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楼主: demiyuan

[好书连载] [山田風太郎] 忍法帖系列~魔界転生 上

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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:41:31 | 显示全部楼层
宗意軒は、やはりそこにおちていた女の|衣裳《いしょう》をわたして、彼にまとわせた。
「いざゆこう、四郎」
 その美少年をうながして、海の方へ行く老人を――その方へ走ってゆくべつの黒い影には視点も合わせず、武蔵は|茫《ぼう》|乎《こ》とながめていた。
 のどの奥でつぶやいた。
「……四郎、とは、天草四郎時貞のことか?」
 |一《いっ》|揆《き》の首領に立てられた美童天草四郎もまたえたいの知れぬ人間であるが、ともかくも彼は落城の炎の中に討たれた。その首は、彼の母が見て証言したし、すでに塩漬けにして江戸へ向かって送り出されたはずである。
 が、森宗意軒があのように親しげに、四郎と呼ぶほかの四郎が、この城にいるはずがない。また宗意軒が、かかる大幻術をもって島原から逃がそうとしている四郎が、天草時貞以外の人間であるはずがない。……
 あれは、天草四郎だ。彼もまた|甦《よみがえ》った。
 いや、これは甦ったというべきであろうか。ほんものの天草四郎はたしかに討たれ、首は江戸に送られ、首以外の死体は――ひょっとしたら、この死体の「埋立地」のどこかで腐れつつあるかもしれない。しかも彼とそっくりの顔と身体をもった人間は、いま女身を介してこの世に生まれ出て来たのである。あたかも父そっくりの子のごとく。死んだ父の年齢に達した子供のごとく。
「お師匠さま。……いまの男、逃げてったよ」
 伊太郎が、武蔵の袖をひいていった。
 それは武蔵も知っている。ほんのいま、じぶんのところから、|塹《ざん》|壕《ごう》を飛び出す兵士のように駈け出していった由比民部之介の黒い影は、彼も視界の隅に入れていた。
 民部之介は、逃げていったわけではない。海ぎわの筏にのりかけていた森宗意軒のそばへ駈けていって――斬りつけるのではない、その足もとにひれ伏して、しきりにお辞儀をしている。
 何をいっているのか、声はきこえないが、武蔵にはよくわかる。――先刻、じぶんに対してのべた言葉と、大同小異の言葉をのべているにちがいない。あの奇怪な幻術師の弟子たらんことを切願しているに相違ない。
 ……無限ともいうべき野心を抱き、あらゆることに好奇心をもち、自己のために利用し得るものは利用しようとし、目的のためには手段をえらばない、精力と才能にあふれかえっている男、由比民部之介。
 ――あれもまた一人物だ。
 由比民部之介とはいかなる男か、さっきの彼の自己紹介と|一《いち》|瞥《べつ》以外に、武蔵は何も知らないが、それだけは認めざるを得ない。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:41:52 | 显示全部楼层
――が、しょせん、おれの剣の弟子となり得る男ではない。
 |一《いち》|瞥《べつ》で武蔵はそう見て、彼を黙殺した。
 黙殺されて腹をたてたか、期待にはずれた|蕭条《しょうじょう》たる武蔵の存在ぶりに失望したか、それとも、おれの剣以上に恐るべき幻術をいま眼前に見て、その方に心を奪われたか?
 森宗意軒は、じっと由比民部之介を見下ろしている。
 森宗意軒はうなずいた。
 民部之介の懇願をどうきいたか。――承知したようだ。
 それから、海ぎわに歩いていって、もう筏の上に立っていた荒木又右衛門と天草四郎と二こと三こと何やら話を交わしていたが、やがてユラリとその上に乗った。民部之介があわてて追いかけて、それに飛び乗ると、槍を櫂とした又右衛門と四郎が、筏を「屍体の岸」からつき離した。
 この原の城の南は約一里余をへだてて天草島をひかえ、そのあいだの早崎海峡――いわゆる瀬詰の瀬戸は、満干のとき、鳴門、赤間に匹敵する急潮を現出するのであった。いまその満潮のときなのだ。波は西の天草灘から東の有明湾へ、|滔《とう》|々《とう》の声をあげていた。
 筏はもとより波にのって、東へ矢のようにながれ去った。
 東へ――月はないのに、|渺茫《びょうぼう》、まるで|不知火《しらぬい》のもえているように|蒼《あお》白い有明の海の水平線のかなたへ、|妖《あや》しい四人の男を乗せたまま。――
 彼らはどこへいったのか?
