本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 04:30 编辑
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方 丈 記
ゆく川の流れ
ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水のあらず。淀みに浮かぶうたかたは、且つ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人とすみかと、またかくのごとし。
现代日语:川の流れは絶えることなく、流れつづけている。しかし、目の前の水は先ほどの水ではない、流れの淀んだ所に浮かぶ水の泡も消えたり、出来たりして、いつまでそのままでいることはない。世の中に生きている人と、その住居のありさまも、やはりこれと同じなのである。
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、賎しき人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、ゆぐべに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたよりきたりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何よりてか目を喜ばしむる。その、主とすみかと、無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみ露なほ消えず。消えずといへどもゆふべを待つことなし。
现代日语:玉を敷いたように美しく立派な都の中に、棟を並べ、屋根瓦の高さを競っている、高貴な人の邸宅や身分の低い人の住まいは、幾時代を経てもなくなることのないものだが、これらを本当(昔のままにあるの)かと、調べてみると、昔あったままの家はごく稀である。ある家は去年焼けて今年作った(家である)。ある家は(もとあった)大きな家が滅んで、小さな家となった(ものである)。住む、人もこれと同じである。場所も変わっていないし、人も沢山いるけれど、昔から見知っている人は、二三十人の仲で、たった一人か二人である。(人が)朝方死に、夕方生まれる(変転極まりない)慣わしは、実に水の泡(が生まれ、消えるの)とよく似ていることだ。(この世に)生まれ、そして死んでしまう人間が、どこからやってきて、どこへ去っていくのか、私にはわからない、またほんの一時の仮の住まいを、いったい誰のために苦心し、何のために立派に作り建てて(それを見て)喜ぶのか、私にはわからない。その住人と家とが、まるでお互いにこの世の儚さを競う(かのように先を競って消え去っていく)ありさまは、いわば朝顔と(その花におく)露と(の関係に)変わらない。ある場合は露が落ちても花が残っている。(しかし)花が残っているといっても、朝日に(当たって)枯れてしまう。またある場合は、花が萎んでも露がまだ消えずに残っている。(しかし)消えないと言っても、夕方を待たずに消えてしまうのだ。
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