咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
查看: 3886|回复: 24

赤川次郎 [南十字星]

[复制链接]
发表于 2005-1-6 20:06:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
   目 次

1 走り出す美女
2 奈々子、溺《おぼ》れる
3 奈々子、踊る
4 友人か犯人か
5 どっちもどっち
6 出て来た女
7 尾行と出前
8 とんでもない話
9 悩みは深し
10 標的は誰か
11 出 発
12 話しかけて来た男
13 最初の武勇伝
14 冴《さ》えた奈々子
15 ディスコの男
16 押し倒されて
17 突然のラブシーン
18 金髪の彼氏
19 消えた奈々子
20 とらわれの奈々子
21 広告は呼ぶ
22 情は人の……
23 謝罪のケーキ
24 ぶら下った男
25 月下のボート
26 朝の光景
27 逃走の森
28 森田の災難
29 犠牲的精神
30 ルミ子の無鉄砲
31 炎が照らす顔
32 闇《やみ》の中に
33 集 合
34 炎
35 南十字星
エピローグ
回复

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:08:21 | 显示全部楼层
1 走り出す美女

 カチッという音が聞こえた。
 万年筆のキャップをはめた音だったらしい。その若い女性は、細身の赤い万年筆を、静かにテーブルに置くところだった。
 そして、そっとため息をついたのだ。
「いいなあ……」
 と、その女性を眺めていた奈《な》々《な》子《こ》もため息をついた。
「何が?」
 カウンターの中でコーヒーカップを洗っていた店のマスターが、奈々子のため息を聞きつけて、訊《き》いた。
「え?――ああ、あの窓際の女性」
「美人だね」
 と、マスターは見もせずに言う。
「へえ、ちゃんと分ってんだ」
「もちろん。店に入って来た時から気が付いてるよ」
 もう五十がらみで、大分髪の白くなりかけたマスターは、この店を開いて二十年近い。客が入って来たのを気付かないなんてことはないのだろう。
「ああいう美人がため息をつくと、風《ふ》情《ぜい》があっていいわね」
「奈々ちゃんだって、悪くないよ。消化不良みたいで」
「澄まして残酷なこと言うんだから、二十歳のうら若き乙女に」
 と、奈々子はマスターをにらんでやった。
 まあ、浅田奈々子自身も、自分がため息の似合うような繊細さを感じさせるタイプでないことは承知している。丸顔で、どっちかというと少し下ぶくれのふくよかな顔、そして肩の張った、がっしりした体格。
 でも、こうしてジーパンはいて、大きなエプロンをして立ち働くには、誰にも負けないくらい向いているのだ!
「――すみません」
 窓際の女性が、囁《ささや》くような声で言った。
 こんな小さな喫茶店だから聞こえるけれど、もっと広くて、BGMをガンガン流している店だったら、とてもその声はカウンターまで届かないだろう。
「はい」
 奈々子は盆を手に、急いでそのテーブルへと飛んで行った。
「あの――紅茶をもう一杯。それと、糊《のり》はありますか?」
「のり……。あ、くっつける糊ね」
 まさか喫茶店で海《の》苔《り》を注文する人もないだろう。
「封筒に封をするだけですから」
「じゃ、何か持って来ます」
 奈々子は、空になったティーカップを盆にのせて、さげて戻《もど》った。
「――これ、使ってもらって」
 と、マスターがレジの下から、スティック式の糊を出す。
「はい。それと紅茶一つ」
「何か頼まなきゃ悪いと思ってるんだね」
 と、マスターは低い声で言った。
 そう、奈々子もたぶんそうだろうと察していた。本当は、飲みたいわけじゃないのだろうが。
 糊を持って行くと、その女性は、白い封筒に、さっきまで書いていた手紙をたたんで納め、糊づけして、きちんと封をした。
「どうもありがとう」
 と、糊を返してくれるのを受け取って、奈々子は、その封筒の差出人が、〈美《み》貴《き》〉となっているのを見た。
 美貴か。――こういう女《ひと》にはピッタリね。私、美貴なんて名じゃなくて、良かった。
 二十四、五歳だろうか。真直ぐに背筋を伸ばして座っているところが、いかにも、しつけのいいお嬢様って感じだ。でも、左手の薬指にはリングが光っている。
 まぶしげに、外を眺める彼女の横顔は、でも、どこか寂しげだった。
 窓の下は、渋谷の雑踏。平日の昼間に、どこからこんなに大勢の人が出て来るのかと、毎日ここへ通って来る奈々子だって不思議になるくらいだ。それも、どう見ても高校生とか、せいぜい短大生くらいの若い女の子たち……。
 こういう場所には、この〈美貴〉という女性はあまりそぐわない感じだった。
「奈々ちゃん。紅茶」
 と、マスターに呼ばれて、奈々子は急いでカウンターへ戻る。
 すると――その窓際の女性が、立ち上って、薄いコートとバッグを手に、やって来た。
「すみません。もう時間がないので。その紅茶の分、お払いして行きますわ」
 と、バッグを開ける。
「いや、これは結構ですよ」
 と、マスターが言った。「こっちで飲んじゃいますから。どうせ息抜きの時間ですし」
「でも、それじゃ申し訳ありませんから」
「いいんです」
 と、奈々子が言った。「私、飲んじゃおう」
 さっさとカップを取って、一口飲んで、熱いので、目を白丹护俊
「すみません。じゃ、一杯分だけ……」
 と、代金を払う。
「――去年の秋ごろ、おいででしたね」
 と、マスターがおつりを出しながら言った。
「ええ、ご存知?」
「何となく憶《おぼ》えていて。確かお二人で――」
「夫です」
 と、その女性は言った。「でもあの時はまだ婚約中でした」
「そうですか。何だか、式場のパンフレットをご覧になっていたような」
「ええ、そうでした。――あの時は、式の十日前ぐらいだったかしら」
 その女性の顔に、ふと微笑が浮んだ。「この前を歩いていて、私、このお店の名前が好きで、入ろうって言ったんです」
「ここの名前が?」
「ええ。――〈南十字星〉って、私、一度オーストラリアかニュージーランドへ行って、南十字星を二人で眺めたかったものですから」
「お二人で? いいなあ」
 と、奈々子が口を挟む。「じゃ、ハネムーンに?」
「いえ、新婚旅行はヨーロッパで。夫の仕事の都合もあったんです」
 なぜか、その女性はちょっと早口になって、「ごめんなさい、つい余計なおしゃべりで、お仕事のお邪魔をしてしまって」
「いや、とんでもない。またどうぞ」
 と、マスターが言った。
「どうもありがとう」
 財布をバッグへ納めると、その女性は、店の出口の方へと歩き始めた。――と思うと、ふらっとよろけて、その手からコートとバッグが落ちる。
「危《あぶな》い!」
 奈々子が、駆け寄って支えた。
「ごめんなさい……。ちょっと貧血を……。大丈夫です」
「少し休んだ方がいいですよ」
「いいえ、大丈夫。――行かなきゃならないので」
「でも、無理すると……」
「成田に、四時までに行かないと。迎えに行く約束になってるので」
 その女性は、少し目をつぶって、深呼吸してから、「――もう何ともありませんから」
 と、肯《うなず》いて見せた。
 奈々子は、マスターの方を見た。
 
 春の陽射しは暖かかった。
 車が成田空港の到着ロビー前に着いた時、奈々子は、車内の暖かさに、ウトウトしかけていて、
「お待ち遠さま」
 という哕炇证紊恕ⅴ膝盲饶郡櫎幛俊
「こんな所までごめんなさい」
 と、三《さえ》枝《ぐさ》美貴は言った。
「いいえ。どうせ暇ですもの」
 奈々子は、そう言って欠伸《 あ く び》をした。
「駐車場の方でお待ちします」
 と、哕炇证丧ⅳ蜷_けてくれながら、言った。
「――何とか間に合ったわ」
 と、三枝美貴は、腕時計を見た。「もう、飛行機が着いているかどうか見て来るから」
「この辺にいますよ」
 と、奈々子は肯いた。
 また欠伸が出て来る。
 あの美貴という女性の顔色がなかなか元に戻《もど》らないので、マスターが奈々子に、ついて行ったら、と言い出したのだ。
 奈々子としては別に、そう忙しいわけでなし、構わなかったのだが、正直なところ、客の一人にそこまでしてやるのもどうかと思った。しかし、マスターがいやにすすめるのと、美貴自身も、ついて来てほしそうな様子だったので、こうしてやって来たのである。
 エプロンを外して、店を出る時、マスターが、
「あの人の様子に、よく気を付けていた方がいいよ」
 と、奈々子に囁《ささや》いた。
 どういう意味なのか、奈々子にはよく分らなかった。ハイヤーを使ってここまで来るのなら、何も「付添い」まで必要あるまい、って気もしたのである。
 しかしまあ……。どうせなら、来てしまったのだから、少し見物でもして。――でも海外旅行なんてしたこともない奈々子としては、到着口から、両手で持ち切れないくらいの荷物をかかえ、くたびれた顔でゾロゾロと出てくる新婚さんたちを眺めていても、あんまり面白くはない。
 結婚シーズンではあるし、当然ハネムーンの客が多いのだろうが、中には早くも険悪なムードのカップルもないことはなく、
「ざま見ろ」
 なんて、つい言ってみたくもなる奈々子だった。
 でも――あの三枝美貴って女性、一体誰を迎えに来たのだろう? 当然ご主人、かと思って訊くと、
「いいえ、そうじゃないの」
 と、首を振るだけ。
 何となくよく分らない女性ではある。
「――少し早く着いたんだわ」
 と、美貴が戻《もど》って来た。「もう出て来るところですって」
「出口はここだけなんでしょ? じゃ、ここで待ってれば、必ず――」
「ええ。そうなの。でも――」
 美貴が震えているのに気付いて、奈々子はびっくりした。気分が悪いというのとは少し違うようだ。極度に緊張しているらしい。
 一体誰を迎えに来たんだろう?
 出口からは、切れ目なく人が流れ出して来る。同じバッジを胸につけたツアーの団体、先頭の添《てん》仭钉袱瑜Α穯T《いん》は旗を手に、もうくたびれ切った表情で、最後の力をふり絞って、
「みなさん、こちらへ!」
 と、叫んでいる。
 ああいう商売も楽じゃないわね、と奈々子は思った。タダで旅行ができる、なんて羨《うらやま》しがっていたこともあるが、とんでもない話らしい。
「――来ました?」
 と、奈々子が訊《き》くと、美貴は黙って首を振った。
 まるで憎い敵が出て来るのを待っているように、固くこわばった表情である。
 ツアーのグループにまじって、あまり荷物の多くない、ビジネスマン風の男性が目に入った。スーツにネクタイで飛行機から下りて来る姿が、さまになる、ちょっとインテリタイプの男性である。
 その男性が、奈々子に目を止めた。と、思ったのはもちろん奈々子の間違いで、当然、向うは美貴を見ていたのである。
「あの人? 気が付いたみたいですよ」
 と、美貴の方を向いて言ったが、美貴は全く聞いていない。
 ただひたすらその男の方を見ているだけだった。その男がやっと人の流れから抜け出して、美貴たちの方へと歩いて来る。手にしているのは、小さなハードタイプのボストンバッグ一つ。いかにも旅慣れた印象である。
 その男が、足を早めて、美貴たちまで数メートルの所まで来た時だった。
 突然、美貴が男に背を向けて、駆け出したのだ。奈々子もびっくりしたが、その男の方も愕《がく》然《ぜん》とした。
「美貴さん!」
 奈々子は、自分でもよく分らない内に美貴を追って走り出していた。
 ただでさえ混み合ったロビーである。そこを走るというのは、容易なことではない。
 奈々子は、何だか知らないが、ともかく美貴の後を追っかけた。
 途中、二、三人は突き当ったり引っかけたりしたかもしれないが、ともかくいちいち振り返っている余裕はなかったのだ……。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:09:45 | 显示全部楼层
2 奈々子、溺《おぼ》れる