「――お、お師匠さま、……お師匠さまっ」
 これまで、まるで|呪《じゅ》|縛《ばく》されたように身うごきをとめ、黙りこんでいた伊太郎が、ふいにまた武蔵の袖をゆさぶり、腕にとりすがった。
「いっちゃったよ。あいつら、いっちゃったよ。……あれア何だ?」
「伊太郎、さめたか」
 と、武蔵がいった。
 伊太郎はキョトンとして見あげ、キョロキョロとまわりを見まわし、また武蔵をにらみあげて、
「お師匠さまっ。……おれ、夢を見ていたんじゃあねえやい!」
 とさけんだ。
 武蔵は少年を吸引するような眼で見下ろして、
「夢じゃ。おまえはこわい夢を見たのじゃ。伊太郎、またこんなこわい夢を見たくないと思えば、いま見た夢の話を、だれにも口外するでないぞ」
 と、いうと、まだその屍体の浜の一角に凝然と金縛りになっている武者たちを、ちらと見ただけで、風のようにもと来た方角へ帰っていった。
武者たちには、武蔵も、それを追う少年も、やはり悪夢の中の幻影のように思われた。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:43:06 | 显示全部楼层
【五】

 ……さて、この夜の怪異の噂は、もとより寄手の陣にひろがった。
 ともかく十人ちかくの人間が、声ふるわせて証言したのである。しかも、現実に四五人の追手が殺されたのである。……が、あまりにも、その目撃者の証言の内容が常識を絶し、且また叛乱軍の首領天草四郎、軍師の森宗意軒らがこの世に甦って海のかなたへのがれ去ったなどということは|荒《こう》|唐《とう》|無《む》|稽《けい》をきわめているから、全幅的に信ずる者は少なかった。
「切支丹の亡霊にたたられ、たぶらかされたのじゃ」
 せいぜい、そう解釈してくれる者のあるのがまだしもであった。
 ――卵をわるがごとく女体から荒木又右衛門があらわれた、|蝉《せみ》のぬけがらをぬぐがごとく天草四郎が出現した、といっても、ではその女体の|殻《から》、ぬけがらはどこにある? ときかれて、翌朝、目撃者たちが、おそるおそる一帯をさがしにいったが、ふしぎなことに、そんなものはどこにも見えなかった。
 もっとも、そこはいよいよもの凄じくなった|腐《ふ》|爛《らん》の泥海で、息もつまるばかりの悪臭と蠅のむれが渦まき、たちまよい、数分と現場にとどまっていられるものではない。
「武蔵どのにきいてくれ」
 ついに、彼らはそういい出した。
「小笠原の軍監宮本武蔵どのも、たしかにそれを見たはずじゃ。うそだと思うなら、武蔵どのにただしてみるがよい」
 ところが、その武蔵は、
「……一切、左様なことは存じ申さず」
 と、答えただけであった。
「それは」
 と、目撃者たちはいきまいた。
「あれを知らぬという。……そうまことにいったとあるなら、武蔵は恐れたのだ。いや、あの妖怪どもを、われわれのみに追撃させて、じぶんはただ手をつかねて見ているだけで逃げ去ったのを恥じて、頬かぶりですまそうとしておるのだ」
 その勢いのはげしさに、その夜の怪異を信じないものたちまでが、武蔵の卑怯だけは|喋々《ちょうちょう》と口にした。
「武蔵は臆病風に吹かれたのだ」
「新免、老いたり」
 はては、
「そもそも彼は、なんのつもりでこのたびの陣に参加していたのか」
 という、それまでの無為無能ぶりまでが、あらためてむし返された。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:43:25 | 显示全部楼层
そんな風評に小笠原家の方でも困惑して軍監の肩書を解いたのか、または本人自身がたえかねたのか、それともかねてからじぶんできめていた行動か、宮本武蔵が島原を去ったのはそれから数日ののちである。
 まだたたかいのあと始末に|忙《ぼう》|殺《さつ》されている小笠原の侍たちで、ほとんど見送る者もなかったが、朱盆のごとき落日のかなたへ、童子ひとりをつれて消えていった老武蔵の姿は、いかにも|孤愁粛殺《こしゅうしゅくさつ》たるものがあったという。――
