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发表于 2008-4-30 09:11:08
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二
一日おいて、このおんな牢に新入りがあった。
「南町奉行大岡越前守さまおかかりにて、武州無宿お|竜《りゅう》、十九歳」
牢屋同心の声に、
「はい、おありがとう。――」
と、天牛のお紺はこたえて、うしろをふりかえり、
「ほい、新入りだよ」
と、声をかけると、ニヤリとして乞食の女房が立ちあがった。
乞食の女房は、江戸市中の乞食の女房で、おんな牢|付《つき》|人《びと》といい、ふだんから予約してあって、一ト月交替で、女牢のなかに暮している。これが牢の外で、新入りの女囚をはだかにして、|法《はっ》|度《と》の品を身につけていないかどうかをしらべる。法度の品とは、|繻《しゅ》|子《す》、|縮《ちり》|緬《めん》、|羽《は》|二《ぶた》|重《え》、金銭、刃物などだが、これは一応の名目であって、黒繻子でも黒ぎぬといい、島縮緬でも島ぎぬといえば合格するし、刃物はともかく、金銀のたぐいは禁制品どころか、これを持ってこなければ牢内で半ごろしの目にあわされる。
そうして乞食の女房の身体検査がおわると、新入りははだかのまま、着物に、帯、腰巻、草履などをくるんで「はいれ」という声で小さな戸前口を入ろうとするところを、うしろからドンと|蹴《け》とばされ、つんのめったあたまへ、牢内で待っていた女囚が、ぱっと獄衣をかぶせ、むき出しのお|尻《しり》をキメ板で、ピシャリピシャリとなぐりつける。――これがおんな牢新入生の受くべき|荘《そう》|厳《ごん》なる入学式だ。
ところが、そのとき、声がかかった。
「あいや、乞食の女房、おまえの役はさしゆるす」
ふしぎなことに、牢屋同心とならんでいるのは、|捲《まき》|羽《ば》|織《おり》の八丁堀同心であった。それが、異様にふるえる声でいったのだ。
「当|科《とが》|人《にん》は、とくに重大な一件の連類であるによって、さきほど|牢《ろう》|庭《にわ》火ノ番所に於て、われらがじきじきあらためた。もはやからだを調べることは無用である。なお、ちかく、いくどかお奉行さまおんみずから当牢屋敷に御出張あそばし、したしく御吟味に相成るはずであれば、牢内にて私刑その他禁を犯して科人のからだに傷などつけては、きっと|成《せい》|敗《ばい》いたすぞ」
すると、新入りの女が笑った。
「おや、ひょうろく同心、いやに気をつかうじゃないか。ふふん、三尺たけえ木の上でお|陀《だ》|仏《ぶつ》にするとき、きれいなからだの方が見世物になるかえ?」
そして、相手が口をもがもがさせているあいだに、
「はい、ごめんよ」
と、声をかけて、さっさと戸前口をくぐって、ひとりで牢の中へ入ってきた。
あっと、女囚すべてが息をのんだのは、その新入りの女の姿を眼前にみたときだ。それはあまりにさわやかな新鮮な美しさからであった。おそらく火ノ番所で、からだをあらためられたといったが、そのとき着かえさせられたのだろうか、彼女は純白のきものをきていたが、それはとうてい入牢者とは思われず、祭りか何かの儀式にえらび出された|神《こう》|々《ごう》しい処女のようにみえた。
それが、三歩あゆんで、ふりかえって、愛くるしいあごをしゃくっていったものだ。
「おい、同心、役目がすんだら、さっさとゆきなよ。さっき、あたしをはだかにして、よだれをたらしていやがったが、あんまりいつまでも|食《くい》|意《い》|地《じ》をはるんじゃないよ」
同心たちは、つきとばされたようにあるき出した。……女囚たちは、声もない。新入りの、顔に似合わぬあまりな不敵さに、きもをつぶしたのだ。
同心がいってしまうと、天牛のお紺は、やっと女たちの驚嘆のひとみに気がついた。牢名主だけあって、彼女がまずわれにかえった。
「おい、新入り、名はなんというえ?」
「お竜ってのさ、お婆さん」
「お婆さん? やい、お名主さんといえ。こいつ、牢内の御作法を知らねえな。おい、本役、シャベリをきかせてやれ」
|下《しも》|座《ざ》にすわっていた中年の女が、突然きんきん声で「シャベリ」はじめた。
「やい、|娑《しゃ》|婆《ば》からきやがった|磔《はりつけ》め、そッ首をさげやがれ。御牢内のお|頭《かしら》は、お名主さま、お隅役さまだぞえ。うぬのような大まごつきは、夜盗もし得めえ、火もつけ得めえ、|割《かっ》|裂《さき》のたいまつもろくにゃふれめえ。|櫛《くし》や|笄《こうがい》のちょッくらもちをしやがったか、まだまだそんなことじゃあるめえ。または堂宮、|金《かな》|仏《ぶつ》、橋々のかなものでもおッぱずしやがって、通り|古《ふる》|鉄《がね》買いへ、小安くおッ払いやがって二|文《もん》四文の読みがるた[#「がるた」に傍点]か、さつまいものくいにげか、かげま[#「かげま」に傍点]のあげ逃げでもしやがって、両国橋をあっちへこっちへまごついて、|大《おお》|家《や》につき出されてうせやがったろう。すぐな杉の木まがった松の木、いやな風にもなびかんせと、お役所で申すとおり、ありていに申しあげろ」
