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发表于 2006-9-11 16:11:48
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この時まで自分はチョークを持ったことが無い。どういう風に書くものやら全然不案内であったがチョークで書いた画を見たことは度々あり、ただこれまで自分で書かないのは到底未だ自分どもの力に及ばぬものとめきらめていたからのなので、志村があの位書けるなら自分も幾らか出来るだろうと思ったのである。
再び先のかわばたへ出た。そして先ず自分の思いついた画題は水車、この水車は其以前鉛筆で書いたことがあるので、チョークの手始めに今一度これを写生してやろうと、堤を辿って上流の方へと、足を向けた。
水車は川向にあって其古めかしい所、木立の茂みに半ば被われている按排、つたかずらが這い纏うて居る具合、子供心にも面白い画題と心得ていたのである。これを対岸から写すので、自分は堤を下りて川原の草原に出ると、今まで川柳の蔭で見えなかったが、一人の少年が草の中に坐って頻りに水車を写生しているのを見つけた。自分と少年とは四五十間隔たっていたが自分は一見して志村であることを知った。彼は一心になっているので自分の近づいたのに気もつかぬらしかった。
おやおや、彼奴が来ている、どうして彼奴は自分の先へ先へと廻るだろう、忌ま忌ましい奴だと大いに癪に触ったが、さりとて引き返すのは猶お厭だし、どうして呉れようと、其の儘突っ立って志村の方を見ていた。
彼は熱心に書いている。草の上に腰から上が出て、其の立てた膝に画板が寄り掛けてある、そして川柳の蔭が後から彼の全身を被い、ただ其の白い顔の辺りから肩先へかけて柳を洩れたい薄い光が穏やかに落ちている。これは面白い、彼奴を写してやろうと、自分は其の儘其処に腰を下して、志村其の人の写生に取りかかった。それでも感心なことには、画板に向かうと最早志村も忌ま忌ましい奴など思う心は消えて書く方に全く心を奪られてしまった。
彼は頭を上げては水車を見、又画板に向かう、そしておりおり左み愉快らしい微笑を頬に浮かべていた。彼が微笑みする毎に、自分も我が知らず微笑みせざるを得なかった。
そうする中に、志村は突然起ち上がって、其の拍子に自分の方を向いた、そして何にも言い難き柔和な顔をして、にっこりと笑った。自分も思わず笑った。
「君は何を書いているのだ。」
「君を写生していたのだ。」
「僕は最早水車を書いてしまったよ。」
「そうか、僕は未だ出来ないのだ。」
「そうか、」と言って志村は其の儘再び腰を下ろし、もとの姿勢になって、
「書き給え、僕は其の間にこれを直すから。」
自分は書きはじめたが、書いているうち、彼を忌ま忌ましいと思った心は全く消えてしまい、却って彼が可愛くなって来た。其のうちに書き終わったので、
「出来た、出来た!」と叫ぶと、志村は自分の傍に来たり、「おや君はチョークで書いたね。」
「初めてだから全然画にならん、君はチョーク画をだれに習った。」
「そら先達て東京から帰ってきた奥野さんに習った。しかし未だ習いたてだから何もかけない。」
「コロンブスは良く出来ていたね、僕は驚いちゃった。」
それから二人は連れ立って学校へ行った。この以後自分と志村は全く仲が良くなり、自分は心から志村の天才に服し、志村もまた元来がおとなしい少年であるから、自分を又無き朋友として親しんでくれた。二人で画板を携え野山を写生して歩いたことも幾度か知れない。
間もなく自分も志村も中学校に入ることとなり、故郷の村落を離れて、県の中央なる某町に寄留することとなった。中学に入っても二人は画を書くことを何よりの楽にして、以前と同じく相伴うて写生に出掛けていた。
この某町から我が村落まで七里、若し車道をゆけば十三里の大回りになるので我々は中学校の寄宿舎から村落に帰るとき、決して車に乗らず、夏と冬の定期休業毎に必ず、この七里の途を草鞋がけで歩いたものである。
七里の途はただ山ばかり、坂あり、田にあり、渓流あり、淵あり、滝あり、村落あり、児童あり、森あり、寄宿舎の門を朝早く出て日の暮らしに家に着までの間、自分はこの等の形、色、光、趣をどういう風に書いたら、自分の心を夢のように鎖ざしている謎を解くことが出来るかと、それのみに心を奪られて歩いた。志村も同じ心、後になり先になり、二人で歩いていると、時々は路傍に腰を下して鉛筆の写生を試み、彼が起たずば我も起きたず。我筆を止めずんば彼も止めないと言う風で思わず時が経ち、驚いて二人とも、次の一里を駆け足で飛んだこともあった。
爾来数年、志村は故ありて中学校を退いて村落に帰り、自分は国を去って東急に遊学することとなり、いつしか二人の間には音信もなくなって、忽ち又四五年経ってしまった。東京に出てから、自分は画を思いつつも画を自ら書かなくなり、ただ都会の大家の名作を見て、僅かに自分の画心を満足さしていたのである。
所が自分の二十の時であった、久しぶりで故郷の村落に帰った。宅の物置に嘗て自分が持ち歩いた画板があったのを見つけ、同時に志村のことを思い出したので、早速人に聞いて見ると、驚くまいことか、彼は十七の歳病死したとのことである。
自分は久しぶりで画板と鉛筆を引っ提げて家を出た。故郷の風景は旧の通りである。然し自分は最早以前の少年ではない、自分はただ幾歳かの歳を増したばかりでなく、幸か不幸か、人生の問題になやまされ、生死の問題に深入りし、等しく自然に対しても以前の心とは全く趣を変えていたのである。言い難き暗愁は暫時も自分をやすめない。
時は夏の最中自分はただ画板を引っ提げたというばかり、何を書いてみる気にもならん、独はりぶらぶらと野末に出た。嘗て志村と共に良く写生に出た野末に。
闇にも喜びあり、光にも悲しみあり、麦藁帽の廂を傾けて、彼方の丘、この方の林を望めば、まじまじと照る日に輝いて眩きばかりの景色。自分は思わず泣いた。 |
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