「――どうですか、美貴さん」
 と、奈々子は訊いた。
「うん。眠ってる。大分脈も落ちついたようだ」
「じゃ、良かった」
 奈々子は時計を見て、びっくりした。もう七時近くになっている。
 ここは成田の空港に近いホテルである。
 ベッドでは、鎮静剤を射たれた三枝美貴が服を着たままの格《かつ》好《こう》で眠っていた。
「悪かったねえ、君。何の関係もないのに」
 と、その男は、椅《い》子《す》にかけて、「僕は野田というんだ。美貴さんの亭主の古い友だちでね」
「浅田奈々子です」
「いや、助かったよ。君が抱き止めてくれなかったら、今ごろ美貴さんはバスにひかれてただろう」
「いいえ、撙激盲郡坤堡扦埂筡
「膝《ひざ》、すりむいてたね。大丈夫かい?」
「ええ、こんなもん。私、大体ドジですから、日に二、三度は手を切ったり転んだりしてるんです」
「お礼に――ってわけでもないけど、何か食事でも取ろうか。彼女にもサンドイッチでも取っておくから。何しろ飛行機の中じゃ眠りこけてたもんでね」
「でも、私、もう帰らないと」
「遅くなると、ご両親が心配するかな」
「私、一人住いですから。でも、私がいても何だか……」
「構わないよ。それに帰りも送らせてもらわなきゃ。美貴さんもきっと気にするから」
「そうですか。――それじゃ」
 正直なところ、さっきからお腹がグーグー鳴っているのを、野田に気付かれないかとヒヤヒヤしていたのだ。
 野田が電話でルームサービスの注文をした。奈々子はカレーライスを頼んで、つい、いつものくせで、
「ライス大盛り」
 と、言いそうになったのだった……。
「――きれいな人ですねえ」
 と、奈々子は言った。
「美貴さんかい? うん。大学でも、評判だった。家は名門だし、誰が彼女を射止めるかってね。――結局、僕の友人で、三枝という男が、彼女と結婚したんだ」
「でも――どうして空港で、あんなことを……」
 野田は、ちょっと眉《まゆ》をくもらせた。奈々子はあわてて、言った。
「いえ、いいんです、別に。ただ――ちょっと気になったんで」
「僕が深刻な顔をしてたせいかな」
「え?」
 そりゃまあ、この野田という男、なかなか悪くない顔ではあるが、しかしそれだけのことで……。
「いや、美貴さんにとっては、僕の帰りが、待ち遠しくもあり、怖くもあったんだ」
 野田は、ベッドの上の美貴へ目をやった。「自分の夫が生きているのかどうか、分るかもしれなかったんだからね」
 奈々子も美貴の方へ目をやった。
 ベッドの上に横たわって、眠りに落ちている美貴は、まるで子供のように見える、と奈々子は思った……。
「生きてるかどうか、って……。どういうことなんですか」
 と、奈々子は訊いた。
「三枝成《しげ》正《まさ》というのが、彼の名なんだけどね」
 と、野田は言った。「ハネムーンでドイツへ行った時、三枝は行方不明になってしまったんだよ」
「行方不明……。事故か何かで?」
「分らない。ただ、突然姿を消してしまったんだ。――もちろん彼女は必死で夫を捜した。しかし、結局は諦《あきら》めて、帰国せざるを得なかったんだ」
「へえ」
 同情よりも何よりも、そんなことが本当にあるのか、という驚きの方が先に立ってしまう。
「三枝の実家でも、もちろん大騒ぎで、あらゆる手を打って、現地の警察に捜査も依頼した。しかし、遠い国のことだからね。はかばかしい進展はなかった」
「でも、一体どうしちゃったんでしょう」
「さあ……。で、美貴さんに頼まれて、僕が向うへ出向いて来たわけなんだ」
「何か分ったんですか」
「いや、だめだね」
 と、野田は首を振った。「向うの警察も、もちろん気にはしてくれている。だけど、日本からの観光客が一人、どこかへ行ってしまった、というくらいじゃ、大捜査網をしいちゃくれないんだ」
 それはそうかもね、と奈々子は肯《うなず》いた。
「でも――可《か》哀《わい》そうですね、美貴さん」
「うん。何かつかむまでは、と思ったんだけどね。いくら頑張っても、見当がつかない。――僕が、いい知らせを持って帰らなかったと分ったんで、そのショックで逃げ出してしまったんだろうな」
 奈々子は、やっぱりハネムーンは国内にしよう、などと呑《のん》気《き》に考えていた。
 ルームサービスが来て、奈々子は美貴の身の上(?)に大いに同情しつつも、カレーライスをアッという間に平らげたのだった……。
 
「――ただいま」
 奈々子は、アパートのドアを開けて言った。
 待てよ、奈々子は一人住いじゃなかったのか、と首をかしげる方もあるだろうが、奈々子の同居人は口をきかない。
 実物大のコアラのぬいぐるみである。あの〈南十字星〉のマスターのプレゼントなのだ。
 明りを点《つ》けて、アーアと大欠伸。
 もう夜も遅くなっていた。
 三枝美貴も、眠りから覚めると、すっかり落ちついていて、奈々子や野田と一緒に、サンドイッチを食べ、野田の話に耳を傾けていた。
 そして、待たせてあった車で、このアパートまで奈々子を送ってくれたのである。
 やれやれ。まあ、あの美貴って人も気の毒だけど、でも、こんな六畳一間のアパート暮しのわびしさは分んないでしょうね。
 夫がハネムーンの途中で蒸発なんて、そりゃ悲劇には違いないけど。
 着替えるのも面倒で、ぼんやりと畳の上に座っていたら、電話が鳴り出した。
 独り暮しだから、電話は必要だが、いたずらに悩まされることにもなる。用心しつつ、受話器を上げると、
「奈々ちゃんかい?」
「マスター。今、帰って来たんです」
「いや、気になったんで、何度か電話していたんだ。そりゃ大変だったね」
「いいえ」
 奈々子は、受話器を持ったまま畳の上に引っくり返って、今日の出来事を話して聞かせた。もちろん、何から何までってわけにはいかないが、ともかく珍しい話題には違いない(美貴には申し訳ないが)。
「――ふーん。何かありそうだな、とは思ったけどね」
「ねえ。私、ハネムーンの時は、亭主をロープで縛ってよう」
「まず相手を見付けろよ」
 と、マスターは笑って言った。
「それは言えてますね」
 と、奈々子も笑った。「でも、マスターはどう思います?」
「その行方不明の旦那かい? ま、さらわれたか、襲われたかだね、一つの可能性としては」
「強盗とかですか」
「うん。でなきゃ、自分で姿をくらましたかだ」
「自分で、って……。どうしてそんなことを――」
「たとえば、向うで方々見て回るだろ? その先々で、当然、他のツアーの観光客とも出会う。その中に誰かたまたま前に知っていた女がいて、二人で逃げる、とか」
「へえ! マスターって想像力豊か!」
「からかうなよ。しかし、そんな可能性だってあるじゃないか」
「そりゃそうですね。あの人に教えてやったらいいわ」
「ま、これは無責任な推理に過ぎないからね」
「でも、あの美貴って人、何となく助けてあげたくなるタイプなんですよね。――ご主人を信じてるから、そんなこと言われても、きっと『まさか』って言うでしょうね」
「ただの事故かもしれないしね。いつかも、中年の婦人が、列車から落ちて、何か月もして見付かったことがある」
「へえ。人間、どこで災難に遭うか分りませんね」
「ともかく、ご苦労さん。明日はいつも通り出られるかい?」
「もちろん出ます」
 と、奈々子は言った。「じゃ、おやすみなさい、マスター」
「おやすみ」
 マスターと話をしたら、少し目が覚めた。
 奈々子は、お風呂に入ることにして、浴《よく》槽《そう》にお湯を入れながら、服を脱いだ。
 コアラのぬいぐるみが、奈々子を見ている。
「こら! 失礼だぞ、あっち向け」
 と、奈々子は言ってやった。
 ――南十字星を二人で見たい。
 美貴の言葉を、奈々子は思い出していた。
 そうね。私だって……。
 奈々子は、コアラの頭をポンと叩《たた》くと、
「君の本物にも会いたいね」
 と、言ってやった。
 もちろん、二人でもいいが、一人だって構やしない。
 オーストラリアだのニュージーランドだの、ハネムーンとなりゃ、結構費用も馬鹿にならないから、まず望み薄だろう。
 今のお給料じゃ、そんなに貯金するまで待ってたら、いくつになっちゃうか。
 ふと、野田のことを思い浮かべた。
 なかなか素敵な人だったなあ。もちろん、恋人がいないわけはないけど。でも、きっとあの人は、美貴さんに惚《ほ》れてるんだ。
 もし、三枝という人が結局見付からずに終ったら、美貴さんは野田って人と……。
「私には関係ないか!」
 奈々子は、一つ深呼吸をして、「お風呂だ!」
 と、裸になって浴室へ駆け込んだ。
 小さなお風呂場である。足が滑《すべ》った奈々子は、みごとに頭から浴槽へと突っ込んだのだった……。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:11:19 | 显示全部楼层
3 奈々子、踊る