 その後、彼はいちど筑前の黒田家に三千石で召しかかえられようとする機会があった。が、藩の幹部から異議が出て、このことは沙汰止みとなった。
 さらにその後、寛永十七年、ついに武蔵は奉公口を得た。肥後の細川家、食禄はわずかに十七人扶持、現米三百石であった。
 しかし、藩主の細川忠利は、武蔵へ渡される合力米をとくに堪忍分と呼ばせ、屋敷もあたえ、鷹野もゆるした。食禄に比しては特別待遇をしたのである。
 しかるにこの細川忠利は、その翌年三月にこの世を去った。――
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:43:48 | 显示全部楼层
地獄篇第二歌


     【一】

 正保二年三月のある夕方のことである。
 名古屋城下広井郷といえば、いまの中区中ノ町にあたるが、当時はいかめしい屋敷町で、しかも尾張藩の高禄の士の下屋敷が多かった。
 堀川にちかいこの|一《いっ》|劃《かく》にかまえる尾張藩兵法師範|柳生《やぎゅう》家の下屋敷に、よろめくように入って来た若い武士がある。
「こちらに柳生|如《にょ》|雲《うん》|斎《さい》先生がおわすと承ってたずねて参ったものでござる」
 と、彼はいった。
 柳生家をたずねて柳生先生云々といったのは、ここに住むのが当主の|茂《も》|左《ざ》|衛《え》|門《もん》|利《とし》|方《かた》ではなく、隠居をしているその父如雲斎|利《とし》|厳《よし》だからで、この訪問者が名古屋の人間でないことを示している。事実、彼は|埃《ほこり》にまみれた旅姿であった。
 埃にまみれた旅姿――というより、取次に出た侍は、眼を見張った。のびた|月《さか》|代《やき》、のみでそいだような頬、透き通ってみえるほどの皮膚の色――よごれているのに、美しい。美しい|幽《ゆう》|鬼《き》のような男だったからである。年はまだ二十か、二十一であろう。
「先年、如雲斎先生にいちどお指南をねがい、おゆるしを得なんだものでござりまするが――」
 みなまでいわせず、
「いや、お手合わせのことなら、いまも御無用にねがいたい。老師はもはや御隠居なされており、どちらにも左様なことは一切お断わりしておる。それに、あすあさってにも老師は旅にお出かけなさるとて、そのお支度にいそがしい――」
「それを望んでおたずねしたのではありませぬ。ただ二三日、お宿をかりたいと存じて――」
 といって、武士は|咳《せ》いた。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:44:09 | 显示全部楼层
その咳の音と、異様なばかりのやつれぶりを見くらべ、ききくらべて、
「――貴公、御病気か」
 と、取次の侍はきいて、いやな顔をした。
 相手はそれにこたえず、
「二三日、とは申しませぬ。今宵一夜、或いはきょうじゅうにも用は達せられるかも知れませぬゆえ――」
「用が達せる、とは?」
「実は、西国より拙者をたずねて、この名古屋の柳生さまのお屋敷にやってくる者があるのです。まことに勝手至極にて恐れ入った儀でござるが、いちど如雲斎先生にお目通り願ったものの御縁におすがりいたしたいと存じまして――」
 まったくその通りだ。突然やって来て、二三日宿を貸せという、ここは尾張にきこえた柳生家の下屋敷だ。|旅籠《はたご》ではない――といいたいところなのに、それに加えて、相手はすでにそうひとりできめていて、どうやらここをだれかと待ち合わせの場所に指定しているらしい。
 しかし、取次の侍は、それよりも相手の言葉にいぶかしさを抱いて、
「まえに、老師にお会いしたと? 貴公の御姓名は?」
「いいおくれました。拙者、|田《た》|宮《みや》|坊《ぼう》|太《た》|郎《ろう》と申しまする」
「なに、田宮坊太郎?」
 と、取次の侍はさけび声をたて、まじまじと見まもって、
「ほう、あなたが、田宮坊太郎どのか。――」
