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~僕には不思議だった。あの幸福そうだった家族の光景も、もう永遠に失われてしまったのだ。雨の匂いが立ち込める中、
工場と地続きの庭を通って表の通りに出ようとした時、庭木の紫陽花が水滴の光を纏いながら鮮やかに咲いているのが目
に留まった。
家に帰る電車の中で、僕の父は、ずっと社長がいなくなったことを嘆いていた。どうやら彼は、父の飲み仲間
であり、たまにゴルフなどにも一緒に出かけていたらしい。年もそれほど離れてはいないようだった。父は、残された家族と
工場のことをしきりに心配していた。
その父も、他界してから既に十年以上が経つ。胃癌で順天堂大学病院に入退院を繰り返した後、最期を看取ったの
は、浅草にある小さな病院だった。そこは、もう助からない患者ばかりが集められる、いわゆる終末医療の病院だった。
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だんだん年を取ってくるから仕方ないが、父を含め近頃ではもう僕の思い出の中にしか存在しなくなった人たちもずいぶん
多くなった。会いたくてもどこにいるか分からなくなった人たち、足が遠のいてしまった人たち。高校や大学の同窓名簿に
も、もう何人かが物故者の欄に名を連ねるようになった。
最近、仕事の用事が出来て、あの通夜の時以来初めて三河島の駅の近くまで行くことがあった。実際、よほどの用事で
もない限りは、行かないようなところなのだ。仕事が終わるとそのまま帰宅する予定になっていたので、僕はその辺りをしば
らくふらふらと歩くことにした。久しぶりに見た街は、昔に比べるとずいぶん小ぎれいになっていた。駅前には確か古い感じ
のパチンコ屋があった覚えがあるのだが、そこは今風のドラッグストアに変わっていた。 |