本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 04:41 编辑
舞姫
森鴎外
这一课,真的是很“たいへん”。
考完句法的时候一度以为那些古语法可以扔掉了,没想到这个课里面还有一篇。
唉,只能再复习一下下啦~
在YAHOO日本上找了原文、现代文,译文是找的一本电子书。
不知道谁翻的。个人觉得失去了作者原有的文学魅力。
大家凑合着看噢~
段落一:[原文:
石炭をば早(は)や積み果てつ。中等室の卓(つくえ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきもいたずらなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌(カルタ)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人(ひとり)のみなれば。
1. をば:「を」的强调
2. はや=早くも
3. ~果てつ:「つ」は完了助動詞。
4. ほとり=あたり
5. いと=とても。非常に
6. にて=で
7. 晴れがましき:「晴れがましい」から変わって、名詞として使う。
8. いたずら:徒然。
9. なり=だ
10. 舟に残れる:舟に残っている
11. 余:私
12. なれば:なのだった。
現代文訳:
石炭は早くも積みおわったようす。二等船室のテーブルの辺りは人けもなく静かで、白熱電灯の灯りが白々と明るく輝いているのもかえって虚しく感じられる。いつも晩にはここに集まってくるトランプ仲間も、今夜ばかりは陸のホテルに宿を取っていて、船に残っているのは私一人なのだった。
大意:
煤炭很快堆放完毕。二等舱的桌子旁一片寂静,弧光灯徒然发出亮光。因为每晚来此的牌友都住到陆地的饭店去了,只留我一人在船上。]
段落二:[原文:
五年前(いつとせまえ)の事なりしが、平生(ひごろ)の望足りて、洋行(ようこう)の官命(かんめい)をこうむり、このセイゴンの港まで来(こ)し頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新(あらた)ならぬはなく、筆に任せて書き記(しる)しつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけん、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもえば、おさなき思想、身の程(ほど)知らぬ放言(ほうげん)、さらぬも尋常(よのつね)の動植金石、さては風俗などをさえ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは途に上りしとき、日記(にき)ものせむとて買ひし冊子(さつし)もまだ白紙のままなるは、ドイツにて物学びせし間(ま)に、一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養い得たりけん、あらず、これには別に故あり。
1. なり+し:だった(断定助動詞+過去助動詞)
2. こうむる:受ける
3. 来し:来た
4. ならぬ:ではない
5. 書きしるす+つる:書き記した。
6. 幾千言をかなしけん:幾千言かをなったんだろう
7. もてはやされしかど:もてはやされていたけど
8. さらぬ:そうではない
9. さて:そのほか
10. 見けむ:見たのだろう。
11. 日記ものせむとて:日記を書こうと思って
12. ~ままなるは:~ままであるのは
13. 物学びせし:物学びした
14. 気象:性格
15. 養い得りけん:養い得ていただろう
★ 好多「し」都是表过去,就是「た」的意思。
★ 「にて」就是「で」
現代文訳:
いまから五年前のことになるが、日頃の念願がかなって官から渡欧のことをおおせつけられ、このサイゴンの港まで来たころは、見るもの聞くもの、すべてが新鮮な印象であった。その時、興にまかせて書き散らした旅行記は毎日どれほどの多さであったろう。どれも当時の新聞に載せられて世間の人々にもてはやされたものだが、今になって思えば子供めいた考え、身のほどをわきまえない言いたい放題、でなければありきたりの動植物や鉱物や、はては風俗習慣などまでもを珍しそうに書き記していた。それらを、分別ある人はいかに見たであろうか。 それに比べ、この度の帰国の途上に日記をつけようと買ったノートがまだ白紙のままなのは、ドイツで学問をしていた間に、冷淡で虚無的な性質を身につけたからであろうか。いや、これには別にわけがあるのだ。
大意:
那已是五年前的事了。达成宿愿,奉命出洋,到西贡港时,眼见耳闻无一不新鲜,任笔所书的纪行文日成数千言,发表于当时的报纸,甚受欢迎。然今日看来,当时幼稚的思想,不知天高地厚的狂言,即如无特色之寻常动植物、金石,当时觉得其民族风俗等颇为珍奇而一一记下,有心人当何以视之?此次踏上旅途时,打算记日记而买的簿子仍然一片空白,这是因了留德期间养成的对什么事都不动心、不惊奇的习惯使然?不!另有他因。]
段落三:[原文:
