日本大百科
郡
(ぐん)
「こおり」とも読む。古代から現代までの地方行政区画。『日本書紀』には、646年(大化2)条の改新詔に郡の規定があり、郡が行政区画として定められたとされてきた。しかし、木簡{もつかん}などの史料から、このとき定められたのは評{ひよう}(こおり)であることが明らかになった。
郡が定められたのは、8世紀初頭制定の大宝律令{たいほうりつりよう}であった。律令制では、郡は、国の下にあって里(1里=50戸)を包括し、里の数によって、大(16~20里)、上(12里以上)、中(8里以上)、下(4里以上)、小(2里以上)の5等に分けられた。郡司には、旧国造{くにのみやつこ}層をはじめとする在地首長が任命され、口分田{くぶんでん}の班給が郡規模の広さで行われるのを原則とし、調庸物の合成が郡を単位に認められていたことなど、郡は、郡司の体現する伝統的支配と密接な関連をもって設定された、律令制支配の基礎となる行政区画であった。10世紀以降、郡司の支配の変質、荘{しょう}などの増加によって、地域名化していった。その後、16世紀の太閤{たいこう}検地によって、郡は諸村を統轄するものとされ、江戸幕府も郡名の復旧に務めた。1878年(明治11)郡区町村編制法によって、府県の下位の行政単位とされ、郡役所が置かれた。1921年(大正10)郡制の廃止が決議され、郡は行政区画としてのみ存続している。→国郡里制 →評 →郡司 <大町 健>茵 |