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《龙马奔走》之《三 去江户(1)》

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发表于 2007-5-22 20:27:43 | 显示全部楼层 |阅读模式
竜馬がゆく

三 江戸へ

  竜馬は、じりじりとさがって、橋のたもとの柳を小楯(こだて)にとり、相手の影をすかしてから、キラリと刀を抜いた。
  風が、出ている。口の中が、むやみと乾いた。臆しているではない。小栗流目録の腕とはいえ、真剣と対峙するのは、これが始めてであった。
  影は、橋板の上にいた。上段のまま、根を生やしたように鎮まっている。よほど出きる男と見て良い。竜馬は、中段を取った。仕掛けるつもりは無かったが、相手が動けば踏み込んで両断するつもりでいた。
 (何者だろう)
遺恨とすれば人違いも甚だしかろう。始めてこの土地に着た竜馬に、人の恨みを受けるようなことがあろうはずが無い。
 (それとも、辻斬(つじぎ)りかな)
 声をかけるわけには行かなかった。かければ、声を目当てに相手の二の大刀が襲うに決まっている。
ふと竜馬は、相手を試したくなった。構えを、不意に中段から八相に変えて見せた。果然(かぜん)、わずかに相手の影は動く。驚いたところに相手は、夜目(よめ)が利く。
 逆に、竜馬は近視だった。近視は夜の大刀打ちは不利とされている。間合を取り違えるし、それに物陰の輪郭が、すべてにじんだように見えるからだ。
 そのとき、橋の向こうにポツリと提灯の明かりが浮かんだ。同時に、声が聞こえてきた。町の者らしい。声高の話し声が、近づいてくる。
それをみると竜馬は、自分が今演じているしぐさが、ひどくばかばかしくなって、
 「おい」
 と相手に微笑を含んだ声をかけた。
 「人違いのようだぜ」
 ところが相手は、声を目当てにいきなり上段から真向に振り下ろしてきた。竜馬はコブシを突き上げざまつばで受け、さらにつばを突き上げた。瞬間、相手の腰が浮いた。竜馬はうわ背と膂力を利用しつつ刀身で敵の左首すじを圧迫し、相手がその力に耐えようとしたところを狙って猛烈な足払いを掛けた。竜馬のこの手にかかると、たいていの者は倒れる。
「わっ」
 と横倒しになるところをのしかかって馬乗りになった。すばやく刀を喉元に突きつけながら、
 「辻斬りか」
 といった。
 「殺せ」
 「遺恨とすれば、わしはとんだ迷惑ということになるな。念のために申しておくが、わしは土佐者だぞ」
 土佐と聞いてなぜか相手は動揺した。
そのとき、背後の提灯が近づいてきた。竜馬は振り返り、
 「頼みがある。その明かりをこれへ貸しなさい」
 竜馬の声がひどく平静だったせいか、町人は逃げる弾みを失った。やがて物好きらしい男が、及び腰でじりじりと提灯を差し伸べてくる。竜馬は手招くように、
 「まだ遠いな。もそっと」
 「こうでござりますか」
 提灯が曲者の顔の傍まで来た時、竜馬はその顔を見て危うく声を上げそうになった。
 「おンし、北新町の岡田以蔵ではないか」
 後年、人斬り以蔵とよばれ、薩摩の田中新兵衛、肥後の河上彦斎(げんさい)とともに京洛を戦慄させたのはこの男である。
竜馬は以蔵を引き立てるようにして高麗橋(こうらいばし)を渡り、両替町に出てから辻駕籠二挺を拾った。
 「事情は旅籠(はたご)で聞こう」
  と前の駕籠に押し込んで、天満まで駈けさせ、八軒家(はちけんや)の船宿京屋治郎作方に入った。このあたりの河岸は、伏見へのぼる淀川三十石船(よどがわさんじゅっこくぶね)の船着場になっている。
二階の部屋へ案内されると、すぐ酒を注文し、
 「疲れた」
 と床柱を背に腰をおろし、右膝を立て、左足を股倉にかいこんだ。
 「以蔵さん、辛抱してくれよ。わしは子供の頃から犬御前(いぬごぜん)(唐獅子(からじし))といわれて正座が窮屈ですわれん」
 「承知しております」
 「ほう?」
 「おうわさは、聞いておりましたから」
 「なんだ、坂本のはなたれの悪評が下新町まで聞こえていたのか」
 竜馬は、相手の気持をほぐしてやるために、わざと驚いて見せた。