「ウォー」
 ライオンが咆《ほ》えたわけではない。浅田奈々子が欠伸《 あ く び》をしたところだった。
「今日は暇ですね、マスター」
 と、奈々子は、カウンターにもたれて、空っぽの店の中を見渡した。
「こんな日もあるさ」
 マスターは、のんびりと新聞など広げている。
 本当に不思議なもので、特別に休日とかいうわけでもないのに、混雑する日というのがあると思うと、表は結構人が歩いているのに、店はガラガラってこともあるのだ。
 ま、これだから面白いので、これが毎日、必ず八割の入り、とかいうのだったら、却《かえ》って妙なものだろう。
 そして、暇な日というのは本当に全然客が入らないもので、それはもう何時になっても同じことなのである。
「今日は開店休業日だね」
 と、マスターは、新聞をたたむと、「ねえ奈々ちゃん」
「何ですか」
「こんな日は、まず客が来ないよ」
「そうですね」
 もう閉めようか、と言うのかと思って、奈々子は「儲《もう》かった」と思った。だが――。
「今、新聞見てたらね、前から行こうと思ってた展覧会が、今日でおしまい、って出てたんだ。行って来たいんだけど、君、留守番しててくれるかい?」
「あ、そう――です、か」
 奈々子は、がっかりしたのを声に出さないように努力しつつ、「どうぞ。別に私、予定もないし」
「悪いね。閉店までに戻るから」
「どうぞ。私だって、コーヒーや紅茶ぐらい出せますもん」
 それ以外はだめなんである。
「もしお客が来たら、作る人が休んじゃってとか、適当にやっといてよ」
「はあい」
 いつも親切にしてくれるマスターのためだ。ま、たまにはいいか。
「じゃ、よろしく」
 マスターは、エプロンを外し、ベレー帽などヒョイと頭にのっけて、もう画伯の気分で、ちょっと手を上げて出て行く。
「ありがとうございました!」
 奈々子は元気よく呼びかけて、マスターをずっこけさせたのだった……。
 ――アーア。
 また、欠伸が出る。
 何もカウンターの外に立ってる必要ないんだ。私が「マスター代理」なんだから。
 カウンターの中に入っても、別に目が覚めるわけじゃない。小さなスツールに腰かけて、またまた眠くなる。
 キーン、と飛行機の音が、かすかにガラス越しに聞こえて来た。
 飛行機。――外国。
「そうだ」
 あの、三枝美貴って人、どうしたんだろう?
 美貴を成田まで送って行って、野田という男に会って……。あれから、もう半月ぐらいたつ。
「いい男だったわね、なかなか……」
 と、独《ひと》り言《ごと》。
 でも、ろくに顔なんか、憶《おぼ》えちゃいないのである。ただ、もやっとした輪《りん》郭《かく》ぐらいのもんだ。
 無事に旦那は見付かったんだろうか? それとも、セーヌ河辺《あた》りに死体が浮んだんだろうか。
 ドイツ旅行じゃ、セーヌ河は流れてないかしら?
 勝手なことを考えていると、電話が鳴り出して、ウトウトしていた奈々子は、
「ワッ!」
 と、仰天して、目を覚ました。「何よ、もう!」
 電話に文句言っても仕方ない。奈々子は受話器を取った。
「はい、〈南十字星〉です」
「もしもし。あの――そちらで働いている女の方……」
「私ですか?」
「お名前、何とおっしゃいましたっけ」
 おっしゃる、ってほどの名じゃないですけどね。
「浅田奈々子ですけど……」
「あ、そうだわ。奈々子さんでしたね」
 え? その声は、もしや――。
「三枝美貴さん?」
 と、奈々子は訊《き》いた。
「そうです。まあ、憶えてて下さったの」
 美貴の声が、嬉《うれ》しそうに弾《はず》んだ。
「もちろんです。――あの、その後は?」
「ええ。主人のことは相変らずです」
 見付かってないのか。ま、でも死体も上っちゃいないということだ。
「早く何か分るといいですね」
「あの、奈々子さん」
 と、美貴は早口に言った。「厚かましくて、気がひけるんですけど、お願いがあるんですの」
「何でしょう?」
 また成田行き? ごめんよ、そんな遠い所まで。
「そちらのお店に、もうすぐ、男の人が行くと思うんです」
「男の人……」
「ええ。週刊誌を丸めて持っているはずですわ」
「目印ですね」
「その人が行ったら、私がそこへ行くまで、引き止めておいてほしいんです」
「え?」
「私も急いでそちらへ行きます。でも三十分はかかりそうなんです」
「はあ」
 奈々子は肯《うなず》いて、「じゃ、美貴さんがおいでになるまで、その男の人を引き止めとけばいいんですね?」
「そうです。でも、私のことはその人に言わないで下さい」
「はあ……」
「できるだけ早く行くようにします。――あ、車が来たわ。じゃ、お願いします」
「ええ、あの――」
 電話は切れてしまった。「何でしょね」
 やっぱり、お金持のお嬢さんだけのことはあるわ、と思った。自分の用だけ言って、パッと切っちゃうあたりが……。
 あと三十分ね。――ま、それぐらいなら、たとえ今すぐ来たとしても、こんな店の客は、たいてい二十分や三十分、居座ってるもんだからね。
 と、思っていると、店の戸が開いた。
「いらっしゃい――」
 ませが抜けてしまって、魚屋さんかお寿司屋さんみたいに威勢よくなってしまった。
 背広姿の、四十代の男。週刊誌を丸めて持っている。
「もう来たのか」
 と、奈々子は呟《つぶや》いた。
 男は、店の中をザッと見渡すと、窓際の席について、
「コーヒー」
 と、言った。
「はい、ただいま」
 もうちっと、手間のかかるもん頼みゃいいのにね、と奈々子は思った。頼まれても、奈々子には作れないのだが。
 水のコップを撙螭切肖取ⅳ猡σ欢去Ε螗咯`まで行って、今度はメニューを持って行った。
「コーヒーって頼んだろ」
「ええ。でもお気が変ることもあるかと思って」
「いいよ。コーヒーで」
「そうですか。ケチ」
「ん?」
「いえ、別に」
 奈々子はカウンターに戻《もど》った。
 コーヒーか。ま、お湯はいつも沸《わ》いてるし、フィルターの用意も粉もあるし……。
 二、三分でできるんだけど。それじゃ三十分は、もたないかもしれない。
 豆から挽《ひ》いてやろ。――奈々子は、缶《かん》から新しい豆を取り出した……。
 
「――コーヒー、まだ?」
 と、男がうんざりしたような声を出す。
「今、お湯を沸かしてます」
 奈々子は平然と言った。「コーヒーは心です。この店は、真心のこもったコーヒーを――」
「分ったから、早くしてくれ」
 男が苛《いら》立《だ》つのも無理はない。
 もう二十分もたっているのだ。
 早く来ないかな、美貴さん。――これ以上は引きのばせない。
 コーヒーをドリップで落とすと、男のテーブルに撙螭切肖
「お待たせいたしました」
「本当だよ」
 男は渋い顔で、「いつもこんなにのんびりしてんのか、この店は?」
「ゆとりを持って、働いてる、と言って下さい。都会の中のオアシス。せかせかした現代人の心のふるさと――」
「分った、分った」
 男は、ミルクをドッと入れ、砂糖をドカドカ入れて、飲み始めた。
 あと七分だ。――ま、何とかもつだろう。
 奈々子が安心してカウンターの奥へ戻《もど》ると、
「お金、ここに置くよ」
 と、言って、男が立ち上ったので、奈々子は焦《あせ》った。
「もう? もう飲んじゃったんですか?」
「ああ。まあ、なかなかの味だったよ」
 と、男が出口の方へ歩き出そうとする。
「お客さん!」
 奈々子は、客の前に立ちはだかった。
「何だい?」
「あの――もう一杯いかがです?」
「いや、もういいよ」
「そんなこと言わないで! ね、もう一杯飲んだら、タダ!」
「タダ! 前のも?」
「そう! 飲まない手はありませんよ」
「へえ。変ったサービスだね」
「ね、いいでしょ?」
「じゃあ……もらうよ」
 と、男は席に戻った。
 二杯目をいれて撙证取⑷证^ぎていた。
 しかし――美貴が一向に現れないのである。
「――やあ、旨《うま》かった。本当にタダでいいの?」
 今さら、だめとは言えない。
 だけど――何て早いの、この人、コーヒー飲むのが!
「じゃ――」
 と、男が立ち上ろうとするのを、
「待って!」
 と、奈々子は飛んで行った。「お客さん、カラオケ、好き?」
「カラオケ?」
「そう。好きそうな顔してる! マイク握ったら離さないんでしょ」
「まあね」
 と、男は笑った。
「上手なんでしょ。いい声してるもん」
「女の子によくそう言われるよ」
「聞いてみたいわ! 何か一曲!」
「いや――だって、こんな昼間に?」
「いいじゃない! 時と場所を選ばないのが、本当の名人!」
「だけど――ここ、カラオケなんて、あるの?」
 そうだった。この店にカラオケのあるわけがない。
「あのね――私、私がやります」
「カラオケを!」
「ええ、タータカタッタ、ズンパンパン、とか」
「面白い子だね、君」
 と、男は笑い出した。「でも、用事があるんでね、悪いけどこれで……」
 まだ美貴は来ない。――奈々子はぐっと凄《すご》んで、
「ちょっと!」
 と、男をにらみつけた。
「な、何だよ?」
 男が思わずのけぞる。
「コーヒー二杯飲んで、逃げる気?」
「しかし――君がタダだ、と――」
「代りに条件があるのよ。分った? おとなしく座ってないと、一一〇番するからね!」
「わ、分った……」
 男は目を白丹护啤⒁巍钉ぁ纷印钉埂筏廿丧盲妊颏恧筏俊
「私の歌を聞いてからでないと、帰さないわよ!」
 と、言ってから――だめだ、と思った。
 何しろ奈々子、えらい音痴である。歌の方は全然だめなのだ。――どうしよう?
「聞くよ、聞くよ」
 男は、情ない顔で、「早く歌ってくれ」
「うるさいわね!」
 と、奈々子は怒《ど》鳴《な》りつけた。「今、何を歌うか、考えてんじゃないの! おとなしく待ってなさい!」
「す、すみません……」
 男は、椅子に座り直した。
 結局――美貴が店へ駆け込んで来たのは、さらに二十分後。
 美貴は、たった一人の男の客の前で、盆踊りを踊っている奈々子を見て、唖《あ》然《ぜん》としたのだった……。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:12:23 | 显示全部楼层
4 友人か犯人か

