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午夜凶铃之日文原版 リング (连载)

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发表于 2004-11-27 16:45:06 | 显示全部楼层 |阅读模式
  鈴木光司



第一章 初 秋





1

 九月五日 午後十時四十九分
 横浜

 三溪園に隣接する住宅地の北端には十四階建てのマンションが数棟建ち並び、新築にもかかわらずそのほとんどの部屋はふさがっていた。一棟に百近い住居が密集していたが、たいがいの住人は隣人の顔も知らず、それぞれの住居に人が住んでいるのを証明するのは夜になって灯《とも》る部屋の明りだけであった。
 南の方向では、脂っぽい海が工場の常夜灯の光をテラテラと照り返している。工場の外壁には無数のパイプがまとわり付き、体内の筋肉を這《は》い回る血管を思わせた。しかも、表面を覆う無数のイルミネーションは夜光虫に似て、グロテスクな景観も見ようによっては美しい。工場は、ず¥藷o言の影を落としていた。
 そのもっと手前、ほんの数百メートル先の区画整理された宅地に、新築の二階建てがポツンと離れて建っている。南北に走る一方通行の道に接して玄関があり、その横には車一台ぶんの駐車場があった。新興住宅地で見かけるごく普通の家といった感じだが、その後方と両隣には家の影がない。交通の便が余り良くないためか、まだ買手がつかず、売り地という立て札があちこちに見受けられる。完成と同時に人で埋まっていったマンションと比べると、なんとも寂しい風景であった。
 その家の二階の蛍光灯の光は、開け放たれた窓から暗い路面いっぱいにこぼれ落ちていた。家で明りのついているのは、二階の智子の部屋だけである。私立女子高三年の大石智子は、その部屋の二階で机の前に座っていた。白いTシャツにショートパンツ姿で、床に置かれた扇風機の風に両足を差し出し、身体《からだ》をひねる無理な格好で開いた問題集に目を落としていた。Tシャツの裾《すそ》をパタパタさせて風を直接素肌に当てながら、暑い暑いとだれにともなく文句ばかり言う。夏休みに遊び過ぎたせいで宿題は山ほどたまり、智子はそうなった原因を暑さのせいにしていた。しかし、今年の夏はそんなに暑くはなかった。晴天の日も少なく、海水浴客の出も例年に比べればずっと悪かった。ところが、夏休みが終わったとたん、五日続けて真夏日が続いている。この皮肉な天候に智子は苛《いら》立《だ》ち、空を恨んだ。
 ……このクソ暑いのに、勉強なんてできるわけねえだろ。
 智子は髪をかきあげた手で、ラジオのボリュームを上げた。すぐ横の網戸に止まった小さな蛾《が》が、扇風機の風に抗し切れず、どこかに飛んでいくのが見える。虫が闇の中に消え去った後、網戸はしばらくぶるぶると細かく震えていた。
 さっきから、勉強は少しもはかどらない。明日はテストだというのに、徹夜しても範囲は終わりそうになかった。
 時計に目をやる。もうすぐ十一時だ。テレビでプロ野球ニュースでも見ようかと思う。ひょっとして、内野席スタンドに両親の顔が映っているかもしれない。しかし、明日のテストが気に掛かる。智子はどうしても大学に行きたかった。入りさえすればいい。大学と名がつけばどこでもよかった。それにしても今年の夏休みには欲求不満が残る。天候のせいでハデに遊ぶこともできず、かといってねっとりとまとわりつく湿気が気持ち悪くて勉強をする気も起こらなかった。
 ……ちぇ、高校最後の夏休みだってのにさ、もうちょっとパァーっといきたかったな。女子高生という名で呼ばれる夏休みは、もうこれでオシマイ。
 気分はむしゃくしゃし、当り散らすべきターゲットは急にコロコロと変わった。
 ……ったく、娘が汗水タラして勉強してるってのに、ノコノコふたりでナイターなど見に行きやがって、娘の気持ちも考えろよな。
 仕事の関係で偶然手に入れた巨人戦のチケットを持って、両親とも東京ドームに出かけていた。試合終了後、どこにも寄らないとしたら、もう帰ってもいい頃だ。今、真新しい4LDKには、智子ひとりしかいない。
 ここ数日まったく雨が降ってないというのに、妙な湿っぽさを感じた。自分の身体《からだ》からにじみ出した汗以外に、確かに、部屋の中には細かな水滴が漂っていた。智子は無意識に腿《もも》をピシャリと打った。手をどけても、蚊のつぶれた姿はない。一点に集中する痒《かゆ》みを膝《ひざ》の上に感じたのだが、気のせいだったようだ。ブーンという羽音がする。智子は頭の上を両手で払った。蠅《はえ》だ。蠅は一《いつ》旦《たん》視野から消え、扇風機の風を避けるようにしてドアの前で高さを変えている。一体どこから入り込んだのだろう。ドアは締まっている。智子は網戸の隙《すき》間《ま》を確かめた。蠅が通るほどの隙間はどこにも見られない。智子は、尿意と喉《のど》の渇きを同時に覚えた。
 息苦しいというほどではないが、どこからともなく圧力がかかってきて、胸を押す力があった。さっきからぶつぶつと声に出して文句ばかり言っていた智子ではあるが、今は別人のように黙り込んでいる。階段を降りながら、わけもなく心臓がドキドキする。すぐ前の道路を通る車のヘッドライトが、すうっと階段下の壁をなでて消えていった。車のエンジン音が小さくなって遠のくと、以前よりもなお一層闇が深まったようで、智子はわざと大きな音をたてて階段を降り、廊下の明りのスイッチを入れた。
 放尿し終わって、智子はしばらく便座に座ってぼうっとしていた。心臓の動《どう》悸《き》は治まらない。こんなふうになったのは初めてだ。どうしたというのだろう。大きく数回深呼吸をしてから、智子は立ち上がり、ショーツとショートパンツをいっしょに引き上げた。
 ……パパとママったら、早く帰ってきてよ。
 急に女の子らしい言葉になっていた。
 ……いやだ、あたしったら誰にお願いしてるんだろう。
 両親に向かって早く帰ってきてと語りかけたわけではない。それ以外の何者かに対してである。
 ……お願いします。わたしをあまり脅さないでよぉ。
 知らぬ間に敬語さえ使っている。
 キッチンの流しで手を洗った。濡れた手でフリーザーの氷をグラスの中に放り込み、コーラをなみなみと注《つ》ぐ。そして、まず一杯、一気に飲み干し、グラスをカウンターの上に置いた。グラスの中で氷がぐるぐる回って動きを止める。智子はぶるっと体を震わせた。寒けがしたのだ。まだ、喉の渇きは治まらない。もう一度コーラの一・五リットル瓶を冷蔵庫から出してグラスに注ぐ。手が震えた。背後に気配がある。けっして人間ではあり得ない。肉の腐ったすえた臭い、空気の中に溶け込んで包み込むように……、固体ではあり得ない。
「お願い、やめて!」
 声に出して訴えていた。流しの上の、十五ワットの蛍光灯がチカチカと息切れをしている。まだ新しいはずなのに、なんとも頼りない明り。部屋全体の照明もONにしておくべきだったと智子は後悔した。しかし、スイッチのところまで歩くことができない。それどころか、振り返ることさえできなかった。背後に何があるのかわかっていた。八畳の和室、床の間にあるおじいちゃんの仏壇。八畳間のカーテンは開いていて、硝子《ガラス》窓の向こうに草の生えた宅地とマンションの明りが格《こう》子《し》縞《じま》に小さく見えるはず、ただそれだけのはず。
 二杯目のコーラを半分飲んだところで、智子はまったく身動きがとれなくなってしまった。気のせいですますには、あまりに気配が濃密であった。今にも何かがニュッと伸び、自分の首筋に触れそうでならない。
 ……もし、アレだったらどうしよう。
 それ以上考えたくはなかった。このまま、こうしていたら、あのことばかりが思い起こされ、肥大した恐怖に耐えられなくなってしまうだろう。もうとっくに忘れていた一週間前のあの事件。秀一があんなこと言い出したからいけないんだ。みんな、あとに引けなくなってしまって……、でも、都会に戻ると同時に信《しん》憑《ぴょう》性がなくなっていった例の、鮮明な映像。誰かのイタズラ。智子は、他のもっと楽しいことを考えようとした。もっと、別の……。でも、もしアレだったら……。アレが、本当のことだったら、そうよ、だって、電話がかかってきたじゃない、あの時。
 ……ああ、パパとママったら何してるの。
「早く帰ってきてよ!」
 智子は声を上げた。声を出しても不気味な影は一向に引く気配を見せない。じっと後ろでうかがっている。機会が来るのを待っている。
 十七歳の智子には恐怖の正体はまだよくわからない。しかし、想像の中で勝手に膨らんでしまう恐怖があることは知っている。
……そうであってくれればいい。いや、きっとそうに違いない。振り返っても、そこには何もない。きっと、何もない。
 智子は振り返りたい欲望に駆られた。さっさとなんでもないことを確かめ、一時も早くこんな状態から抜け出したかった。しかし、本当にただそれだけのことだろうか。背中は泡立っていた。肩のあたりで湧《わ》き起こった悪寒が背筋を伝って下へ下へと這《は》い降り、冷たい汗でTシャツはぐっしょりと濡れていた。単なる思い込みにしては、肉体の変化が激し過ぎる。
 ……誰かが言っていた、肉体は精神よりも正直だって。
 一方で、声がする。振り向いてしまえ、何もあるはずないじゃないか。残りのコーラを飲んで早く勉強に戻らないと、明日の試験どうなっても知らないぞ。
 グラスの中でピシッと音をたてて氷が割れた。そして、その音に弾《はじ》かれたように、智子は思わず振り返ってしまった。