以蔵はうつむき、そのくせ用心深く上目で竜馬を見ている。岡田の家は七代続いた足軽で、以蔵には滲み付いた卑屈さがあった。酒が運ばれてくると、竜馬は徳利をさかさにして、ふたつの湯呑にどぶどぶと注ぎわけ、その一つを、
 「ほら」
 と、差し出した。以蔵は恐縮して、額越に両掌で受けた。本来なら竜馬と同席できない身分の男である。
 「恐れ入ります」
 「以蔵さん、そいつはやめよう。ここは国もとじゃない。もそっと膝を寄せてくれ。分際身分などはぬきにして、本町筋のはなたれと北新町の人殺しでいこうじゃないか」
 「人殺しはひどい」
 「ちゃ、ちゃ」
竜馬は土佐ことばで呆(あき)れてみせ、
「げんに高麗橋でおれが殺されかけちょる」
 「あれは」
 以蔵は泣き出しそうな顔をした。
 「人違いでした。坂本さんと分かっておれば、斬りかけはせんじゃった。金を無心しちょります」
 「驚いたな。浪花の船場で辻斬りをするつもりだったのか。あの川向こうに、どういう役所があるか、お前は知っちょったか」
 「西町奉行所(ぶぎょうしょ)です」
 竜馬は、男の中でも一番におえないのはこういう男だと思った。小心な男だけに、切羽詰ると、何を仕出かすか分からない。
 「事情を聞こう。断っておくが、わしが人に褒められているたった一つの取り柄は、口が堅いということだ」
 「存じております」
 よく竜馬のことを知っている。
 が、以蔵のことは、竜馬はほとんど知らない。岡田家と坂本家とは菩提寺が同じで、二度ばかり寺で顔をあわせたことと、この男が、足軽ながらも鏡心明智流では目録なみの腕がということだけは、人の噂で聞いていた。

聞けば、岡田以蔵は、藩公の参覲(さんきん)に扈従(こじゅう)して江戸へ出ていたが、国元で老父が死んだため組頭の好意で共から外してもらい、一人で土佐へ戻る途中であったという。
 「それは、愁傷じゃったな。母御は御健勝なのか」
 「妹がいるだけです」
 「ふむ、それで、江戸からの路用はどう都合した」
 竜馬は、本家は商人のせいか、ただの武家育ちとちがい、どういう話を聞いても金銭のことが頭に浮かぶ。
 「組頭にお香典を集めていただきましてそれを路用にして参りましたが、島田の宿で二日の川留めに遭ったり、浜松で霍乱を患ったりして路銀を使い果たし、あとはなりを町人に変え、伊勢のお蔭参りに身を窶(やつ)して、物乞い同然のことをしながら、大坂まで参りました」


