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[原创]老妖の小論文集一

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发表于 2004-4-21 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
 大学に入ってすでに3年。ほかに何も誇るものがないけど、小論文だけがたくさん書いて、手元に残っている。文法の間違えや、誤字などがたくさんあると思うけど、時間があれば添削して頂きたい。また、テーマはさまざまで、皆さんはおんなじテーマを書く際に、僕の小論文がご参考になっていただければ、光栄だと思う。さ、今日からその一。[/COLOR]

華人の歴史と強いネットワーク[/ALIGN][/COLOR]


 華僑という言葉は年輩の方の中でよく言う言葉であるが、華人はつい最近流行ってきた言葉である。その区別は居住国の国籍を取得した人は華人であり、そうではない人は華僑である。つまり形式的な手続きの違いだけである。歴史的に見ると華僑は華人の全身であり、同じアイデンティティーを持つ人々である。それゆえ、本文のなかで華僑・華人の総称として「華人」の用語を使用することにする。
 歴史の中でたくさんの移住民を輸出した国が多数である。(例えば:ポーランド、ドイツ、イギリス。)しかし、華人のようにその移住民と彼らの子孫の中で強い連携とアイデンティティーを持つ民族はない。華人の強い団結力を一目でわかるのは、世界各地に広がるチャイナタウンである。なぜ華人はこのような連携を持っている原因と背景を見ていきたいと思う。
 中国人が本土を出て外国に移住し始めたのは、はるばる13世紀の漢朝からであるといわれている。当時は中国の航海術の発展に伴って、外国と商売をする商人が現れてきた。彼らの中で何年も本土に戻らず、外国に駐在して商売を続ける人はたくさんいた。それを「住藩」であると呼ばれていた、華僑の全身である。漢の後期になると、海上の交易は民間だけではなく、政府規模に至った。隋の時、奴隷の販売が盛んに行われていた。外国の象牙やサイの角を得るため、貴族は自分の支配している奴隷を外国からの商人に売るケースもあった。外国に売られた奴隷は一生も本土に戻れず、外国に住み続けた。唐朝に入るとたくさんの宣教師が外国からやってきた、目的は宣教のことであるが、もちろん外国の様子や風俗なども唐朝の人々に教えた。外国に対する好奇心によって国を出て、長年も戻らない人の数は少なくなかった。後の宋、元、明朝時代に、もちろん外国に人口を輸出したのであるが、いずれも大きい数字ではなかった。それに対して、外国から致命的な侵略を受けた清朝の人口流出が激しかった。現代世界の華人形態の基礎を築き上げたのも、清朝から輸出された人々と彼らの子孫である。清朝からたくさんの人口を輸出した原因は二つある。乾隆帝以来の人口爆発と外国の侵略である。乾隆帝前期と後期の人口を比べると三倍も増加したことが分かる。農耕地の面積は相対的に減少し、農民の生活は窮地に追い込まれていた。特に当時の福建省と広東省の人口増加は全国人口増加の平均数をはるかに上回り、農耕地はもともと少ないため、人民の生活はもっと苦しいのであった。清朝の後半に入ると莫大な人口基数により、全国の人口はさらに倍増し、飽和状態になっていた。
 一方、ヨーロッパ諸国は産業革命を終え、工業が目覚しい発展を遂げた。資源に対する欲望と新しい販売市場が必要になり、東南アジアの植民地への侵略を強めた。機械を生産したり、鉄道を建設したり、労働力に欠ける状態であった。東南アジアの豊富な資源を開発するため、各列強は中国の莫大の労働力を利用することにした。大量の中国人労働者が東南アジア各国に住み、働くことになった。例えば、19世紀90年代、スペインに統治されていたフィリピンでタバコやアヘンなどの栽培業を開発するため、中国人労働者を10万人も輸入したといわれている。ほかの国にも大量の中国人が進出し、結局当地で暮らすようになった人はたくさんいた。最初の時、清朝は労働力を輸出することに反対していたが、暫く経ったら、移民によって国内の人口飽和状態が緩和されることを認識し始めた。そして反対から積極的に人口を輸出することに一転した。
 中国から世界各地に進出した中国人労働者は東南アジアに集中するだけではなくヨーロッパ諸国にも大量の人が駆け込んだのである。例えば、1848年、サンフランシスコで金が発見された。まさに一攫千金の夢を抱いた人々が、アメリカ国内はもとより、世界各地からカリフォルニアを目指した。このゴールドラッシュは、太平洋のはるか彼方の中国からも、日日の生活に苦しむ多数の人々を引き付けた。1851年、港町サンフランシスコには、25000人もの華人が住むようになり、大規模なチャイナタウンが形成されていった。
 このようないろいろな原因で、華人は外国に住むようになった。しかし、華人は居住国に長年住んでいても、現地の住民と違う言語、文化、伝統、習慣などに基づくアイデンティティーを保持し、なかなか当地の風俗に同化されないケースが多い。なぜかというと華人の間に血縁、地縁、業縁という「三縁」関係が存在するが、それに基づいて各種の華人団体の活動によって華人ネットワークが形成される。このネットワークはなぜできたのであろうか。外国にとどまった中国人移民たちにとっては、新しい環境での生活や事業展開にあたって、自らの団結以外に頼るものがなかったと考えられる。この「三縁」のなで一番重要なのは、血縁である。親類を登用する家族経営の華人企業は珍しくなく、当然のことといえるだろう。血縁についで重要なのは地縁、すなわち中国での出身地が同じという同郷関係である。出身地の同じ華人は同じ生活習慣を持ち、同じ方言を使うため、お互い親近感を持っている。また、同じ事業に従事している人々のつながり、あるいはビジネス上のつながりである「業縁」も、華人の緊密な関係形成を支えている。
 華人の間に現れる相互扶助組織は「会館」である。一般に「会館」は同郷会館、同業会館、姓氏会館の三つに大きく分類される。華人会館は、会員に対して、出産、養老、病気の治療、そして葬式まで生活全般にわたって面倒を見る。また、生活困窮者には経済的援助を実施したり、就職の斡旋なども行ってきた。会館が廟と一体になっているところや、会館が邌婴工胙¥涡Ehの一角に会館事務所を設けている例も少なくない。このことは、会館が持っている機能の中で、会員子弟の教育を行う学校の邌婴铯幛浦匾扦ⅳ盲郡长趣蛭镎Zっている。
 華人はかなり長い歴史の中で発展してきた、独特なアイデンティティーを保持し、いろいろな困難を仱暝饯à皮郡长趣蠈gに容易ではない。われわれ中国人は華人のことを民族の誇りであると思っている。彼らの活躍によって世界各地に中国に対するいいイメージを残してほしい。



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