|
障子は破ろうと思えばすぐ破れる。ちょっとものが触ったり、子供が指を突いただけで破れてしまう。こんな弱い商品はない。しかし誰もが、障子は欠陥商品だから、もっと強度を上げろとは主張してはいない。この障子というものは、もののあり方の非常に良い面を示している。ものがメーカーの努力によってよくなった。丈夫になって、ちょっとやそっとでは壊れない。このことが使う側に乱暴に扱っても平気という粗暴な気持ちを養ってしまった。ものによって人間が育てられるということの逆現象である。丈夫なもの、壊れないものを使って、知らぬ間に壊れていったのは人間自身のほうだ。だが障子は、弱いがゆえにこそ、取り扱う者に丁寧な扱いを要求する。それによって、扱う者が育つ。昔ながらに、障子のあけたて一つにしても作法があるのは、そういう意味を持っているのである。
それだけではない。障子は、直すことを考えるという立場からみたとき、実にすばらしいものだ。 今日の進んだ技術の道具、例えばマイクロ.コンピューターでも自動車でも、直すときは、その故障した部分を修理するのではない。悪い部分を含めたユニット全体を取り替えてしまう。部分修理のめんどう、手間を節約したほうがより合理的だという姿勢である。仮にICが二十個ついたプリント基板があって、そのうち一個が壊れていたとすると、そっくり取り替えてしまうから、壊れていない残りの十九個も廃棄してしまう。そういう修理方法が最近ではきわめて多くなってきた。これは障子の修理の仕方と正反対である。
障子では、一箇所破れたといっても全部取り替えるようなことはしない。そればかりか、破れた桝の一五センチ角ぐらいの紙全体を切り取ってそこに新しい紙をはるというようなことさえ、初めはしない。まずは、破れた所を元に戻し、破れ目に、色紙を紅葉の葉にかたどってはるというようなことをする。すると、その障子は、修理する以前より美しくなる。たいていのものは壊れる前を100とすれば壊れて30、直して80がいいところだが、 障子は破れる前が(A)で、直せば(B)にもなる。壊れて修理したほうがより美しくなる。パリから有名なデザイナーが来て、日本の建築をあちこち見て歩いた時、破れた障子に、紅葉や桜がはってあるのに、いたく感じ入って、そればかりカメラに収めて帰ったという。
ものを直すということは人間にとって非常にだいじなことであり、道具というものに本当の愛情を感じる源でもある。修理は機械と人間とが一体となることなのだ。
問1 「もののあり方の非常によい面」とは、ここではどのようなことか。
1 丈夫でこわれないこと。
2 使う側が乱暴に扱っても平気であること。
3 取り扱う者に丁寧な扱いが必要なこと。
4 強度を上げる必要のないこと。
問2 「実にすばらしいものだ」とあるが、筆者によると、それはなぜか。
1 障子は弱いが、丁寧に扱わなければいけないから。
2 障子を扱うことによって、作法を学ぶことができるから。
3 障子の修理は、手間がかかる合理的であるから。
4 障子は、壊れて修理した後の方が美しく見えるから。
問3 (A)(B)には数字が入るが、適当な組み合わせはどれか。
1 A 80 B 100
2 A 100 B 99
3 A 50 B 100
4 A 100 B 130
問4 「修理は機械と人間とが一体となること」という言い方で筆者は何を言いたいのか。
1 素人の修理も、専門家が直すことと同様、重要なことである。
2 ものを修理することによって、ものを大切にする気持ちが育つものだ。
3 ものを修理することは、実は進歩的で合理的なっことだ。
4 ものを修理するときは、修理後の方がよりよくなるようにすべきである。
問5 左の文章のどこかに次の文章が入るが、それはどこか。
「今日、機械はどんどん進歩して、壊れたからと言って素人が手を出すことはできない。専門家にしかなおせないものほど、進歩的で価値あるものと思いがちだ。もちろんその考えもあながち間違いではない。だが、素人にすぐ直せるようなものを軽く見るようになると間違えってくる。」
1 AとBの間
2 BとCの間
3 CとDの間
4 Dの後ろ
|
|