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[天声人语] 【天声人語】5月07日

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发表于 2006-5-7 09:20:15 | 显示全部楼层 |阅读模式
【天声人語】 2006年05月07日(日曜日)付 東京都江戸川区に住むインド人が千人に達するそうだ。8年前には100人ほどだったが、ここ数年で急増した。昨年1年間だけで300人近い増加だという。 据说居住在东京都江户川区的印度人已达一千人。8年前才100人左右,这几年的人数在急速增长。据报道仅去年1年就增加了近300人。  背景にはITブームがある。コンピューター関連の技術者とその家族が続々と来日している。若い技術者は「日本はハードウエアが得意。インドはソフトウエアが得意。一緒にやっていけるパートナーです」と口をそろえる。 这后面的背景是由于现在的IT热潮。从事电脑方面工作的印度技术人员及其家属陆续来到日本。年轻的技术人员异口同声地说:“日本的硬件业发达,而印度的软件业发达,双方可以成为合作伙伴。”  ジャグモハン・チャンドラニさん(53)は80年代初め、成田空港にも横浜港にも近いという理由で江戸川区に移り住んだ。紅茶の輸入や料理店の経営を手がけてきたが、知らないうちにまわりにインド人のコミュニティーができていったという。「江戸川インド人会」の会長を00年から務めている。 贾古莫汗・强多拉尼(现年53岁)于80年代初搬来江户川区,因为他觉得这里离成田机场和横滨港都很近。据他介绍,他一直从事红茶的进口及经营饮食店,不知不觉身边就形成了印度人的社区。2000年起,他开始担任“江户川区印度人协会”的会长。  会長としての悩みは、学校のこと。一昨年、3歳から13歳までを対象にして近くにつくられた「インド国際学校」は、早くも手狭になってしまった。「親が若いから、子どもも小さい。帰国した時のために、インド式のカリキュラムでヒンディー語や算数を習っておかないといけません。日本の帰国子女問題と同じです」 作为会长,最令他头疼的是学校问题。早在前年,在附近成立的以3岁至13岁的孩子为对象的“印度国际学校”就已经人满为患了。他说:“父母都年轻,所以孩子也小。为了将来回国打算,必须要用印度式的教授课程来学习印地语和算数。这跟日本的归国子女问题是一样的。”  インドのハーブや食材を取り扱う店もでき始めた。6月には歌や踊りを交えた大々的なパーティーを区内の公園で開く予定だという。といっても周辺は、ニューヨークや東南アジアなどにある、いわゆるインド人街といった風情ではない。 经营印度香草和食品材料的店也开始陆续出现。据说6月份还准备在区内的公园举办盛大的歌舞晚会。但尽管如此,那一带却没有象在纽约或东南亚形成的所谓的印度街那样的风情。  目に見える形でなく、インターネットや携帯電話で結ばれた、困った時にお互いが助け合う新しい「電子上」のインド人街が生まれつつあるようだ。 我觉得,一条无形的,用互联网和手机等连接起来的,在有困难时互相帮忙的新型的“电子印度街”正在逐渐形成。
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发表于 2006-5-7 10:40:00 | 显示全部楼层
谢谢!..........楼住再接再厉哦,
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发表于 2006-5-7 13:34:10 | 显示全部楼层
060507天声人語 東京都江戸川区に住むインド人が千人に達するそうだ。8年前には100人ほどだったが、ここ数年で急増した。昨年1年間だけで300人近い増加だという。 据说居住在东京都江户川区的印度人已达到一千人了。8年前才100人左右,就在最近的几年里的人数剧增。听说仅去年1年就增加了近300人。  背景にはITブームがある。コンピューター関連の技術者とその家族が続々と来日している。若い技術者は「日本はハードウエアが得意。インドはソフトウエアが得意。一緒にやっていけるパートナーです」と口をそろえる。 IT热是这种现象的社会背景。从事电脑方面的工作的印度技术人员及其家属源源不断地来到日本。年轻的技术人员全都认为:“日本擅长硬件业,印度擅长软件。所以双方一拍即合”  ジャグモハン・チャンドラニさん(53)は80年代初め、成田空港にも横浜港にも近いという理由で江戸川区に移り住んだ。紅茶の輸入や料理店の経営を手がけてきたが、知らないうちにまわりにインド人のコミュニティーができていったという。