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刺杀东洋(一)

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发表于 2006-12-29 20:15:28 | 显示全部楼层 |阅读模式
東洋刺殺
     土佐藩参政吉田東洋が、武市の勤王党の手で暗殺されたのは、文久二年四月八日、夜、十時過ぎである。
  この日、夕刻から、細雨がふった。
  夜に入って天暗く、城下の空に、ほととぎすが、裂くような声で鳴きわたっていたと言う。
  東洋は、城内の御殿にいた。この日、恒例によって、東洋が若い藩主に進講する日であった。教材は、頼山陽の「日本外史」であった。
    この夜の講義は、東洋自身の運命を暗示するかのように、信長の「本能寺凶変」のくだりであった。

刺杀东洋
  土佐藩参政吉田东洋于文久二年四月八日夜十时后,遭武市的勤王党暗杀。
  那天,从傍晚起就下起了细雨。
  入夜后,天色昏案,据说有杜鹃鸟的声声啼鸣划破城市的夜空。
  东洋在城里的御殿之内。依惯例那一天正是他给年轻的藩主伺讲的日子。教材是赖东洋所著的《日本外史》。
  该夜的课程,似乎暗示着东洋自身的命运,正是信长的“本能寺凶变”那一节。


  吉田東洋は、単なる門閥の重臣でもなく、政治屋流の男でもない。卓抜(たくばつ)した学殖があった。信長の最期を語るにあたって、日本外史を教材としつつも、あらゆる史実を駆使し、藩公の座の前にありありと生ける信長を現出せしめるような説き方であった。同時に、反臣明智光秀(あけちみつひで)の人間と、その苦悩を説いてゆく。

吉田东洋不仅仅是门阀的重臣,也不仅仅是一名政客,还拥有出类拔萃的学识。在讲述信长临终这一段时,他以《日本外史》为教材,又加以旁征博引,将一个活生生的信长显示在藩主的座前。与此同时,也描述了反臣明智光秀的为人和苦恼。
   (光秀)曰く、「今は事すでに迫れり。われはまさに、まづこれを発せん」と。五人(光秀の家来)諫(いさ)めてこれをとめんと欲せしも、光秀の意色すでに決し、諫むべからざるを視、すなはちその謀(はかりごと)に賛成せり。(中略)老坂(おいのさか)に至る。右折すればすなはち備中に走る道なり。
  光秀はすなはち鞭をあげて東を指し、颺言(ようげん)して曰く、
  「わが敵は本能寺にあり」
  昧爽(まいそう)(夜明け)、本能寺を囲み、鼓譟(こそう)して入り、弓銃、こもごも発す。

    (光秀)曰:“事迫矣,吾竟先发”。五人(光秀的家将)欲谏阻之,见光秀意已决,遂罢谏而从其谋。(中略)至老坂。右折即去备中之道。
   光秀举鞭东指,朗声道:
  “吾之敌,在本能寺也”
   昧爽(拂晓),围本能寺,鼓噪而入,弓铳尽发。
  若い藩主はかたずをのんできいている。そのばで陪席している者は、由比猪内(いない)、市原八郎左衛門、後藤象二郎(竜馬により勤王派となる、維新後伯爵)、福岡籐次(同上、維新後孝弟と名乗り、子爵)、大崎巻蔵。彼らはのちに、このときの東洋は、平素の講義よりもはるかに熱を帯び、「説きさり説ききたり、当時の情景を眼の前に見せるかのようであった」とこもごもは発っている。
東洋の名講義さらにつづく。

年轻的藩主屏息静听。一旁陪席的有由比猪内、市原八郎左卫门、后藤象二郎(后受龙马影响成勤王派、维新后为伯爵)、福冈籐次(同上、维新后改名孝弟、子爵)、大崎卷藏。日后,他们说起当时的东洋,交口称道:比平时的伺讲要热情激动得多,“滔滔不绝,所讲授的情景历历如在眼前”。
东洋的精彩讲授仍在继续。
  

  信長は、臥内(寝所)にあり。驚き起つて曰く、
  「反する者は誰ぞ」と。蘭丸をして出でその旗印を視せしむ。かへり報じて曰く、
  「(「)惟任光秀(これとうみつひで)」
  信長曰く、「豎子(小僧)敢へて爾(しか)るか」と。すなはち弓を手にして出でぬ。蘭丸以下の宿直(とのい)の者みな肉薄して防ぎ戦ふ。信長はみづから射て数人を倒せり。槍をとつてたたかひ、右肱に傷つく。すなはち走り入り、姫妾(きしょう)を揮して逃れ去らしめ、火を縦(はな)ちて自殺せり。

   信长卧内(在寝室里)。惊起曰:
  “反者为谁”。唤兰丸起视旗帜。返而报曰:
  “惟任光秀”
  信长曰:“竖子敢尔”。持弓出。兰丸下宿值者白刃护卫。信长亲射扑数人。操枪战,伤右肱。遂突入,驱散姬妾,纵火自焚。

  講義の後、御酒下されがあった。
  東洋はしたたかに酔った。
  「いや、今宵は肝にひびくような講義であったぞ」
  と、若い藩主がいった。東洋は満足そうにうなずいた。
  「日ならず、御出府(参覲交代(さんきんこうたい)で江戸へゆく)でござる。最後の講義ゆえ、つい熱が入ったのでございましょう」

   讲授毕,有赐酒。
   东洋大醉。
  “啊,今夜的讲授直感人肺腑呀”
  年轻藩主说道。东洋满意地点了点头。
  “因不日便将出俯(去江户参觐交代),可谓是最后的讲授了,不觉就动了感情”

  この夜、殿中で東洋の講義がある、ということは、武市半平太の手もとに情報が入っていた。
  「講義が終れば、恒例によって御酒がでるだろう。下城は、戌(夜八時)すぎになるのではあるまいか」
  と、武市は刺客たちにいった。
  刺客の顔ぶれは、
  那須信吾
  安岡嘉助
  大石団蔵
  の三人である。
  そのほか、河野万寿弥(のちの敏鎌)がいる。河野は、暗殺後の始末をつける役目である。
  暗殺が成功すれば、暗殺者の三人は、一たん城下の長縄手の観音堂にあつまる予定であった。そこで、始末役の河野が待ち、首を受け取る。三人の国外脱出のための路銀、装束(しょうぞく)などもこのお堂に用意してある。

  (中略)


    该夜东洋在殿中有伺讲之事的情报,早就传到了武市半太平的耳中。
  “依惯例,伺讲后有赐酒吧。那么,出城应该在戌时(晚八时)以后了”
   武市对刺客们说道。
  刺客的阵容为:
    那须信吾
  安冈嘉助
  大石团藏
   三人。
  此外,还有河野万寿弥(即以后的敏鎌)。河野的任务是暗杀的善后工作。
   计划是:如果暗杀成功,三名刺客就先到城下长绳手的观音堂集合。做接应的河野等在里,接收东洋的首级。同时观音里也准备了让那三人远走他乡的川资路费和穿戴服饰。
  (中略)
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发表于 2007-1-5 05:13:01 | 显示全部楼层
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