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[语法问题] 今日は 君が代問題に ついて、   ままの ことを 自由に 述べて ください。

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发表于 2008-11-14 22:59:39 | 显示全部楼层 |阅读模式
今日は 君が代問題に ついて、      ままの ことを 自由に 述べて ください。  
   1 思い       2 思って      3 思った     4 思えた
为什么选3?4呢?
思える也有认为的意思啊?
駅前に新しくできたレストランだけど、値段が高い  おいしくないね。
1、わりに  2、かわりに  

有人说选1,わりに表“比起。来说。。。”,但是2,かわりに,除了“同时。。”还有表转折的意思啊?这道题到底选什么啊?
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 楼主| 发表于 2008-11-15 00:04:33 | 显示全部楼层
谁来帮帮偶啊~~
自己顶了~~
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发表于 2008-11-15 02:34:47 | 显示全部楼层
一次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1,2,3,4から最も適当なものを一つ選びなさい。  

 東海道新幹線の「のぞみ」は東京と大阪の間を二時間半で突っ走る。「ひかり」より三十分近く短縮ということになった。午前六時東京発の下り列車は「明のビジネス超特急」と呼ばれているそうだ。

 同乗記を読み、①面白いような悲しいような心地になった。乗客の八割は背広姿にかばんを提げた会社員風の男たちだという。五時ごろには起きたはずだ。発車とともに弁当を買い、そそくさと朝食。富士山が大きく見えるころには大半が就寝。「窓の外を見ても速すぎる。食うものを食って寝るだけ」だそうな。

 乗務員も忙しい。時間との闘いだ。車内販売の女性は、外の風景をみて、それを時間の流れの目安西ながら仕事をした。今度はそれで目算が狂う。そこで景色は見ないことにした。速さの感覚に慣れた「ひかり」に乗務すると、②ほっとするそうだ。そうだろう。

 ③そうではあろうが、人々は、ふしぎなもので「のぞみ」にもまだ、いつのまにかなれるに違いない。どこまで忙しさに慣れてゆけば、人間は気がすむのだろうか。便利なものができ、④それに順応でくるのは結構だが、人間が道具に使われることにはならないか。

 ⑤浅見祐三賛から聞いた話を思い出す。浅見さんは東京の牧師さんだ。長年インドネシアはスマトラ島のランプン州に住んで伝道をしていた。ある時、急いで三ヶ所に書類を届けなければならぬ用事ができた。五十がらみのスプリアデさんが仕事を買って出た。

 自転車で三ヶ所、二十キロほどを回る。帰って来た彼が、なぜか静かで、ぼんやりしている。具合でも悪いのかと、わけをきくと、こう言ったそうだ。「速く回りすぎました。身は帰って来たんですが、魂がまだ帰ってきていないんで。」

 私たちの戦後をも見ずに全力疾走、まだ走っている。

 速すぎて、魂を置き忘れたりしなければ良いが。

問1「面白いような悲しいような心地になった」とあるが、なぜそのような気持ちになったのか。

1「のぞみ」が二時間半で東京と新大阪の間を走るから。  

2乗客が景色も見ずに、弁当をたべたらすぐ寝てしまうから。

3乗務員が時間と闘って、車内販売をしているから。

4「のぞみ」の速度にいつか人が慣れてしまうだろうから。


問2②「ほっとするそうだ」とあるが、それはなぜか。

1外の景色で時間の目算立つから。

2車内販売が暇になるから。

3ゆっくり外の景色が見られるから。

4乗客の大半が眠ってしまうから。


問3③「そう」が指す内容として最も適当なものはどれか。  

1食べるものを食べて寝るだけということ。

2外の景色が見られないということ。

3「のぞみ」にはほとんど会社員しか乗らないということ。

4速さにまだ慣れないということ。


問4④「それ」が指す内容して最も適当なものはどれか。

1時間

2忙しさ

3人間

4外の景色
問5⑤「浅見祐三さんから聞いた話」とあるが、この話に対する筆者の気持ちはどれか。

1三ヶ所、二十キロを回るだけで、疲れるようではいけない。

2自動車で回らなければならないのは、不便で仕方がない。

3日本は交通機関が発達していて便利だ。

4日本はすべてのものが速すぎる。


問6筆者はどのような気持ちから、この文章を書いたと思うか。

1便利さの代償に人間らしさを失わないようにすることが大切だ。

2忙しさに追われて病気にならないように注意が必要だ。

3さらに便利な社会をつくるために努力を続けなければならない。

4道具によって仕事の時間が短縮されても、時間の大切さは変わらない。

二次の文の論点および問題となる事実について答えよ。

 日本は、1960年代の高度成長を経て、国民総生産はアメリカにつぎ自由世界第二位となり、日本経済の動向が他国の経済に大きな影響を及ぼす「経済大国」となった。1970年以降も、国内的にはさまざまな困難を抱えながらも、世界全体からみれば、インフレも沈静化しつつあるうえに失業率も相対的に低く、非産油国中数少ない大幅な黒字国となっているという点で、厳しい国際経済情勢のもとで、日本経済は比較的恵まれた状態にあるといえる。それにもかかわらず国際経済社会の中でその役割を十分に果たしていないというのが、1970年代の先進国による対日批判の背景である。

