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发表于 2009-6-21 22:02:40
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本帖最后由 cike207 于 2009-6-21 22:04 编辑
赤と紫のところは、それぞれGOODALAさんとeagle119 さんの知恵をお貸ししました。
お二人には、心より深くお礼申し上げます。最後の訳文は下記の文で決まりです。
なお、コーヒー豆なんですが、たっぷり感動を味わわせてくれたGOODALAさんに差し上げます。
eagle119 さんも、悪しからず、今後ともよろしくお願いします。
ほどよく空いた電車の中で、暖かい陽ざしを浴びながら、五、六歳の男の子が、しきりに隣に座った母親に話かけている。
电车里人不多不少,一缕暖洋洋的阳光透过车窗照射在小男孩的身上,小男孩约莫5,6岁,小嘴不停地和坐在身旁的母亲说话。
「アツギって、母さん、みんな厚着しているからだよね」。
“妈妈,住在【厚木】的人是不是衣服穿的都很厚?”
(注:日语的【厚木ATUGI】和【厚着】为谐音。【厚木】位于日本神奈川县,文章中为车站名,【厚着】中文意思为衣服穿得厚实)
母親は当惑気味に微笑んでいるだけだ。
身旁的母亲显得有些不知所措,并没答话,只是嘴角泛起了微笑。
空いているので、男の子の声は車内のすみずみにまで聞こえてしまう。
因为车里比较空,小男孩的声音传遍了整个车厢内。
それにしても、この子は変わった単語を知っているものだ。
我不禁感叹,这小男孩还能知道这么老的词汇。
もしかして家には年寄りもいて、厚着がいいとか悪いとかよく話題になるのだろう、などと思う。
我估摸着:‘这小男孩可能和他的爷爷奶奶住在一起,并且经常听到爷爷奶奶谈起该多穿点衣服啦,该少穿点衣服啦之类的话语。’
電車が次の駅に着くと、今度は「エビナって、母さん、エビがたくさん取れるんだよね」。
电车驶进了【海老名】车站。“妈妈,【海老名】这个地方是不是产很多大虾呀?”
(注:【海老名】位于日本神奈川县中部,文章中为车站名,【海老】中文意思为大虾。)
母親の返事がないものだから、「じゃないかな?エビがないからエビナなのかな」。
看到母亲并没答话,小男孩又说道:“可能不是吧?会不会是因为没有大虾才叫【海老名】呢?”
(注:日語的【名】和【ない】头音都是【na】。【名】中文意思为名字,【ない】中文意思为没有)
こんな小田急線の地名解釈につり込まれているうちに、私はもう降りなければならなかった。
一路听着小男孩对小田急线各个站名的解释,我不由得听的入了迷,不一会就到站了。
(注:【小田急线】在东京和神奈川县运行的民营铁路路段)
この子はなんと頭のいい子なんだろうと思いながら。いや、頭のいいのはこの子に限らない。
我万分不舍,但终究到了站也不得不下车。心想:“这小孩真是绝顶聪明。不,聪明的不仅仅只有他。”
この年頃の子供たちは、大人が永遠に失ってしまった、言葉の獲得にとっての、あの黄金時代のさなかにいるのだ。
这个年龄段的小孩,正处于学习语言的黄金时期。而我们大人却永远失去了这种时期。
言葉はまだ響きの中に生きていて、子供はその響きと対決し、自分なりに解釈し、秩序づけようとして、必死でもがいているのだ。
语言活在声音之中,而孩子们为了和这种声音进行对抗,他们对其进行个性化地解释,并试图重整其秩序,为此他们竭尽全力.
そんな時、大人は決して、文字や書物のさかしらな知識をふりかざして、子供の実験をあざ笑ってはならない。
这时候,身旁的大人绝不可搬弄自以为是的书本知识,来取笑小孩的这种行为。
大人の知識は、自らの経験をこえた他力によるものだが、子供の解釈は、ひたすら自力で挑んだ作品である。
大人的知识,依靠外力而来,并非源自独立体验,,而孩子的解释,却完全是独立挑战的杰作。 |
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