「馬鹿にしてるわ、本当に!」
 と、奈々子は憤《ふん》然《ぜん》として言った。
「ごめんなさい。何とお詫《わ》びしたらいいのか……」
 美貴は、すっかりしょげている。
 奈々子が怒るのも当り前で、結局、あの男は、美貴が「引き止めてくれ」と言ったのとは別人だったのである。
 そりゃ、週刊誌を丸めて持ってる男ぐらい、どこにだっているだろう。
「私、コーヒー二杯も飲ませてやって、そのあげくに、あの男の前で、盆踊りまで踊っちゃったんですよ!」
「ええ……。本当にごめんなさいね」
 と、美貴は言ってから、おずおずと、「でも――とても上手だったわ、あの踊り」
 と、付け加えた。
 奈々子は、ふくれっつらで美貴をにらんでいたのだが――その内、自分が踊ってるところを想像して、プッと吹き出してしまった。
 そして大声で笑い転げた。――美貴はびっくりして眺めていたが、その内、自分も一緒に笑い出したのだ……。
「奈々子さんていい人ね」
 と、美貴は言った。
「おめでたいんですよ」
 奈々子は、美貴と二人で、紅茶をいれて、飲んでいた。
「でも、美貴さん。その男の人って、誰だったんですか? 結局来なかったわけですもんね」
「そうね。どうしたのかしら」
 と、美貴は眉《まゆ》をくもらせた。「実は、その人、探偵なの」
「探偵?」
「ええ。ある人のことを調べてもらって、今日、その結果をここへ持って来てくれることになっていたのよ」
「へえ。じゃ、この店が分らないのかしらね。でも、探偵が、場所を捜せないようじゃ、困りますね」
「何かあったんじゃないといいけど……。ちょっと電話をお借りしていい?」
「どうぞ」
 奈々子も、全く、我ながら人がいい、と思ってしまう。
 また、美貴という女性が、年は上でも、つい面倒をみてやりたくなるタイプなのも、確かだった。
「――もしもし。K探偵社? あの――山上さん、お願いします。調査を依頼した者ですけど」
 と、美貴は言ってから、「――え?――それじゃ――」
 と、青ざめる。
 奈々子はびっくりした。何事があったんだろう?
「――分りました。じゃ、明日でも、またご連絡します」
 美貴は電話を切った。
「どうかしたんですか?」
 と、奈々子が訊く。
「山上っていう人なの。ここへ来ることになってて……。途中で、車にはねられて死んだんですって」
「あら。気の毒に」
「きっと、そうだわ」
 と、美貴は椅《い》子《す》に戻って、肯《うなず》きながら、言った。
「何がです?」
「山上って人、きっと、殺されたんだわ」
「こ、殺された?」
 奈々子は唖《あ》然《ぜん》とした。
「ええ……。きっとそうよ。そんな時に、たまたま車にはねられるなんて! そんなはずないわ」
「でも――」
 と、言いかけた時、店の戸が開いた。
 もうマスターの戻る時間だったので、マスターかと思って見た奈々子は、
「あれ?」
 と、言った。「確か……」
「やあ、その節は」
 と、野田が、入って来て言った。
 そして、美貴に気付くと、目を丸くしながら、
「美貴さんじゃないか」
「野田さん……」
 美貴は、少しこわばった顔で、それでも何とか笑って見せた。「どうして、ここへ?」
「うん。いや、たまたまこの前をね、通りかかったんだ。そしたら、〈南十字星〉って店の名が目に入って。で、彼女が確か、この店で働いてたんだなあ、と思って、寄ってみたんだよ」
「どうぞ、コーヒーでも」
 と、奈々子は、早速サービスすることにした。
「じゃ、一杯もらおうかな。――美貴さん、まだ少し顔色が良くないね」
「そう? もう大丈夫よ」
 と、美貴は言った。
「その後、ドイツの方から、連絡は?」
「ないわ」
「そうか。――すまないね。僕の方も、つい忙しくて」
「仕方ないわよ」
 と、美貴は言った。「もう、あの人、帰って来ないかもしれないわ」
「そんなことないさ。大丈夫だよ。――や、どうも」
 奈々子がコーヒーを出す。
 美貴が、バッグを置こうとして、ミルク入れを倒してしまった。
「あ! ごめんなさい」
「いや、大丈夫」
 と、野田が立ち上った。
「手が汚れちゃったわね」
「平気だよ。トイレはどこだっけ?」
「この外です。右へ曲ったところ」
「じゃ、ちょっと洗って来よう」
 野田が、店を出て行くと、
「奈々子さん!」
 美貴が、いきなり奈々子の腕をつかんで、「助けて!」
「え?」
「きっとあの人、私がここにいると知ってたんだわ」
「野田さんですか?」
「ええ。探偵と待ち合せてると知って、やって来たのよ」
「どうしてです?」
「あの人よ、探偵を殺したのは」
 奈々子は唖然とした。
「でも――ご主人のお友だちでしょ?」
「ええ」
 美貴は、ため息をついて、「でも、表向きだけの友だちなんて、いくらもいるわ」
「そりゃそうですけど……」
「主人のことも、きっとあの人よ」
「ご主人のことって?」
「野田さんが主人を殺したんだわ」
 今度は、奈々子、言葉もない。
「――奈々子さん、私をあの人と二人にしないでね」
 と、すがりつかれても困るのである。
 野田が、手を洗って戻《もど》って来る。美貴は、何くわぬ顔に戻った。
「美貴さん」
 と、野田は椅子にかけて、「こうしてせっかく会ったんだ。夕食でも一緒に食べませんか」
「え……でも――」
「そう遅くならない内に送るから」
 美貴が、チラッと奈々子を見て、
「今夜、奈々子さんがおいしい所へ案内してくれることになってるの。先の約束だから」
 私、何も言わないのに……。奈々子は、ふくれっつらになったが、美貴の方はお構いなしで、
「悪いけど、また今度ね」
「そうか。――じゃ、いっそのこと、三人で一緒にどう?」
 と、野田が言った。「ねえ、奈々子君。僕がおごるからさ!」
「そ、そうですね」
 どっちかというと、奈々子は野田と二人の方がいいのだが……。ま、そういうわけにもいかない。
「でも、今、マスターが留守で、私、ここから出られないから」
 と、奈々子は言った。
 もう知らん、という気分である。お二人でうまくやって下さい。
 と、そこに――。
「ただいま」
 と、マスターが帰って来る。
「あら、もう?」
 と、奈々子はつい言ってしまった。
「何だい?」
 マスターはキョトンとした顔で、奈々子を見た。
 仕方ない。奈々子は、美貴たちをマスターに紹介した。
「お話はうかがいましたよ」
 と、マスターが微《ほほ》笑《え》んで、「じゃ、夕食を一緒に? いいじゃないか。奈々ちゃん、行っといでよ」
 奈々子ににらまれて、マスターは面食らったのだった……。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:14:36 | 显示全部楼层
5 どっちもどっち

「野田さんは、学生時代から、主人とライバル同士だったの」
 と、美貴は言った。
「はあ」
 奈々子は、それだけ言った。
「私を奪《うば》い合うと、他のみんなの前で宣言して、二人して花束だのプレゼントだの、競《きそ》っておくりつけて来て……」
「はあ」
「でも、そんなことで私、三枝を選んだわけじゃないのよ。この人となら一生、やって行ける、って感じたから。――分るでしょ?」
「ええ、まあ……」
「もちろん、野田さんも、表面は男らしく、主人と握手して、『僕の負けだ』って笑ってたけど……。でも、あの人、心の中ではずっと私や主人を憎み続けてたんだと思うわ」
「でも……」
「おかしいと思うでしょうね。ついこの間まで、野田さんを頼りにして、主人のことをドイツまで捜しに行ってもらったりしたのに、どうして急に、って」
「はあ」
「私、ついこの間、知ったの」
 何を? 肝心のそこのところを聞く前に、野田が戻《もど》って来た。
 ――何といっても、のんびり打明け話を聞いているムードじゃなかったのである。
 野田と美貴と奈々子、三人で出かけて来たのは、若い女の子がワイワイやっているフランス料理の店で、そう堅苦しくはない代りに、店の中のやかましいこと!
 それでも、野田や美貴は、ここの「顔」らしく――奈々子が「顔」なのは、アパートの近くの「ほか弁」ぐらいだ――奥の方の、比較的静かなテーブルを用意してくれたのだったが。
 奈々子はフランス料理といえば、ムニエルとオムレツぐらいしか知らないが、それでも、確かに、お昼に〈南十字星〉の近くで食べる〈Aランチ〉よりおいしいことは、認めざるを得なかった。
 これがタダで食べられるのだから、美貴の話を聞いてやるぐらいのこと、我慢しなきゃいけないのだろうが……。
 しかし、美貴も、あんなに野田のことを頼りにしていたのに、何でこうコロッと変っちゃったんだろう?
「もう一本、ワイン、どう?」
 と、野田が言った。
「私、もう沢山」
 と、美貴はあまり強くないらしく、頬《ほお》を赤くしている。「奈々子さん、いかが?」
「いえ――まあ――ありゃいただきますけど……」
「よし。じゃ、今度は赤を一本もらおう!」
 奈々子は、特別アルコールに強いわけじゃないが、確かに、ここのワイン、アパートで友だちなんかが遊びに来た時に飲む一本千円とかのワインに比べて、格段においしいことは、よく分った……。
「ちょっと酔っちゃったみたい」
 と、美貴は立ち上って、「私、顔を洗って来るわ」
 野田と二人になる。
 どっちかといえば、美貴と二人でいるよりも、野田と二人でいる方が、奈々子としては楽しいのだが、そこはやはり、美貴の話を聞いてしまった後なので、「まさか」とは思っても、いささか笑顔もぎこちなくなるのは当然であろう。
「――さ、飲もうよ」
 と、赤のワインを注がれる。
「あ、どうも。――いえ、そんなにいただけませんから」
 とか言いながら、すぐグラスを空にしてしまう。
「――おいしい」
「ね、奈々子君」
 と、野田は言った。「美貴さんがいないから言うんだけどね」
「は?」
「君はとてもしっかりしていて、いい人だ」
「どうも」
「本当だよ。君のことは信用していいと思ってるんだ」
「はあ」
 何が言いたいんだろ?
 愛の告白っていうのとは少し違うみたいだけど……。
「君に頼みがある。美貴さんのことなんだがね。彼女、少しおかしくなってるんだ」
「おかしいって?」
「うん。――どうもね、少しノイローゼの気味がある」
「ノイローゼですか」
「まあ、見た通り、もともと神経の細い女《ひと》だしね。あっちでご主人が消えちまったらきっと、誰だって少しはおかしくなる。そうだろう?」
「そうですね」
「ところがね」
 と、野田は少し声をひそめて、身を仱瓿訾筏俊
「調べてたら、意外な事実が出て来たんだよ」
 やかましい所で声をひそめられたんでは、ますます聞こえなくなる。
 仕方なく、奈々子も野田の方へ顔を近づけた。全くもう、何でこうみんな、「内緒の話はあのねのね」なんだろ!
「何が出て来たんですか?」
「うん、それがね――」
 二人の顔の間隔はほぼ十センチ。――と、出しぬけに、野田がぐっと身をさらに仱瓿訾筏郡人激Δ取ⅴ单盲饶巍┳婴衰工筏郡韦坤盲俊
 奈々子、唖《あ》然《ぜん》として……。
「あ、いや、ごめん」
 と、野田があわてて言った。「つい、その――何だかフーッとひき込まれて……」
「何するんですか、こんな所で!」
 奈々子、カッと真赤になって怒ったが、今さら取り消しってわけにもいかず……。それに、「こんな所で」なんて怒ってる、ってことは、「他の所でして下さい」と言ってるのだ、とも取れる。
「いや……本当に悪かった」
 野田も咳《せき》払《ばら》いして、「ワインを飲み過ぎたかな」
「それよりお話の続きは?」
「うん……。何だっけ?」
「あのね――」
「あ、そうそう。いや、もちろん、これは確実に証拠があって言うわけじゃないんだけどね。どうも……三枝は向うで美貴さんに殺されたんじゃないかと思うんだ」
「ええ?」
 奈々子が仰天するのも無理はない。
 美貴は野田が犯人だと言うし、野田は美貴が殺した、と……。どうなってんの、一体?
 と、そこへ、
「――見ちゃったわよ」
 と、女の声。「隅《すみ》に置けない奴《やつ》!」
 見ると、格《かつ》好《こう》は一人前に赤のワンピースなんか着てるけど、顔はあどけなく、どう見ても十六、七という少女。
「ルミ子君!――来てたのか」
「今、この人に何をしたか、ちゃんと見てたからね」
 と、その少女、ニヤニヤして、「パパに言っちゃおうっと」
「おいおい」
 野田は苦笑して、「僕は独身だからね、言っとくが」
「お姉さんが一人、傷心の日々を送っているのに、冷たいんだ」
「一緒だよ、彼女も」
「へえ! 気が付かなかった」
 そこへ、美貴が戻《もど》って来て、少女に気付くと、目を見開いて、
「ルミ子。あなた、どうして――」
「パパと一緒よ。ほら、そこの席」
 指さす方へ、奈々子は目をやった。五十歳ぐらいか、がっしりした体格の、忙しいのが大好きという感じのビジネスマンタイプの男性が座っていた。
「あら、いつ来たの?」
「たった今、そしたら、野田さんが――」
「良かったら、一緒にどうだい?」
 野田があわてて言った。
「もうそちらは終りでしょ? こっちはメニューもこれからだもん」
 と、ルミ子は言った。「でも、お姉さん、パパに声ぐらいかけて来たら」
「そうね」
 美貴が、その男性の方へと、ルミ子と一緒に歩いて行く。
「――やあ、何だ、美貴じゃないか!」
 と、体にふさわしい大きな声を出して、その男が、美貴の肩をつかんだ。
「――あの人は?」
 と、奈々子は野田へ訊いた。
「美貴さんの父親だよ。志村武治といってね。ルミ子は美貴さんの妹だ」
「志村っていうのが、美貴さんの旧姓……」
「そうだよ」
 奈々子は、美貴が、その志村という男、それにルミ子という少女と話しているのを眺めていたが、何だか……。
「――首をかしげているね」
 と、野田が言った。
「え? あ、いえ――何となく、実の姉妹とか親子っていうより、義理の、って感じがして」
「さすがだ」
 と、野田は言った。
「え?」
「美貴さんは父親が違うんだ。小さいころに父親が亡《な》くなって、母親の再婚相手が、あの志村。ルミ子は志村との子だから、美貴さんとは十歳近くも年《と》齢《し》が離れてるんだよ」
「なるほどね」
 奈々子も納《なつ》得《とく》した。「で、美貴さんのお母さんは?」
「亡くなって四、五年たつかな。それからあの志村は娘のルミ子と二人で暮してるんだ」
「へえ……」
 何だか、割とややこしいんだ、と奈々子は思った。
「まあ、そんなこともあって、美貴さんも、寂しかったんだろうな。本当に心を打ちあけて話をする相手がいなくなって……。ルミ子じゃ年《と》齢《し》が離れ過ぎて、とても話し相手にならないしね」
「ふーん」
 と、奈々子は感心したように言って、「でも、どうして美貴さんが、ハネムーンの途中で旦那を殺さなきゃいけないの?」
「しっ! その話はまた」
 美貴が戻って来たので、二人の話はそれきりになってしまった。
 そして――その後は何となく当りさわりのない話題に終始して、この夜の「夕食会」は終ったのである。レストランを出ると、
「奈々子さんを送ってあげて」
 と、美貴は言って、さっさとタクシーを停《と》め、一人で行ってしまった。
 どうやら、野田と二人きりになりたくないようだ。
「奈々子君――」
「私、電車で帰ります」
 と、奈々子は言った。「その方がよっぽど早いの」
「そうか。――まあ、それじゃ、無理には誘わないよ」
「誘うって、どこへ?」
「どこかで、一杯やろうかと思ったんだけどね」
「もう沢山!」
 と、思わず奈々子は言って、「でも、とってもおいしかった。ごちそうさま」
「また、電話していいかい?」
「ご用があったら、お店の方に」
「君のアパートは?」
「だめです」
「分った」
 と、野田は笑って、「じゃ、気を付けて帰ってくれ」
「さよなら」
 と、奈々子は歩き出して、振り返ると、「野田さん」
「何だい?」
「野田さん、名前の方は何ていうんですか?」
「ああ。言わなかったかな。野田 悟《さとし》。『悟る』一文字だよ」
「ハハ、悟りにはほど遠いや」
「全くだ」
 ちょっと手を振って、野田は歩いて行った。それを見送って、奈々子も歩き出してから、
「――あ、そうだ!」
 と、呟《つぶや》いた。
 あいつ、いきなりキスなんかして! そうだった。怒ってたんだわ、私。
 思い出して怒りながら(?)、奈々子は、それでも満腹で少し酔って、機嫌よく、アパートへと戻って行ったのだった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:17:49 | 显示全部楼层
6 出て来た女