 経済大国といっても資源の大半を海外に依存している事情を考えると、わが国が発展途上国などへの経済/技術援助を積極的に果たすことは、国際通貨問題の根本的原因となっている国際収支の不均衡の是正に貢献し、同時にエネルギー資源を中心とする資源の安定供給体制を確立することに役立つであろう。このことが達成される時、今日の不安定な国際経済は少なくとも安定化への第一歩を踏み出すことになろう。そのためには、例えば大幅な黒字を減らすために輸入制限を逐次徹廃するなど、対外的な要請を優先してそれによって生じる国内の摩擦を最小限にとどめるための措置を講ずるといったことがもとめられよう。国際経済の現状は不確定であり、好ましい状態にあるとはいえない。現状を改善していくためには、日本を含む先進国間の協力は不可決である。こうした発想の転換こそが、日本経済の国際化ということの真の意味であろう。

(1)この文が、論じている問題は何か。

1国際貿易摩擦の解消

2日本経済の成功の原因

3先進国間の経済協力の必要性

4国際経済における日本の役割


(2)次の中から、現在の状況に当てはまらないものを選べ。  

1日本は輸入に対する制限をもうけてる。

2世界経済はインフレや高い失業率などの問題を抱えてる。

3国際経済はまだ不安定ではあるが、安定化へ向かい始めている。

4国際収支の不均衡の是正が、国際経済における課題の一つとなっている。

三次の文の論点および問題となる事実について答えよ。

 このような眼は日本人にはないのである。僕は一度もこのような眼を日本人に見たことはなかった。その後も特に意識して注意したが、一度も出会ったことがない。つまり、このような憎悪が、日本人にはないのである。「三国志」における憎悪「チャタレイ夫人の恋人」における憎悪、血に飢え入ッ裂きにしてもなおあき足りぬという憎しみは日本人にはほとんどない。昨日の敵は今日の友という甘さが、むしろ日本人に共有の感情だ。およそ仇討ちにふさわしくない自分たちであることを、おそらく多くの日本人が痛感しているに相違いない。長年月にわたって徹底的に憎み通すことすら不可能にちかくせいぜい「食いつきそうな」眼つきぐらが限界なのである。

 伝統とか、国民性とよばれるものにも、時として、このような欺瞞が隠されている。およそ自分の性情にうらはらな習慣や伝統を、あたかも生来の希願のように背負わなければならないのである。だから、昔日本に行われていたことが、昔行われていたために、日本本来のものだということは成り立たない。外国において行われ、日本には行われていなかった習慣が実は日本人にふさわしいこともありえるのだ。模倣ではなく、発見だ。ゲーテがジェクスピアの作品に暗示を受けて自分の傑作をかきあげたように、個性を尊重する芸術においてすら、模倣から発見への過程は最もしばしば行われる。インスピレーションは、多く模倣の精神から出発して、発見によって結実する。

 キモノとは何ぞや。洋服との交流が千年ばかり遅かっただけだ。そうして、限られた手法以外に、新たな発見を暗示する別の手法が与えられなかっただけである。日本人の貧弱な体躯が特にキモノを生み出したのではない。日本人にはキモノのみが美しいわけでもない。外国の恰幅のよい男たちの和服姿が、我々よりも立派に見えるにきまっている。

(1)1~4はこの文章の直前にあったと考えられる内容は1~4のうちどれか、最も適切なものを一つ選べ。

1昔の日本人が長い年月の間憎しみを持ちつづけて仇討ちをした話  

2キモノは日本の伝統であるので、現代の日本人が着物を着ないのは伝統の軽視であるという意見

3外国人が激しい憎悪を込めた眼月をしたのを見た経験

4外国人の男たちの立派な姿と個性的な眼つき


(2)筆者の主張を1~4の中から一つ選べ。

1昔からその国で行われていたことがその国の人々に最も適している。

2昔からその国で行われていたことがその国の人々に最も適しているとは限らない。

3昔から行われていたことや、その国で行われていることは尊重すべきである。

4昔から行われていたことや、その国で行われていることは模倣ではなく発見である。
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发表于 2008-11-15 02:35:45 | 显示全部楼层
人生はたえざる選択の連続である――これはおそらく文句のつけようがない定義だ。「我、思う。  故に我あり」を実生活に置き換えると、「我、選択する。故に我あり」ということだろう。(中略)