 と、もういちどうめいた。こんどは言葉があらたまっている。
「そういえば、数年前、田宮坊太郎どのが老師を訪ねられたとあとになってきいたことがある。あれは御本邸の方でござったな。いや、そのときは拙者存ぜなんだが、あとで貴公が四国の丸亀であの名高い大仇討をとげられたとき、ああ、それならば拙者もいちどお目にかかっておけばよかったとほぞをかんだが、いまはじめてかように御健在の――」
 といいかけたが、幽鬼のような相手の姿に絶句して、
「いや、何はともあれ老師に申しあげて参る」
 と、あわてふためいて、奥へ駈けこんでいった。

田宮坊太郎は、すでにひとりで立つのも耐え得ぬらしく、玄関の柱にもたれかかるようにして、のびた髪を風になぶらせつつ、ただ熱っぽい眼で、夕焼けの春光にみちた庭の方をながめている。ちる桜の花より、門の方を見ているようだ。待ち人、いまだ来らずや、と。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:44:58 | 显示全部楼层
【二】

 彼は|讃《さぬ》|岐《き》の丸亀に生まれた男であった。この丸亀の生駒藩に仕える田宮源八郎は、抜刀術の開祖として有名な田宮平兵衛重正の一族で、これまた田宮派の名手であったが、それをそねんだ藩の剣法指南堀源太左衛門に謀殺された。寛永元年八月のことである。たまたま臨月であった源八郎の妻は、変をきいて失神中に一子を生みおとした。これが坊太郎である。
 |爾《じ》|来《らい》、彼は|復讐《ふくしゅう》の一念にもえ、|金《こん》|比《ぴ》|羅《ら》大権現に誓いをたて、江戸に出て柳生|但《たじ》|馬《まの》|守《かみ》の弟子となり、ついに寛永十八年、丸亀に帰って父の敵堀源太左衛門を|斃《たお》した。――さっき取次の侍が、「あの名高い大仇討」といったのはこれである。
 それから四年。――彼は江戸にあって、若くして父の仇を討った名剣士として世にもてはやされているときいていたのに――思いきや、この名古屋に、病みおとろえて|凄《せい》|惨《さん》なばかりの姿をあらわしたのだ。
「おお、田宮どの」
 先刻の取次の武士とともに、四五人の侍がどやどやとまた出て来た。
「老師がお逢いになると仰せられる。こちらへ、こちらへ」
 彼らは抱きかかえんばかりにして、坊太郎を奥の一室に通した。
 やがて、隠居の柳生如雲斎があらわれた。六十七歳、すでに尾張藩剣法指南のあとを一子茂左衛門にゆずっているが、大兵肥満、その皮膚は黒いあぶらをぬったようにつやつやとして、ぶきみなくらい精気にみちた老人であった。頭をつるつるに|剃《そ》ってはいるが、決して|悟《さと》りすました風貌ではない。その眼にはむしろ獣にちかいほど精悍なひかりがある。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:45:19 | 显示全部楼层
田宮坊太郎は平伏した。
「四年ぶりじゃな。あのときは、おまえはまだ前髪立ちの十七八の美少年であったが。――」
 と、如雲斎は会釈して、
「お、田宮、そちゃ病んでおるな」
 何か答えようとして、またはげしく|咳《せ》きこむ坊太郎に、如雲斎は厚い|唇《くちびる》でつぶやいた。
「|労《ろう》|咳《がい》か。……そういえばおまえは、四年前、あのときから病んでおったのう。――」
 労咳とは肺結核のことだ。
 如雲斎は、四年前のこの坊太郎がまだ十七八の少年としてここを訪れてきたときのことを、思い出すようなまなざしをした。
 そのとき坊太郎は、いよいよ敵を討つために江戸から四国へゆく途中、江戸の柳生道場で血のにじむような修行をつづけて来たのにまだ不安があるといって、如雲斎のところに立ちより、一手指南を請うたのである。
 如雲斎は坊太郎を引見して、
「それには及ばず」
 といっただけで立ち合わなかった。なお切願する坊太郎に、
「江戸柳生と尾張柳生はちがう。この土壇場になってわしの指南を受ければ、おまえの剣法にかえって迷いと乱れが生じるだろう」