「いらっしゃいませ」
 昼下り、多少眠気のさして来ていた奈々子は、客が入って来て、却《かえ》ってホッとした。
 用もないのに頑張って起きているのは楽じゃないのである。
 入って来たのは、セーラー服の女学生だった。鞄《かばん》をドサッと一方の椅《い》子《す》に置くと、
「コーヒー」
 と、注文しながら椅子にかけた。
「はい」
 奈々子は、水を持って行ったが、
「灰皿ないの?」
 と、訊《き》かれて面食らった。
「あなた高校生でしょ」
「見りゃ分るでしょ」
「タバコなんか喫《す》っちゃだめよ」
「大きなお世話よ」
 と、肩をすくめて、「ま、いいか。ここんとこ、本数減らしてるからね」
 生意気なガキ! ムカッとして、カウンターの方へ戻《もど》って行くと、何を思ったか、マスターがカウンターの奥から灰皿を持って出て来た。
「マスター――」
「お客さんの注文には応じなきゃ」
「でも……」
 マスターは、その少女の前に灰皿を置いて、
「どうぞ」
「ありがと。でも、いいの。ちょうどタバコ切らしちゃったから」
「じゃ、さし上げますよ、一本」
 と、わざわざポケットから出して、「どうぞ」
 と、言っているので、奈々子は面食らってしまった。
「サンキュー」
 と、少女は一本取った。
 マスターはライターを出して、カチッと火を点けた。少女は一服喫《す》って、むせ返った。
「――喫ったことないのに、無理しないことだよ」
 と、マスターは笑って、少女の手からタバコを取って、灰皿に押し潰《つぶ》した。
 少女は水をガブガブ飲んで、息をつくと、
「子供をからかって!」
 と、マスターをにらんだが、マスターの方は相手にせずに、笑いながら、カウンターの奥へ戻って行った。
 少女の方も、しばらくふくれっつらをしていたが、やがて普通の笑顔になると、
「面白い店ね」
 と、言った。
「あれ?」
 奈々子は、目をみはった。「あなた――確か、ルミ……ルミ子さんでしょ」
「あ、憶《おぼ》えてたか」
 と、少女は楽しげに言った。
「その格《かつ》好《こう》だから、なかなか分んなかったわ」
「あなた野田さんとキスしてるのを見たから、ちょっと興味あってね」
 マスターがびっくりしたように奈々子を見た。
「違うんです、マスター! そんな――キスなんてものじゃないの。ただ、こう……口と口が、間違ってぶつかっただけ」
 奈々子の言いわけも、我ながらおかしかった。
 野田に夕食をおごってもらって、一週間ほどたっていた。
 ま、奈々子としても、心の片隅で、野田が店に電話して来ないかな、と期待しているところがあったのだが、一方では、美貴と野田の、「殺しっこ」に巻き込まれるのも迷惑だ、という気持もあった。
 しかし、まさか、このルミ子という子がやって来るとは、思ってもいなかったのだ。
「――はい、コーヒー」
 と、奈々子はコーヒーと伝票を置くと、「どうしてここが分ったの?」
「もち、野田さんから聞いたのよ」
「野田さんと、親しいの?」
「お姉さん目当てに、ずいぶんうちへ来てたから。一時は私の家庭教師だったこともあるのよ」
 と、ルミ子は言った。
「へえ。あの野田さんが、ね」
 イメージ、合わない!
「姉さんも、ここに来るんですってね」
「そう何度もみえてないわ。美貴さん、今、あなたたちと一緒に住んでないの?」
「結婚したもの」
「そりゃそうだけど、だって、ご主人は行方不明でしょ」
「一人で、マンションにいるわ。だって、ともかく、父と私から離れたくて、三枝さんと結婚したようなもんですもの。一人になっても、戻《もど》りたくないんでしょ」
「そう……」
 何だか、結構複雑なようだ。
「野田さんの方が好きだったな、私。三枝さんは、そりゃ人は良かったわよ。優しくってね。でも、何だか煮え切らないところがあって、好きじゃなかった」
 と、言ってから、ルミ子はコーヒーを少し飲んで、「ま、私の結婚相手じゃないからどうでもいいんだけどね」
 他に客もなく、マスターも出て来て、
「みんなでコーヒーブレーク、といこうじゃないか」
 と、カップを二つ、テーブルに置いて、コーヒーを注いだ。
「――何か話したいことがあって、ここへ来たんじゃないのかい?」
 マスターが訊《き》くと、ルミ子は、
「そうなんです」
 と、両手をきちんと揃《そろ》えて言った。
 こうして見ると、なかなか可《か》愛《わい》い。――どうして、みんな私より可愛いの? 奈々子は少々不満であった。
「野田さんも心配してます。で、こちらの奈々子さんって人に相談したら、って言われたんで」
「何を?」
「三枝さんが行方をくらました事件です」
「でも――私、別に探偵でもないし」
 という奈々子の抗議は無視され、
「話してごらん」
 と、マスターが促《うなが》した。
「姉さんが、三枝さんと結婚してハネムーンに発《た》った晩でした。うちへ女の人がやって来たんです」
「女の人って、どんな?」
「たぶん……二十七、八かな。かなり思い詰めてる様子で、三枝さんを姉さんが奪《うば》った、と言って、怒っていました」
「じゃ、三枝さんの恋人?」
「それも、妊《にん》娠《しん》してるんだって……。その人が、そう言っただけなのかもしれませんけども」
 奈々子は、マスターと思わず顔を見合わせた。
「だけど――どうして、その人、もっと早く言って来なかったのかしら」
「ええ、父がそれを言いました。その女の話では、三枝さん、何か月か海外に行くんで、連絡できない、と言っていた、ってことなんです」
「じゃ、その間に結婚しちゃったわけ」
「確かに、三枝さん、婚約してから、挙式をかなり急いでたんです。私、姉さんがつわりにでもなるとまずいんじゃない、なんて、からかってたんですけど」
「すると、その女の言うことも、かなり説得力があるね」
 と、マスターは肯いた。
「式の当日、たまたまその女の人が、三枝さんと姉の式から帰る、大学時代の友だちにばったり会って……。二人で一緒の時に、会ったことがあったらしいんです、その人に。で、初めて結婚したことを知って――」
「そりゃひどいわ」
 と、奈々子は思わず言った。
「その女の話だけだからね。総《すべ》て事実かどうか分らないが……」
「父は、ともかくもう娘と三枝は結婚したんだから、って突っぱねたんです。その女は、このままじゃ、絶対に済まさないから、って……。そして――」
 ルミ子は、少しためらってから、「ハネムーンの行先を聞いて来たらしくて、ドイツまで追いかけてって、仕返ししてやるから、って、そう言って帰って行ったんです」
「ドイツまで?」
 奈々子は唖《あ》然《ぜん》とした。「じゃ、もしかしたら、その女が本当に――」
「父は、いくら何でもそんなことまでしないさ、と言って、ともかく帰国したら、三枝さんとじっくり話して、もしあの女のことが事実なら、きちんとけりをつけさせる、と言ってました」
「それはそうだろうね」
 と、マスターは言った。
「美貴さんは、その女のことを、知ってるの?」
 と、奈々子は訊《き》いた。
「いいえ。だって――帰った時はもう、三枝さんがいなくなって、悲しみのどん底だし……。とても、そんなこと、言えた雰《ふん》囲《い》気《き》じゃなくて」
「そりゃそうね」
「その女のこと、調べさせるにしても、名前も何も分らなかったんです。父は、その内また何か言って来るかもしれない、って……。三枝さんが姿を消したのと、その女が関係あるって証拠もないわけですから」
「で、その女から、何か言って来たの?」
「いいえ、一向に。そしたら……」
 ルミ子は、鞄《かばん》を開けると、中から新聞の切抜きを取り出した。「これ、見て下さい」
 大きな記事ではなかった。〈ハンブルクの日本人死体の身《み》許《もと》分る〉とあって、女性の写真が出ている。
「その写真、はっきりしませんけど、でも見た瞬間に、あの女だ、と思ったんです」
 と、ルミ子は言った。
「この女性が? だって――この人、死んでるんでしょ?」
「ええ、殺されたらしいんです」
 と、ルミ子は言った。
 奈々子は、改めて、その記事に見入ったのだった……。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:18:49 | 显示全部楼层
7 尾行と出前