 「大坂の西堀には土佐の蔵屋敷があるではないか。藩のために金銀を集めるところじゃ。なぜ路用を借用するという才覚が浮かばなんだか」
 「ぬかりはありませぬ。それを頼みに一筋に大坂まで辿り着きましたるところ、上役人衆は、足軽風情に銀を貸すことはまかりならぬ、知るべで借りるなりしておのれで才覚せよ、と申され、突き出されるようにして町へ出ました」
 「蔵役人がそう言ったか」
 「はい」
 「何者だ、それは」
 「お名前は、申せませぬ」
 足軽とはいえ、武士の端くれだというのだろう。人を売るようなまねはできない。
 「では、聞かぬわい」
竜馬は、暗い顔をした。ひとごとではなかった。土佐藩ほど上下の身分のやかましい藩はない。たとえば、郷士の分際の者がいかに英才の持ち主であろうとも、藩政に参加する身分には到底なれない。学問の師匠になるか、竜馬のように剣技を磨いて城下の町道場主になるかが、若者に許された精一杯野望なのである。以蔵のような足軽の分際ではそれさえ望めなかった。
 「それで窮したあまり辻斬りをしたのか」
 「申し訳ありませぬ。高麗橋は船場のお店者(たなもの)が通る橋ときき、橋のたもとで身を潜めておりました」
 「何人斬った」
 「滅相な。一人も斬りませぬ」
 「おれが、初物だったか」
 「申し訳ござりませぬ」
竜馬は胴巻を解いて、畳の上にざらざらと金銀を盛り上げ、
 「全部で、五十両がある。おれは幸い、金に不自由のない家に育った。これは天の運だ。天運は人に返さねばならぬという。おれのほうはあとで国元に頼みさえすればいくらなりとも送ってくれる。このうちの半分を持ってゆけ」
 「あっ、それは」
 以蔵は、生まれて小判を手にしたこともなかった。見るだけで肝をつぶして、
 「なりませぬ」
 「葬式の後、何かと物入りがかさんでいるはずだ。持ってゆけ。受け取らぬと、辻切りの一件を皆に言い触らす。岡田以蔵は大坂の高麗橋で辻斬りを働いた。されば軽くて追放、重ければ死罪」
 岡田以蔵はそれでも固辞して受け取らなかった。竜馬はついに腹を立て、
 「ならば、やめちょけ。そのかわり、二人で今から高麗橋へ引き返して、刃物の三昧をやりなおそう。おんしは、一足先に橋のたもとへ行き、物陰で辻斬りらしく身を潜めておれ。おれは、そのあとから通りかかる。むろん遠慮なく斬りかかることだ。おんしが勝てば俺の死骸からこの胴巻を引きずり出すがよかろう。遠慮はいらん。もともと、この一件はそういう筋だったのだ」
 以蔵は、神妙に頭を垂れている。
「やるか」
 竜馬が刀を取って立ち上がった。珍しく血相がかわっている。
 以蔵は、ちらりと上目で見て、
 (この坊ちゃん、本気だな)
 とあわてた。わざとうろたえる手つきをして、
 「あいや、お待ちくだされ。この金子(きんす)、ありがたく頂戴つかまつりまする。御恩は生々世世(しょうじょうせぜ)、相忘れませぬ」
 「以蔵さん」
 竜馬はいやな顔をした。
 「分かってくれるのはありがたい。しかしたかが金ぐらいで、武士が頭を下げるなどは薄みっとむないことだいし、礼を言われている俺のほうも恩を売っているようでいい図ではない。たかいにこの場の茶番にして忘れてしまおう」
 「そ、それではこの以蔵の気が済みませぬ」
 (勝手にしろ)

幸い、番頭が上がってきて、伏見へのぼる三十石船がそろそろでる時分だから支度をしてくれ、といった。竜馬はほっとした。
 「あんたはここにいなさい。おれは夜船に乗って伏見へゆく」
 竜馬は、逃げるように船着場へ出た。
 客は案外すくなかった。
 船に乗ると、とものほうに座をしめ、船頭から布団を借りてごろりと横になった。
(どうも、愉快でないな)
 さきほどの以蔵の一件であった。
 以蔵が不快ではなく、ああいう金の出し方をした自分が愉快ではなかった。
 (いい気なものだ)
 あれでは、まるで恵んでやったようなものではないか。こちらがああいう与え方をすれば、以蔵でなくても、当然、犬が食物を恵まれたような態度をとるしかない。
(金とは、難しいものだ)
 正直のところ、生まれてこの方金に不自由したことのない竜馬にとって、これは強烈な経験だった。あれだけの金で大の男が犬のように平つくばるとは、はじめ考えてもいなかった。
 (旅は世の中を教えてくれる、と兄が言ったが、これも修業の一つか)
 それから一刻ほどまどろんだらしい。
 起き上がってとま葺の下から外をのぞいてみたが、暗くてよく分からない。船は葦の間に掻き分けるようにして漕ぎ上っている。
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 楼主| 发表于 2007-5-22 20:28:55 | 显示全部楼层