 九月五日 午後十時五十四分
 東京 品川駅前の交差点

 目の前で信号が黄色に変わった。突っ切れないこともなかったが、木村はタクシーをなるべく左側に寄せて止めた。六本木交差点までの客がついてくれると都合がいい、この場所で拾う客は割合赤坂、六本木方面が多く、こうやって信号待ちで止まっている間に仱贽zんでくることもしばしばであった。
 タクシーの左脇を抜けて、一台のバイクが横断歩道のすぐ手前に止まった。哕灓筏皮い毪韦稀ⅴ俯`ンズをはいた若い男だ。木村はチョロチョロと走り回るバイクが目障りで仕方ない。特に、信号待ちしている時、平気で車の前に出てきたり、ドアのすぐ脇に止まるバイクに腹が立った。今日一日、客のツキがあまりよくなく、機嫌が悪かったこともあって、木村はおもしろくなさそうな目で若い男を見ていた。フルフェイスのヘルメットで顔の表情を隠し、男は歩道の縁石に左足をかけ、股《また》を広げ、だらしのない格好で身体《からだ》を揺らせている。
 足のきれいな若い女が歩道を歩いていく。男はその女の後を追って首を巡らせていった。ところが、男は女の姿を最後まで追い切らなかった。約九十度首を回したところで、男は左側のショウウィンドウに視線を固定させてしまったのだ。視野の外に出て、女は歩き去ってゆく。男はそのまま取り残されて、じっと何かに見入っていた。歩行者専用の信号が点滅を始め、やがて赤に変わった。横断歩道を歩行中の人々は足を速め、タクシーのすぐ前を通り過ぎてゆく。手を上げて寄ってくる者はいない。木村はエンジンを空ぶかしして、正面の信号が青に変わるのを待った。
 その時、バイクの男は、ビクッと強く身体を震わせたかと思うと両腕を上げ、木村のタクシーのほうに倒れ込んできた。ガシャンという音と共に、男はドアにぶつかって視界の外に消えていった。
 ……この、バカヤロー。
 バランスを崩して立ちゴケしたに違いないと、木村はハザードを出して車を降りた。ドアに傷がついていたら、それ相応の修理費を払わせるつもりであった。信号は青に変わり、後続の車は木村の車を追い越して交差点に入っていく。男は路面で仰向けにひっくりかえり、足をバタバタさせ、両手でヘルメットを取ろうともがいていた。木村はその男よりも、まず自分の商売道具を見た。思ったとおり、ドアの部分に斜めに傷が走っている。
「チェッ」
 木村は舌打ちしながら男に近づいた。男は、ヘルメットの顎《あご》ひもが顎の下でしっかりと固定されているにもかかわらず、なおも必死でヘルメットを取ろうと、自分の首も一緒にもぎ取りそうな勢いであった。
 ……それほど息苦しいのだろうか。
 木村は男の様子が尋常でないことを悟り、傍らに座り込んでようやく「大丈夫か?」と尋ねた。スモークシールドのせいで、男の表情がよくわからない。男は木村の手を握って、何かを訴えかけた。すがるようでさえあった。声が出ない。シールドを上げようともしない。木村は早とちりをした。
「待ってろ、すぐに救急車を呼んでやる」
 公须娫挙俗撙辘胜椁狻ⅳ嗓Δ筏皮郡坤瘟ⅳ隶触堡扦ⅳ螭胜栅Δ摔胜盲沥蓼Δ螭坤群系悚い胜ぁ¥瑜郅深^の打ちどころが悪かったのだろうか。
 ……ばか言え、ちゃんと、あの野郎、ヘルメット被《かぶ》ってたじゃないか。足とか腕の骨を折っているようにも見えない。めんどくせえことにならなければいいが……、オレの車にぶつかってけがしたとなると、これは、ちょっと、やばいかもしれねえな。
 木村は嫌な予感に襲われていた。
 ……もしけがでもしていたら、オレの車の保険で処理することになるのだろうか。となると、事故証明、おまけに警察。
 電話を終え、もとの場所に戻ると、男は喉《のど》のあたりに手を置いて動かなくなっている。数人の通行人が立ち止まり、心配そうに覗《のぞ》き込んでいた。木村は人をかきわけ、救急車を呼んだのが自分であることをみんなにアピールした。
 「おい、……おいっ、しっかりしろ、今に救急車が来るからな」
 木村はヘルメットの顎《あご》ひもをはずす。そして、あれほどもがき苦しんでいたのが嘘のように、ヘルメットはなんなく脱げていった。驚いたことに男の顔は大きくゆがんでいた。この表情に言葉を当てはめるとしたら、驚《きよう》愕《がく》。両目をかっと見開き、赤い舌を喉の奥につまらせて、口の端からよだれを流している。救急車を待つまでもなかった。ヘルメットを脱がす時に触れた木村の手は、当然あるべき場所にその男の脈拍を発見できなかった。木村はぞっとした。回りの情景からスルスルと現実感が引いていった。
 倒れたバイクの車輪はまだゆっくりと回り、エンジン部から流れ出したぅぅ毪访妞藖护铯盲葡滤沃肖说韦曷浃沥皮い搿oLはなく、晴れ渡った夜空を背景に真上の信号が再び赤に変わった。木村はヨロヨロと立ち上がり、道路脇《わき》のガードレールにつかまって、もう一度チラッと路面に横たわった男を見た。男はヘルメットを枕に直角に近い格好で頭を立て、その姿はどう見ても不自然であった。
 ……オレが置いたのだろうか、あの男の頭を、あんなふうに、ヘルメットの上に。ヘルメットが枕になるように。なんのために?
 数秒前のことが思い出せない。大きく開いた両目がこっちを向いている。悪寒が走った。生暖かな空気が、今、すっと肩先を通り過ぎていったように思う。熱帯夜にかかわらず、木村は身体《からだ》の震えが止まらなかった。
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 楼主| 发表于 2004-11-27 16:49:01 | 显示全部楼层


