本帖最后由 华南虎 于 2010-5-12 16:38 编辑
夜空に浮かぶ月のには諸説ある。地球と一緒に生まれた双子説。他の星が地球に衝突してできた巨大衝突説。別の所にあった月が地球の引力につかまった捕獲説……。だが詩人まど・みちおさんの「説」は、ちょっと変わっている。
悬挂在夜空中的一轮明月是从哪里来的?对此,有着各种不同的说法。与地球同时产生的双胞胎说;产生于其他星球与地球碰撞的巨大撞击说;地球用它的引力将本来在别处的月亮抓过来的捕获说……。然而,诗人马德•米基欧先生的“一说”却颇为奇特。
「太陽と地球」という詩はこう始まる。〈まだ 若かったころのこと/太陽は 気がつきました/わが子 地球について/ひとつだけ どうしても/知ることのできないことが あるのを〉
他的这首《太阳和地球》是这样开头的:“那时还年轻/太阳觉得/对于自己的孩子——地球/有件神秘之事/总是无法了解”
〈それは 地球の夜です/地球の夜に/どうか安らかな眠りがありますように/どうか幸せな夢があふれますように/祈りをこめて 太陽は/地球の そばに/月を つかわしました〉。地球の夜を見守るために、月はやさしい光を与えられたのだという。100歳の詩人の軽やかな想像である。
“那就是 地球的夜晚/在地球的夜晚/太阳衷心祝愿/地球能够安然入眠/能够做上一个幸福的梦/于是就在地球的身旁/派了一个月亮”。似乎是为了守护地球的夜晚,才给了月亮柔和的光线。这就百岁高龄之诗人的浪漫想象。
わが子である地球の寝顔を、夜ごとに月に聞く。まどさんの描く太陽は父親よりも母親のイメージだ。父が「背中」で語るなら、母は「まなざし」で包む。きょうは母の日。感謝とは、まなざしを送り返すことに他ならない。
每天夜里都要问问月亮自己的孩子睡得怎样。马德先生笔下的太阳不像个父亲,完全是一副慈母的模样。如果父亲是用“后背”来表达爱意的话,那么,母亲则是用其“目光”来包裹孩子的。今天,是母亲节。说到感谢,最好的方式只有回报以同样的目光。
天に星あれば、地には花と言うべきか。きのう、花屋の軒先は道までカーネーションがあふれていた。寒さで生育が遅れたが、連休の好天で取り戻したそうだ。母なる太陽から地球のお母さんたちへの、心づくしかもしれない。
对应于天上的星星,地上就该是鲜花了吧。昨天,花店门前摆满了康乃馨,一直摆放到了路边。尽管今年天气寒冷,使这些花的发育有些滞后,但黄金周里的好天气似乎已经夺回了花期。这或许就是地球之母的太阳给地球上的母亲们的一点心意吧。〈母さんと呼ばれ続けて母になる〉。教育・心理カウンセラー富田富士也さんが、胸にしみる川柳を月刊誌に寄せていた。何万遍となく呼ばせてもらったその人に、さて、きょうはどんな感謝を届けようか。
“母亲,是在不断被人呼唤后成为母亲成的”,教育•心理顾问富田富士也先生把这首发自内心的川柳寄给了月刊杂志。那么,今天我们又该将怎样的感谢呈献给被我们呼唤了千万遍的那个人呢? |