  現代がことさらあらたまって選択の時代と騒がれるのは、ニュー・メディアなどの導入により生活の表面的選択肢が増えたからではない。経済神話と神妙な精神主義に無抵抗であったこれまでの「会社人間」たちの世代が、だらしなくも、自ら選択を下すことを忘れていたからだ。狼は選択するが、ヒツジの群れは、選択しない。いたん群れの一員として馴致されると、これはこれで気楽の境遇といっていい。羊飼いに管理され、番犬に導かれるままに動いていれば、生命の危険はない。飢えることもない。でも、ヒツジにだって多少の自尊心はある。本当は完璧に管理され、判断を放棄し、選択の勇気も持っていないのに、①そうではない、と思いたい。となると、自らを暗示にかけるか、いわば「疑似選択」を行うことによって、かろうじての自己の存在証明を求める以外ない。暗示は、組織と自らを一体化しようという心の動きである。疑似選択はいくらでもできる。「右に曲がれ」という番犬の命令に逆ら うふりをしてちょっと左へ走ってみるのがそれだ。他の仲間より少し早く(あるいは遅く)走る自由がそれだ。あてがわれた餌のうち、これを食べ、あれは食べない、という選択もそれだ。しかし、実際にはこんな自由や選択にはたいした意味がない。あくまで主人が許容した範囲内での自由であり、選択であるのだから。

  人生は選択である、といったが、本当をいうと実生活において私たちに多く場合、この種の選択をさもおおげさにしているに過ぎない。②選択ごっこ、といっていい。

  たとえば、どの学校にへるか、どこへ就職するか――。ごっこの中でもこの辺は案外深刻な選択だが、もともと進学、就職というだれが決めたか分からない人生コースをそのまま受け入れ、そのコース内での選択であるから、どうころんでもたいした違いはない(どうころんでも自己を見失わぬ、と言うだけ強固な自己を持っていれば、の話であるが)。また、休日に山へ行くか海へ行くか、あの馬に賭けるか、トヨタを買うかニッサンを買うか――この類の大小無数の選択に直面しながら私たちは日々を生きているわけだが、結局のところはこれらはみんな(③)。選択を楽しむ、という程度の意味しかあるまい。今、ふりかえって、「選択を誤ったとき」の切実な思い出がひとつも浮かんでこないのは、私自身も「人間の条件」を忘れた④ヒツジの群れの一員として、時にぶつくさ文句をいいながらも結局は太平楽にこの世を生きてきたからにほかなるまい。


  (⑤)、人生は選択の連続である、という当初の定義もあやしくなってきた。むしろ、選択ごっこの連続ごあるといい直すべきか。⑥やはりそうは思わない。たとえ、それが日常生活の中の小さな選択でも、それが何らかの形で自らめざす人生の実現にかかわってくる類の選択であれば、そのひとつが真剣勝負と思いたい。少なくとも自己との対話においては、それだけ気を張って毎日を生きたい。個の選択はゆるがせにできぬが、その当否はすぐ朗かにはならない、日々の小さな選択の集積の収支決算がいつか徐々に表面化しはじめ、棺に入る直前になって人は「オレは然るべく生きた」あるいは「どうやらオレは選択を誤った」と初めて口にできるのではあるまいか、だから、まあ、⑦とりあえずは小さなことでくよくよするな、ということにもなるのだが――。

問1①「そうではない、と思いたい」とあるが、どう思いたいのか。
1自分で判断できると思いたい
2選択肢が増えたと思いたい
3生命の危険がないと思いたい
4飢えることがないと思い

問2「選択ごっこ、といっていい」とあるが、それはどうしてか。
1実生活ではどう選択するかの判断を放棄しているから
2実生活ではどう選択してもたいした違いはないから
3実生活ではどう選択するかを楽しんでいるから  
4実生活ではどう選択してもけっして誤らないから

問3(③)にはどんな文を入れるのが適当か。
1誰かが選択してくれるものだ
2選択しなくてもいいものだ
3非常に重要な選択なのだ
4どうでもいい選択なのだ

問4④「ヒツジの群れの一員」とあるが、これはどういうことか。
1多少の自尊心はあるということ
2今までは選択をしてこなかったということ
3生命の危険もなく、飢えることもないこと
4管理され、判断を放棄しているということ

問5(⑤)に入れる言葉を次の中から選びなさい。
1となると  2となっても  3とみると  4といえば

問6⑥「やはりそうは思わない」とあるが、どう思わないのか。
1人生は選択の連続であるとは思わない。
2人生の選択を誤ったとは思わない。  
3人生は選択ごっこの連続であるとは思わない。
4人生は無数の選択に直面することだとは思わない。

問7⑦「とりあえずは小さなことでくよくよするな」とあるが、筆者はなぜこのように思うのか。
1選択の結果は死ぬ直面までわからないのだから。
2選択を間違えても、結果は同じだから。
3選択はあくまで許容された範囲内での選択なのだから。
4選択は本来遊びのようなものだから。

問8筆者は日々の選択についてどのように考えているか。
1重要ではないし、間違えてもたいした問題にはならない遊びのようなものである。
2決定的ではないかもしれないが、それらが集まって人生を形づくるのだから、真剣に行うべきだ。
3選択の一つ一つが人生を左右する非常に重要なものだから、人と相談して慎重に行うべきだ。
4ある範囲内での選択なのだから、自分で選択しているように思っても、実はそれは誰かに管理され ているものだ。
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