 と、如雲斎は答えた。
 それに。――
「……病んではおったが、あのころ、敵の堀源太左衛門がどれほどの使い手であろうと、剣をとっておまえと互角な奴が、そう世にざらにあるとは思わなんだ」
 と、いまも如雲斎はいった。
 剣とは真剣のことだ。彼は、この病める少年が、病んでいるがゆえに、また少年であるがゆえに、かえって純粋無雑、澄みきり、冴えわたり、剣の化身となっていることを見ぬいたのであった。
「……案の定、おまえはめでたく敵を討ち……若年にしてそれほどの剣法を抱き、あれから四年……おまえは何をしておったか。ただ病んでおったのか、田宮。――」
「そのことについては、申しあげとうございませぬ」
 と、坊太郎はいった。
 ひとを訪ね、ひとに尋ねられて、こんなよそよそしい返答をする無礼をたしなめることをひかえさせるものが、わずかにあげた坊太郎の|惨《さん》|澹《たん》たる面貌にあった。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:45:46 | 显示全部楼层
「拙者、まちがえました」
「何を」
「人生を」
「とは?」
「拙者、生まれ変わったら、剣を捨てまする」
 そして坊太郎は、またはげしく咳いた。しばらく、じいっとそれを見つめていた如雲斎の眼がしだいにひかり出すと、声をおさえてきいた。
「田宮。……すりゃ、何ゆえ、ここに来たか」
「好きな女と|逢《あ》うためでござりまする」
「何と申す」
 ここに至って、柳生如雲斎もついに高い声をあげた。
「左様な女がどこにおる?」
「ここにはおりませぬ。四国の丸亀から参るはずになっておりまする」
 さすがに坊太郎の顔に、|羞恥《しゅうち》と恐縮の色が浮かんで、さてこんなことをいった。
 四年前仇討をとげたあと、じぶんには丸亀で恋人ができた。恋人というより、じぶんを慕ってくれた娘であった。美しい、|可《か》|憐《れん》な娘で、その慕情をいとしいと思いつつ、じぶんはそれをふりすてて、江戸へ去った。剣の道のじゃまになると思ったし、江戸に|虹《にじ》のような望みをかけていたからである。
 しかし、江戸につくと同時にじぶんは血を吐いた。それをまた意に介しないほど、じぶんは剣に心を奪われていた――その果てのいま。
「拙者はもはやあと七日と命はありますまい」
 と、坊太郎はいった。
 命の灯がゆらめきはじめたのをおぼえ出したとき、じぶんの胸にはあの娘の姿が去来した。――じぶんの短い人生は何であったか。ただ|復讐《ふくしゅう》と剣だけを思いつめた荒涼たる青春ではなかったか。じぶんは、誤った。せめて、仇討をとげたあと、剣を捨てて、じぶんを恋う娘と、おだやかでゆたかな生活を送るべきではなかったか。――
 このとき、さる人が現われて、四国からその娘を呼んできてやろうといった。しかし、それにしても間に合わぬ。じぶんも、よろめき、よろめき、一歩でも西へゆこう。――
「まことに恐れ入ってござりまする。そこで思い出したは、江戸と丸亀のまんなかあたりにあるこの名古屋におわす柳生如雲斎さま、いちど御引見をたまわりましたる先生におすがりいたし、そのお屋敷を借りて待ち合わせようという約束をむすんだのでござります」
 坊太郎はまたがばとひれ伏した。
「ここで逢うて、何とする」
「その女と、ちぎりまする。……」
「……ちぎる」
「実に以て勝手至極、厚かましきはからいにて、全身より汗のにじむのをおぼえるほどにござりまするが、田宮坊太郎、|生々世々《しょうじょうせぜ》[#電子文庫化時コメント 底本ルビ「せゞ」]までのお願い。――」
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:46:03 | 显示全部楼层
と、いいかけて、顔をあげて、
「御恩は、やがて拙者、ふたたびこの世に生まれ変わってから、改めてお返し申しあげますれば」
 と、奇怪なことを口にした。