「江戸川インド人会」の会長を00年から務めている。 贾古莫汗・强多拉尼(现年53岁)于80年代初搬来江户川区,因为他觉得这里离成田机场和横滨港都很近。起初他从事红茶的进口并经营饭店,不知不觉中身边就形成了印度人社区。2000年起,他开始担任“江户川区印度人协会”的会长。  会長としての悩みは、学校のこと。一昨年、3歳から13歳までを対象にして近くにつくられた「インド国際学校」は、早くも手狭(てぜま)になってしまった。「親が若いから、子どもも小さい。帰国した時のために、インド式のカリキュラムでヒンディー語や算数を習っておかないといけません。日本の帰国子女問題と同じです」 作为会长,最令他头疼的是学校问题。前年在附近成立的,以3岁至13岁的孩子为对象的“印度国际学校”,如今已是人满为患了。他说:“父母都很年轻,所以孩子也小。为他们将来回国打算,必须用印度的教材来学习印地语和算术。这跟日本的归国子女问题是一样的。”  インドのハーブや食材を取り扱う店もでき始めた。6月には歌や踊りを交えた大々的なパーティーを区内の公園で開く予定だという。といっても周辺は、ニューヨークや東南アジアなどにある、いわゆるインド人街といった風情ではない。 经营印度香料和食品材料的店也开出来了。据说6月份还准备在区内的公园里举办载歌载舞的大派对。不过,周围却没有在纽约或东南亚都有的印度人街的风情。  目に見える形でなく、インターネットや携帯電話で結ばれた、困った時にお互いが助け合う新しい「電子上」のインド人街が生まれつつあるようだ。 然而,一条无形的,用互联网以及手机连接起来的,有困难时能互相帮助的新型的“电子印度街”似乎正在形成
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发表于 2006-5-15 22:05:27 | 显示全部楼层
東京都江戸川区に住むインド人が千人に達するそうだ。8年前には100人ほどだったが、ここ数年で急増した。昨年1年間だけで300人近い増加だという。  背景にはITブームがある。コンピューター関連の技術者とその家族が続々と来日している。若い技術者は「日本はハードウエアが得意。インドはソフトウエアが得意。一緒にやっていけるパートナーです」と口をそろえる。 据说居住在东京都江户川区的印度人已达一千人。8年前只不过是100人左右。不过,最近这几年有了大幅度的增加。据说仅去年一年就增加了近300人。 其原因是由于IT热的关系。计算机关联技术人员和其个家族陆续来到日本。年轻的技术人员一致认为“日本擅长的是硬件,而印度擅长的是软件,我们是可以互补的伙伴」。 ジャグモハン・チャンドラニさん(53)は80年代初め、成田空港にも横浜港にも近いという理由で江戸川区に移り住んだ。紅茶の輸入や料理店の経営を手がけてきたが、知らないうちにまわりにインド人のコミュニティーができていったという。「江戸川インド人会」の会長を00年から務めている。 因为离成田机场和横滨港都比较近的关系,53岁的jagumohan·chandorani先生于80年代初搬迁到了江户川区。经营着一家进口红茶的公司,同时还经营着料理店。在不知不觉之间,其周围形成了一个印度人的社区。2000年起,他始任“江户川印度人会”的会长。 会長としての悩みは、学校のこと。一昨年、3歳から13歳までを対象にして近くにつくられた「インド国際学校」は、早くも手狭になってしまった。「親が若いから、子どもも小さい。帰国した時のために、インド式のカリキュラムでヒンディー語や算数を習っておかないといけません。日本の帰国子女問題と同じです」  作为会长,学校问题最使他感到头疼。前年,在附近成立了招收3岁到13岁的“印度国际学校”。“因为父母年轻,他们的孩子也还小。为了与回国后的教育接轨,必须预先用印度式课程学习印地语和算术。这与日本的回国子女问题是同样情况” インドのハーブや食材を取り扱う店もでき始めた。6月には歌や踊りを交えた大々的なパーティーを区内の公園で開く予定だという。といっても周辺は、ニューヨークや東南アジアなどにある、いわゆるインド人街といった風情ではない。 附近也开始出现经营印度药草和食材的商店。据说6月在区内的公园将举行包括歌舞的大型聚会。尽管如此,在这周边还看不到出现在纽约和东南亚等地的所谓印度人街风情。   目に見える形でなく、インターネットや携帯電話で結ばれた、困った時にお互いが助け合う新しい「電子上」のインド人街が生まれつつあるようだ。 在这里出现的是以眼睛看不见的形式、以互联网和手机为纽带、在有困难的时候彼此能够互相帮助的新的“电子模式”印度人街。
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