 人殺しとか、ギャング同士の撃ち合いとか、そんなもの、奈々子としては――まあ、どっちかといえば嫌いな方じゃない。
 しかし、それはあくまで映画とか小説の中での話。やはり現実の中では、殺し屋に脅《おど》されるよりは、恋人に愛の言葉を囁《ささや》かれた方がいい(もっとも、まだそんなことはなかったけど)。
 ルミ子の話では、三枝成正の恋人だったという女が、殺されてハンブルクで見付かったということだが、もしその女の話が事実だとすると、わざわざドイツまで出かけて行ったのは、やはり三枝の後を追ってのことだったとしか思えない。
 しかしそうなると……。その女を殺したのは、三枝――ということになりそうである。
 ところが、当の三枝もまた、姿をくらましているのだ。どうもよく分らない話である。
 しかし――何が分らないからって、そんなこと、奈々子とは何の関係もない。
 そうよ、と奈々子は少々ふてくされつつ、考えた。私が何でそんな相談に、いちいち付き合わなきゃいけないの?
 私は花もはじらう(ちょっと言い回しが古いか)二十歳の乙女なのよ。それがどうして――死体だの殺人だの、殺伐とした話ばっかり聞いてなきゃいけないの?
 冗談じゃない! 私だって忙しいんだからね。デートの申し込みは順番なんかくじ引きで、毎日一人ずつ会っても、同じ男と年に二度は会えない……てなことは、もちろんないが、それにしたって――。
 マスターも人がいいんだから。それとも、美貴の妹、ルミ子のセーラー服姿に参っちゃったのかもしれない。結構そんな趣味があったりして……。
 私も今度セーラー服着て、お店に出てみようかしら。何だか怪しげなムードになっちゃいそうだけど。
 ま、色々と考えている内、いつの間にやら、奈々子はウトウトしていて……。
 ガクッと頭が垂れて、ハッと目を覚ます。気が付くと、バスはどこか見《み》憶《おぼ》えのある場所に停《とま》っている。
 しまった! ここで降りるんだ。
「降ります!」
 と、奈々子は大声を上げた。「待って! 降りますから!」
 そうそう客が多いわけではなかったので、幸い、人をはねとばすこともなく(?)、奈々子は、バスから降りることができた。
「――ああ、びっくりした」
 居眠りして仱赀^すなんてこと、めったにない(たまにはある、ということである)。
 降りた所で、アーアと大欠伸《 あ く び》をしていると、いきなり、後ろからドンと突き当られて、
「キャアッ!」
 と、悲鳴を上げてしまった。
 危うく前のめりに倒れてしまうところを、何とかこらえたのは、やはり奈々子の体の頑《がん》丈《じよう》さゆえかもしれない。
「危ないわね!」
 と、奈々子は怒《ど》鳴《な》った。
 突き当って来たのは、見たとこ二十五、六。「くたびれ度」からいうと三十過ぎという感じの男で、どうやら、奈々子同様、あわててバスから降りたらしい。パッと降りたら、まだ奈々子が目の前に立っていた、というわけである。
「そんな所に突っ立ってるからいけないんだろう」
 と、男はふてくされて言った。
「私がどこに立ってようと勝手でしょ」
 と、奈々子は言い返した。「自分が先に降りりゃ良かったんだわ」
「そんなこと言ったって、そっちがいきなり降りるから――」
「え?」
「あ、いや、何でもない」
 と、男はあわてて言った。
「何よ。――あんた、私が降りたから、ここで降りたわけ?」
「そ、そんなわけないだろう!――じゃ、あばよ」
 と、足早に行ってしまう。
 奈々子は首をかしげて、
「変な奴《やつ》」
 と、呟《つぶや》くと、アパートへと歩き出した。
 が、少し行くと……。どうも足音がする。後を尾《つ》けて来ているような。
 パッと振り向くと、さっきの男が、十メートルほど離れてついて来ていたが、振り向かれて足を止め、急にそっぽを向いて、あちこち見回したりしている。
 尾行してるんだ。――それにしても、一目でそれと分る尾行というのも珍しい。
 でも、何で私が尾行されるの?
 奈々子は気になることを、いつまでも放っておけないたちである。その男の方へツカツカと歩いて行くと、男は、ギクリとした様子で、逃げ出しそうになった。
「ちょっと!」
 奈々子はキッと相手をにらんで、「私の後を、何で尾《つ》けてるのよ!」
「俺《おれ》はただ歩いてるだけだ! 歩いちゃ悪いか!」
「痴《ち》漢《かん》? それとも引ったくり?」
「何だと!」
 男はムカッとした様子で、「人のことを――」
「じゃ、何なのよ」
「俺は――」
 と、言いかけて、ちょっとためらい、「ま、いいや。ばれちまったら仕方ない」
 あれでばれないと思ってるんだろうか?
 奈々子は呆《あき》れて、その男の出した身分証明書を見た。
「K探偵社の森田?――K探偵社って、どこかで聞いたことあるわね」
「そりゃ、うちは大手とは言えないが、業界でも一、二を争う歴史の長さを誇り、その良心的、かつていねいな情報収集、調査には定評のあるところで――」
「PRはやめてよ。――あ、そうか。最近、誰だかが死んだでしょ」
「山上さんだよ。僕の良き先輩だった。よく昼にはソバをおごってくれた。もちろん、ザルソバだけだったけど」
「そんなこと、どうでもいいの。その探偵社が、何で私のことをつけ回すの?」
「そりゃ、君の素行調査の依頼があったからさ」
「私の? 誰がそんなこと頼んだの?」
「それは依頼人の秘密だ」
「秘密が聞いて呆れるわね。そんな下手くそな尾行して。――ともかく、その依頼人に言ってちょうだい。用があるなら、自分で会いに来いって」
「そんなことできるか。俺の仕事は君の素行を調査することだからな」
「じゃ、ご勝手に」
 と言うなり、奈々子はいきなりワーッと駆け出した。
「待て! おい、待て!」
 森田というその男、あわてて奈々子を追って駆け出したが……。奈々子、足の方には自信がある。
 アッという間に、森田の姿は遥《はる》か後方に消えてしまった。
「ざまみろ!」
 と、奈々子は息を弾《はず》ませて、「でも――誰が私のことなんか……」
 と、首をひねるのだった。
 別にお見合の話も来てないし……。
「ま、いいや」
 奈々子は肩をすくめて、アパートへと帰って行った。
 
 ――その二日ほど後のことだった。
 お昼を食べた奈々子が、〈南十字星〉に戻《もど》って来ると、
「奈々ちゃん」
 と、マスターが言った。「悪いけど、ちょっと出前に行ってくれるかい」
「はい、どこですか?」
 この店は、あまり出前というのはしないのだが、それでも商売だから、手が空いてて、数がいくらかまとまれば、持って行くこともある。もちろんコーヒーは大きな保温のきくポットへ入れて行くが、それでも時間がたてば冷めて来るし、香りも失われてしまうから、ごく近くに限ってのことだ。
「初めての所なんだけどね」
「へえ。迷子になんなきゃいいけど」
 と、奈々子は笑って、「いくつですか」
「二十人分」
「結構ありますね。じゃ、ポット二つでないと足らないかな」
「もう用意してあるよ」
 と、マスターが、大きなポットを二つ、カウンターにドンと並べる。
 これに、カップと皿が二十客。スプーン、シュガー、ミルクとなったら、結構な荷物である。いくら体力に自信のある奈々子でも、手は二本しかない。タコじゃないんだから。
「カップやシュガー、ミルクは向うにあるのを使っていいんだ。コーヒーだけ撙螭恰⑾颏Δ侵甘兢筏皮欷搿筡
「それなら楽勝!」
 奈々子はホッとした。「じゃ行って来ます!」
 と、ポット二つ、両手に下げて、出て行こうとする。
 マスターがあわてて、呼び止めた。
「奈々ちゃん! まだどこだか言ってないよ!」
 
 本当に……ここ?
 エレベーターに仱盲啤⒛巍┳婴虾韦趣饴浃沥膜胜莘证坤盲俊
 もらって来たメモには、確かにこのビルの名前がある。しかし……。
 同じ名前の違うビルかしら、と、本気で心配しているのも、無理はない。
 大体が、タクシーで二十分も仱盲评搐郡韦扦ⅳ搿¥长螭蔬hくまでの「出前」なんて、聞いたことがない。
 それに――凄《すご》いビル!
〈南十字星〉も、一応ビルの中に入っているのだが、同じ「ビル」なんて名で呼んじゃ申し訳ないような、堂々たる構え。
 ロビーがもう、三階分ぐらいのスペースで天井が高く、床もツルツル。引っくり返らないようにと、こわごわ歩いて、やっとエレベーターへ辿《たど》りついたのだった。
 こんな凄いビルに、喫茶店の一つや二つ、ないわけがない。どうして〈南十字星〉にわざわざコーヒーを注文して来たのだろう?
 そりゃ、あそこのコーヒーは味がいいという自信はある。でも……。
 エレベーターが停った。一番上の階、と言われて来たのである。
 扉が開いて、目の前にまた両開きの重々しいドア。この奥に、きっと会議室か何かあるんだろう。
「よいしょ」
 両手にポットを下げているので、ドアの把《とつ》手《て》をつかめない。奈々子は、足を上げて、膝《ひざ》で把手をぐっと押し、ポンとドアをけった。
 意外にドアは軽々と開いた。
「あの――」
 と、言ったきり、奈々子はポカンとしてしばらく、突っ立っていた。
 何しろ――呆《ぼう》然《ぜん》とするほど広い部屋だ。
 コの字形に机が並んで、椅《い》子《す》の数は五十を下らない。しかし――座っていたのは、たった一人。
 真正面、遥《はる》かかなたの席にいた男が、立ち上って、
「浅田奈々子君だね」
 と、言った。
「はあ……」
「遠くまで、ご苦労さん。さあ、こっちへ来てくれ」
「その……コーヒーお持ちしたんですけど」
「二人で飲もうじゃないか」
 と、その男は言った。
「二十人分って……」
「それはここまで来てもらった手間賃だよ」
 と、その男は言ったが……。
「あ!」
 と、奈々子は思い出して、「美貴さんのお父さんでしょ」
「その通り」
 と、男は微《ほほ》笑《え》んで、「さあ、かけてくれ」
「はあ……」
 コーヒーカップが二つ、用意してある。
「志村武治だ」
 と、男は自己紹介した。
「浅田奈々子です……。あの、コーヒー、お注《つ》ぎしましょうか」
 と、奈々子は言った。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:19:56 | 显示全部楼层
8 とんでもない話

「どうだろうね」
 と、志村武治は言った。
「はあ」
 ――どうだろう、と訊《き》かれて、はあ、では返事になっていない。そんなことぐらい、奈々子だって分っているのだが、しかし、突然そんなことを言われたって……。
「君も、野田君から聞いて知っていると思うが、私と美貴は実の親子ではない」
 と、志村はゆっくりコーヒーを飲みながら言った。「しかし、それだけに、なおさら私は美貴に幸せになってほしい。分るかね、この気持が」
「はあ」
「死んだ家内のためにも、それが一番大切なことだと思っている。――もちろん、私はルミ子のことだって可愛い。しかし、あれは独立心旺盛で、負けていない子だ」
 確かにそうだ、と奈々子も思った。
「ルミ子は勝手に自分のやりたいことを見付けるだろう。しかし美貴は、繊細な子で、誰か支えになってくれる人間がいなくては、危っかしいんだ」
「でも……」
「三枝君のことは、私もどう考えていいものか、迷っている」
 と、志村は難しい顔で首を振った。「うちへやって来たあの女の言葉が果して本当なのかどうか、それは何とも言えないが……。ともかく、三枝君の生死がはっきりしないと、美貴も今の不安定な状態から、脱け出せないと思う」
「そうですね」
「当人が、どうしても、もう一度ドイツへ行って、夫の生死を確かめたいと言うのを止めることはできない。しかし、あの子を一人でやるのは、あまりに不安が大きいのだよ」
「そりゃ分りますけど……」
「君にとっては、栅嗣曰螭试挙坤人激Α筡
 と、志村は少し身を仱瓿訾筏啤ⅰ袱饯长蚝韦趣⒁埭堡皮猡椁à胜い坤恧Δ筡
「でも――美貴さんについて行っても、私、大してお役に立てないと思います。言葉だって分らないし、外国なんて行ったことないんですもの」
「美貴は言葉がちゃんとできる。それに君は女だ」
 それくらい、言われなくたって、分ってますよ。
「美貴と同じ部屋にいられる。もし私や野田君がついて行けたとしても、同室というわけにはいかないからね。それに私も野田君も仕事を持っていて、そう長く出られない」
「ルミ子さんは?」
「学校がある」
「あ、そうか。でも――私も働いてるんです! あのお店、私がいないと大変なんです」
「店のマスターには、もう話をしてある。快く承知してくれたよ」
 奈々子は頭に来た。――人のこと、勝手に貸し出すな、って! レンタル屋じゃあるまいし!
 帰ったら、マスターの足を思い切り踏みつけてやろう、などと穏《おだ》やかではないことを考えながら、
「あの――少し考えたいんですけど」
 と、言った。
「もちろん、そうしてくれたまえ」
 志村はホッとした様子で、「言うまでもないことだが、向うへの旅費や宿泊費の一切、準備のための費用など、全部、こっちで持たせてもらう。他に、お礼も充分に出すつもりだ」
 悪い話じゃない、とは思う。人の金でヨーロッパまで行って来れると思えば。
 しかし、用事が用事である。あの美貴に付合うのも、なかなか楽じゃないだろうし。
 それに――この志村という男、見かけはいかにも、「やり手」のビジネスマンだ。美貴についての気持にも、たぶん嘘《うそ》はないだろうが……。しかし、人間ってのは、分らないものなのだから。
 おそらく、志村は知らないだろう。美貴は、野田が三枝を殺したと思っているし、野田の方は美貴が夫を殺したと思っている。
 そんな、ややこしい状況での旅ともなれば――下手すりゃ、命がけってことにもなりかねないではないか。
 まだ死にたくないんだからね! 奈々子は心の中で言った。
「では、決心がついたら、いつでもここへ電話してくれたまえ」
 と、志村が奈々子に名刺を渡す。
「分りました」
 奈々子は立ち上って、「それから――」
「何だね?」
「コーヒー代をいただきたいんですけど。領収証は持って来ました」
 と、奈々子は言った……。
 
