本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 06:32 编辑
徒 然 草
つれづれなるままに
つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつしゅくようしなしごとを、そこはかとなく下記つくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
することもなく所在なさにまかせて、一日中硯に向かって、心に浮かんではまた消えてゆくとりとめも無いことを、何とはなしに書き付けていると、妙に気ちがいじみたような気がする。
神無月のころ
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ること待りしに、はるかなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる懸樋のしづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊、紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。
十月のころ、栗栖野という所を通って、ある山里に(人を)尋ね分け入ったことがありましたが、ずっと遠くまで続いている苔の生えた細道を踏み分けた奥に、心細げに住み暮らしている小さいな家がある。落ち葉に埋まっている懸樋のしずくの音以外には、少しも音をたてるものもない。(それでも)閼伽棚に菊や紅葉の枝などが折られて無造作に置いてあるのは、(こんな寂しいところでも)やはり住んでいる人がいるからであろう。
かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きな柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りを厳しく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばとおばえしか。
こんなふうにしてもすめるものだなあと、しみじみと感じ入ってみているうちに、向こうの庭に大きな柑子の木が、枝もたわむほどに実がなっているのがあるその木の周囲を厳重に囲ってあったのには少々興ざめがして、この木が無かったならば、(どんなにかようかろう)と思われたのであった。
花は盛りに
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方しらぬも、なほあはれに情け深し。咲くぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。歌に詞書きにも、「花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ。」とも、「障ることありてまからで。」など、書けるは、「花を見て。」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななるひとぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見どころなし。」などは言ふめる。
桜の花は盛りの時だけを、月はくもりなく照りわたっている時だけを観賞するものだろうか、降っている雨を見ながら、月を恋い慕い、簾をたれて部屋に閉じ篭って、春の過ぎ去っていく様子も知らないのも、やはりしみじみと趣が深い。今にも花が咲きそうな梢や、花が散り萎れた庭などこそ、実に見る価値が多いものだ。歌の前書きのことばにも、「桜の花見に出かけましたが、もう既に散ってしまっていたので」とか、「都合の悪いことがあって参りませんので」などと書いてあるのは、「花を見て」と言っているのに比べて劣っているだろうか、花が散ったり、月が西に傾いたりするのを惜しみ慕う世間の習慣はもっともなことだけれど、特に愚かで教養のないひとなんかは、「この枝も、あの枝も散ってしまった。もう見る価値はない。」などと言うようだ。
望月の隈なきを、千里のほかもで眺めたるよりも、暁近くなりて待ちいでたるが、いと心深ふ、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたる群雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴、白樫などのぬれたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらんともがなと、都恋しうおぼゆれ。
満月の照り渡っているのを、遥か遠くまで眺め渡す時よりも、明けがた近くなってやっと出た待ち望んでいた月が、大変趣深く、青みを帯びているようで、深山の杉の梢にかかって見えている様子や、その木の間ごしの月の光や、さっと時雨れを降らせた一群の雲に月が隠れている時の場合がこの上なく情趣深いものなのだ。椎の木や白樫などの濡れているように思われる光沢がある葉の上に、月の光がきらきら映っているのに、実に身に沁みて、情趣を解する友があればいいのになあと、都が恋しく思われる。
すべて、月、花をばさのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしうをかしけれ。よき人は、ひとへ好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。
いったい、月や花をばそう一概に目だけで見るものだろうか、春は家から出掛けなくても、月の夜は寝室の内にいるままでも、(その情景を)心で想像しているのは、実に期待が寄せられて、趣のあるものである。教養のある人は、無闇と風雅を深く好む様子にも思われず、面白がる態度もあっさりしている。
片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には、手、足さしひたして、雪にはおり立ちて跡つけなど、よろづのもの、よそながら見ることなし。
(どころが)田舎の人は、しつこく万事に面白がるのだ。花の木の下には、人を押し分けて近寄り、わき見もしないでじっと見つめて、酒を飲んだり、連歌をしたりして、しまには、大きな木の枝を、思慮も無く折り取ってしまう。(夏のおり)泉には手、足を突っ込んで来たり、(冬のおり)雪には降り立ってそこに足跡を付けたりするなど、万事、それとなく眺めるということをしない。
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