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楼主 |
发表于 2011-3-24 09:49:24
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この半年のうちに何か歪みが生じる出来事が起きたのだろうか。
母の遺体には、腹部に刺し傷が一つ、後頭部に打撲のあとが一ヶ所あった。包丁で刺されたあと、階段から突き落とされたらしい。らしい、なんと他人事みたいだけれど、私は遺体を見ても、母が死んだと受け入れることはできなかったし、それをやったのが弟だと信じることもできなかった。
なぜ、こんなことが起こってしまったのか。知らなければ、母の死を受け入れることができない。知らなければ、弟の罪を受け入れることができない。知らなければ、父や姉や自分、残された家族は再生することができない。
うちの歪みを私が知ったのは、事件から二日後だった。それは警察から知らされた。弟は二年生になってから、一度も学校に行っていなかったのだ。でも、近頃は不登校やひきこもりなんて珍しいものではない。
うちの歪みは、それを母以外の家族が誰も知らなかったということだ。遠く離れた場所に住んでいる私、隣町に住む妊娠中の姉はともかく、同じ家に住んでいた父でさえも知らなかったのだ。いくら通勤二時間近くかかり、残業が多いとはいえ、息子が学校に行っていないことに四ヶ月も気付かない親なんているのだろうか。
父は警察からの質問に、弟の不登校の原因は三学期に学校で起こった事故のせいではないか、と答えた。もともと無口な父は、家庭内で大変なことが起こったというのにまるで他人事のように、訊かれたことにだけポツポツと答えていたけれど、要約すればこういうことになる。
今年二月、弟の担任教師の娘が学校のプールに転落して亡くなった。弟は偶然その場に居合わせたものの、その子を助けることができなかった。担任教師は、娘の死は弟にも責任があると思っている。弟はそれを気にして、担任教師が退職したにもかかわらず、学校に行くことができなくなった。
そんなことが起これば、気の小さい弟ならきっと耐えられないだろう。ひきこもりになったことは、とりあえず納得できる。しかし、それは母を殺してしまうほどのことだったのだろうか。
ひきこもりになってしまった弟は、家でどんなふうに過ごしていたのだろう。母は弟にどのように接していたのだろう……。母がなくなってしまった今、それを知っているのは弟だけだ。しかし、弟にはまだ直接会うことはできない。
ふと私は、一人暮らしを始めるとき、母が私に日記帳を買ってくれたことを思い出した。「何かつらいことがあれば、お母さんはいつでも相談に乗るけれど、そんな気分になれないときは、一番信頼できる人に語りかけるような気持ちでこれに書いていきなさい。人間の脳は何でもがんばって覚えておこうと努力するようにできているけれど、何かに書き残せば、もう覚える必要はないのだ、と安心して忘れることができるから、楽しいことは頭に残して、つらいことは書いて忘れなさい」
それは、母の中学時代の恩師の言葉で、病気や事故で両親を立て続けに亡くした母に、そう言って日記帳をプレゼントしてくれたのだそうだ。
私は母の日記帳を捜した。
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