑船事件是指1853年美国以炮舰威逼日本打开国门的事件。19世纪上半期,当日本在锁国政策下局限于东北亚一隅时,世界正在快速转变,英、法、俄、美等国成为新一波称霸世界的强国,她们在经历产业革命、交通革命的洗礼之後,开始为了产业革命後所需要的原料、市场、殖民地与转运站积极经营远东。
  1853年(嘉永六年)七月,美国东印度舰队司令马修‧佩里(Matthew Calbraith Perry,1794~1858)将军,率领四艘军舰开到江户湾口,以武力威胁幕府开国。这些军舰船身都是涂上黑色的,所以日本人称这次事件为「黑船来航」。由于这四艘军舰合共有六十三门大炮,而当时日本在江户湾的海防炮射程及火力可与这四艘军舰相比的大约只有二十门,在不开国就开火的威吓下,幕府不敢拒绝开国的要求,但又恐怕接受培里带来的国书後,会受到全国的抨击,于是当时幕府的首席老中阿部正弘藉口要得到天皇的批准方可接受条约,并约定佩里明年春天给予答覆。
  事实上,德川幕府在二百多年之间,从来不准天皇参与政治,但是这次为了减低各藩的反对声音,于是想以天皇的名义缔约,并且破例邀请各大名、藩士、学者、甚至平民,针对开国之事提出意见。于是天皇及其朝臣、大名及其家臣纷纷举起了救国的旗帜,趁机跃上政治舞台。无论如何,「黑船事件」後的日本政局一天比一天混乱,也埋下了幕府灭亡的导火线。
  1854年(嘉永七年)二月十三日,佩里再次率领舰队来到日本,这次一共有七艘军舰,而且舰队一直深入江户湾内,到达横滨附近才停船,面对培里的强硬姿势,幕府只好接受开国的要求了。于是双方在横滨签定了《日美亲善条约》,也是日本与西方列强的第一个不平等条约。其他西方列强跟随著美国,纷纷向日本提出通商的要求,于是英国、俄国、荷兰等西方列强都与日本签定了亲善条约。日本被迫结束锁国时代,幕藩体制也随之瓦解。

佩里

黑船

美国谈判代表团上岸


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