 いままでの彼の述懐から、彼自身もみとめる独断の得手勝手さに、しだいに入道頭にみみずのような血管をうかべかけていた柳生如雲斎は、一瞬ふっと不快を制されて、けげんな表情で|瀕《ひん》|死《し》の若者を見た。
「なに、またこの世に生まれ変わってから?」
「|御《ぎょ》|意《い》」
 坊太郎はじっと如雲斎を見返して、
「そのわけを、おきき下さりましょうか?」
「……きく」
「では、しばらくお人ばらいを願いまする」
 そのとき、門弟のひとりが入って来て、
「ただいま四国より男女ふたりの旅人到着、こちらに田宮坊太郎どのがおいでではあるまいか、とたずねておりまするが」
 と伝えた。
「おお、やはり来てくれた!」
 と、坊太郎はさけんだ。眼をきらめかせて、
「ここで待ち合わせると約束はしていたが、江戸と四国から、ほとんど時を同じゅうして到着するとは、やはり魔道のなすところ。――」
 と、いった。それから、ふたひざばかりにじり寄って、
「先生、お願いでござりまする。拙者がいうよりも、その御仁の話をきいて下さりませ」
「御仁?」
「江戸で拙者が師と仰いだお方、またいま四国より娘を伴って来てくれたおひと、由比民部之介と申す御仁でござる」
「……よし、通せ」
 と、如雲斎は門弟にいった。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:46:56 | 显示全部楼层
【三】

 彼はもとより田宮坊太郎の口走ったことがよくわからない。こやつ、気がふれているのではあるまいか、と疑ったくらいである。しかし、それにしても、如雲斎の心をとらえる何か妖しい力が、田宮坊太郎の挙動にあった。
 まもなく、二人の人間が、書院に通されて来た。ひとりは四十前後の総髪の男であり、ひとりは二十歳あまりの美しい武家風の娘であった。
 坊太郎と娘はじっと見合わせた。
「よう来てくれた、お類どの」
 かすれた声で、坊太郎がいった。――はじめ坊太郎のあまりにも病みやつれ、変わりはてた姿に、ぎょっとして息をのんでいたお類という娘は、たちまちまろぶように馳せ寄って、
「田宮さま!」
 と、しがみついた。
 坊太郎は頬ずりをして、
「では、由比先生のお言葉をきいてくれたのじゃな、お類どの、かたじけない。……いままで、そなたを捨てたままにしておったこの坊太郎のために」
「いいえ、坊太郎さま、あなたのためなら、お類は、何なりと」
 と、娘は眼に涙をうかべて、身もだえした。
 如雲斎はあごをしゃくった。門弟たちを去らせたのである。そして、じっともう一人の男に眼をやった。
「はじめて御意を得まする」
 と、その総髪の男はものやわらかに、しかし学者の荘重な威儀を失わず、如雲斎に一礼して、
「拙者、江戸|牛込榎坂《うしごめえのきざか》に軍学の道場をひらきまする、張孔堂、由比民部之介正雪と申すものでござる」
「……ふむ、ここのところ十余年、江戸に出たことはないが」
 と、如雲斎は会釈して、
「由比正雪、その名はちらと耳にしたことがある。……そなたか」
 と、いった。
「で、この田宮のこと、いかがしたのじゃ」
「まだ田宮からお話し申しあげませぬか」
「きいたが、よくわからぬわい。……そなたにきけと申したが」
 そのとき、くゎっと妙な音がした。ふりかえると、坊太郎に抱きしめられている娘の肩に鮮血が飛びちるのが見えた。
 坊太郎の口は血にまみれていた。彼は血を吐いたのである。
「や」
 さすがに|動《どう》|顛《てん》して立ちあがろうとする如雲斎を、
「しばらく」
 と、正雪はとめた。
 田宮坊太郎はお類をつきはなすようにし、たたみに|這《は》いつくばったまま、泡立った血を吐きつづける。お類は悲鳴をあげて立ちあがり、ウロウロして、泣きそうな顔をふりむけた。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:47:14 | 显示全部楼层
「由比さま、由比さま、どうしたらよいのでござります?」
