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发表于 2005-6-20 14:40:53
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不倶戴天の讎 ( K \& b% l7 f& y+ l& M5 p
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―――父の讎は与に共に天を戴かず、兄弟の讎は兵に反らず、交遊の
5 a; P: ?& E( C讎は国を同じくせず。8 r/ l- h5 I# {+ S
, H0 m6 a7 t: K" G5 N(父の仇と共に同じ天を戴くことは出来ない、従って同じ世に生かして1 C. K, |) O2 J O, |, y
はおけず、必ず殺すべきである。兄弟の仇は、家に帰ってから武器を
* N# v5 t7 R( T; C7 n# m2 C( r% J 取って来るなどの暇は無い、いつも武器を携えていて、直ちに殺すべ
- [' i4 v/ H2 M きである。友人の仇は国を同じくして住むことは出来ない、やはり殺
7 A6 B! X; [6 Z. u5 b5 G すべきである。)
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以上は「礼記」の「曲礼」上の言葉であるが、一読して解る通り、敵
" ~5 M) Z1 W% X4 ]' \, b0 P% b, S討ちの礼を説いている。一口に礼儀作法と言っても、一々挙げれば際限9 n4 [! r) x8 _4 x' i1 [
がないほどあるわけだが、敵討ちの礼まで説くとは御丁寧である。もっ" G, H. J4 i2 U
とも「曲礼」とは、委曲の礼、つまりくだくだしい礼を言うのだから、
, i$ y3 ]3 g+ e# B0 `/ y( L; pその中に敵討ちの礼があるのは当然なのかも知れない。- ^0 k; c9 P# c I, N
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0 e7 d: }, Y4 O- ~) q* W. d0 u } ところでこの敵討ちの礼であるが、仇は皆殺さなければならない。と: D) a1 x$ t0 D0 W9 f z
ても父・兄弟・朋友の仇は許すことが出来ないと見える。それにしても
/ {" O4 A+ C4 q+ B, F同じ「曲礼」上にある、" s9 z7 C1 w- \8 b+ I6 S/ ~# k( |
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―――凡そ人の子たる礼、冬は温かにして夏は清しくし、昏に定めて! i5 A1 r6 M$ S, O
晨に省みる。醜夷に在りて争わず。! G( }2 |0 M1 _
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(人の子たるもの、冬は父母の身を暖かにし、夏は涼しくする。また、3 N) S( e B. H' d1 O9 s/ p
夜は父母が安眠できるようにし、朝に安否を見舞うようにする。友人
. i/ i( ]. m2 q0 A/ A9 E と争うと累が父母に波及するかも知れないから、争わないようにする' Y7 x- B, ^& j0 Q* p
のである。)
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/ m' x7 }8 m4 s5 L と言うような、おっとりとしたのとは違って、随分物騒な話である。6 Y$ G0 C7 L5 Y0 p
しかし、よく考えてみると、この二つの礼に共通した考えがある。それ$ k9 l4 ~$ D' h! z
は儒教の方で説いているのだが、人と人との永久不変の関係、君臣・父6 |& c) D9 U9 w6 i5 [$ m3 l" v- V+ @
子・夫婦・兄弟・朋友の五つの関係を絶対視している考えである。
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) m( V+ U! ^/ d' j* {, i ―――男女、行媒あるに非ざれば、名を相知らず、幣を受くるに非ざ$ }: ?, G3 [7 t9 r) z7 T! B
れば、交らず、親しまず。" Y% W$ F$ i2 F" p5 ], {
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(男女は、媒酌がない限り、異性の名前などは覚えてはいけない。また
2 M+ p5 U2 ?8 k* w 結納がはっきりしないうちは、付き合ってもいけないし、馴染んでも
( ^( B1 L' }7 ?$ a' e# V いけない。): b" w8 x3 L* S$ r2 X) H
( c* {! E |9 z! Z) J かくの如く男女関係も厳然としている、今日の若い男女から見れば、
- R4 s% M4 |) m) Bお伽噺の世界のこと位にしか思えないだろう。しかし、古代の氏族制社$ b' A( S& J- I% O/ ]! E' R
会の支配階級の間では、かかることが本当に信じられていたのだ。そこ) P" C: C( B; Z
では例の五つの人間関係、朋友を除いては全て縦の従属関係を、是非と
4 s% e; ?1 e& z7 B1 d* q tも維持しなければならなかった。そこに礼が生まれ、敵討ちの礼まで生5 N9 k) g- a2 D5 c; `$ D% b# I
まれてくる理由があった。
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7 W2 V( F4 b! \* f+ R w 礼は秩序を維持するための規則であるが、今日の法律に当るものと、' [/ J; R" R! E, t/ `( y8 _* d
道徳に当るものに二大別出来よう。古代社会に於いてはその二つが、ま3 o+ @3 I" c- x, Y! F' ]
だ未分化の状態にあった。ともに礼として意識されていたと思われる。+ n5 j# v4 k$ s( n5 J
だが、「『礼記』」の礼は後者の道徳の方に当り、当時の風俗習慣を述
' D5 e& A7 B9 N9 y9 I5 uべたものと言える。敵討ちもその一つであったわけである。+ A1 G) V- K8 c
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「不倶戴天の讎」は冒頭に引用した文から出て、とても許しておけな0 A Z. I6 g3 d& X; T) r
い奴という意に用いられる。 |
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