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今月取り上げる渡辺淳一さんは、中国でも、愛の意識に革命をもたらす「恋愛の毛沢東」と称され、ブームを巻き起こしています。元外科医の洞察力と、叙情的な文体から紡ぎ出される恋愛文学の奥深さを語り合いましょう。
渡辺さんは30代半ばまで、医師として患者の生と死に向き合っていました。その凄烈(せいれつ)な体験が多くの作品の底流に流れています。
文壇へのデビュー作「死化粧」(角川文庫『死化粧』収録)も、母の脳腫瘍(しゅよう)手術に立ち会う医師を描いた短編。「きめ細かな手術の描写に身震いした。鮮明な表現力に、映画やテレビを見る以上に想像力をかき立てられる」。岐阜市、峰谷芳子さん(56)は、出発点から発揮されていた才能に注目します。
心臓移植を扱った短編「ダブル・ハート」(同)や、離島の無免許医の葛藤(かっとう)が印象的な『雲の階段』(角川文庫)には群馬県新町、落合けい子さん(42)らの支持が寄せられました。
初期作品で最も人気の高いのが『阿寒に果つ』(角川文庫など)。6人の男女によって語られる天才少女画家・純子の愛の遍歴。雪の湖畔で命を絶つ純子は作者の高校時代の同級生がモデルであることはよく知られています。
「同じ札幌育ちのヒロインに自分を重ね10代初めから何度も読み返してきた。今でも純子の好んだ赤い服ばかり着ている」と千葉県船橋市、池原千春さん(40)。「少女のころ出会い、才能と感受性の激しさが滅びを招く悲劇にあこがれた」というのは岡山市、谷岡豊子さん(65)。はかなく夭逝(ようせつ)した少女のロマンチシズムは、読者の心の中で永遠に輝き続けます。
伝記小説の代表作は、新千円札の顔ともなった野口英世の生涯をたどる『遠き落日』(集英社文庫など)。生の人間性に迫り、勤勉刻苦の人のイメージをある種、覆す作品だけに、広島市、内悧(うちさとし)さん(60)は「最初ショックを受けたが、完全無欠な人はいないと思い直し尊敬の念が増した」といいます。
渡辺文学の真骨頂といえば、性のタブーに挑みながら、究極の愛を突き詰めた恋愛小説でしょう。社会現象となった『失楽園』(講談社文庫など)のほか『化粧』(新潮文庫)、『うたかた』(講談社文庫など)など谷崎潤一郎の情痴文学の伝統に連なり、日本の美に彩られた名作が数多くあります。
福島市、山口光子さん(69)の一押しは『かりそめ』(新潮文庫)。「ヒロイン、梓の凛(りん)とした美しさが好き。しょせんこの世は、かりそめだからと背徳の世界に身を沈める姿から、理屈ではない男女の妖(あや)しさ、不思議さが伝わってくる」と絶賛。京都市の上村憲子さん(51)は、『ひとひらの雪』(文春文庫など)がきっかけとなって結ばれた高校教師と教え子のカップルを知っているそうです。
最も投書が多かったのは、最新刊の『幻覚』(中央公論新社)。美ぼうの医師、氷見子先生と年下の看護師、北風君の関係を軸に、精神医療の問題点に切り込むミステリアスな展開が魅了します。
神奈川県相模原市、千田輝美子さん(34)が引かれたのは、心に深い闇を秘めた氷見子先生。「あなたのように聡明で裕福な女性がなぜ幸せになれないの」と問いかけます。
「重いテーマにもかかわらず恋することのせつなさも伝わってくる。北風君が三枚目だからでしょうか」というのは昨年、読者の参加企画で渡辺さんにインタビューした兵庫県姫路市の奥村美和子さん(38)。読売新聞の連載中も、「いちずな北風君がかわいい」と女性ファンの声援が寄せられました。
今月、新たな「愛の流刑地」の連載を始めた渡辺さん。長いキャリアを経ても創作意欲を燃やし続けているのは、「生と死」や「愛と性」が突き詰めるほどに謎が深まるテーマだからではないでしょうか。(佐藤 憲一記者)
渡辺淳一 非論理的なものを
かつてわたしは医師をしていて、その後、小説家になったが、医学と文学は、「人間を探る」という意味で、まったく同じものだと思っている。
ただ医学は人間を肉体的な面から、論理的に追求するのに対して、文学は人間を精神的な面から、その非論理的な面に光を当てていくという点で、大きく異なっている。そしてこの非論理という点で、もっとも際立つのが、愛やエロスの感覚であり、感性である。
したがって、「男女の小説ではなにを書くのか」ときかれたら、わたしは一言でいって、「人間のあいだの論理では説明しきれない、しかしリアリティあるもの」と答えることにしている。
まことに、愛やエロスほど非論理的なものはなく、同じ接吻(せっぷん)や愛撫(あいぶ)にしても、愛する者同士なら心が震えるほどの歓(よろこ)びを覚えるのに、嫌いな相手となら顔もみたくなくなるほどの嫌悪にとらわれる。
いま、わたしが最も表現したいのは、この論理や理屈で説明しきれない、情念や感性の世界の妖(あや)しさで、それをいかに深く、鋭く抉(えぐ)るかで、小説の本当の価値が問われると考えている。
その意味で、性ほど人間の真の実態を表しているものはなく、それだけに愛を描く以上は、それぞれのエロスと性まで踏み込んだ、重く、非論理的なものを探っていきたいと考えている。
わたなべ・じゅんいち=1933年、北海道生まれ。札幌医大などに勤務の傍ら作品を発表、68年に上京し作家生活に。70年『光と影』で直木賞、80年『遠き落日』『長崎ロシア遊女館』で吉川英治文学賞、2003年、菊池寛賞。札幌市に渡辺淳一文学館がある。 |
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