|
本帖最后由 fuyc 于 2012-3-27 08:54 编辑
中国文化只剩下《茉莉花》了? 中国文化には「ジャスミン」しか残っていない?
《茉莉花》是众多民间歌曲中脍炙人口的一首,自打一位意大利的作曲家把它写进自己的一部歌剧后,开始为西方人所知晓.中国人一看,原来老外喜欢这,于是凡对外演出,几乎没有不演奏这个曲子的,今天是《茉莉花》,明天是《茉莉花》,你也是《茉莉花》,他也是《茉莉花》,好象中国再没有其他的好歌曲似的.不可否认,《茉莉花》旋律很优美,但是,再好听的曲子也有听腻的时候不是?说实话,我是有些"审美疲劳"了.
→ 多くの民謡の中、「ジャスミン」は一番よく演奏される曲の一つで、イタリアのある作曲家に、あるオペラに組み入れられた後、西洋人は、これを知り始めた。「なるほど、外人はこれが好きなんだ!」中国人はぱっと悟った。それから、対外演出では、この曲を演奏しない場合はない。いつにしても、誰に対しても、「ジャスミン」だ。まるで、中国には、他の良い曲がないようだ。確かに「ジャスミン」のリズムは素晴らしい。だが、いくら素晴らしい曲にしろ、あんまりにも繰り返して演奏すると、飽きてしまうのだろう。実は、私は多少この曲がうんざりだと思っているのだ。
不得不说,这是一种偷懒的做法.一到演出,连想都不要想,就把《茉莉花》推上去了,多省事啊!什么构思,什么设计,什么创意,还需要挖空心思,煞费苦心吗?不用!统统地省了!只要上《茉莉花》就行.于是,导演们苦思冥想的功夫,都换成了彩排时那轻松地一喊:翠花,上《茉莉花》!
→ 「これこそ、一種の手抜き」と言わざるをえない。演出に際して、一考だにしなく「ジャスミン」を出してしまう。手間を省くことだね。構想・創意・設計なんか要るものか!脳みそを絞ったり苦しんだりする必要性がどこにあるのか?一切合切必要ないの!何もかも省かれてしまった。「ジャスミン」があるだけでいいの!そこで、監督さんらの練りに練った工夫は、リハーサル時の楽な一声:”ウェートレスのお姉ちゃん、ジャスミンを!”にされてしまった。
作为对外宣传的文艺工作者,理应把中国文化中优秀的东西尽可能多的介绍出去.可是不,他们眼里只有一个《茉莉花》,外国人心里的中国也就只有一个《茉莉花》,正如单单一朵茉莉花不能代表整个春天,单单一首《茉莉花》曲子就能代表整个中国音乐吗?
→ 対外宣伝担当の文芸従事者にとっては、中国文化中の優れたものをより多く外国に紹介するのが本分だが、結局、彼らの目には「ジャスミン」しかない。それなりに、外国人の心にある中国要素も「ジャスミン」しかない。ただ一つのジャスミンの花は春を表しきれないことと同じように、ただ一曲の「ジャスミン」は中国音楽の全部を体現できない。これは間違いないだろう?
有人可能说,演奏其他曲子,外国人不熟悉啊!那我说,不熟悉才要演哪,我相信,只要是好听的曲子,外国人也会慢慢地由不熟悉到熟悉,由不喜欢到喜欢.如果仅仅挑选外国人熟悉的东西,仅仅是照顾和迁就他们的认识,因而总是摆弄那几样老俗套的东西,那我说,外国人对中国的认识就永无扩大和提高的可能.他们就会以为,中国音乐里只有《茉莉花》,中国戏剧里只有京剧,中国妇女的着装就是旗袍,中国男人成天就穿着练功服,不是打少林拳,就是练太极!
让外国人产生了对中国的误解,这究竟是谁的过错呢?
「他の曲を演奏すると、外人は馴染んでこない」とコメントする方がいるかもしれないが、「だからこそ演奏の意味がある」と、私はこれを言いたい。素晴らしい曲さえあれば、外国人はだんだん馴染んでいく、だんだん好きになっていくはずだと信じている。慣れているものしか選ばないというのは、外国人の認識に迎合することに過ぎないので、いつもいつも古臭いものを振りかざし続ける限りは、中国に対する認識を拡張・向上してくれない。だから、「中国音楽にはジャスミンしかない。中国芝居には京劇しかない。中国女性の服装はチャイナドレスで、中国男性は一日中稽古服を着て少林拳しない場合、絶対に太極拳をする。」と、外国人らはそう思い込むのだ。
外国人に、中国に対する誤解を招いたというのは、一体誰のせいだろうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
めちゃくちゃな和訳になっていますが、ご指摘・ご加筆をいただきたいです。
よろしく願いいたします。 |
|