これが新入りに対する訓辞である。
お竜という女は、口をぽかんとあけて、シャベる本役の顔をみていた。すこしはこれでヤキが入ったか、と思って、ジロリと上眼づかいに見やると、お竜はいきなりぷっとふき出した。
「おもしろいわねえ。もういちどしゃべってちょうだい」
「な、な、なにを?」
お紺の顔色がさっと変って、|物《もの》|凄《すご》い悪相になった。歯がカタカタと鳴るが、とみには口もきけない。――が、息をこらして見まもっている女囚たちを見まわすと、ニヤリとして、
「このすッとんきょうなあま、なんにも知らねえの。お姫さまみてえな|面《つら》アしやがって、へんな奴が入ってきたもんだ」
「ふふ、あたし、姫君お竜ってんだよ」
「へえ、姫君、なあるほど!」
と、詰の隠居のぎっちょ[#「ぎっちょ」に傍点]のお|伝《でん》が思わずそういう嘆声をもらしたのは、よほど感にたえて胸におちたのだろう。お紺はにがりきった眼でお伝をにらみつけてから、
「お竜、いってえ何をしてここに入ってきやがった?」
「なあにたいしたことじゃない。|公《く》|方《ぼう》さまのお命を|狙《ねら》った一味でね」
ケロリとしていったが、みんなあっと息をひいたまま、硬直してしまった。なるほどそれなら、本人が三尺たかい木の上で往生することを覚悟しているのも道理。――それにしても、まあこんな可愛らしい顔をした娘が? しかし、さっきたしか八丁堀の同心もふるえ声で、「当|科《とが》|人《にん》は、とくに重大な一件の連類であるによって」といったし、「お奉行さまおんみずから当牢屋敷に御出張あそばし、したしく御吟味に相成る」ともいった。
「く、公方さまのお命を狙ったって? そ、それはまあどういう――」
と、さすがのお紺の声もわなないた。お竜は平然と、
「ききたいかえ? きかせてやってもいいけれど、かかりあいになるよ」
「いや、ききたかあねえ、そんな話は」
と、お紺はあわてて、
「それより、おめえ、それほどの大罪人なら、さだめしつる[#「つる」に傍点]もたんまりもって入ってきたろう。みせな」
「つる[#「つる」に傍点]」
「金づる、お|銭《あし》さ」
「そんなものが御牢内で、なんになるのさ」
しかし、地獄の|沙《さ》|汰《た》も金次第、というのがまさにそのとおりで、外界と隔絶された地獄なればこそ、その外界の甘美な匂いをたぐりよせるには、金の魔力以外にはなかった。牢番に金をわたせば、その四分の三をはねた残りで、酒でも菓子でもはこびこんでくれるのである。その仲介者をうごかすのに、他のものはいっさい役にたたないという点で、金が万能ということは、ふつうの世間以上徹底しているが、その金のもとはといえば、新入りから入手するよりほかに方法はない。
のちに――幕末、彰義隊の精神的な首領ともいうべき上野東叡山の学頭に、有名な|覚《かく》|王《おう》|院《いん》|義《ぎ》|観《かん》という傑僧がある。彰義隊がやぶれたのち捕われて、この小伝馬町の牢屋敷に入れられたが、西郷にも百万の官軍にも断じて屈せず堂々とじぶんの信念を吐いてしりぞかなかったこの豪僧が、牢に|金《つる》をもってゆかなかったばかりに、十日もたたないうちに悲鳴をあげ、あわてて牢番をとおして、外から|金《かね》を入れてもらって命びろいをしたという話がある。|以《もっ》て、牢内がいかに別世界であるか、また金の力がいかに強大であるかがしれよう。
「ふざけやがるな」
と、お紺は恐ろしい声を出した。
「おい、お竜、金はもってないのかよ?」
「同心にからだをしらべられたあたしが、そんなものをもってると思って? 一文もないわ」
すました顔である。お紺は、歯をかみ鳴らした。牢屋同心なら、新入りが金を身につけているのを大目にみてくれるどころか、まわりまわって結局じぶんのふところへも入ってくる金だから、暗にその必要性をほのめかすくらいだが、八丁堀ならどうかわからない。とくにこれほどの大罪人なら、いままでの新入りとはわけがちがうかもしれない。
と、|納《なっ》|得《とく》することは、承知したことではなかった。納得できれば、いっそうどうにもならない怒りにからだがひきつけそうになった。
「お名主さん、そんなに貧乏ぶるいして、たたみからおちるわよ」
と、お竜は笑ったが、ふとその眼がお紺のすわっている畳にとまり、またぐるりとまわりを見まわして、
「おや、へんだわねえ。ひとりでたたみをかかえこんで、ちゃっかりしてるわねえ」
といった。 |
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