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[一级考试试题] 1991年日语1级真题读解翻译

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发表于 2007-10-24 16:15:55 | 显示全部楼层 |阅读模式
(一)

    死体は果して誰のものか。
    自分のものだとしても、死んだあとでは、所有権を実際に自分で主張することはできない。法的には、そこはどうなっているのか。それを私は、じつは知らないのである。
    職業柄、年中扱っているものの、所有権が不明である。そんなことで、よく仕事が勤まる。そう怒られそうだが、むろん常識的には、死体は遺族のものである。
    しかし、ちょっとご想像いただくとわかるはずだが、遺族というのは、しばしば単数ではない。遺産相続の場合なら、子供にはすべて、平等の権利があるはずである。『ヴェニスの商人』ではないが、それなら肉何ポント分の権利が、それぞれの子供にあるか。そんな議論は、聞いたこともない。
    こういう議論自体が不謹慎だ。ひょっとすると、そうお考えになる方があるのではないか。もしそうなら、私としては、たいへん我が意を得たことになる。不謹慎であるとか、世の中乱れるとか、人心に与える影響を恐れる。こういった、かならずしも明確に定義できない常識が、死体に関わる多くの問題の背景となっているからである。
    こうした常識を考え、それと戦うことは、けっして容易ではない、私は死体を扱うのが仕事だから、そうは言っても、それを考えざるをえない。死体をめぐって、しばしばトラブルが生じるからである。
   こうした漠然とした常識。それの背景を知るためには、じつは日本の文学そのものを追究さざるをえない。私の仕事は、いつの間にか、そういう方向を向いてしまった。
    遺族だって、けっして明瞭ではない、しばしば複数の遺族が出現することがあるからである。東京に住んでいる遺族が親の解剖を承諾したが、田舎から出てきた遺族がそれに反対する。こういう例も多い。すでに解剖が始まっているときに、「私は解剖するとは聞いてなかった、じつは反対だ」という親族が現れる。これは、われわれがいちばん困惑するケースである。
  事前に十分に調べろと言ったって、よその家族の事情だから、それは困難である、解剖を承諾しますと言っていただくだけで、当方としてたいへん感謝している。そのを押して、「お疑いするようでもうしわけないが、もしかしたら、田舎のご親族で、解剖に反対の方がおられまぜんか」。そんなことを、きけるはずがないではないか。
   遺族に私が殴られたりするのは、こうしたケースである。仕事の上だから、別にどうということはないが、250年の歴史を持つ解剖ですらこの国では、かならずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる。



        尸体究竟是谁的?
        虽然是自己的,死了以后,实际上自己是不能申明其(尸体)所有权的.按照法律规定那应该怎样呢?其实我是不知道的.
        因为职业性质,我虽然全年办理这业务.但是所有权我就不清楚了."那样竟然还能干好工作? "听到这里你会被激怒了吧?当然按常识来讲,尸体是属于家属的.
        但是,请稍微想象一下就应该能明白,就说家属吧,就常常不是单数.遗产继承的时候,对所有的孩子们来说,都应该有平等的权利.对<威尼斯的商人>就不是这样,每个孩子都要有分得几磅肉的权利.分别每个孩子都有吗?这样的议论听也没听到过.
       这样的议论本身就是不谨慎的.说不定就有那样考虑的人.如果那样的话,对于我来说,那真是非常明白我的意思了.因为有不谨慎,对世间不平静的人心是有恐惧影响的.这样说的话,常识未必不能明确定义,因为对于尸体就会涉及到很多的问题背景.
        考虑这种常识,与其斗争绝非易事.因为我是办理尸体工作的,我那样说,也是不得不考虑那个问题.因为围绕尸体,常常会生出很多纷争.
        就这样漠然地看成了常识.为了了解那些背景,不得不追究日本的文学本身.我的工作,不知道在什么时候,就朝向了那样的方向.
        即便是亲属们,也决不是很清楚的.经常有复数的亲属出现.住在东京的亲属承诺了对亲人的解剖,但是从乡下来的亲属却对此反对.这样的例子很多.已经开始解剖的时候,听到了说"我没听说要解剖,其实我是反对的"这些话的亲属出现.这就是我们感到最困惑的情景.
    即便说是事前充分地调查一下,那也因为是别人家的事,很难调查.对我们承诺解剖的亲属,我们是非常感谢的.硬要说那些"很抱歉还是怀疑了,或许乡下的亲属们,反对解剖的那一方难道不搀和吗?"这样的问题难道不是不应该问吗?(怎么可能会问这样的问题呢?)
    被遗属殴打过的情况也有.因为是工作上的事,并没什么了不起的,但我却因此懂的了,拥有解剖历史250年的这个国家,不一定没有拥有适当的公民权.

