▼花札から一枚を選ぶとすれば「芒(すすき)に月」である。黒い弧を描く芒の原と、赤い空いっぱいの白い満月。月は左に寄り、移ろう時までが見えてくる。省略の果てに日本の秋が薫る、見事な意匠だと思う
从花纸牌中抽取一张,抽到的是“芒上之月”这张纸牌。(纸牌的图案是)用黑色弧线描绘的芒草原野以及在红色天空背景下大而充盈的白色满月。月亮稍稍靠左,连时间的流逝都能够看的一清二楚。简略的极致便是那淡淡发散地日本的秋天(的味道),优美至极的意境。
▼ゆうべ、仕事場から東空を望むと、薄雲の中に中秋の名月が浮かんだ。十五夜は満月とは限らない。そのくせ、必ず仏滅になるそうだ。だからとは言わないが、拝み損ねても気を落とすことはない。満月は今夜である
昨夜,从办公室仰望东面的天空,薄云淡雾中浮现出一轮中秋明月。十五的夜晚并非一定都是满月。据旧习说,(如十五之夜无满月)就必定是个大凶之日。虽不能言明其缘故,但即便无法祭月也不必灰心丧气。满月乃在今夜。
▼世界で活躍する照明デザイナー、石井幹子(もとこ)さんが、近著『新・陰翳礼讃(いんえいらいさん)』(祥伝社)で月夜の値打ちに触れている。「陰翳の美しさを際立たせるのは、何と言っても月光であろう。『日本で理想の光の状態は何か』と問われれば、私は、迷わず満月の夜と答えたい」
活跃于世界照明界的照明设计师石井干子女士在其近著《新・阴翳礼赞》(祥传社)中对月夜的价值有所提及。“最能凸显阴翳之美的,毋庸置疑就是月光。如果有人问我:“在日本最理想的光的状态是什么?”,我会毫不犹豫地回答说是满月之夜。"
▼光か闇かという欧米流の二元論ではなく、石井さんは「光から闇に至る中間領域」をいとおしむ。都市なら「優しい夜景」、家では「ほのかなあかり」だという。今どき、月あかりを楽しめる暗さは希少だが、時を選べば「光と闇の間」に出会える
石井女士特别珍惜的,并非是非光即暗的欧洲派二元论,而是“从光明到黑暗的中间地带”。如城市的“优雅的夜景”,家庭的“模糊的灯光”。现在,能感受到月光皎洁的黑暗状态已经很稀少了,如果可以选择时间的话,希望与“光和暗的中间状态”相遇。
▼先日、久しぶりにオリオン座を見た。均整のとれた姿はこちらの生き方を問うかのようだ。世事の転変に追われているせいか、自然や天文の「変わらぬもの」にひかれる。〈名月の美しすぎる世の乱れ〉南千枝子
前些天,看到了许久未见的猎户座。均匀整齐的姿态仿佛在探询人间的生存方式一般。大概是受世间万物变迁的影响,人们往往被那些自然和天文等“恒久不变的东西”所吸引。南千枝子的名句“皎洁的明月 太过于美丽的月 纷乱的世间”
▼まやかしだらけの世にも似て、明るいだけの夜は人を惑わす。たまには心静かに空を仰ぎ、内省の時を持ちたい。独りでもよし、年の功を頼って人生の先輩と話すのもいい。敬老の日の宵、雲が切れればまん丸の、それも大安の月が出る。
与充满虚伪的人世间相似,唯明朗的夜晚更迷惑人。偶尔也有想静下心来仰望天空,自我反省。独自思考也好,和经验丰富的前辈谈话也罢。在敬老日的黄昏,就如要将云层都驱散般的完整的吉祥之月显现了。
[ 本帖最后由 新米 于 2008-9-16 12:30 编辑 ] |