 ゆったりとした容貌なのに、妙に冷たい眼でこれをながめていた正雪は、
「ふむ、これは、ことをいそがねばならぬな」
 と、つぶやいて、娘に声をかけた。
「お類どの、では、田宮とちぎり、田宮の子を身ごもりなされ」
 お類の満面はさっと赤くなり、それからみるみる|蒼《そう》|白《はく》になった。
 正雪は如雲斎をかえりみて、片手をつかえた。
「先生、田宮の余命いくばくもありませぬ。で……まことに以て|唐《とう》|突《とつ》慮外なことを申しまするが、この若者と娘、即刻|合歓《ね む》のしとねをお設け下さりますまいか」
「なに?」
 如雲斎は眼をむいた。
「合歓のしとね」
「お類に、田宮の子を|孕《はら》ませまする」
「左様に……たやすく孕めるか」
「まちがいなく孕みまする。……そして……」
「そして?」
「少なくとも一ト月を経ますれば以後、いつなりと、お類は田宮の子を生みまする」
「一ト月で? 死産してか」
「あいや、いまの田宮とおなじ大きさ、おなじ顔――寸分変わらぬ田宮を」
 ついに沈黙してしまった如雲斎に、正雪はぬけぬけと、
「と申すより、病める肺はきれいに|癒《なお》った新生、再生した坊太郎そのものを」
「――ば、ばかっ」
 と、如雲斎は|大《だい》|喝《かつ》した。
「うぬは正気か。……そういえば由比張孔堂、江戸で軍学とやらを講じておるが大山師という噂をきいたこともあるぞ、うぬはこの如雲斎を|嘲弄《ちょうろう》に来たか」
「山師という噂は、存ずるところあって、拙者がわざと立てさせたものでござる」
 正雪は平然といった。
「いや、口で申してもお信じなされぬのが当然、何よりまず事実を|御《ぎょ》|見《けん》にいれてから御講評を承りとう存ずる」
 田宮坊太郎と由比正雪と、江戸でどういう風に知り合ったのか知らないが、あの虚無悽惨の気をたたえた若者が、この正雪を見るときだけ、ひどく信じ切った瞳の色になったようだ。――たしかにこの由比張孔堂のきれながの眼には、ふしぎに人を魅する力がある。
 それに吸いこまれたように如雲斎は、
「誰かある」
 と、呼んだ。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:47:40 | 显示全部楼层
廊下を小走りに駈けてくる軽い|跫《あし》|音《おと》がして、
「はい、御用でございましょうか」
 と、女がひとり手をつかえた。
「加津か。……おまえでは」
 如雲斎の顔にやや|狼《ろう》|狽《ばい》の色があらわれた。二十四五の、紅梅のように美しく、りんとした女であった。――それが、むろん、|喀《かっ》|血《けつ》した田宮を見て、はっと眼を見ひらいている。
「ま、よい、ほかの弟子には知られとうない」
 と、如雲斎は思いなおしたようだ。
「加津、すまぬが、隣に夜具を敷いてやってくれい」
 と、命ぜられて、おそらく病客のための|臥《ふし》|床《ど》と判断したのであろう、女はいそいで隣室に去った。――見送って、正雪がたずねた。
「ほ、世にも美しい女人、どなたさまでござります」
「|伜《せがれ》、茂左衛門の嫁じゃ。所用あって、きょうこの下屋敷に参っておる」
 と、如雲斎は答えた。
 やがて、嫁のお加津が、お支度ができました、と報告に来た。
「では、かねて申してあるように」
 正雪に合図されて、田宮坊太郎とお類は、隣室に去った。このときはよろめいているのはお類であり、それを支えているのは血まみれの坊太郎であった。
 それから十数分。――如雲斎らは、ただ音だけをきいた。
 かすかに、かすかに。――しかし、たしかに男と女のあえぐ声が起こり、しだいにそれが高まっていった。
 いていいものやら、去っていいものやら、迷い、けげんそうな表情をしていたお加津の顔が、ふいに赤く染まった。黙って、お辞儀して、ひき|退《さ》がろうとする。
「お待ちなされ」
 と、正雪がとめた。
「御当主の奥方さまなら、知られてよいことです。しばらく、お待ちを」