 翌朝、奈々子は、〈南十字星〉へ入って行くと、
「おはよう」
 というマスターの声を無視して、カウンターの下から、〈本日は閉店しました〉という札を出して、さっさと店の表にかけてしまった。
 マスターが呆れて、
「おい、奈々ちゃん、何やってるんだい?」
「私、面接があるんです」
「面接?」
「ええ。すみませんけど、マスター、ちょっと外していただけません?」
「そりゃまあ……。しかし、まさか、マスターを入れかえようってんじゃないだろうね?」
「まさか。――美貴さんと野田さんが来ることになってるんです」
「なるほど。分ったよ。二人一緒に?」
「別々です。美貴さんは朝早いの、弱そうだから、十一時。野田さんは九時半です」
「じゃ、もうすぐだね。分った。午後はどうするんだい?」
「もちろん開けます。商売ですもん」
 マスターは笑ってエプロンを外した。
 ――一人になると、奈々子は椅《い》子《す》にかけて、考え込んだ。
 ゆうべは八時間しか寝ないで(?)、ドイツ行きのことを考えたのだが、どうにも決心がつかない。
 ともかく、美貴と野田の話を聞くのが先決、と思ったのである。
 それにしても……。三枝がもし誰かに殺されたのだとしたら、あのハンブルクで見付かった女も含めて、もう二人も死んでいることになる。
 奈々子としては、「三番目の死体」になって、フランクフルト辺りで見付かりたくはないのである。
 店の電話が鳴った。
「――南十字星です」
 向うは何も言わない。「もしもし。――もしもし?」
 プツッ、と切れてしまった。
「変なの」
 と、奈々子は肩をすくめた。「あ、いけない」
 下の郵便受で、郵便を取って来るのを忘れていた。いつも出勤して来た時に出すのだ。
 まだ九時半までには、十分ある。
 それに、野田が来ても下で出会うことになるし。
 奈々子は、店を出て、トコトコと階段を下りて行った。
 郵便受を開けて、中からいくつかの封筒を出す。――ダイレクトメール以外は、請求書。「ラブレターは来ないか」
 と、奈々子は肩をすくめた。
 その時――ズシン、という地響きと共に、ビルが揺れた。
「キャッ!」
 奈々子は尻もちをついた。白い煙が、階段に噴《ふ》き出して来る。
「な、何よ、一体!」
 あわてて立ち上ると、奈々子は、ビルの外へ飛び出した。
「危いぞ!」
「ガラスが……」
 と、叫び声が上る。
 奈々子は道へ出て、ビルを見上げ、唖《あ》然《ぜん》とした。
〈南十字星〉が、なくなっていた。
 窓は吹っ飛び、ポカンと大きな穴があいたようになって……。白い煙が立ちこめている。
「――奈々ちゃん!」
 と、声がした。
「マスター! 何でしょう?」
「分らんが……。爆発だ」
「ガスか何か? でも――全然ガスの匂《にお》いなんて」
「ともかく、無事で良かった!」
 そう言われて、初めて奈々子は気付いたのである。ずっと店にいたら、今ごろは……。
 ――消防車、パトカーが駆けつけて、しばらくは大騒ぎだった。
 何といっても人通りの多い場所である。野次馬も大勢で、またそれを見て、何事かと人が集まって来る……。
「――どうしたんだい?」
 と、声がして、奈々子が振り向くと、野田が立っていた。
「あ、野田さん」
「遅くなってすまない。仕事で、どうしても出られなくてね。何かあったの?」
「ええ、まあ……」
 マスターが、警察の人と話しているのを、奈々子は眺めていた。
「あれ、店は?」
「ええ。――なくなっちゃったんです」
「何だって?」
 野田が目を丸くした。
 マスターが戻って来ると、
「いや。けが人が出なくて良かった」
 と、息をつく。
「でも、どうしたんでしょう?」
「分らんね。これから調べてもらうことになる」
 マスターは、首を振って、「再開までは少しかかりそうだな」
 と、言った。
「そうか」
 と、奈々子は呟《つぶや》いたのだった。「私、失業しちゃった……」
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:20:51 | 显示全部楼层
9 悩みは深し

「そうか」
 と、野田は肯《うなず》いて、「じゃ、もう知ってるんだね、君も」
 知ってるんだね、と言われたって……。そう一人で合点して肯かれても、困ってしまうのである。
「その女の話は聞きました」
 と、奈々子は言った。「ルミ子さんから。でも、それがどうかしたんですか?」
 奈々子のいいところは――沢山あるが、その一つは、と言っておこう――何でもはっきり分らないことを、想像で決めちまわないことである。
 奈々子は、至って現実的な女の子なのだ。
 もちろん、年齢にふさわしく夢を見ることもあるが、現実を夢と混同したりすることはない。はっきり分けて考えられるというのが、まあ性質というものなのだろう。
〈南十字星〉が吹っ飛んでしまって、マスターは、まだ警察であれこれ訊《き》かれている。
 奈々子は、十一時には美貴もやって来るはずなので、早いとこ野田との話を済まそうとして、近くの喫茶店に入ったのだった。
 しかし、何てコーヒーのまずいこと!
 奈々子は改めて、〈南十字星〉のコーヒーがいかにおいしかったかを、思い知らされた。こりゃ何としても店を再開しなきゃ!
 もちろん、そんなこと、奈々子が決めるわけじゃないけど。
「あの女のことをね、僕も少し調べてみたんだ」
 と、野田は手帳を取り出して、開いた。「名前は若村麻《ま》衣《い》子《こ》。二十八歳。――東京へ出て来て、一人で暮していたらしい。三枝がこの女性と付合っていたことは、確かだ。彼の親しい友人の間では、結構知れ渡っていた」
「へえ。野田さんは親しくなかったわけ?」
「厳しいね」
 と、野田は苦笑した。「そりゃ、僕は恋敵だからな。三枝としては隠して当然さ」
「そりゃそうですね。すみません。つい、考える前に言葉が出ちゃうの」
 こういうところが可《か》愛《わい》くないのかしら、と奈々子は反省した。
「いや、正直なのが君のいいところさ」
 何だか、「馬鹿だ」と柔らかく言われてるような気がする。しかし、ま、深くは考えないことにした。
「その若――」
「若村麻衣子」
「その人の言った通り、三枝さんの子供がお腹にいて、ドイツまで追いかけて行ったとしても、それでどうして美貴さんがご主人を殺したことになるんですか?」
「それは、一つには彼女の性格だ」
 と、野田は言った。「美貴さんは、極めて潔癖な人なんだ。たぶん三枝にあんな恋人がいたと知ったら、殺さないまでも、帰国後、即離婚しただろうね」
「じゃ、その女の人を殺したのは?」
「それは分らない。美貴さんか、それとも三枝か。――三枝が、美貴さんに気付かれては大変と思って、彼女を殺したのかもしれない。美貴さんがそれを知って、三枝と争いになり……。ということも考えられる」
 そりゃ、色々考えられるだろう。
 でも、奈々子は少々悲しい気分であった。
 なぜって――もちろん野田の話はよく分るし、確かに、理屈としてもあり得ることだと思うのだが……。
 でも、三枝成正は、学生時代からの友人で、美貴は結婚しようとまで思った相手ではないか。その二人を、いくら理屈が通るといっても、「殺人犯」扱いして、平気でしゃべってる、ってのが、ちょっとやり切れなかったのである。
 もし、自分だったら――と奈々子は考える――友だちか、一度は恋した人が、殺人の容疑をかけられていると知ったら、凄《すご》いショックだろうし、よっぽど動かぬ証拠でも見せられない限り、信じないに違いない。
 友だちっていうのは、そういうもんだろう。それとも、私の考えが甘すぎるのかしら……。
「どうかしたかい?」
 と、野田が訊《き》いた。
「いえ、別に」
 と、奈々子は首を振って、思った。
 この人とは、もうキスしないぞ!
「でも、もし美貴さんがご主人を殺したのなら、どうして今さらわざわざドイツへ捜しに行きたいなんて言い出すんですか?」
「そこだよ。それが僕も知りたい。――もちろん彼女が犯人でないと分れば、こんなに嬉《うれ》しいことはないけどね」
 と、野田は言ったが……。
 果して、どこまで信じていいものやら。
 奈々子は、おいしくないコーヒーを、一口飲んで、顔をしかめた。
 
「――大変ね、奈々子さん」
 と、美貴が言った。
 同じ喫茶店。少し時間はずれて、美貴と奈々子の二人が向い合っている。
 もちろん〈南十字星〉のビルの前で待っていて、やって来た美貴を、ここへ連れて来たのである。
「これからどうするの?」
「そうですねえ……。まだ考えてません」
 そりゃそうだ。まさか今日、店が爆発する(!)なんて、誰が思うもんか。
「もし良かったら――」
 ほら来た。奈々子は、紅茶を一口飲んで(コーヒーにこりて、今度は紅茶を頼んだのだった)、まずいのでギョッとした。
「私と一緒にドイツへ行ってもらえないかしら? とても無茶で、図々しいお願いだってことは承知してるんだけど」
「本当ですね」
 と、奈々子は素直に言った。「大体、野田さんがご主人を殺したんじゃないか、とおっしゃってたでしょ」
「ええ」
「どうしてそう思ったんです? あんなに頼りにしてらしたのに」
「それなのよ」
 美貴は、ため息をついた。「――私も、まさかと思ってたわ。でも、ついこの間、夫や野田さんと大学で同じだった方に、町でばったり出会ったの。そして色々話してたら、私と主人がハネムーンに出た次の日に、野田さんもどこか外国へ行った、ってことが分ったのよ」
「野田さんも? どこへ?」
「その人は知らなかったわ。きっと恋に破れてのセンチメンタルジャーニーだろう、って笑ってたけど。でも、私、気になって、調べてみたの」
「どうやって?」
「いつもあの人が航空券や宿泊の手配を頼む旅行社へ行って。私もその係の人を知ってたから。そしたら、野田さん、突然前の日になって――つまり、私たちの式の当日に、ドイツへ発《た》ちたい、何とか席を取ってくれないか、って電話して来たんですって」
「へえ……」
「それも二枚」
「誰かと一緒?」
「そうらしいの。名前は教えてくれなかったけど。でも、おかしいわ。野田さん、そんなこと、一言も言わなかった」
「なるほど……」
 そりゃ、確かにおかしい。――しかし、だからって、野田が三枝を殺した、っていうのは考えが飛躍してるんじゃないだろうか。
 大体、そんなに突然殺す気になるってのが妙だし、そんな時に、旅行社に頼んだりしないだろう。
 殺す気でなく、ドイツへ行って、向うで何かがこじれて、結果として殺しちゃった、というのなら、分らないでもないけど。
「どうかしら、奈々子さん」
 と、美貴は、何となく切なげな目で、じっと奈々子を見つめて、「旅としては快適だと思うわ。飛行機もファーストクラスを取るし、ホテルも一流の所。もし、その方がよければ別々に部屋も取るし」
「そんなこと、どうでもいいんですけど……。行って、何を調べるんですか?」
「野田さんが、向うで私たちの後を追っていたのかどうか、知りたいの」
「でも、そんなことできます? 女性二人だけで」
「私、向うに知り合いがいるの。手を貸してくれると思うわ」
 美貴の決心は固いようだ。
 もっとも、そんなに決心が固いなら、一人で行きゃいいようなもんだが、そこがお嬢様なんだろう。
 でも――私には関係ないわ、と奈々子は思った。そうよ。私は別に何も……。
「ね、奈々子さん」
 ぐっと身をのり出して、美貴は奈々子の手を握った。
 いやだ! 絶対にいやだ!
 そんな用事でヨーロッパに行くくらいなら、その辺の温泉でのんびりした方がよっぽどいい!
 ともかく――いやだ!
 