 内堀の緑色の水面は早朝の秋の色を映し出していた。暑い九月もようやく終わろうとしている。浅川和行は地下のホームに降りかけたが、ふと気が変わり、九階から見た水の色をもっと間近に感じようと、外に至る階段を上った。出版局の汚れた空気が、瓶の底に澱《おり》がたまるように地下へと沈んでいる気がして、急に外の空気を吸いたくなったのだ。皇居の緑をすぐ前に見ると、高速五号線と環状線が合流するこのあたりの排気ガスもそう気にはならず、まだ明けたばかりの空が、朝の冷気と共に新鮮に輝いている。
 徹夜明けで身体《からだ》はかなり疲労していたが、あまり眠くはなかった。原稿を書き上げた興奮は、適度な刺激となって脳細胞を覚《かく》醒《せい》させている。浅川は、ここ二週間ばかり休みをとっていなかった。今日明日は家でゆっくり休養を取ろうと思う。編集長の命令なんだから堂々と休むことができる。
 九段下のほうから空のタクシーが来るのを見て、本能的に手を上げていた。二日間に地下鉄の竹橋・新馬場間の定期が切れ、まだ新しく購入してなかったのだ。ここから北品川のマンションまで地下鉄なら四百円、タクシーだと二千円弱。約千五百円の無駄遣いになるが、三回の仱晏妞à蚩激à毪取⒔o料をもらったばかりということも手伝って、まあ今日だけは贅《ぜい》沢《たく》しようかという気持ちになる。
 この日、この場所で浅川がタクシーを拾う気になったのは、ささやかな衝動が積み重なった上の気紛れであった。最初からタクシーを拾うつもりで外に出たわけではない。ふと外の空気が恋しくなったところに、空車の赤ランプをつけたタクシーが通りかかり、その瞬間、切符を買ってまで三つの駅で仱晏妞à毪长趣娴工怂激à皮筏蓼盲郡韦馈¥猡贰⒌叵骡煠菐⒙筏摔膜い皮い郡椤⒍膜问录蠜Qして同じ線で結ばれなかっただろう。しかし、考えてみれば、物語の発端にはいつも偶然がつきものである。
 一台のタクシーが、ためらいがちにパレスサイドビルの前で止まった。哕炇证纤氖搬幛涡”誓肖恰ⅳ浃悉陱匾姑鳏堡韦护い妞贸啶誓郡颏筏皮い搿%昆氓伐濂堠`ドの上にカラーの顔写真があり、写真の横には木村幹夫と哕炇证蚊挨洡丹欷皮い搿
「北品川まで……」
 行き先を聞いて、木村は小躍りしたい気分になった。北品川は会社の倉庫のある東五反田のすぐ先で、そろそろ帰庫しようとしていた木村の進行方向と同じである。タクシードライバーが仕事のおもしろさを実感するのは、自分の読みに従って流れがうまくつながった時だ。木村はいつになく饒《じょう》舌《ぜつ》になった。
「これから取材ですか?」
 疲れのせいで充血した目を窓の外に向け、ぼうっと考えごとをしていた浅川は「え?」と聞き返した。自分の職業をなぜ知っているのだろうと、疑問に思いながら。
「お客さん、新聞記者じゃないんですか」
「週刊誌のほうだけど、よくわかりますねえ」
 二十年近くタクシーに仱盲皮い肽敬澶稀せた場所や服装、言葉遣いから、ある程度客の職業を推測することができた。一般的に人気のある職業に就いて、しかもそれを誇りに思っている客の場合、仕事に関係した話題にはすぐ仱盲皮搿
「たいへんですねえ。こんな早くから」
「いや、逆です。今から帰って寝るところですよ」
「あ、じゃあ、わたしと同じだ」
 普段の浅川には仕事に対する誇りなどなかった。しかし、今朝は、初めて自分の記事が活字になった時の、あの満足感を取り戻していた。ある企画のシリーズをようやく終え、かなりの反響を得ることができたのだ。
「仕事、おもしろいですか」
「まあね」
 と浅川はあやふやに答えた。おもしろい時もあれば、そうじゃないときもある、ただ、今はそれ以上受け答えするのが面倒くさかった。彼は二年前の失敗を忘れてしまったわけではない。あのとき手掛けた記事のタイトルをまだはっきり覚えている。
『現代の新しい神々』
 二度と取材活動はできないと、震えながら編集長に訴えていた情けない自分の姿が目に浮かぶ。
 しばらくの沈黙があった。車は、東京タワーのすぐ左側のカーブをかなりのスピードで走り抜けていく。
「あ、お客さん。吆友丐い蔚坤蛐肖蓼工ⅳ饯欷趣獾谝痪╀海俊筡
 北品川のどこに向かうかによって取るルートが違ってくる。
「第一京浜のほう……。新馬場の手前で降ろしてよ」
 タクシードライバーは、客の目的地がはっきりするといくらか安心するものだ。木村は札の辻の交差点でハンドルを右に切った。
 あの場所が近づいた。木村にとって、ここ一ケ月近くどうしても忘れることのできぬ交差点。浅川が二年前の失敗にこだわるのとは異なり、木村はある程度客観的な立場からこの事故を眺めることができた。というのも、事故に対する責任も、それに伴う反省も、彼には一切なかったからだ。完全に相手の自損事故であり、注意して避けられるものではなかった。あの時の恐怖はもう忘れかけている。一ケ月……、長いといえるのだろうか。浅川は二年前の恐怖に今なお縛られている。
 ただ、どうにも説明がつかない。なぜ、ここを通るたびに、あの時のことを人に話したくなるのか。ルームミラーでチラッと見て、客が眠っている場合はまあ諦《あきら》めるけれど、そうでなければ、木村はまず例外なく全《すべ》ての客にあの時のことを逐一話してしまう、衝動があった。木村はこの交差点に入るたびにいつも話したいという衝動に襲われるのだった。
「一ケ月近く前のことだったかなあ……」
 まるで話し始めるのを待っていたかのように、信号は木村の目の前で黄色から赤に変わっていった。
「世の中にはわけのわからないことがたくさんありますよねえ」
 話の内容をなんとなくほのめかして、木村は客の関心を引こうとした。浅川は半分眠りかけていた頭をガバッと起こして、キョロキョロと回りを見回す。木村の声に驚いて、今いる位置を確認したのだ。
「突然死って、この頃、増えてるんですかねえ……、若い連中の間にも」
「え?」
 浅川の耳にその言葉は響いた、……突然死。木村は先を続けた。
「いえね、一ケ月近く前だったかなあ。あそこで信号待ちしているわたしの車に、突然バイクが倒れかかってきましてね、走っていてコケたわけじゃないんですよ、止まっていて、急にパタッて。それで、どうなったと思います。あ、哕灓筏皮い郡韦稀⑹艢rの予備校生だったんだけど、……死んじまいやがってね、これが。びっくりしましたよ、救急車は来るわ、パトカーは来るわ。おまけにオレの車でしょ、ぶつかったの。エライ騒ぎですわ」
 浅川は黙って聞いていたが、十年来の記者としての勘をひらめかして、即座にドライバーとタクシー会社の名前をメモした。それは本能的ともいえる早さであった。
「死に方がね、ちょっとおかしいんですよ。とにかく、もの凄《すご》い勢いでヘルメットを取ろうとして……、仰向けになってバタバタ……、オレが救急車を呼びにいって、戻ってみると、もう、オシャカ」
「場所はどこですか?」
 浅川の目は完全に覚めていた。
「あそこですよ、ほら」
 駅前の横断歩道を渡ったところを、木村は指差した。品川駅は港区高《たか》輪《なわ》にある。浅川はそのことを頭に焼き付けた。もし、あそこで事故が起こったとしたら、管轄の警察は高輪署である。そして、頭の中で素早く、高輪署の内部に入り込むルートをたぐっていた。大手新聞社の強みは、まさにここにある。あらゆる分野に張り巡らしたコネを新聞社は持っていて、時によってその情報収集能力は警察のそれを凌《しの》ぐことさえあるのだ。
「で、死因は、突然死だったわけですか」
 突然死という病名があるかどうかはわからない。浅川は聞き急いでいた。この事故が、自分の心のどこに引っ掛かっているのか知らぬまま……。
「ふざけた話ですよ。わたしの車は止まってたんですよ。勝手に倒れてきたのは、あっちのほうなんだ。なのに、事故証明、おまけにもうちょっとでこっちの保険汚すところで……。降って湧《わ》いた災難ってやつですよ」
「はっきりした日時、わかりますか」
「おやおや、何か事件の匂いでも嗅《か》ぎ当てましたか? 九月の四日か五日、うーん、そのあたりだな。時間は午後十一時前後だったと思いますよ」
 言ったとたん、木村の脳裏にあの時の光景が甦《よみがえ》った。生暖かい空気……、倒れたバイクから流れ出した真っ圣ぅ搿¥蓼毪巧铯韦瑜Δ衰ぅ毪舷滤讼颏盲啤⑦@《は》っていた。表面でヘッドライトを照り返し、ドロリとした滴となって、下水に落ちて消えてゆく、音もなく。感覚器官が一時的な障害に陥ったような具合だった。そして、ヘルメットを枕にした男の死顔、びっくりした顔。何に驚いているのだ?
 信号が青に変わった。木村はアクセルを踏む。リヤシートからボールペンの走る音が聞こえた。浅川がメモをとっている。木村は吐き気を覚えた。どうして、こう生々しく思い出してしまうのか。木村はすっぱい唾《だ》液《えき》を飲み込んで、吐き気に耐えた。
「で、死因は何だったんですか?」
 浅川が聞いた。
「心臓麻《ま》痺《ひ》」
 ……心臓麻痺? 本当に監察医はそう远悉蛳陇筏郡韦坤恧ΔW罱扦悉猡π哪犅榀wだなんて言葉は使わないはずだ。
「正確な日時と一緒に、これも確認する必要があるな」
 浅川はそうつぶやきながらメモをとった。
「つまり、それ以外に外傷は一切なかったわけですね」
「そう、その通り。全く、驚きですよ。全く……、驚きたいのはこっちのほうですよ」
「え?」
「あ、いえね。仏さん、えらく驚いた顔して死んでいたものですから……」
 浅川の心でピンと弾《はじ》ける音がする。一方ではまた、ふたつの繋《つな》がりを拒否する声。
 ……偶然の一致さ。ただ単に。
 京浜急行の新馬場はすぐ目前にあった。
「そこの信号、左に曲がったところで止めてください」
 車は止まり、ドアが開く。浅川は二枚の千円札と一緒に名刺を出した。
「M新聞の浅川という者です。もしよければ、今のお話、もっと詳しく聞かせてもらえませんでしょうか」
「ええ、構いませんよ」
 木村はうれしそうに言った。なぜか、そうするのが自分の使命に思われる。
「後日お電話します」
「電話番号……」
「あ、大丈夫。会社の名前メモしましたから。すぐ近くなんですね」
 浅川は車から降り、ドアを閉めようとしてしばし躊《ちゅう》躇《ちょ》した。確認することに、いい知れぬ恐怖を感じたのだ。変なことに首を突っ込まないほうがいいんじゃないか、またあの時の二の舞だぞ。しかし、こうまで興味をそそられた以上、黙って見過ごすことは決してできない。わかりきっている、そんなことは。浅川は、もう一度木村に聞いた。
「その男、確かにヘルメットを取ろうともがき苦しんでいたんですね」
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 楼主| 发表于 2004-11-27 16:52:03 | 显示全部楼层