中译

  龙马一步步地往后退,隐身于桥旁的柳树后,看清了对方的身影,便白光一闪,拔刀在手。
  起风了。嘴里渴得厉害 。并非胆怯。虽说已是小栗流目录的身手,可真刀相斗,这还是头一回。
  那身影还在板桥之上,摆一个上段的架势,一动不动如同生了根一般。看来是个厉害角色。龙马摆了个中段。他不想主动进攻,对方若有所动作,自然是上前将其一刀两断。
  (到底是什么人呢?)

  若是报仇雪恨者,则张冠李戴,大错特错了。龙马初来乍到的,不可能与人结什么梁子的。
  (要不然,是试刀○1的?)
  不能出声。一出声,对方的第二刀肯定循声砍来。
  龙马心念一动,想要试探对方。其招式也不觉地由中段○2变成了八相○3。果然,对方的身影也略有变动。令人吃惊的是,对方好一双夜视眼。
  相反,龙马是一双近视眼。在夜里使剑抡刀,近视眼当然是极不利的。容易弄错间距,物体的轮廓也模糊不清。
  就在此时,桥对面忽然亮出了一盏灯笼。同时传来了人声。像是町人模样。高声说话的声音越来越近。
  见此,龙马觉得现在自己所演的把戏很可笑,于是他,
  “喂”
  含笑向对方喊了一嗓子。
  “看错人了吧”
  可对方却循着这声音,突然由上段架势迎面一刀猛劈下来。龙马举手以刀的护手接招,并继续上举。刹那间,对方的身子浮起。龙马凭着自己的身高和膂力,用刀身压住对方的左颈,同时,看准对方奋力相抗的当儿,脚下猛地来了个扫荡腿。凡遭龙马此招,大多将翻身倒地。
  “哇”
  地一声,对方横身仆倒,龙马乘机腾身骑上,飞快地用刀抵在其喉结上。说道:
  “是试刀的吗?”
  “杀了我吧”
“若是寻仇的,俺就倒了大霉了。慎重起见先说一声,俺可是土佐来的啊”
  听说是土佐人,不知为什么对方立刻动摇起来了。
  这时,背后的灯笼越来越近。龙马回头说道:
  “借光,来这儿照一下”
  或许是龙马的声音异常平静的缘故吧,那町人竟忘了逃跑。不一会儿,这个看来是好看热闹的男子,哈腰探身将灯笼伸了过来。龙马招手道:
  “太远,再近点儿”
  “要这个样子吗?”
  当灯笼凑到那暴徒脸的近旁时,龙马差一点儿叫了起来。
  “这不是北新町的冈田以藏吗?”
  此人便是日后被人称作杀手以藏者,与薩摩的田中新兵卫、肥后的河上彦齐齐名,曾使整个京都闻风丧胆。
  龙马几乎是拽着以藏过了高丽桥,到了两替町就叫了两肩在街头揽客小轿。
  “始末缘由到客栈再问吧”
  说着便将他塞进前面的轿子里,让轿夫一直抬到天满,两人进了八轩家○4的治郎作开的名为京屋的船宿。这一带的河岸是开往伏见的淀川三十石船○5的停靠码头。
   被领进房间后,龙马立刻叫了酒,一声:
  “累死我也”
  便背靠着柱子座了下来,竖起右膝,而将左腿盘在胯间。
  “以藏,将就点儿吧。俺打小起就被称作狗蹲样○6,受不了正座○7的憋屈”
  “有所耳闻”
  “啊——”
  “听到点传闻”
  “坂本家的鼻涕虫,这个坏名声竟传到了新町?”
  龙马为了让对方放松一点,故意略显大惊小怪地说道。
   以藏垂着头,小心地偷眼看着龙马。冈田家接连七代都是足轻○8,所以卑微感已深入以藏内心。酒送来后,龙马提起酒壶,咕嘟咕嘟地倒了两茶盅,喊了声:
  “给你”
  便将一只茶盅推给了他。以藏双手过顶,诚惶诚恐地接了下来。因为论身份,他是不得与龙马同席的。
  “实不敢当”
  “以藏,这一套就免了吧。又不是在老家。再坐近些。别管什么身份地位,在这儿不就是本町筋的鼻涕虫和北新町的杀手吗?”
  “什么杀手?真难听”
  “嚯、嚯”
   龙马操着土佐腔惊讶道:
  “刚才俺不是在高丽桥边差点被你斩了吗?”
  “那是因为”
  以藏快要哭出来了。
  “那是因为弄了人。早知道是坂本你,就不砍了。要买路钱就是了”
  “真出人以外啊。竟想在浪花码头处试刀。你知道河对面是个什么衙门吗?”
  “西町奉行所”
