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懐石(かいせき)とは、本来茶の湯において茶会の際、会の主催者である亭主が来客をもてなす料理をいい、禅寺の古い習慣である懐石にその名を由来する(詳細は歴史の節を参照)。懐石料理とも呼ばれる。懐石を弁当にしたものを点心という。
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1 歴史
2 懐石料理と「茶懐石」
3 献立
4 食器
5 著名店
[編集] 歴史
懐石料理とは茶道の形式に則した食事の形式である。利休時代の茶会記では、茶会の食事はただ「会」とのみ記されており、本来は会席料理と同じ起源であったことがわかる。江戸時代になって茶道が理論化されるに伴い、禅宗の温石(おんじゃく)に通じる「懐石」の文字が当てられるようになった。懐石とは寒期に蛇紋岩・軽石などを火で加熱したもの、温めた蒟蒻(こんにゃく)などを布に包み懐に入れる暖房具を意味する。
「懐石」が料理に結びつく経緯は諸説ある。一に修行中の禅僧が寒さや空腹をしのぐ目的で温石を懐中に入れたことから、客人をもてなしたいが食べるものがなく、せめてもの空腹しのぎにと温めた石を渡し、客の懐に入れてもらったとする説。また老子の『徳経』(『老子道徳経』 下篇)にある被褐懐玉の玉を石に置き換えたとする説などである。
天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成されており、その食事の形式として一汁三菜(或いは一汁二菜)が定着した。これは『南方録』でも強調され、「懐石」=「一汁三菜」という公式が成立する。また江戸時代には、三菜を刺身(向付)、煮物椀、焼き物とする形式が確立する。さらに料理技術の発達と共に、「もてなし」が「手間をかける」ことに繋がり、現在の茶道や料亭文化にみられる様式を重視した「懐石」料理が完成した。
[編集] 懐石料理と「茶懐石」
現代では茶道においても共通する客をもてなす本来の懐石の意味が廃れ、茶会の席上で空腹のまま刺激の強い茶を飲むことを避け、茶をおいしく味わう上で差し支えのない程度の軽食や類似の和食コース料理を指すといった実利的な意味に変化している。
懐石料理は茶会以外の場、例えば料亭や割烹などの日本食を扱う料理店をはじめとして様々な飲食店で懐石料理を提供するところが増え、茶事における懐石を特に「茶懐石」と表わして区別することもある。この一因には、料理店で提供される際に、料理を持ち出す順序、提供される順序などが「茶懐石」と若干異なることにある。たとえば茶懐石ではじめに提供される飯と味噌汁は料理屋の懐石では省略され、先に八寸が提供されることが多い。また一人一人に料理が盛って持ち出され、茶席におけるように、取り回し時に特別の作法を言われぬことなど、総じて料理屋で食べる懐石料理は打ち解けたものであることが多い。また料理店によっては料理のみを提供し、料理の後に薄茶の提供がないこともままある。
加えて、懐石料理は本来量が少なかったことから、量の少ないコース料理全般を懐石と呼ぶ傾向があり洋風懐石や欧風懐石といった名称の料理が存在する。
[編集] 献立
一汁三菜
汁
具をいただく前に汁を飲むのが礼儀とされる。
向付
椀盛(煮物)
焼物
強肴
小吸物(箸洗、ひと口吸物)
八寸
八寸(25cm)四方のトレー状の杉の器に由来。海と山の珍味が肴として出される。
湯桶
おこげ(代用として焙烙で炒った米)に出汁を注いだもの。これと香物でご飯の器を清めて飲む。
香物
菓子
[編集] 食器
利休時代までは主に漆器が用いられていたが、織部焼などの国産陶磁器の発達によって多彩な器が用いられるようになった。
現在では懐石料理に用いる器は陶器、磁器、漆器、白木、ガラス器などがある。このうち飯碗・汁碗などは漆器を用いるのが通例である。茶席においては主客より詰まで順次取り回し、八寸が出てのち亭主が同席して杯事がなされ、菓子ののち中立ちとなり、客はいったん待合へ退き銅鑼の合図で再び席入りするのが本来であるが、いわゆる大寄せ茶会においては別室で点心が供されることが多く、この場合中立ちなどは省かれる。
[編集] 著名店
懐石料理で知られる店には京都三条の辻留、大阪高麗橋の吉兆、滋賀県東近江市の招福楼などがある。
これらの店では茶室を備え、茶事を行うことが可能な店もある。 |