げに東(ひんがし)に還(かへ)る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそ猶(なほ)心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写して誰(たれ)にか見せむ。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。
現代文訳:
実際、東に向かって戻る今の私は、かつて西に向かって船出した昔の私ではない。学問だけはいまだ満ち足りないところも多いけれども、世間のつらさや悲しさも知った。人の心の当てにならないのは言うまでもなく、この自分の心までがいかに変わりやすいものであるかもよく思い知ることが出来た。昨日良しとした物の見方?考え方を今日は否定していると言うような、私自身の時々の変容を、紙に写してだれに見せようか。これがすなわち日記の書けない由来なのか。いやいや、これには別にわけがある。
大意:
诚然,如今东返的我,同于往昔西行的我,学问方面不足之处尚多;唯了解浮世的悲伤,人心之不可靠,也体悟到即使是我心也善变。将昨日之是已成今日之非的的瞬间感触,以笔写下又给谁看呢?这是不写日记的缘故?不!另有他因。]
段落四:[原文:
嗚呼(あゝ)、ブリンヂイシイの港を出(い)でゝより、早や二十日(はつか)あまりを経ぬ。世の常ならば生面(せいめん)の客にさへ交(まじはり)を結びて、旅の憂さを慰めあふが航海の習(ならひ)なるに、微恙(びやう)にことよせて房(へや)の裡(うち)にのみ籠(こも)りて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ恨に頭(かしら)のみ悩ましたればなり。此(この)恨は初め一抹の雲の如く我(わが)心を掠(かす)めて、瑞西(スヰス)の山色をも見せず、伊太利(イタリア)の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭(いと)ひ、身をはかなみて、腸(はらわた)日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳(かげ)とのみなりたれど、文(ふみ)読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、幾度(いくたび)となく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を銷(せう)せむ。若(も)し外(ほか)の恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地(こゝち)すが/\しくもなりなむ。これのみは余りに深く我心に彫(ゑ)りつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴(ばうど)の来て電気線の鍵を捩(ひね)るには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む。
現代文訳:
ああ、ブリンジイシイの港を出航してから、すでに二十日余りを過ごした。普通なら初対面の旅客に対しても親しく交際し、たがいに旅の暇な辛さをなぐさめあうのが航海の通例であるのに、身体の不調のせいにして船室のうちに閉じ籠もってばかりいて、同行の人たちにも口を利くことが少いわけは、人に知られぬ苦しい思いに心を悩ませていたからだ。この苦しい思いは、はじめは一ひらの雲のように心をかすめていて、スイスの美しい山なみも目に映ることなく、ローマの古蹟にも心をとどめさせないのみか、時を経るとやがてこの世が厭になり、さらにわが身をもはかなんで、はらわたがねじり切れるほどの痛みを感じ、今は心の奥に凝り固まって、一点の影とばかりになったものの、それでも本を読む度に、あるいは物見るごとに、鏡に映る影法師かあるいは声に応じるこだまのように、限りなく昔を懐かしむ思いを呼び起こして、幾度となく私の心を苦しめる。
ああ、どうしたらこの苦しい思いを消し去ることができようか。これがほかの嘆きであったなら、詩や歌に詠んだあとはきっと気持ちもすがすがしくなるであろう。こればかりはあまりに深く私の心に刻み込まれたのでそれもなるまいと思うけれども、今夜はあたりに人もいない、ボーイが来て明かりを消していくまでにはまだ時間もありそうなので、その概略を文章につづってみることにしよう。
大意:
呜呼!出布尔低西港悠忽已廿余日,若是一般情形,纵使是初逢乍识的人也会彼此交往以慰旅途寂寞,这是航海的习惯;然我却托辞身染微恙,关在房内少与同行的人交谈,这里头有人所不知的憾事困扰之故。这一憾事初如一抹浮云掠过我心,让我不见瑞士山色,亦无心浏览意大利古迹;到了中期,让我感到厌世,叹人事之无常,身负回肠九转的惨痛,如今已在内心深处凝固成一点阴影。然而每次展读素笺,睹佳人赠物,有如映在镜中之影,如声音之回响,唤起无限怀旧之情,无数次使我心痛。啊~,如何能使过去的遗憾消失呢?如果是别的遗憾,咏之于诗歌之后,心情会舒畅吧!只有这件事深烙我心无法排遣,今夜四周无人,距服务生熄灯尚有一段时间,且让我把这件事的概略缀成文章吧!]
真人游戏|足球篮球|时时ㄆ彩| 六合投ㄆ注| 网络赚钱:顶级信用ㄆ提现百分百即时到账SO.CC |