  龙马觉得这种男人最可怕:平时谨小慎微,一旦逼急了,不知会捅出什么娄子了。
  “说说你的处境吧。俺有一个唯一为人称道的长处,就是嘴紧”
  “我明白”
  他很了解龙马。
  可是,以藏的为人,龙马却几乎一无所知。冈田家和坂本家,家庵
相同,曾在庙里见过两次面,只听得人说,这个家伙虽是足轻,却有着镜心明智流○9目录一般的身手。
  听他道来,原来藩公参觐○10时,他作为侍从,随同到了江户,因家中老父故去,侍从长出于好心,准其离队,一人返回土佐,现在归家途中。
  “那还请节哀顺便。母亲可还康健?”
  “只有一个妹妹了”
  “喔,那么,从江户出发时,盘缠是怎么筹措的呢?”
  或许是本家经商的缘故吧,龙马与一般的武士家出身的人不同,不论听到什么,马上就反应到金钱上来。
  “侍从长代为收了奠仪充作盘缠,可在岛田的客栈里,等过河等了两天,在滨松又患了霍乱,把盘缠花了个精光。之后,就只得装扮成町人模样,混在去伊势神宫神佑参拜○11的人群里,像个叫花子似的,混到了大阪”
  “大阪的西堀不是有土佐的仓房吗?那可是专给藩里敛钱的地方啊。为什么没想到去那里借点盘缠呢?”
  “怎么没想到?就指望这点才一心撑到了大阪,可上差老爷却说,不可借钱给足轻之辈,你还是找亲友去借吧,就这么着把我推到了大街上”
  “是仓房差人这么说的吗?”
  “正是”
  “那家伙是谁?”
  “姓名无可奉告”
  足轻之谓,乃武士之末流。自然是不能告状的。
  “好吧,不问也罢”
  龙马的脸色沉了下来。因为这并非事不关己。在等级制度方面,再没有哪一藩像土佐藩这么噜苏的了。譬如说,乡士身份的人,不论怎么有才,总也不得参与藩政。要么做设帐坐馆的塾师,要么像龙马一样,精研剑术,然后在城下开设道场,做个场主。这便是年轻人所能有的最大的野心了。而像以藏这样的足轻身份的人,连这一点也指望不上。
  “如此说来,就这么穷困潦倒,只得拿人试刀了”
  “惭愧。听说在船码头开店的人往来高丽桥的居多,就在桥下藏了起来”
  “砍了几个人了?”
  “哪里话来,一个也没砍过”
  “这么说,是拿俺发利市喽”
  “实在是对不住”
  龙马解下缠腰,哗啦哗啦地将金银堆在铺席上,说道:
  “全部,有五十两。俺有幸生在不缺钱的家里。这是天运,据说有天云者必须回报于人。俺日后只要给家里说一声,要多少有多少。这里面的一半,你拿去吧”
  “这,这如何使得?”
  以藏自投胎落地之后就没摸过小判○12。看着心里就发慌。
“落葬后,肯定要添些物件的。拿去吧。你要是不拿,俺将你试刀杀人之事声张出去。冈田以藏竟然在大阪的高丽桥试刀杀人。恐怕是,轻则流放,重则死罪”
  即便如此,冈田以藏仍是坚辞不受。龙马到底不耐烦了,说道:
“罢了,罢了。不如眼下两人就重返高丽桥去,白刃相见,重新打过。你先行一步,去那桥下藏起来,像个试刀的样子。俺随后就从桥上走过。你自然不必顾忌,砍来就是了。你要是胜,就可从俺的尸体上扯下腰围。不用顾虑,这事儿本就该这么办”
  以藏乖乖地耷拉着脑袋,一声不吭。
   “来吧”
  龙马提刀站了起来。脸上少有地勃然变色。
  以藏抬眼瞥了他一眼。
  (这少爷,看来没哄我)
  急忙故意装出狼狈样子,双手伏地,道:
  “哎呀,慢着,慢着。这钱,我拜领了。您的大恩大德,我终生难忘”
  “以藏”
  龙马愠色道:
  “你能明白当然是好事。可是,一个武士为金钱而低头,是不值得的,你谢了我,反倒显得我是市恩于你,感觉不爽。就当是一场玩笑,我们都把它抛到脑后去吧”
  “这,这叫我怎么过意得去?”
  (随你的便吧)
  正巧这时,掌柜的上来说,去伏见的三十石船就要开了,快准备吧。龙马松了一口气。
  “你呆这里。俺坐夜船去伏见。”
  龙马似逃一般地跑到了码头。
  出乎意料,客人很少。
  上了船,他占了个船尾的位子,跟船老大借了被子就一骨碌躺了下来。