(二)

       私の知っている寿司屋の若い主人は、亡くなった彼の父親を、いまだに尊敬している。死んだ肉親のことは多くの場合、美化されるのが普通だから、彼の父親追憶もそれではないかと聞いていたが、そのうち考えが変わってきた。
    高校を出た時から彼は父親に寿司の握りかた、飯のたきかた--寿司屋になるすべてを習った。父親は彼の飯のたきかたが下手だとそれをひっくりかえすぐらい
厳しかったが、何といっても腕に差があるから文句はいえない。だがある日、たまりかねて
「なぜぼくだけにつらく当たるんだ」
ときくと、
「俺の子供だから辛く当たるんだ」
と言いかえされたと言う。
   父親が死に、一人前になって店をついでみると、その辛く当たられた技術が役にたち、なるほど、なるほどと彼はわかったそうである。
   私はこの若主人の話を聞くたびに羨ましいと心の底から思う。そこには我々がある意味で理想とする父親と子供の関係があるからである。
   子供はその時、技術だけでなく父親の生き方も学んでいく。自分のつくる寿司に妥協しない父親、飯のたき方ひとつにも誠意をもってやる父親の生き方を技術と同時に習っていく。それが本来、父親というものだ。
   私がこの若主人を羨ましいと思ったのは、私には、自分の息子にそのような技術が教えられぬからだ。私は小説家だが、息子は別の道に進むにちがいない。私が今日まで習得した小説を書く技術を彼に教えることはできない。今の多くの父親も私と同じような哀しみを子供に持っているにちがいない。自分が習得した技術を子供に教えられぬ哀しみ、あるいは教えるべき技術を持たない哀しみが心のどこかにあるにちがいない。そして子供にとっても父親はそれによって、自分が将来を生きる知恵を伝えてくれる師ではない、ただ煙ったい存在か、友人のようなパパにすぎないのであろう。
      せめてそれなら子供に自分の趣味を吹きこもう。ツリの好きな父親はツリを、レコードの好きな父親は子供にクラシックを、薔薇づくりの好きな父親は花の作り方を子供に教えようと私は思うことがあるが...... 。


      我认识的年轻的寿司店老板对他已经去世的父亲,至今仍然十分尊敬.因为往往是故去的亲人都要被美化.所以听他讲对他父亲的追忆也是如此吧.但是这个想法后来改变了.
   从高中出来时他父亲就教他,掌握做寿司的方法,做米饭的方法--寿司店所有相关的都学习了.父亲严厉到要是他把饭做得不好就打翻它的程度.不管怎么说,因为本领差,不能发牢骚.
直到有一天,实在难以忍受了就说:"真讨厌为什么对我只有严厉"
他听了回答说 :"因为是我的孩子所以辛苦是应该的"
       父亲死了,随后一个人试着支撑着店,他终于知道了,那些被辛苦又苛刻而学到的技术果然起到了作用.
       每当听到这个年轻的店主说的话,我就打心眼里羡慕.这就是我们在某种意义上说,父亲和孩子们之间应有的最理想的关系吧.
       孩子在那个时候,不仅是技术,也在学习父亲的生活方式.向一个对自己制作的寿司不妥协的父亲学习技术的同时,学习父亲那种哪怕只是做米饭的方法也充满诚意去做的生活方式.这些本来就是父亲.
       这个年轻的店主另人羡慕的,对我来说,是不能教给自己的儿子那样的技术.我是一个小说家,儿子一定会向其他的道路前进.我教不了他,我到现在为止学会了的写小说的技术.
       现在肯定也有很多对孩子有同样悲哀的父亲,在心里的哪儿,肯定有自己学习了技术但不能教给孩子的悲哀,或者是没有可教的技术.并且对孩子来说,父亲根据这些(来教),就是传达给自己将来生存智慧的老师.如果只是象烟那样存在着,不过是象朋友那样的爸爸罢了.
       如果是这样,哪怕对孩子灌输自己的爱好也好.向喜欢钓鱼的父亲学习钓鱼,喜欢唱片的父亲灌输古典音乐.喜欢种玫瑰花的父亲可以教给孩子种花的方法.等等.
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