 甘く、熱いあえぎの声が、ふいにまたお類の悲鳴で断ち切られた。
「ああっ、坊太郎さま!」
 それから、よよと泣き|崩《くず》れる声に変わった。
「――はて」
 正雪はくびをかしげた。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:48:06 | 显示全部楼层
「田宮、相果てたかもしれませぬな」
「相果てた?」
「あの病気のところへこの|昂《たか》ぶり、ひょっとしたら、このまま死んだかもしれませぬ。いや、たとえ生きておっても、もはや生ける|屍《しかばね》、|蝉《せみ》のぬけがら同然、そのいのちもまもなく灯の消えるがごとく消える運命でござりますれば、いっそいま、このまま死んだ方が世話要らずにてよいかもしれませぬ」
 正雪は立って、隣室に入った。
 それからさらに十数分。――隣で何をしていたか、やがて彼は出て来た。お類ひとりをつれている。
「案の定、田宮は絶命しておりました」
 と、彼は何のこともなげにいった。
「その屍体でござるが……如雲斎さま、あとになって新しき田宮がまた出現したとき人騒がせになってはうるそうござるゆえ、どうぞ人知れぬよう、腹心の御家来を以て、どこかへ片づけさせていただきとう存じまする」
 如雲斎は黙したまま、お類を見た。
 お類の頬はややあからんで、眼は宙を見たまま、|恍《こう》|惚《こつ》とうるんでいるようだ。――この娘がいま何をしてきたかと思う。江戸と四国から、時を合わせて相逢うた恋の二つ星、話をきけばふつうでない娘としか思われないが、さっきちらと見た印象では、ただひたむきなだけの|初《うい》|々《うい》しい武家娘に見えた。それがいま――相手の星は落ちた。あからさまにいえば、彼女の肉体の中でくだけ散ったらしいのに、それももはや念頭にない様子で、彼女はウットリとして、むしろ妖気をたたえてしずまりかえっている。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:48:23 | 显示全部楼层
この娘は変わった! なんとなく如雲斎はそう感覚して、ぞっとした。
「この女人は、まちがいなく田宮の子を孕んでおりまする。……その証拠を少なくともあと一ト月お待ちいただかねば、先生の御見に入れられぬのが残念至極」
 正雪はいった。
「先生、一ト月お待ち下されませ」
「一ト月」
 と、如雲斎はいった。すでになかば、正雪の奇怪な言葉に乗せられた調子である。
「わしは、あすあさってにも、旅に出ようと思っていたが」
「旅へ? 恐れながら、その御老体を以て、どこへ?」
「九州の熊本へ」
 しばらく如雲斎を凝視していた正雪は、やがて、
「熊本――と仰せられると、もしやしたら宮本武蔵どののところではありませぬか?」
「どうして、知っておる」
「武蔵どのは、この冬ごろから病んでおられると承りましたゆえ」
「左様。で、見舞いにゆこうと思ってな」
「ふかく|御《ご》|昵《じっ》|懇《こん》でござりまするか」
「相知といえば相知。|迂《う》|遠《えん》といえば迂遠。――正雪、そなた武蔵どのを存じておるのか」
「はっ。……実は、七年ばかりまえに、ちょっと」
 由比民部之介正雪は、ちょっとキナくさいような顔をした。七年ばかりまえ、すなわち寛永十五年三月、島原の一夜を思い出したのである。
「よし。一ト月待とう」
 と、如雲斎はうなずいた。
「そなたの申すこと、田宮の件、何とも|解《げ》せぬところがある。そなたも、この娘御も一ト月ここにおれ」
「すりゃ、正雪の申すことお信じ下さる」
 正雪は微笑した。
「如雲斎さま、このことはあなたさまだけ――少なくとも、あなたさまが秘せと命ぜられて秘するお方以外には絶対秘密のこととして下されませ。実はこの田宮坊太郎とお類のちぎる為にお邸をかりましたは、如雲斎先生も是非御覧ねがいたいと存じたからでござる」
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