  (怎么说也算不得一件快事啊)
  他想起了刚才以藏的那件事。
  并非对以藏有什么不快,而是对那样给钱的自己感到不快。
  (自以为是啊)
  不就跟市惠与人一样吗?自己这样的做派,对方即使不是以藏,也只能是得到食物恩惠的狗一般的样子。
  (钱这个东西,不好弄啊)
  说实话,龙马出生以来就没为钱发过愁,这次的经历给了他很大的刺激。那么点钱,就能让一个大男人像狗一样趴在地上,真始料未及。
  (兄长说过,出门远行能学到人情世故。这也是修炼之一吧)
  之后,他朦朦胧胧地睡了一刻左右。
  起身后,从茅草顶棚下向外望了一眼,黑乎乎地看不分明。船似乎是在芦苇丛中向前划着。

[ 本帖最后由 华南虎 于 2007-5-22 20:30 编辑 ]
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 楼主| 发表于 2007-5-22 20:31:37 | 显示全部楼层

注释

注:
○1拭刀:日本古代的武士为拭新刀快不快,或练习杀人的技巧,夜
里藏在路口,斩杀过往的行人。

○2中段:日本剑道架势,见下图。
      



○3八相:日本剑道架势,见下图。




                    


○4八轩家:地名。大阪天满桥南到天神桥南一段淀川的河岸,传说
江户时代,当地有八家客栈,故名。



○5淀川三十石船:往来于伏见和大阪之间的航船,早晚各一班。

○6狗蹲样:见下图





○7正坐:见下图。



○8足轻:最下级的武士。平时大杂,战时当步兵。

○9镜心明智流:日本剑术流派之一。源出富田一刀流,元祖为桃井八郎直由。直由吸收了许多其它门派的特色,才将一刀流进化为明智流的,因为非常注重姿式、形态,故人称“传派桃井”。江户的桃井道场名为“士学馆”,它是三大道场中声名、品质第一的大道场。桃井三代号为香藏,四代即桃井春藏直正(1825~1885),将明智流发挥到了巅峰。春藏曾在幕府讲武所中供职,维新后在大阪开馆授徒,名声传遍整个日本。此派介乎于艺术与格斗之间,但更偏重于艺术。主要门徒有武市瑞山、上田马之助等;也包括在幼年偷学技艺的基础上,勤习镜心明智流,终于完成独特稀代暗杀剑法的冈田以藏。
