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子供のごろはあまりにも単純すぎだと思ったことはありませんか。「超人のように強くなって、空を飛び回りたい。」などの偉い夢、子供のごろには誰でもそのような夢を一つや二つ抱いていたでしょう。しかし、大人になってから複雑な社会に入ってさまざまなことを経って考え方が変わるにしたがって、もともとの純真さもしだいに失ってしまいます。
今は競争の激しい社会で、生存のために精一杯しなければなりません。もう夢を考えた時間さえもなくなります。もしもタイムマシンが作られて昔に戻ってまた子供のように何も考えずに生活を送るといいなと思う人もたくさんいるでしょう。それにしても、大人たちも自分の夢を持っています。何と言っても、夢は人間が生きてゆく力で、誰もそれを失ってはいられません。
多くの人にとって、気に入った仕事に携(たずさ)わったり釣り合った恋人に出会って共に人生を歩んだりできるのが夢です。彼らはそれを生活の原動力にして目指して一生懸命に努力しようとしています。彼らの存在だからこそ、この社会が発達できるというところです。
しかし、積極的な夢を持った人がいる一方で、逆に儚さを追い続けた人もいます。繰り返す毎日の中で、彼らはゲームやネットなどに耽(ふけ)ってばかりいます。現実の素晴らしさはいろいろなわりには、なぜ儚さを追い求めるのでしょうか。これはだめです。本当に怖いのは夢が叶わないということではなくて、この生活の原動力である夢を失うようでは、それこそ最も心配なことではないでしょうか。
大きな夢を持ってそれを育てってそして叶えるために努力しているのは、私たち若者らしいです。私たちは若くて甘くて、迷って立ち止まっている時もしばしばあると言っても、最後まで持ち堪えるやる気を持っていればいつか夢が叶うはずでしょう。ですから、夢を叶えるには、やる気が一番大切なのです。
私は以前、「好きな人のために生きていきたい。」という夢を抱いていましたが、最近はだんだんと変わっています。若いうちに、できることは一杯あるのですから、なぜ愛情のような私たちの年に合わないものに拘るのでしょうか。年を取れば、愛情の意味が一層分かるのではないでしょうか。夢としてのものは、大きなほうがいいです。
今の私は、自分の趣味のあることをしたいです。けれども、趣味のみのためではなくて、将来のために日本語を勉強してゆくのです。複雑な未来を考えたくなくても、考えないではいられないでしょう。ですから今は、若いうちに、夢を描きながらできるだけ多くの知識を身に付こうと思っています。 |
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