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楼主 |
发表于 2011-3-31 09:51:36
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四月×日
基本的に、日記はつらいことがあったときに書くようにしているのですが、今日はとても嬉しいことがあり、やはり、それも書かずにいられません。
真理子が「妊娠した」と報告にきたのです。まだ三ヶ月に入ったばかりで、見た目はまったくかわっていませんでしたが、真理子の表情は、母親になる喜びと使命感とに満ち溢れていたように思えます。
直樹が好きなシュークリームを買って来てくれていましたので、三人でお祝いしようと、直樹を部屋まで呼びに行ったのですが、直樹は下に降りてきませんでした。風邪気味だから、お姉ちゃんに移してしまったら申し訳ないというのです。
真理子は残念そうでしたが、「うちのだんなより、直くんの方が断然気配りができてる」と直樹を褒め、妊娠初期にもかかわらず、目の前で平気な顔をしてタバコを吸う夫の痴愚をこばし始めました。
私は真理子に言われてハッとしました。近頃は直樹の奇妙な行動にばかり気を取られ、あの子の本当の姿を見失いがちになっていたのです。直樹は優しいだけでなく、妊娠中の姉に対する心配りもできるほど、成長していたことを知り、大変嬉しく思いました。
さらに嬉しかったのは、真理子の帰り際、玄関先で立ち話をしていると、直樹が自分の部屋の窓を開け、「お姉さん、おめでとう」と言いながら手を振ってくれたことです。真理子も「ありがとう直くん。赤ちゃん、かわいがってあげてね」と言いながら、笑顔で手を振り返していました。
それを見ながら私は、近頃迷いがちだった自分の子育ては間違っていなかったのだ、と改めて確信しました。
私は、自分が生まれ育った家庭そのものが理想でした。厳格な父、貞淑な母、そして、私と弟。ご近所中や親戚中、皆がわが家を「うらやましい」と言ってくれました。
父は家庭内のことはすべて母にまかせ、家族のために昼夜を問わず一生懸命働いてくれました。おかげで、よその家庭よりほんのすこし、裕福な生活を送ることができました。
母は、女の子の私には、将来どこに嫁いでも恥かしくないよう、一般的な教養や礼儀作法など、細かいことまで厳しくしつけてくれました。反対に弟には、常に自信を持ち、自分の意思を持って行動できるよう、小さなことでも褒めながら、深い愛情を持っても守っていました。また、父が何の煩いもなく仕事に没頭できるよう、家庭内の揉め事は必ず自分で解決するように努めていました。しかし、幸せな家庭にこそ不幸は早く訪れるのでしょう。父は交通事故で、母は病気で、二人とも私が中学生の頃に立て続けに亡くなってしまいました。
私は八歳年下の弟と一緒に親戚の家にあずけられました。それからは、私が弟の母親代わりでした。私は母の教えを忘れることなく、自分に厳しく、弟には母と同じ態度で接していきました。そのかいあってか、弟は一流大学に進学し、一流企業に就職し、立派な家庭を築き、世界を舞台に活躍しています。
母の教えの通りにしていれば、間違いはないのです。
相変わらず直樹は潔癖症の不潔症(他に適する言葉が見つからないのです)ですが、日記帳を渡してからは、機嫌のよい時間が少し増えているような気がします。
よくよく考えてみれば、上の二人にも同じような時期がありました。真理子が、ピアノ教室をやめたいと言い出したのも中学生のときでしたし、聖美が、私が買ってきた服を着なくなったのも中学生のときからでした。
思春期という多感な時期に、忌まわしい事故に巻き込まれ、直樹自身、この先の生き方を模索している途中だと思うのです。私がうろたえていてはいけません。母が弟に、また、私が弟にしていたように、小さなことでも褒めながら、深い愛情を持って見守っていれば、必ず元の直樹、いえ、ひとまわり成長した直樹になれると思うのです。
今は春休み、ゆっくり休んでいればいいのです。
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