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发表于 2011-4-1 09:19:39
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四月十×日
数年前から、「ひきこもり」や「ニート」という言葉をよく耳にするようになりました。それらに該当する若者は年々増加し、社会的な問題になっているそうです。
私は、これらに該当する、学校にも行かず、仕事もせず、家の中でごろごろしている若者に、このような名称を与えてしまったことが問題ではないかと常々思っているのです。
私たちは、社会生活を送る上で、どこかに所属していたり、肩書きがあることにより、安心感を得ているのではないかと思います。どこにも所属していない、何も肩書きがないということは、自分が社会の一員として存在していないのと同じことです。大低の人は自分がそのような立場になれば、不安とあせりを抱き、一日も早く、自分の存在場所を確保しようと努力するのではないでしょうか。
しかし、どこにも存在していない人たちに「ひきこもり」だの「ニート」だのと名前をつけてしまうと、その時点で、それがその人たちの所属であり、肩書きとなってしまうのです。社会の中に「ひきこもり」や「ニート」という存在場所を確保した人たちは、それだけで安心し、仕事に就いたり、学校に行ったりという努力をしなくなってしまうのです。
社会全体がそのような存在を受け入れてしまったのだから、仕方がないことだと思うのですが、それでも私は、自分の子供が「ひきこもり」だの「ニート」だのと平気な顔をして言える親が信じられません。恥かしげもなく、よくそんなことが言えるものです。
そのようなことを、平気な顔をして言える親たちは決まって、自分の子供が「ひきこもり」や「ニート」になってしまったのは、学校のせいであったり、社会のせいであったりと、家庭以外の場所に原因があるかのように思っているのです。
そんなことはありません。たとえ、きっかけは学校や社会にあったとしても、子供の人格の根底は家庭で形成されているのですから、家庭内に原因がないということは、ありえないのではないでしょうか。
ひきこもりの原因は家庭にある。その理屈で考えると、直樹は絶対に「ひきこもり」ではありません。
新学期が始まって、今日でちょうど一週間経ちましたが、直樹はまだ一日も登校していません。初日は熱っぽいというので、あまり深く追及することなく休ませました。学校に電話すると、新しい担任だという若い男性教師が応対してくれました。校長がやっと要望を聞き入れてくれたことに満足し、早速、直樹にも報告しました。
「直くん、今度の担任の先生は、若い男の先生だって、きっと、直くんのことも、よく理解してくださるんじゃないかしら」
しかし直樹は、翌日も、またその翌日も熱っぽいといって、学校に行こうとはしませんでした。熱っぽいというので、おでこに手を当てようとすると、「何すんだよ!」と声を荒げますし、体温計を渡すと、「熱というよりは、少し頭痛がするんだ」とごまかします。
多分、仮病だと思います。しかし、なまけ病のずる休みではないのです。学校に行くとどうしても、あの事故のことを思い出してしまう。その気持ちが直樹を学校から遠ざけているのだと思います。
直樹は心が疲れているのです。それならば、きちんとお医者様に診てもらって、診断書を書いてもらわなければなりません。いつまでも、のらりくらりと欠席していたら、学校やご近所の方から、直樹は「ひきこもり」扱いされてしまいます。
直樹は嫌がるかもしれませんが、とにかく一度、病院に行けばいいのです。ここはひとつ、心を鬼にしなければなりません。
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