 小栗編集長は、浅川の報告を聞きながら顔をしかめていた。ふっと二年前の浅川の姿が頭をよぎったからだ。狐に憑《つ》かれたように昼夜ワープロに向かい、取材で得た以上の情報を盛り込んで教祖影山照高の半生を克明に綴《つづ》っていった、あの時の異常さ。本気で精神科の医者に预护瑜Δ趣筏郡挨椁ぁ⒐須萜趣毪猡韦ⅳ盲俊
 ちょうど、時期が重なったのも悪い。二年前、空前のオカルトブームが出版界を飲み込み、編集室には心霊写真の山が築かれた。一体世の中どうなってるんだと思わせる程、あらゆる出版社に送りつけられた幽霊譚《たん》や心霊写真と称するマヤカシ物の山。世界の仕組みはある程度判読可能と自負していた小栗ではあるが、あの現象だけにはどうしても納得のいく答えを見つけることができない。それほど、まさに常軌を逸して、投稿者は未《み》曾《ぞ》有《う》の数に上った。誇張でもなんでもなく、一日に送られてくる郵便物は編集室を埋め尽くし、しかも、その全てがオカルト的な内容のものであった。M新聞社だけが投稿の的になったのではない。日本中の出版社という出版社は同時に嵐に巻き込まれ、理解の範囲を越えた現象に苦しんだ。時間のロスを覚悟で調査した結果、投稿者は一人で幾通も出しているわけではなく、当然の如《ごと》く匿名がほとんどであった。ざっと概算しても、約一千万もの人間がこの時期、どこかの出版社に手紙を送ったことになる。一千万! この数字に出版界は震えた。投稿の内容にそれ程恐いものはなかったが、この数字にだけは心底震えたのだ。つまり、十人集まればそのうちの一人は投稿の経験者ということになるが、出版に携わる人間やその家族、友人に当っても、だれ一人投稿の経験者を見つけることができないのだ。一体、どうなっている? 手紙の山はどこからやって来るんだ? 編集者は皆首をひねった。そして、回答を見つけられないまま、波は引いていった。約半年に及ぶ異常事態の後、夢であったかのように編集室は正常に戻り、この種の手紙は一通も届かなくなったのだ。
 新聞社が発行する週刊誌として、この現象にどう対処するか、小栗は明確な態度でこれに臨まなければならなかった。彼の下した結論は、徹底した無視。ひょっとして、この現象の火付け役を果たしたのは、小栗が常々クダラナイと評しているところの雑誌ではないだろうか。写真や経験談を掲載することによって読者の投稿熱をあおった結果、異常な事態が発生してしまったのではないか。もちろん、この説明が全てを納得させるものではないことぐらい、小栗はよく知っている。しかし、小栗はなんとか合理的な理屈をつけ、事態に対処しなければならなかった。
 以後、小栗編集長以下の編集部員は、送られてくる郵便物を開封することなく焼却炉に撙螭馈¥饯筏啤⑹篱gに対してはまったくいつもとかわらない態度をとった。もちろん、オカルトに関する内容はなんであれシャットアウト、無関心を決め込んだ。そのせいかどうか、未《み》曾《ぞ》有《う》の投稿熱は徐々に引いていく気配を見せた。そんな時、浅川は愚かにも、消えかかった火に油を注ぐ行為に走りかけたのだ。小栗はまじまじと浅川の顔を見る。
 ……二年前の痛手をもう一度繰り返すつもりかい?
「おまえさんねえ」
 小栗はなんと言うべきか困ると、必ず相手のことをおまえさんと呼ぶ。
「編集長が何を考えているのか、僕にはよくわかりますよ」
「いや、まあ、おもしろいことはおもしろい。一体ここから何が飛び出すか、わからねえもんな。でも、よお。飛び出すのが、また例の奴《やつ》だったら、チト困るんじゃないかい」
 例の奴。二年前のオカルトブームが人為的なものであったと、小栗はまだ信じている。それと、憎しみ。多大な迷惑を被った故、オカルト的なもの全てに対する偏見を彼はまだ持ち続けていた。
「別に、ことさら神秘性に触れようとは思ってませんよ。こういった偶然はあり得ない、とそう言ってるだけです」
「偶然ねえ……」
 小栗は耳の横に手をやって、もう一度話の内容を整理した。
 ……浅川の妻の姪《めい》、大石智子が九月五日の午後十一時前後に本《ほん》牧《もく》の自宅で死亡。死因は急性心不全。まだ高校三年生、十七歳の若さである。同日、同時刻、JR品川駅前にて、十九歳の予備校生がバイクに仱盲菩藕糯沥颏筏皮い郡趣长怼ⅳ浃悉晷慕罟!钉长Α啡钉饯筏撬劳觥
「ただ単に、偶然が重なったとしか思えねえなあ、オレには。タクシーの哕炇证槭鹿胜韦长趣蚵劋い啤⑴郡螉─搐丹螭訾胜盲郡长趣颏郡蓼郡匏激こ訾筏沥蓼盲郡坤堡袱悚亭à韦筡
「いいですか」
 浅川は編集長の注意を引きつけた。「バイクに仱盲皮い壳嗄辘稀⑺坤涕g際にヘルメットを取ろうともがき苦しんでいたんですよ」
「……で?」
「智子も、死体で発見された時、頭をかきむしったらしく、両手の指にごっそりと自分の髪の毛を巻きつけていたのです」
 浅川は智子に数回会ったことがある。女子高生らしくいつも髪には気を遣い、朝シャンも欠かしたことのない娘だった。そんな子が、ごっそりと大切な髪の毛を引き抜いてしまうなんてあり得るだろうか。彼女にそうさせたモノの正体がわからない。浅川は、髪の毛を夢中で引きちぎろうとする智子の姿を思い浮かべるたびに、目に見えないモノの影を想像した。そして、彼女を駆り立てた喩《たと》えようのない恐怖を。
「わからねえな。おまえさんよぉ、先入観を持ち過ぎてるんじゃねえか。どんな事件だって、共通点を捜そうと思えば何かしら見つかるものだ。ふたりともようするに心臓の発作で死んだってことだろ。なら、苦しかったはずだ。頭かきむしったり、夢中でヘルメットを取ろうとしたり……、案外、普通のことじゃねえのか」
 その可能性もあると認めながら、浅川は頭を横にふった。簡単に言い負かされるわけにはいかないのだ。
「編集長、胸ですよ、胸、苦しかったのは。どうして、頭をかきむしる必要があるんですか」
「おまえさん、心臓の発作を起こしたことあるのかい?」
「……ないですよ」
「じゃ、医者に聞いたのかい?」
「何を?」
「心臓発作を起こした人間が頭をかきむしるかどうか」
 浅川は黙る他なかった。彼は実際に医者に聞いていた。医者はこう答えた。……そりゃ、ないとも限りませんねえ。あやふやな答えであった。逆の場合はありますがね……、つまりクモ膜下出血や脳出血の場合、頭が痛くなると同時にお腹のあたりが気持ち悪くなるからねえ。
「ようするに個人差じゃねえのか。数学の問題が解けないで頭かきむしる奴《やつ》もいれば、煙草《たばこ》をふかす奴もいる。腹に手をあてる奴だっているかもしれねえ」
 小栗は言いながら椅子を回転させた。
「とにかく、今の段階では、まだ何も言えねえじゃねえか。載せるスペースはないよ。わかってるだろ、二年前のことがあるからな。こういった類のことにはうかつに手を出せねえ。思い込みで書こうと思えば、書けてしまうものさ」
 そうかもしれない。本当に編集長の言う通り、ただ単に偶然が重なっただけかもしれない。しかし、どうだろう、最終的に医者は首をかしげるのみであった。心臓発作で頭の毛をごっそりと抜いてしまうことがあるのですかという問いに、医者は顔をしかめて「うーん」と唸《うな》っただけであった。その顔は告げている、少なくとも彼の预炕颊撙摔饯Δい盲坷胜盲郡长趣颉
「わかりました」
 今は素直に引き下がる他なかった。このふたつの事故の間にもっと客観的な因果関係が発見できなければ、編集長を説得するのはむずかしい。もし、何も発見できなかったら、その時は黙って手を引こう、浅川はそう心に決めていた。
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发表于 2004-11-29 19:43:50 | 显示全部楼层
すごい
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 楼主| 发表于 2004-11-29 20:43:01 | 显示全部楼层


 受話器をフックに掛け、そこに手を置いたまま浅川はなかなか動こうとしなかった。必要以上に持ち上げて相手の顔色をうかがう自分の声がまだ耳に残っていて、どうにもやりきれない気分であった。電話の相手はいかにも尊大な態度で秘書から受話器を受け取り、こちらの企画を聞くに従って、次第に声の表情を和らげていった。最初は広告の依頼と勘違いでもしたのだろう。それから素早く頭を回転させて、自分の半生が記事になるメリットを計算したのだ。
「トップインタビュー」と題する企画は九月から連載されたもので、一代で会社を興した社長にスポットを当て、その苦労や努力を記事にまとめるものである。一応、取材のアポイントメントを取ることに成功したのだから、もう少し満足そうに受話器を置いてしかるべきなのに、浅川の気は重い。いかにも俗物といったこの男から聞き出すのは、毎度おきまりの苦労話、自分がいかに才知に長《た》け、チャンスをものにし、のしあがってきたか……、こちらから礼を言って立ち上がらなければ延々と果てしなく続くサクセスストーリー。うんざりだった。浅川はこんな企画を考えた人間を恨んだ。雑誌を維持するためにはどうしても広告が必要で、そのための布石として後々役に立つことはわかりきっている。しかし、浅川は、会社が儲《もう》かろうが損をしようがあまり関心はなかった。大切なのは、面白い仕事にありつけるかどうか、ただそれだけだ。想像力を伴わない仕事は、肉体的には楽でも精神的に疲れる場合が多い。
 浅川は四階の資料室に向かった。明日のインタビューの下調べもあったが、それ以上に気に掛かることがあった。興味深い二つの事故を結ぶ客観的な因果関係。ふと頭に浮かんだのだ。どこから手をつけていいかわからなかったが、俗物社長の声を頭から振り払った隙《すき》間《ま》にすっとさし挟まれた疑問。
 ……果たして、九月五日の午後十一時前後に生じた原因不明の突然死はこの二件だけなのだろうか?
 そうでなければ、つまり他にもこれと同様の事件が起こっているとしたら、偶然である確率はより一層ゼロに近づく。浅川は九月初旬の新聞に目を通してみることにした。商売柄、新聞は丹念に読んではいる。しかし、社会面の記事などは見出しだけ目を通してさっとページをめくってしまうことが多く、何かを見落としている可能性が充分にあった。そんな予感がした。引っ掛かることがある。一ケ月ばかり前、社会面のほんの片隅に奇妙な見出しが載っていたような気がする。掲載されたのは左下の小さなスペースで……、載った場所だけは覚えている。見出しを読んでおやっと思ったが 、「おい、浅川」と呼ぶデスクの声に振り向き、そのまま忙しさに紛れて読みかけのままになってしまったのだ。
 浅川は九月六日の朝刊から調べ始めた。必ず手がかりを発見できるという確信があり、宝物を捜す子供のように胸をときめかせていた。暗い資料室で一ケ月近く前の新聞を読むという、ただそれだけの行為にすら、俗物のインタビューでは味わえない精神的高揚感が感じられる。ハデに外を飛び回って様々な人間と交わるより、こういった仕事のほうが浅川には向いていた。
 九月七日の夕刊……、浅川が記憶していた通りの場所に、目当ての記事はあった。三十四人の犠牲者を出した海難事故のニュースに押しやられ、その記事のスペースは想像していたよりもずっと小さかった。これでは見落とすのも無理はない。浅川は銀縁のメガネを取り、紙面に顔を近づけて一字一句漏らさないように本文を読んでいった。

レンタカーに若い男女の変死体

七日午前六時十五分ごろ、横須賀市芦名の県道沿いの空き地に止められた佊密嚖吻安骏珐`トで、若い男女が死んでいるのを通りかかった軽トラックの哕炇证姢膜薄⒑犴氋R署に通報した。
車のナンバーから、死亡した男女は東京都渋谷区の予備校生(十九)と、横浜市磯子区の私立女子高生(十七)と判明。車は二日前の夕方、渋谷区のレンタカーで予備校生が借りたものであった。
発見当時、車はロックされキィはイグニッションに差し込まれたままになっていた。死亡推定時刻は五日の深夜から未明にかけて。車の窓が締まっていたことから、眠り込んでしまっての酸欠死とも見られたが、薬物による心中の可能性もあり、詳しい死因はまだわかっていない。他殺の疑いは今のところないものと思われる。

 たったこれだけの記事であったが、浅川には確かな手《て》応《ごた》えがあった。まず、死亡した女子高生は姪《めい》の智子と同じく横浜の私立女子高に通っていて共に十七歳。レンタカーを借りた男も、品川駅前で事故死した青年と同じく予備校生であり年齢も共に十九歳。死亡推定時刻も殆《ほとん》ど同じ。死因はやはり不明。
 この四人の死には必ず接点がある。決定的な共通点を発見するのにそう時間はかからないだろう。なにしろ浅川は大手新聞社の内側にいて、情報には事欠かない。この記事のコピーを取ると、彼は一《いつ》旦《たん》編集局に向かった。とてつもない金鉱を掘り当てたという満足感で足は次第に速くなり、浅川はエレベーターを待つ時間さえもどかしく感じていた。

