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本帖最后由 cantarella 于 2011-12-22 13:31 编辑
▼災いを恨んだ年の暮れ、来年の賀状のあいさつ言葉に迷う人が多い。「一陽来復」の四文字を選んだ方もおられよう。衰えの極まった太陽が復活に転じる意味で、凶から吉に向かう例えでもある。暦の上では、きょうが変わり目の冬至になる
犹怨天灾的今冬年末,恐怕会有很多人对新年贺卡中的措辞感到为难吧。也许会有人用到“一阳来复”这四个字。这个词指的是衰极的太阳会再次热烈起来,也就是否极泰来的意思。从日历上来看,今天已是时令转变的冬至了。
▼昔から、この日は柚子(ゆず)湯につかり、南瓜(かぼちゃ)や小豆(あずき)粥(がゆ)を食べて息災を願った。夏の太陽は冬には植物の実に仕舞われていて、それに浴し、食することで命を養う意味があるそうだ。すたれがちな習わしだが、これに限らず、厳しかった今年は「古き良き日本」に癒やされる人が多かろう
过去,在这一天,要泡柚子浴、吃南瓜红豆粥来祛病息灾。据说,这是寓意,在冬天通过沐浴跟食用充分吸收了夏日阳光的植物果实来益寿延年。虽然这已经是不太常见的传统习俗了,不过不仅如此,严峻的今年会有许多人为“古老优秀的日本传统”所治愈吧。
▼そして、冬至を過ぎると師走も「数え日」となる。年内も指折り数えるほどになった日々を言い、せわしさは募る。先急ぎするような気持ちと、見送ってたたずむような思いが入りまじるときだ
冬至一过,腊月也就剩下“没几天”了。这屈指可数的几天,益发得忙碌了。急盼新年跟留恋旧岁这两种心情便在此时交织了起来。
▼〈時計でも/十二時を打つとき/おしまひの鐘をよくきくと/とても 大きく打つ〉。それは今日という日が別れていくため、とうたう室生犀星の詩にも似て、歳(とし)と別れる12月の打つ鐘が、今年はひときわ大きい
“午夜零点钟声响,第十二下最大声,这是他在告诉你,今天最后的时刻。”因为,要跟今日作别,所以格外大声,如同室生犀星诗中所说的那样,今年作别去年的12月末点钟声也会特别大声吧。
▼今日という日が〈地球の上にもうなくなり……茫々(ぼうぼう)何千年の歳月に連れこまれる〉と犀星の詩は続く。2011年も間もなく過去の歳月にまじる。忘れたいこと。忘れ得ぬこと。忘れてはならないこと。誰もがかみしめつつの数え日となる
犀星的诗接着说道,所谓的今天是指“世间此刻已无有,万千岁月携同去。”2011年不久就要跟过去的岁月交织在一起了。想要遗忘的事情,忘而不得的事情,不能忘却的事情,所有人都应该在这屈指可数的几天内细细体味一下。
▼列島はクリスマス寒波の到来だが、冬至の日に一陽来復を願う心には、素朴な再生への祈りがある。早い日暮れに灯(とも)る明かりのどの窓にも、人の幸いがあればいい。
圣诞寒流即将来袭列岛,在冬至的这一天,祈愿“一阳来复”的心情中也饱含着对于新生的素朴祈求。冬日日暮早,万家灯火起,无论何窗前,幸福便为好。 |
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