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魔法のラーメン82億食の奇跡~カップめん・どん底からの逆転劇~1

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发表于 2008-1-15 22:50:33 | 显示全部楼层 |阅读模式
3魔法のラーメン 82億食の奇跡~カップ面 どん底からの逆転劇~
関東茨城、食品工場の一角に決して手をつけてはいけない食べ物がある。こちら側が23万食 カップ面である。大災害が起きた時、関東一円から209万食が緊急輸送される。お湯を注げば三分でどこでも食べられる。有珠山噴火に3万食、阪神大震災で162万食が送られた。今、世界で年間の消費量82億食、魔法のラーメンである。30年前、開発に挑んだのは経営が悪化した食品会社、製造ラインは止まり、給料は4割も減った。新商品で会社を救おう。名物社長と若者たちが立ち上がった。しかし、カップ面の開発は困難を極めた。面は中まで上がらなかった。試食は一日20回。食べ過ぎて倒れた。初めての具の開発。粉々になった。市場からは見放された。そして、地を這う、最後の営業作戦が始まった。これは魔法のラーメンに会社の存亡を賭けた男たちの逆転のドラマである。
昭和40年、勃発 ラーメン戦争 追い込まれた名物社長 経営悪化 草むしりの日々 新商品で一発当てろ アメリカで見つけた 突飛なアイデア 夢の技術 えびが砕けた 新妻の手料理が食べられない 決戦の舞台 花の銀座
滋賀県草津市にある食品メーカーの研究所にきました。ここで今新しいインスタントラーメンのスープの試作が行われています。お邪魔します。ラーメンのいいにおいがしますね。今は丸鳥のスープで茸を出しておりましたので、     本格的、丸鳥は今    は入っていまして、そのほかに野菜としまして、たまねぎ、人参、しいたけ、また昆布なんか参りますね、インスタントラーメンなのに、こんなお鍋でスープを作るんですか。インスタントのスープでコンパクトなスープにしますので、これから濃縮していくわけなんです。これが10倍に濃縮した最新のチキンエキスです。これにさまざまな調味料を加えて、最終的な味を調えています。すごい、たくさん、調味料並んでますね。どれぐらいの調味料使ってるんですか、約5000種類の原料を使っております。5000.この最新のカップ面は厳選した調味料を組み合わせ、百回の試作を重ねて完成したものです。これが濃く香出て、すごくおいしい、いまや、世界30カ国以上で年間82億食が食べられている。このカップ面、生んだのは経営危機を陥った、大阪の食品メーカーでした。今日はこのカップ面の開発に挑んだアイデア社長と若い社員の苦闘のドラマをお伝えします。
昭和40年、食品業界に熾烈のインスタントラーメン戦争が起こっていた。塩に醤油にカレー味、360社が凌ぎを削った。その中で、強い危機感を抱く食品会社があった。日清食品、7年前インスタントラーメンを商品化、業界の草分けになった。しかし、後発メーカーに押され、業績は悪化。給料は4割カット。製造ラインはたびたび止まった。1100人いた従業員は800人に減った。工場の隅で草むしりをする若者がいた。新入社員の松本邦夫、仕事がなかった。「こんなはずでは」と不安が募った。松本は北海道の大学で食用油を研究した。地元は就職難。地味な研究に働き口はなかった。やっと見つけた職場だった。しかし、給料は他社の半分足らず。金はなく、製造途中で割れたラーメンを夕食にした。わびしくなった。一発当てて、会社を立て直そう。焦る男がいた。社長の安藤百福、当時55歳。お湯を注いで食べるインスタントラーメンをヒットさせ、会社を興した男だった。安藤はあの手この手を考えた。三分で食べられるインスタントライス。しかし、ご飯ならどの家にもあると相手にされなかった。ならばイタリアだ。スパゲッティに似せた即席面、スパゲニー。奇をてらいすぎ、短命に終わった。さらに状況が悪化した。消費量が頭打ちになった。ラーメン戦争にやぶれ、倒産する会社が現れた。一袋35円の商品は原価ぎりぎり、10円代にまで値崩れした。このままではじり貧だ。安藤は突然アメリカに飛んだ。ここなら、競争相手もいない。思う存分売ってやる。安藤はスーパーのオーナーを集め、ラーメンを売り込んだ。しかし、アメリカ人は言った。「どうやって食べるのですか。」あっと思った。なんとアメリカにはどんぶりがなかった。あるのは浅いスープ皿。ラーメンが半分しか浸からない。
工場は不振から立ち直れず、在庫ばかりが残っていた。残り物のラーメンばかり食べていた松本、家庭の味に飢えていた。同じ職場のトシ子と結婚を決めた。二人の新居は家賃1万円、6畳2間のアパート。「二人ならやっていける。よいことがある。」と話し合った。昭和45年7月、松本は突如社長に呼び出された。社長室には7人の若手社員が集められてた。訝る若者たちに安藤は一つのものを差し出した。紙コップだった。面を割ると、コップに入れた。こんな物ができないか。容器に入ったラーメンを作れば、どんぶりがなくても、どこでも食べられる。必ずヒットする。松本は思った。これが当たれば、給料が上がる。松本は面の開発担当になった。条件が与えられた。カップは300CC、どんぶり一杯分の大きさ。時間のかかるものは売れない。面は3分で食べられること。松本はカップの形に合わせた金型を作り、面を入れた。インスタントラーメンは面を油で揚げ、水分を飛ばして、乾燥させる。数分後、面を取り出して、驚いた。外側が揚がっていたが、中を開けると生のままだった。松本は油の温度を上げて、やり直した。今度は外側は焦げた。これは大変な開発になる。いっぱいのラーメンをめぐる手探りの闘いが始まった。
昭和45年、従業員は3分の1の450人に減っていた。松本は面がうまく揚がらない原因を突き止めた。面の厚みだった。これまでの袋入りラーメンは厚さ2センチ。しかし、カップに入れる面は6センチにもなる。松本は油の種類や温度を変え、何度も面を揚げた。そのために半生(はんなま)でも試食した。
その頃、大阪では万博が開かれていた。仕事をサボり、入り浸っている男がいた。プロジェクトの一人大野一夫、32歳。カップ面など興味がなかった。大学で生物化学を学んだ大野、日清が医薬品の開発に乗り出すと聞き、入社した。面接で「ラーメンの仕事だけをするつもりはない。」と言い放った問題児だった。ある日、大野は社長の安藤に呼ばれた。名案がある。新商品に具を入れたい。ラーメンには具が付き物(不可缺少的西)だ。開発を頼む。大野はしらけた。具の開発、薬に比べれば子供騙しだ。3分で食べるラーメンには3分で戻る乾燥食品を探せば、簡単だ。大野は町に出た。しかし、天日干しや熱風乾燥の食品にはお湯をかけて、3分で戻るものはなかった。大野の負けず嫌いは頭をもたげた(不服的念头开始冒了)。
一方、松本は面を揚げては試食を続けていた。試食は1日20回。それ以外の食べ物はまったく喉を通らなくなった。家に帰る頃にはげんなりしていた。新妻のトシ子、会社を辞め、毎日手料理を作り待っていた。しかし、松本は箸もつけず、布団に倒れこんだ。
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发表于 2008-1-16 00:58:30 | 显示全部楼层
脑胀!!!!!!!!!!!!
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