 横須賀市役所記者クラブ。吉野は専用の机に座って原稿用紙にペンを走らせていた。東京本社からここまで、高速道路が混んでさえいなければ一時間で来てしまう。浅川は吉野の後ろに立つと、声をかけた。
「吉野さん」
 吉野に会うのは一年半ぶりであった。
「お、おう、浅川か。どうしたんだ。横須賀くんだりまで……。まあ座れや」
 吉野はあいている椅《い》子《す》を引っぱり出して浅川にすすめた。顔中髭《ひげ》だらけで、見るからに品のない印象を与えるが、吉野は意外と人に気を遣うところがある。
「忙しいかよ」
「ええ、まあ」
 吉野は、浅川がまだ社会部にいた頃の三年先輩で、現在三十五歳だった。
「実は、横須賀通信部に問い合わせたところ、吉野さん、ここにいるってことだったので……」
「なんじゃい。オレに、なにか用でもあるのかい?」
 浅川は、先ほどコピーした記事を差し出した。吉野は異常な程長い時間をかけてじっとそれに見入った。自分の書いた記事なのだから、そんな熱心に読まなくても内容はわかっているはずなのに、彼は口に撙趾梦铯违冤`ナッツを空中で止めたまま、全神経をそこに集中させた。今はゆっくりと咀《そ》嚼《しやく》している。まるで、記事の内容を逐一思い出し、一緒に胃の中で消化しようとするかのように。
「これがどうかしたのか?」
 吉野は真剣な顔になっていた。
「いえね、もっと詳しく聞きたいと思いまして」
 吉野は立ち上がった。
「よし、隣で茶でも飲みながら話そう」
「時間、だいじょうぶですか」
「いいってことよ。こっちのほうがおもしろそうだ」
 市役所のすぐ横に小さな喫茶店があり、コーヒーが二百円で飲める。吉野は席につくとすぐカウンターを振り返り、「コーヒー二つ」と声を上げた。それから、浅川のほうに向き直ると、ぐっと体を近づけた。
「いいか、オレは社会部の記者になって十二年になる。この十二年間、オレは様々な事件に出合った。しかし、だ。これ程妙チクリンな事件に出合ったのは初めてだ」
 吉野はそこまで言うと水を一口飲み、先を続けた。
「なあ、浅川。交換条件といこうじゃないか。本社出版局勤めのおまえが、どうしてこの事件を調べ始めたんだい?」
 まだ手の内を見せるわけにはいかない。浅川だけのスクープにしておきたかった。吉野のようなやり手に知られたりしたら、あっという間にひっかき回されて獲物をさらわれてしまう。浅川は咄《とっ》嗟《さ》に嘘をついた。
「たいした理由はないんですよ。僕の姪《めい》っこがこの死んだ女子高生と友達で、根掘り葉掘り聞くもんですから、この事件のこと。ですから、こちらに来たついでに……」
 ヘタな嘘だ。吉野は疑わしそうな目をキラッと光らせたかと思うと、しらけて徐々に身体を引いていった。
「ホントかよ」
「ええ、なにしろ女子高生でしょ。友達が死んだってだけでも大変なのに、妙な死に方なものだから、ああだこうだとうるさくてうるさくて……。お願いしますよ。詳しく教えてください」
「で、何を聞きたいってんだ?」
「その後、死因は判明したんですか」
 吉野は首を振った。
「ま、ようするに、突然の心臓停止ってやつだが、どうしてソレが起こったかについちゃ何もわからねえ」
「他殺の線は? 例えば首を締められたとか」
「あり得ない。首筋に内出血の跡はなかった」
「薬物……」
「解剖しても、反応はでなかった」
「とするとこの事件は、まだ解決……」
「おいおい、解決もクソもねえ。殺人じゃねえんだから事件でもなんでもないんだよ。病死、あるいは事故死、それで終わりさ。捜査本部も当然ナシ」
 素っ気ない言い方だった。吉野は椅子の背もたれに背中をあずけている。
「死亡した人間の名前を伏せてあるのはどうしてですか」
「未成年だしよ。……それに、一応心中の疑いもあったからな」
 吉野はそこで何かを思い出したようにふっと笑うと、体を前に仱瓿訾筏俊
「男のほうはよ、ジーンズと一緒にブリーフを膝《ひざ》まで下げていた。女の子のほうもよ、パンティを膝まで下げていた」
「とすると、その、最中だったってわけですか」
「最中ってわけじゃない。これからやろうとしていたところだ。お楽しみはこれからってえ、その時!」
 吉野はパンと手を打った。
「なにかが起こった」
 いかにも、相手の気持ちを高ぶらせる語り口であった。
「なあ、浅川。正直に言ってくれよ。おまえ、この事件に関係したネタを掴《つか》んだんじゃねえのか……」
「…………」
「秘密は守るからよお。手柄を横取りする気もない。ただ、オレには興味があるだけだ」
 浅川は黙り込んだ。
「なあ、オレは聞きたくてうずうずしてるんだぜ」
 考えてみる。やっぱりだめだ。まだ言わないほうがいい。しかし、嘘は通用しない。
「すみません、吉野さん。もうちょっと待ってもらえますか。まだ、なんとも言えないんですよ。二、三日のうちには必ずお話しできます。約束しますよ」
 失望の色が吉野の顔に浮かんだ。
「ちぇ、おまえがそう言うんじゃよぉ……」
 浅川は懇願する目を向けた。話の続きを促す視線。
「何かが起こったとしか考えられないんだよな。男と女が、今からやろうって時に窒息するかよ、笑い話にもならねえ。あらかじめ飲まされた毒が効き始めたってことも考えられるがその反応はなし……、まあ、反応が出ない毒物もあるにはあるが、予備校生と女子高生の男女にそう簡単に手に入るものとは思えねえしなあ」
 吉野は、車の発見された場所を思い浮かべた。実際に足を撙螭坤郡帷ⅳ胜辘悉盲辘扔∠螭肖盲皮い搿B榇蟆钉烽钉埂飞健钉浃蕖筏松悉胛磁n装の県道沿いに、小さな谷間の、木々のうっそうと茂った空き地があり、上ってくる車からテールがチラッと目に留まるような格好で、車は止められていたのだ。哕灓筏皮い坑鑲湫I嗓ΔいΔ膜猡辘扦长螆鏊塑嚖蜻んだのか、想像に難くない。夜になるとこの道を通る車は殆《ほとん》ど一台もなく、山肌から横に伸びた樹の葉が目隠しとなって、お金のないカップルにとっては格好の密室となる。
「そこで、男はハンドルとサイドウィンドウに頭を押しつけるように、女は助手席のシートとドアの間に頭を埋めるようにして、死んでいた。オレはこの目で、ふたりの死体が車から撙映訾丹欷毪趣长恧蛞姢郡螭馈%丧ⅳ蜷_けたとたん、ふたつの死体はそれぞれのドアから転がり出た。死の間際、内側から強い力で押されたように、そして、その力が死後三十時間たってもまだ残っていたかのように、捜査員がドアに手をかけたとたん、弾《はじ》かれるように飛び出したんだ。いいか、その車はな、2ドアで、キィを中に置いたままではドアロックをできない仕組みになっていた。そして、キィはイグニッションに差し込まれたまま……、ドアロック……、どういうことかわかるな。車は完全な密室状態だったってわけだ。外部からの力が加わったとは考えにくい。なあ、どんな顔で死んでいたと思う? ふたりとも、怯《おび》え切っていた。恐怖に顔を歪《ゆが》めていたんだ」
 吉野はそこで一息ついた。ゴクッと唾《つば》を飲み込む音がした。浅川がたてたのか、それとも吉野がたてた音なのかわからない。
「考えてもみろよ。もし、仮に、森の中から恐ろしい獣が出てきたとする。ふたりはその姿に怯え、体を寄せ合うはずだ。男はそうしなかったとしても、女は、まず、絶対に男のほうに体を近づける。一応、恋人なんだから。ところがだ。男も女も、お互いに、相手から少しでも離れようとして、力いっぱい背中をドアに押しつけていた」
 吉野は、お手あげのポーズをとった。
「一体どういうことなのか、さっぱりわからねえ」
 もし横須賀沖の海難事故がなかったら、この記事はもっと大きな扱いになったはずだ。そして、一般読者の推理パズルとなり、おもちゃとなっていたに違いない。しかし、……しかし。捜査員を含めあの場にいた人々の間に広がった雰囲気。それぞれ似たりよったりのことを考えているにもかかわらず、そして、そのことが喉《のど》まで出かかっているというのに、誰ひとり言い出そうとしない、あの雰囲気。一組の男女がまったく同時に心臓発作で死亡することなどありえないのに、医学的なこじつけで自分を納得させてしまう、誰ひとり、信じてもいないくせに。人から非科学的な奴《やつ》だとバカにされぬがために、そのことを口にしないのではない。想像もつかない恐怖を身近に引きつけてしまうようで認めるのが恐いのだ。それならまだ、納得はいかなくても科学的な説明に甘んじているほうが、なにかと都合がいい。
 同時に浅川と吉野の背筋に悪寒が走った。やはりふたりとも同じことを考えていた。しばらくの沈黙が、ふたりの胸に湧《わ》き上がったある種の予感を確認し合った。これで終わったわけじゃない、何かが起こるのはコレカラダ。どれほど科学的な知識を身につけようと、根本的なところで、人間は科学の法則で説明できないある存在を信じている。
「発見された時、男と女は手をどこに置いていましたか?」
 唐突に浅川が聞いた。
「頭……、いや、頭というより、両手で顔を被《おお》っていたって感じかな」
「こんなふうに、髪の毛をごっそり抜いていたとか」
 浅川は自分の髪を引っ張って見せた。
「あん?」
「つまり、その、自分の頭をかきむしって、毛髪を抜いていたかどうか」
「いや、そんなことはなかったと思う」
「そうですか。吉野さん、その予備校生と女子高生の住所と名前、教えてもらえないでしょうかねえ」
「いいよ。でも、おまえ、約束、忘れるなよ」
 浅川が笑いながらうなずくのを見て、吉野は立ち上がった。そのひょうしに、テーブルが揺れてコーヒーが受け皿にこぼれた。吉野はコーヒーカップに一度も口をつけていなかった。
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 楼主| 发表于 2004-11-29 20:44:19 | 显示全部楼层


 浅川は、仕事の合間を縫って死亡した四人の若者の身辺を探ろうとしたが、仕事に追われてなかなか思うようにはかどらなかった。そうこうするうちに一週間が過ぎて月も改まり、雨の降り続いた八月の蒸し暑さも、夏を取り戻したような九月の炎暑も、深まりゆく秋の気配に押し流されるように過去の記憶となっていった。ここしばらく何も起こってはいない。あれ以来、新聞の社会面には隅々まで目を通すようにしているが、類似した事件には出合わない。それとも、浅川の目に触れないところで、恐ろしい何かが着々と進行しているのだろうか。ただ、時がたつほどに、四人の死は単なる偶然であって、なんの関連性もないのかもしれないと思うことが多くなった。吉野にもあれ以来会ってはいない。彼も、もう忘れてしまったのだろう。覚えていれば、浅川に連絡をとってくるはずである。
 浅川は、事件への情熱が遠のくといつも、四枚のカードをポケットから取り出し、偶然であるはずがないという思いを新たにする。カードの上には名前や住所等の必要事項が記入され、その下の空白には八月から九月にかけての四人の行動、あるいは生い立ちなど、取材して得た情報が残らずメモできるようになっていた。