○10参觐:日本江户幕府严密控制各地大名的重要措施。规定各地大名要在一定期间轮流来江户参觐,又名参勤交代(见幕府政治)。大名参觐主君始见于战国时代,关原之战(见德川家康)后,各地大名为取悦德川氏,蜂涌至江户表示忠诚,德川家康为笼络他们而赐以宅地,供其建造邸宅安置妻室。1615年,幕府制定《武家诸法度》,开始对参觐时的随员数量作出规定。1635年德川家光修订《武家诸法度》后,形成完备的制度。  《武家诸法度》规定,全国大名平时须部分留住江户,辅佐将军,部分在自己领地主持藩国政务,以一年为期,期满轮换,轮换期为每年 4月。1642年,将谱代大名(德川氏嫡系大名)的轮换期改为 2月,其中关东、东海道大名定为9月。作为特例,规定关东大名在府在国各半;担任幕府要职的水户藩等大名长期留住江户;负有接待朝鲜使节任务的对马藩宗氏 3年一参,停留时间亦仅4个月。1722年,幕府为解决财政困难,实行“上缴米制”,规定藩国每产米1万石要向幕府缴纳100石。作为代替,大名在江户参觐期缩减为半年,但 3年后又复旧制。1862年,幕府权威日降,参觐之制亦随之松弛,规定重要藩国大名3年内可有1年参觐,余者百日即可,大名回藩时,妻子亦可同行。1865年后,倒幕战起,参觐之制名存实亡。
          参觐交代加强了幕府的集权统治。各地大名,藩国交错,相邻诸藩交替参觐,有利于防止其结党行动。按规定,大名妻子常往江户,实际成为德川氏手中的人质;而且,在江户建造邸宅、供养妻室家臣的费用及参觐的路费,都由大名自己承担,也削弱了大名的经济实力。另一方面,各地大名为弥补其巨大开支,于大阪、江户建立仓储,贩卖其从领地收来的稻米,客观上促进了以大阪、江户为中心的商业的发展。同时,各地大名定期轮班参觐,也促进了江户与各地区间的交通运输的发展,增强了各地的文化交流。

○11神佑参拜:“神佑参拜”(御蔭参、おかげまいり)是日本江户时代出现的间歇性、大规模的参拜伊势神宫的现象。众所周知,伊势神宫是祭祀天皇的祖先神——天照大神和食物神——丰受大神的地方 (祭祀天照大神的称为内宫,祭祀丰受大神的称为外宫),是神道的至高无上的圣地,对伊势神宫的信仰(简称伊势信仰)是神道中与天皇制关系最深的一种信仰,可以说是构成了神道的核心内容。伊势信仰有着久远的历史渊源,平安时代末期到中世以后,参拜伊势神宫就逐渐成为日本人宗教生活的重要部分,到了室町时代末期又现了“一个人一生中至少参拜一次伊势神宫”的意识,但是在较短的时间内突然爆发大批人赴伊势神宫参拜的现象,却是江户时代特有的。神佑参拜作为日本民众的传统宗教意识的典型表现,非常值得重视。
○12小判:天正年间至江户时代铸行的薄椭圆形金银货币。重1两,也称一两判。见下图。
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