カード1
大石智子 昭和四十七年十月二十一日生まれ
私立啓聖女子学園三年 十七歳
住所 横浜市中区本牧元町一―七
九月五日午後十一時前後 両親の留守中、自宅一階の台所にて死亡。死因は急性心不全。

カード2
岩田秀一 昭和四十六年五月二十六日生まれ
英進予備校にて一浪中 十九歳
住所 品川区西中延一―五―二十三
九月五日午後十時五十四分 品川駅前の交差点で転倒して死亡。死因は心筋梗《こう》塞《そく》。

カード3
辻遥子  昭和四十八年一月十二日生まれ
私立啓聖女子学園三年 十七歳
住所 横浜市磯子区森五―十九
九月五日深夜から未明にかけて、大楠山の麓《ふもと》の県道沿い、車の中で死亡。死因は急性心不全。

カード4
能美武彦 昭和四十五年十二月四日生まれ
英進予備校にて二浪中 十九歳
住所 渋谷区上原一―十―四
九月五日深夜から未明にかけて、大楠山の麓の車にて辻遥子と共に死亡。死因は急性心不全。

 大石智子と辻遥子が同じ高校に通う友人どうしで、岩田秀一と能美武彦も同じ予備校で学ぶ友人どうしであることは取材で確認するまでもなく明らかであった。そして、辻遥子と能美武彦が九月五日の夜、横須賀の大楠山へドライブに出かけている事実からも、このふたりが恋人とはいかないまでも遊び友達であったことに間違いはない。友人たちに聞いても、辻遥子が東京の予備校生と付き合っているらしいという噂《うわさ》は耳にした。ただ、いつごろ、どのようにして知り合った仲なのかは、今のところまだわからない。とすると、当然、大石智子と岩田秀一も恋人どうしではないかという疑問も出てくるが、いくら調べてもそれを裏づける事実は出てこない。ひょっとしたら、大石智子と岩田秀一は一面識もないかもしれない。とすると、この四人をつなぐ糸は一体どこにあるのか。正体不明の存在がアトランダムに犠牲者をつまみ上げたにしては、四人の関係はあまりに親し過ぎる。たとえば、この四人は他の人間が知らない秘密を持っていて、その秘密のせいで殺されたとか……。浅川は、もう少し科学的に考えた。四人は、ある時同時に、ある場所にいて、心臓を冒すウィルスに感染した。
 ……おいおい。
 浅川は歩きながら首を振った。
 ……急性心不全を起こさせるようなウィルスなんてあるのかよ。
 ウィルス、ウィルスと、浅川は階段を上りながら二度つぶやいた。そして、やはりまず第一に科学的な説明を試みることが先決ではないかと思い直す。ここで、急激な心臓発作を生じさせるウィルスの存在を仮定したとしよう。超自然の力を仮定するより、いくらか現実的であり、他人に話して笑われる心配も少ないように思われる。現在まだ地球上で発見されていないにしても、隕《いん》石《せき》の内部に閉じ込められてごく最近宇宙から飛来したとも限らない。あるいは、細菌兵器として開発されたものが漏れた可能性もないとはいえない。そうだ。まず、これをウィルスの一種と考えることにしてみよう。もちろん、そうすることによって全ての疑問点に答えられるものでもないが。四人が四人とも驚《きよう》愕《がく》の表情を浮かべて死んでいたのはなぜか、辻遥子と能美武彦が狭い車の中で、互いに相手から離れるようにして死んでいたのはなぜか。検死の結果何も発見できなかったのはなぜか。もし、細菌兵器が漏れ出たとすれば三番目の疑問には容易に答えることができる。その筋からの箝《かん》口《こう》令《れい》が敷かれたのだ。
 さて、この仮定のもとに論を進めると、被害者がこれ以上現れないという事実からも、このウィルスが空気感染をしないということは明らかである。エイズのように血液感染するモノなのか、あるいは極めて感染しにくいモノなのか。そして、もっとも肝心なのは、四人はソレを一体どこで拾ったのかということ。八月から九月にかけての四人の行動をもう一度洗い直し、共通する時間と場所を探り出さなければならない。当事者の口が塞《ふさ》がれた今となっては、そう簡単に発見することはできないだろう。四人だけの秘密として、両親や友人のだれ一人知らないことであれば探りようがない。しかし、必ず、この四人はある時、ある場所で、あるモノを共有したはずである。
 浅川はワープロの前に座ると、正体不明のウィルスを一《いつ》旦《たん》頭から払い退けた。今取材したばかりのノートを取り出し、カセットテープの内容を素早くまとめていく。記事は今日中に完成しなければならない。明日の日曜日は妻の静とともに義姉の大石良美宅を訪ねることになっていた。智子が死んだ場所を実際に目で確かめ、雰囲気がまだ残っていればそれを肌で感じたかった。ひとり娘を亡くしたばかりの姉を慰める意味もあって静は本牧に行くことに同意したが、彼女はもちろん夫の真意を知らない。
 記事のアウトラインが決まるか決まらないかのうちに、浅川はキィを叩《たた》き始めた。
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 楼主| 发表于 2004-11-29 20:45:44 | 显示全部楼层
  

 浅川の妻、静は、約一ケ月ぶりで父と母に再会した。孫の智子が死んで以来、ふたりは休みごとに足利から上京して、娘と慰め合っていたのだ。そのことを静は今日初めて知った。やつれた顔に深い悲しみを湛《たた》える老父母を見るのはなんとも心が痛む。ふたりにはかつて三人の孫がいた。長女良美の娘智子、次女紀子の息子の健一、そして浅川夫婦の娘の陽子。三人の娘にそれぞれ一人ずつというのは、多いとはいえない。初孫だっただけに、智子に会えば必ず父と母は顔をくしゃくしゃに綻《ほころ》ばせ、甘えたい放題にさせたものだ。姉夫婦の悲しみと父と母の悲しみと、どちらがより大きいか判断がつかないくらい、両親の落ち込みようはひどかった。
 ……孫ってそんなにかわいいものなのかしら。
 今年三十になったばかりの静には、自分の子がもし死んでしまったらと、その比較の上で姉の悲しみを推し測るのが精一杯であった。しかし、なにしろ、娘の陽子はまだ一歳半で、十七歳で逝《い》った智子とは比べようもなかった。年月の積み重ねがどのように愛情を深めてゆくものか、静には想像がつかない。

 午後も三時を過ぎると、足利の両親は帰り支度を始めた。
 静は不思議でならなかった。いつも忙しい忙しいとぼやいている夫が、なぜ妻の長姉の家を訪ねようなどと言い出したのか。原稿の締め切りに追われ、葬式にさえ顔を出さなかった夫である。しかも、そろそろ夕飯の支度という時間を迎えても一向に帰ろうとする素振りを見せない。姪《めい》の智子には数回会っただけ、親しく話したこともなかったはず、故人を偲《しの》んで立ち去り難いとも思えない。
「あなた、もう、そろそろ……」
 静は浅川の膝《ひざ》を軽く叩《たた》き、耳《みみ》許《もと》で囁《ささや》いた。
「陽子のやつ、眠そうだぜ。ここでちょっと寝かしてもらったほうがいいんじゃないか」
 浅川夫婦は娘を連れていた。普段なら、今頃は昼寝の時間である。確かに陽子のまばたきは、眠い時のそれに変わりつつある。しかしここで昼寝をさせれば、あと二時間はこの家に居なくてはならない。一人娘を亡くしたばかりの姉夫婦とあと二時間、一体何を話せばいいのか。
「電車の中で寝かせればいいじゃない」
 静は声を落として言った。
「この前はそれでぐずられて、ひどい目にあった。もうあんなのはこりごりだね」
 陽子は人込みの中で眠くなると、手がつけられないぐずり方をする。両手両足をバタバタさせ、大声で喚《わめ》き散らして親を困らせるのだ。叱《しか》りつけでもしたら、火に油を注ぐようなもので、どうにかうまく眠らせる以外におとなしくする手《て》段《だて》はない。こうなると、浅川は回りの視線を気にして、一番迷惑してるのは親のほうだとばかり不機嫌な顔で黙り込んでしまう。他の伩亭蚊曰螭饯Δ恃鄄瞍筏素煠幛椁欷啤⑶炒à舷ⅳ膜蓼辘饯Δ摔胜毪韦馈¥饯筏凭菠猡蓼俊⑸窠U質そうに頬《ほお》の筋肉を震わせる夫の顔はなるべく見たくなかった。
「あなたがそう言うなら……」
「そうしよう。二階で少し昼寝させてもらおうよ」
 陽子は母の膝《ひざ》の上で半分目を閉じかけている。
「僕が寝かしつけてくる」
 浅川は、娘の頬を手の甲で撫《な》でながら言った。滅多に子供の面倒を見ない浅川だけに、その言葉はなんとも奇妙に聞こえる。子供を亡くした親の悲しみに触れて、心を入れ替えたのだろうか。
「どうしちゃったのよ、今日は……。なんだか気持ちワルイ」
「だいじょうぶ、この様子ならすぐ寝る。僕に任せろよ」
 静は娘を浅川に渡した。
「じゃ、お願いね。いつもこうだと助かるんだけど」
 母の胸から父の胸に移る瞬間、陽子はほんの少し顔をしかめたが、泣く暇もなく眠りに落ちていった。浅川は娘を抱き抱え、階段を上った。二階には、二つの和室とかつて智子の部屋であった洋室がひとつある。南に面した和室の布団にそっと陽子を置く。添い寝する必要はなかった。かわいらしい寝息をたてて、既に娘は深い眠りに落ちていた。
 浅川はそっと和室から出ると、階段下の様子をうかがいながら智子の部屋に入った。死んだ人間のプライバシーに触れる行為に若干後ろめたさを感じる。いつも自分に戒めていることではなかったのか。しかし大きな目的のためには、大きな悪を裁くためにはそれもいたしかたない。そうやってなんだかんだと理由をつけてすぐにこのシステムを正当化しようとする自分が情けなかった。彼は弁解していた。記事にするわけじゃない、四人に共通する時と場所を捜すだけなんだ、ちょっと、邪魔するよ。
 浅川は机の引き出しを開けた。普通の女子高生が使う文房具類が、かなり整頓されてしまわれている。写真が三枚、小物入れ、手紙、メモ帳、裁縫道具。死んだ後、両親の手が入ったのだろうか。いや、そんなふうにも見えない。もともときれい好きなんだろう。日記帳の類が出てくれば一番てっとり早い。×月×日、どこそこにて、辻遥子、能美武彦、岩田秀一の四人で……。と、そういった記述が見つかりさえすれば。浅川は本棚からノートを取り出しパラパラとめくった。引き出しの奥からいかにも女の子っぽい日記帳が出てきたが、最初の数ページに申し訳程度書かれているだけで、日付はずっと以前のものばかりであった。
 机の横のカラーボックスに本はなく、その代わりに赤い花柄の小さな化粧台が置かれてあった。引き出しを引く。安物のアクセサリーの数々。すぐになくしてしまうらしく、ペアで揃《そろ》っているイヤリングは少ない。携帯用のくしには、細い髪の毛が数本巻きついていた。
 作り付けのワードローブを開けると、ぷんと女子高生の匂いが鼻をつく。カラフルな柄のワンピースやスカートが、ぎっしり吊《つ》り下がっている。姉夫婦は、ひとり娘の匂いの染み付いた衣類をどう始末したらいいのか、解決策をまだ見つけてないのだ。浅川は下の様子に耳を澄ませた。こんなところを姉夫婦に見られたら、どう思われるかわからない。物音はしなかった。妻と姉夫婦はなにやら話し込んでいるようだ。浅川は洋服のポケットをひとつずつ探った。ハンカチ、映画館の半券、ガムの包み、それから、ポシェットの中にはナプキン、定期券入れ。中を覗《のぞ》く。山手から鶴見までの定期券、学生証、そして一枚のカード。カードには名前が記入されている。野々山結貴。おや、なんて読むのだろう。ゆき、あるいは、ゆうき。女なのか男なのか、名前からでは判断できない。どうして他人名義のカードがこんなところに。階段を上る足音が聞こえる。浅川はカードを自分のポケットにしまうと、定期券入れを元に戻し、ワードローブを閉めた。廊下に出ると、義姉の良美がちょうど階段を上り切ったところであった。
「あの、二階にもトイレありましたっけ?」
 浅川は、オーバーにキョロキョロして見せた。
「そこの突き当りですけど」
 怪しんでいる気配はない。
「陽子ちゃん、おとなしく眠りましたか?」
「ええ、おかげさまで。どうもご迷惑かけます」
「いいんですのよ」
 義姉は軽く頭を下げ、帯に手を当てながら和室に入った。
 トイレにて、浅川はカードを取り出した。パシフィック・リゾートクラブ会員証。このカードの名称である。その下に野々山結貴の名前と会員番号。有効年月日。裏にする。個条書きにされた注意事項が五つと会社の名前、住所。パシフィック・リゾートクラブ株式会社、東京都千代田区麹《こうじ》町《まち》三―五、TEL(03)261―4922。拾ったり、盗んだりしたものでなければ、智子はおそらくこのカードを野々山という人物から借りたのだ。何のために。もちろん、パシフィック・リゾートの施設を利用するために。それはどこで、いつのこと?
 この家から電話をかけるわけにはいかない。煙草《たばこ》を買ってくると言い残して、浅川は表の公须娫挙俗撙盲俊%昆ぅⅴ毪蚧丐埂
「はい、もしもしパシフィック・リゾートです」という若い女性の声。
「あの、お宅の会員券で利用できる施設を知りたいのですが」
 女性の返事が遅れる。口では簡単に言えない程、利用施設の数が多いのかもしれない。
「あ、いや、そうですね……、東京から一泊で行ける範囲で……」
 浅川は言い足した。四人揃《そろ》って二泊も三泊も家を空けたとなれば、かなり目立つはずである。これまでの調査で発見できなかったとすれば、せいぜい一泊程度の距離であろう。一泊程度なら、友達のところに泊まるとか言ってなんとでも親の目をごまかせる。
「南箱根にパシフィックランドという総合施設がございます」
 女性の声は事務的であった。
「具体的に、つまり、どんなレジャーが楽しめるんですか?」
「そうですね、テニス、ゴルフ、フィールドアスレチック、それにプールもございます」
「宿泊施設は?」
「はい、ホテルと貸し別荘ビラ・ロッグキャビンがございます。あの、もしよろしければ案内書をお送り致しますが」
「ええ、ぜひお願いします」
 浅川は客を装った。心よく情報を聞き出すためである。
「その、ホテルや貸し別荘に、一般の人間も泊まれるんですか?」
「はい、できます。一般料金になりますけれど」
「そうですか、それじゃひとつ、そこの電話番号教えてください。ためしに行ってみようかな」
「宿泊の申込みでしたらこちらで受け付けますが」
「うーん、いや、そっちの方ドライブしていて、急に寄りたくなるかもしれないから……。教えてよ、電話番号」
「しばらくお待ちください」
 待つ間にメモ用紙とボールペンを取り出していた。
「よろしいですか?」
 女の声が戻り、十一桁《けた》の番号をふたつ告げた。市外局番がやけに長い。浅川は素早く書き取る。
「念のため聞くけれど、それ以外の施設はどこにあるの?」
「浜名湖と、三重県浜島町に同じような総合レジャーランドがございます」
 遠すぎる! 高校生や予備校生にそんなところまで行く軍資金はないだろう。
「なるほど、名前のとおり、太平洋に面してるってわけだ」
 女はその後、パシフィック・リゾートクラブの会員になると、どれほど素晴らしい恩恵に浴することができるか、とくとくと説明を始めた。浅川は適当に聞いて、遮った。
「わかりました、あとはパンフレットを見ます。住所言うから送ってください」
 浅川は住所を告げて受話器を置いた。金の余裕ができたら会員になってもいいなと、女の説明を聞くうちに浅川は本当にそんな気になっていた。
 陽子が寝入って一時間ばかり過ぎ、足利の両親も帰っていった。静は台所に立ち、ふと物思いにふけりがちの姉に代わって食器を洗った。浅川も居間から食器を撙证韦颏いい筏謥护盲俊
「ねえ、どうしちゃったのよ。あなた、ヘンよ」
 静は洗い物の手を休めずに言う。
「陽子を寝かしつけたり、台所を手伝ったり。心境の変化? ずっとこのままだといいんだけど」
 浅川は考えごとをしていて、邪魔されたくはなかった。妻には名前のとおり静かにしていてもらいたい。女の口を閉ざすには返事をしないことだ。
「ねえ、そういえば、寝かす前、紙オムツにしてくれた? よその家でお漏らししたらたいへんよ」
 浅川は構わず、台所の壁を見回す。ここで智子は死んだのだ。床にはグラスの破片が飛び散り、コーラがこぼれていたという。おそらく、冷蔵庫からコーラの瓶を出して飲もうとした時、例のウィルスに襲われたのだ。浅川は冷蔵庫を開け、智子がやったとおりのことを真似てみる。グラスを想定し、飲むふりをする。
「なにやってるの?……あなた」
 静がぽかんと口を開けて見つめた。浅川は続ける。飲むふりをしながら、後ろを振り返った。振り返ると、目の前に、居間と台所を隔てるガラスのドアがあった。そこに、流しの上の蛍光灯が反射している。外はまだ明るく、居間にも光が満ちているせいか、ガラス窓が映し出すのは蛍光灯の明りだけで、こちら側にいる人物の表情を映すまでには至らない。もし、ガラスの向こうが真っ暗でこちら側が明るかったとしたら、そう、智子があの夜ここに立った時と同じく……、このガラス戸は鏡となって台所の様子を映し出したはずである。恐怖に歪《ゆが》んだ智子の顔が映ったとなると、浅川には、ガラス板こそ起こったことすべての記録者のように思えてくる。光と闇のかけ引きにより、透明にもなるし鏡にもなるガラス。魅せられたようにガラスに顔を近づける浅川の背中に静が触れようとしたちょうどその時、二階から子供の泣き声が聞こえた。陽子が目を覚ましたのだ。
「あ、陽子ちゃん。起きたのね」
 静は濡れた手をタオルで拭《ふ》いた。しかし、寝起きの声にしてはあまりに激しい泣き声であった。静はあわてて二階へ駆け上がった。
 入れ替わりに入ってきたのは良美だった。浅川は先ほどのカードを差し出した。
「これ、ピアノの下に落ちてましたよ」
 浅川は何気無くそう言って反応を待った。良美はカードを手にとって裏返した。
「変ねえ、どうしてこんなものが」
 不思議そうに首をかしげている。
「智子さんが友達から借りたんじゃないですか」
「でも、野々山結貴だなんて聞いたことがない。あの子の友達で、こんな名前の人いたかしら」
 そう言った後、良美は大げさに困った顔をして浅川を見た。
「いやだ。これ、大切なものなんでしょう。あの子ったら、もう……」
 良美は声を詰まらせた。ほんの些《さ》細《さい》なことでも悲しみに拍車がかかってしまう。浅川は聞くのをためらった。
「あの、智子さん、夏休みに友達と、ここのリゾートクラブに出かけたとか……」
 良美は首を横にふった。娘を信頼しているのだ。親に嘘をついてまで仲間と泊まりに出かけるような子ではない、それに第一受験生なのだからと。浅川には良美の気持ちがよく理解できる。これ以上、智子のことに触れたくはなかった。第一、受験を控えた女子高生が、男友達と貸し別荘に出かけてきますと親に断って行くはずもない。恐らく友達の家で勉強するとか嘘をついたに決まっている。親は何も知らないのだ。
「僕のほうで持ち主を捜して、返しておきますよ」
 良美は無言で頭を下げ、居間からの夫の声に呼ばれて台所から走り去った。一人娘を亡くしたばかりの父は、真新しい仏壇の前に座り込み、なにやらぶつぶつと遺影に語りかけていた。その声がぎょっとする程明るく、浅川の気は滅入る。心のどこかで現実を否定しているのだ。どうにか立ち直ってくれることを、浅川は祈る他なかった。
 浅川には、わかったことがひとつあった。野々山という人物がリゾートクラブの会員証を智子に貸していたとしたら、智子の死を知ってすぐ、会員証を返してもらおうと親に連絡を取るはずである。しかし、智子の母の良美は何も知らなかった。野々山が会員証のことを忘れているはずはない。親の家族会員であっても、高額な会費を払った以上、なくしてそのままというわけにもいかないだろう。これをどう解釈する? 浅川はこう考えた。野々山は残りの三人、つまり岩田、辻、能美のうちのだれか一人にカードを貸した。ところが、カードはなんらかの事情で智子の手に渡り、そのままになってしまった。野々山は貸した相手の親に連絡を取る。親は子供の持ち物を探る。見つかるはずがない。カードはここにあるのだ。とすると、残りの三人の家族と連絡を取れば、ひょっとして、野々山の住所が判明するかもしれない。今晩さっそく電話するべきだ。もしそれで手がかりが得られなかったら、このカードが四人に共通の時と場所の提供者であるという可能性は薄くなる。しかし、野々山にはどうしても会って話を聞きたかった。いざとなったらパシフィック・リゾートの会員番号から住所を割り出す他ない。おそらく、直接会社に問い合わせても簡単には教えてくれないだろうが、蛇《じや》の道はへび、新聞社のコネを使えばどうにでもなる。
 誰かが浅川を呼んでいた。遠くからの声、……あなたぁ、……あなたぁ。子供の泣き声に混ざり、妻の声はオロオロしていた。
「ねえ、あなたぁ、ちょっと来てくださらない」
 浅川は我に返った。ふと、今まで、自分が何を考えていたのかもわからなくなった。どことなく娘の泣き方が異常である。階段を上るほどに、その思いは強くなった。
「どうしたんだ?」
 浅川は妻を咎《とが》めるように言った。
「おかしいのよね、この子。どうかしちゃったみたい。泣き方がいつもと違うの。ねえ、病気かしら」
 浅川は陽子の額に手を当てた。熱はない。しかし、小さな手が震えている。その震えが体全体に伝わり、時々ピクンピクンと背中を揺らせている。顔は真っ赤で、両目ともぎゅっと閉じていた。
「いつからこうなんだ?」
「目を覚ました時、誰もそばにいなかったものだから」
 目覚めた時、傍らに母親がいなくて泣くことは多い。しかし、母親が駆け寄って抱きしめればすぐに治まるものだ。赤ん坊は泣くことによって何かを訴えかける、一体何を……、この子は今、何か言おうとしているのだ。甘えとは違う。小さな二本の手を顔の上で強く結んでいる。……怯《おび》え。そうだ、この子は恐怖のあまり泣き叫んでいる。陽子は顔をそらし、結んだ拳《こぶし》をわずかに開いて正面を指差そうとしている。浅川はその方向を見た。柱があった。視線を上げた。天井の下三十センチのところに掛けられた握り拳大の般《はん》若《にゃ》の面。この子は鬼の面に怯えているのか?
「おい、あれ!」
 浅川は顎《あご》で示した。ふたりは同時に鬼の面を見て、その後ゆっくりと顔を見合わせた。
「まさか、この子、鬼に怯えてるって言うの?」
 浅川は立ち上がった。柱にかかっている鬼の面を外し、タンスの上に伏せて置いた。こうすれば陽子の目に触れることはない。泣き声はピタリと止まった。
「なんだ、陽子ちゃん、オニがこわかったのぉ」
 静は、原因がわかってほっとしたのか、うれしそうに娘の顔に頬《ほお》ずりをする。浅川はどこか釈然としなかった。ただなんとなく、この部屋にはもう居たくない。
「おい、早く帰ろう」
 浅川は妻を急《せ》かした。

 夕方、大石家から帰るとすぐ、浅川は辻、能美、岩田の順に電話をかけた。リゾートクラブ会員証に関して、子供の知り合いから問い合わせがなかったかどうか聞くためである。最後に電話口に出た岩田の母親は、「息子の高校時代の先輩と称する人から電話があり、リゾート施設の会員証を貸したので返して欲しいっていわれまして……、でも、息子の部屋を隅々まで捜しても、結局何も出なくて、もう困っていたところなんですよ」と一気にまくしたてたのだった。というわけで野々山の電話番号はすぐにわかり、さっそく電話をかけることができた。
 野々山は、八月の最後の日曜日に渋谷で岩田に会い、思った通り会員証を貸したと言う。その時、岩田は、ナンパした女子高生と泊まりに行くようなことを言ったらしい。
 ……夏休みも終わりだもんな、最後にぱーっと遊ばないと、身を入れて受験勉強に打ち込めないですよ。
 それを聞いて野々山は笑った。
 ……バカヤロ、予備校生に夏休みなんてあるのかよ。
 八月最後の日曜日は二十六日、その後どこかに泊まりがけで遊びに行くとしたら、二十七日、二十八日、二十九日、三十日のうちの一日だ。九月になれば、予備校生はともかく高校は新学期を迎えてしまう。

 慣れない場所に長時間いて疲れたせいか、陽子は添い寝をしている静と一緒にすぐ寝入ってしまった。寝室のドアに耳を当てると、ふたりの寝息がかすかに聞こえる。午後の九時……、浅川にとっては心やすらぐ時間だ。妻と子が寝た後でなければ、2DKの狭いマンションに落ち着いて仕事のできるスペースはない。
 浅川は冷蔵庫からビールを出し、グラスに注《つ》いだ。格別の味がする。会員証の発見により、大きく一歩前進したことは確かだ。八月二十七日、二十八日、二十九日、三十日のうちどれか一日、岩田秀一を含む四人のグループがパシフィック・リゾートの宿泊施設を利用した可能性が極めて高い。その施設の中でも南箱根パシフィックランドにあるビラ・ロッグキャビンが一番有力だろう。距離的に見ても箱根以外の施設は有り得ないだろうし、お金のない高校生のグループが優雅にホテルに泊まるとも思えない。会員証を利用して安い貸し別荘に泊まるのが普通だろう。会員証を利用すれば、そこは一棟五千円、一人あたり千円ちょっとで利用できるのだ。
 ビラ・ロッグキャビンの電話番号は今手もとにある。浅川はテーブルの上にメモを置いた。ここのフロントに電話をかけ、野々山という名前で四人のグループが泊まったことを確認できればてっとり早い。しかし、電話してもフロントが答えるわけがない。リゾートクラブ内の貸し別荘の管理人ともなればよく訓練されていて、お客のプライバシーを守るのを義務と考えるのが当然だ。大手新聞社の記者という身分を証《あか》し、その調査目的を明確に告げたとしても、管理人は電話では絶対に教えない。ここはまず地元の支局に連絡をとり、コネのある弁護士を動かして宿帳を見せるよう頼んでもらうのはどうだろう、と浅川は考えた。こんな場合、管理人が宿帳を見せる義務が出てくるのは警察と弁護士に限られる。浅川がそういった身分を装ってもまず見破られるし、会社に迷惑がかかる。ここはちゃんと筋を通すのが安全かつ的確だ。
 しかし、その場合どうしても最低三、四日の日数がかかってしまう。浅川にはそれがもどかしかった。今、知りたいのだ。三日もがまんできないほど、事件解明にかける情熱は強い。一体、ここから出てくるモノは何なのか。もし、四人が八月の終わりに南箱根パシフィックランド、ビラ・ロッグキャビンで一泊したとして、そのことが原因で謎の死をとげたとしたら、一体そこで起こったことは何なのか。ウィルス、ウィルス。そいつをウィルスと呼ぶことが、神秘的なモノに気圧されないための強がりであることぐらいわかりきっている。超自然の力に立ち向かうのに科学の力を用いるのは、ある程度理にかなっているのだ。わからないモノをわからないコトバで論じてもしかたがない。わからないモノはわかるコトバに置き換えていかねばならない。
 陽子の泣き声を、浅川は思い出す。なぜ、今日の午後、あの子は鬼の顔を見て、あれほど怯《おび》えなければならなかったのか。帰りの電車の中で浅川は妻に聞いた。
「なあ、おまえ、陽子に鬼のこと教えたか」
「え?」
「絵本かなにかで、鬼が恐《こわ》いモノであることを教えたかい?」
「ううん、まさか……」
 会話はそこで途切れた。静は何の疑問も持たなかった。しかし、浅川は気にかかる。ああいった怯えというのは、本能的な部分を突かないと出てこない。これ、こわいモノだよと教えられて怖がるのとは違うのだ。類人猿といわれた時代から、人間はいつも何かに怯えて暮らしていた。カミナリ、台風、野獣、火山の噴火、そして闇……。だから、初めてカミナリの音と稲妻に触れた子供が、これに本能的に怯えるのはわかる。第一、カミナリは現実に存在する。しかし、……しかし、鬼は。国語辞典でオニを引けば、想像上の怪物、あるいは死者の霊魂と載っている。恐い顔をしているから鬼に怯えるとしたら、同じく恐い顔形をしたゴジラの模型にも陽子は怯えなければならない。一度、デパートのショーウィンドウで陽子は見たことがある。精巧に造られたゴジラの模型。怯えるどころか、好奇心に目を輝かせて彼女はこれに見入っていたのだ。これをどう説明する。ただ一つ明らかなのは、ゴジラはどう考えても想像上の怪物だということ。しかるに、鬼は……。果たして鬼は日本だけのものだろうか、いや、西洋にも似たようなヤツがいるぞ。悪魔……。最初の一杯に比べて、ビールの味が落ちてきたように思う。他にないだろうか、陽子が怯えるモノ。そうだ、ある。闇。この子は闇をすごく恐がる。明かりのついてない部屋には、決してひとりで入ろうとしない。そして、闇は、光の対極として、やはり、ちゃんと存在するのだ。今も陽子は、暗い部屋の中で母に抱かれて眠っている。
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发表于 2004-12-13 09:20:06 | 显示全部楼层
还是电影恐怖啦。
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发表于 2004-12-14 19:11:47 | 显示全部楼层
全完了吗?
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发表于 2005-1-23 14:28:05 | 显示全部楼层
我什么都没看到
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发表于 2005-1-23 18:32:58 | 显示全部楼层
书的3,4本比较垃圾,1,2好看些
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