「承知してくれて嬉《うれ》しいよ」
 と、志村武治は微《ほほ》笑《え》みながら言った。「お礼は充分にさせてもらうからね」
「はあ」
 と、奈々子は言った。
 何でこうお人好しなのかしら、私は。――つくづくため息が出る。
 もちろん、〈南十字星〉が吹っ飛んでしまって、しばらくは失業することになるから、仕事は捜さなきゃならないとしても……。
「美貴の力になってやってくれ」
 と、志村は奈々子の手を握った。
 車の中で手を握られるなんてことに、奈々子は慣れていない。
 申し遅れたが、奈々子は、志村の車に仱盲皮い郡韦扦ⅳ搿¥趣い盲皮狻⑦転手付きの凄く大きな外車。
 志村って人は、大変な金持なんだわ、と奈々子は改めて感心した。
 奈々子だって、「お金」は嫌いじゃない。でも「お金持」は――好きとか嫌いというほど、知り合いがいない!
 ともかく、志村に手を握られて、奈々子は一瞬ギョッとしたのである。
 しかし、志村としても別に深い意味があって手を握ったわけではないらしかった。
 その証拠に、すぐ離したからである……。
「でも、私、強そうに見えるかもしれませんけど……。ま、そう弱くはありません。でも、空手も剣道もできないんです」
「分ってるとも」
 と、志村は笑って言った。「実はね、美貴には言っていないのだが、君には知っておいてもらいたいんだ」
「何です?」
「ボディガードをつける」
「私たちに?」
 それならそうと、もっと早く言えって!
 奈々子はホッとした。
「それなら……。安心して旅ができますね」
 と、急にうきうきして来るから現金なもんである。
「そう。危険はないから、君は大いに旅を楽しんでくれればいい」
 と、志村は肯いた。
「で、誰がついてくれるんです?」
「ええと……」
 志村は手帳を出してめくると、「――ああ、これだ。K探偵社の森田という男だ」
 あの、世にも下手くそな尾行をして、奈々子を怒らせた男だ。
 よりによって!――奈々子はまた、たちまち頭痛がして来そうになったのだった……。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:22:22 | 显示全部楼层
10 標的は誰か

 丸と三角と四角がワルツを踊ってる、ってとこかな。
 奈々子は、その絵を眺めて、それから絵の下に添えられた表題を見て、目を丸くした。
 これが〈雨の日の競馬場〉?
「――だめだ」
 奈々子の現実的想像力では、とてもついていけなかった。
 しかし――もちろん、奈々子も、美しいものは美しいと感じるだけの感受性を充分に持ち合せている。ただ――絵画の領域では、風景画とか裸婦、音楽なら「白鳥の湖」辺りに止まってはいたのだが。
 スタイルもいけない。美術館に来るからって、何もこんな気取った――といったって、当り前のワンピースだが――格《かつ》好《こう》をすることはなかった。周囲を見回しゃ、ジーパンの男の子、女の子がいくらもいる。
 芸術家風に髪やひげをのばして、絵の前でウーンと唸《うな》ったりしているのがいると、素直な奈々子など、ひそかに尊敬の念など抱いてしまったりするのだが……。
 ところで、今日は日曜日である。
 といっても、〈南十字星〉がなくなってから、奈々子にとっては、「毎日が日曜日」てなもんで、のんびり――いや、とんでもない! 一週間後には、ドイツへ発《た》たなきゃいけないというので、大あわての日々だったのである。
 しかし、その辺も志村が手配してくれて、パスポートの申請もしたし、必要な物も、この二日間、毎日買物に出て、買い揃《そろ》えた。
 三日後に出発。とりあえずは一息ついているのである。
〈南十字星〉の店は、マスターの奔《ほん》走《そう》で、何とか再建の目《め》途《ど》が立ちそうだった。
 しかし、元のビルはもう無理というので、どこか別の場所に移ることになるだろう、ということだった。喫茶店は立地条件で八割方商売になるかどうか決ってしまう、というところがある。
 マスターも、候補地選びに苦心しているようだった。しかし、奈々子は、
「新しい店でも使ってくれる」
 という約束をとりつけているので、ま、後々の仕事は確保したわけである。
 さて、日曜日に、奈々子がわざわざこんな美術館までやって来たのは、他でもない……。
「あ、いたいた」
 と、声がして、トコトコやって来たのは、志村ルミ子だった。
「あら、ルミ子さん」
「わあ、すてき! 奈々子さんって、そういう格好すると、やっぱり女ね」
 何てほめ方だ。しかし、ルミ子のような子に言われると、腹も立たない。
 大体、ルミ子の可《か》愛《わい》いスタイルと比べられたら、こっちなんか――「青い山脈」なんて映画にでも出て来そうだ。
「野田さん、表の車で待ってるわ」
 と、ルミ子が言った。「ごめんなさい。何だかデートのお邪魔しちゃって」
「そんなことないの。男の人と二人って、疲れてだめだから」
 野田に誘われたので、ルミ子と一緒なら、という条件をつけたのである。変わったデートだ。
「野田さんは見ないのかしら?」
 と、奈々子は歩きながら言った。
「うん。車、仱盲皮胜い瘸证盲皮欷沥悚Δ椁盲啤(D―私、絵って好き」
 と、ルミ子は言った。
「全然分んないわ」
「分んないところがいい」
 こういうのに、ついて行けないのである。
「――ね、ちょっと座りましょ」
 広い美術館の一角に、お茶を飲むスペースがある。二人はその隅《すみ》の方に、腰をおろした。「ドイツ行きの仕《し》度《たく》、すんだんですか?」
 と、ルミ子が訊《き》いた。
「何とかね。後は当日、行くのを忘れないようにしないと」
「面白い人、奈々子さんって」
 ルミ子は明るく笑った。
「面白くたって、もてないのよね」
「そんなことないわ。野田さんだって――」
「恋人っていうんじゃないわよ」
「そうかなあ。――でも、本当に?」
 と、ルミ子が、ちょっと探るように奈々子を見る。
「何が?」
「野田さんのこと。私、好きなんだもん」
「へえ……」
「もちろん、野田さんから見りゃ、子供でしょうけどね。でも、結構、家庭教師してもらってたころから、好きだったの」
 あいつ! 真面目そうな顔して。
「でも、野田さんは姉さんに夢中だったし。三枝さんと結婚したんで、私、内心ホッとしたの」
「でも……」
「そう。――また、野田さんとお姉さん、って可能性も出て来ちゃったから、正直なところ面白くないの」
 まあ、それはないでしょ、と思ったが、ルミ子にそうは言えない。
「奈々子さん」
「何?」
「お姉さんの気持、確かめてくれません?」
「私が?」
「そう。野田さんのこと、どう思ってるのか……。私だって真剣なんだもん。姉さんが、野田さんのこと、ナンバーツーとしか思ってないのなら、私の方がナンバーワンに考えてるってこと……。野田さんの気持はもちろん大切だけど」
 ルミ子の言葉はいかにも少女らしい率直さで、奈々子の胸を打った。
 しかし、正直なところ、奈々子としては、野田も完全には信じていないのだから、ルミ子のこの「告白」に、少々複雑な気分ではあった……。
「さ、見て回って、出ましょうか」
 ルミ子が、パッと明るく言って立ち上った。いかにも十代の若々しさである。
「野田さんが苛《いら》々《いら》しながら待ってるわね」
「もっとのんびり見て、待たせちゃおうか」
 と、言って、ルミ子は笑った。
 
 奈々子がアパートに帰ったのは、夜の十時過ぎだった。
 もちろん野田やルミ子と、大いに楽しく食事をして(当然おごらせて)来たのである。
 アルコールも少々入って、欠伸《 あ く び》しながら、タクシーを降り、奈々子は、アパートの方へと歩いて行った。
 お風呂へ入らないで寝ちゃおかな。でも、入らないと、却《かえ》ってすっきりしないかも……。
 全くの――全くの不意打ちだった。
 いきなり後ろから手がのびて来て、パッと奈々子の口をふさぐ。
 声を上げる前に、両手でその手を外そうとして――目の前にナイフが光った。
 後ろから組みついた誰かが、左手で奈々子の口をふさぎ、右手に握ったナイフを奈々子の胸に突き立てようとしたのだ。
 ナイフが奈々子の胸をめがけて――あわや、と思った時、カチッ、と金属の当る音がした。
 奈々子の手に下げていたハンドバッグが、ちょうど胸のところへ来ていて、ナイフがそのバッグを刺したのだ。
 もちろん、革のバッグぐらい、簡単に貫き通してしまうだろうが、中のコンパクト――一応そんな物を持っている――に刃の先が当ったのだった。
 舌打ちする音。――一呼吸あった。
 奈々子も、立ち直っていた。殺されてたまるか!
 肘《ひじ》で、思い切り、後ろをついてやった。これがみごとに決った。
 口をふさいだ手が外れる。奈々子は、振り向きざま、バッグを力一杯振り回した。手応えがあった。
 相手がよろける。――そして、諦《あきら》めるのも早かった。
 相手がドッと駆け出して行った。
 奈々子は、追いかけてやろうかとも思ったが……。しかし、やはりそこまでは、できなかった。
 何かが足下にパラパラと落ちる。
 ハンドバッグの中身だ。よく見ると、ハンドバッグが、スパッと裂けてしまっている。
 もしかしたら、バッグでなく、私の胸が切り裂かれていたかもしれない……。そう思うと、急に奈々子はガタガタ震え出してしまった……。
 ――やっと部屋へ入ると、鍵《かぎ》をかけ、チェーンもかけ、畳の上に引っくり返る。
 心臓が、今になって苦しいほど打っている。
「警察へ知らせなきゃ……」
 と、呟《つぶや》いたものの、体の方が言うことをきかないのだ。
 電話が鳴って、奈々子は、
「ワァッ!」
 と、声を上げてしまった。「――ああ、びっくりした!」
 電話が鳴り続けている。――奈々子は這《は》うようにして、やっと電話に辿《たど》りついた。
「――もしもし」
「奈々ちゃんか」
「マスター……。良かった!」
「どうしたんだ?」
「あの……今、外で、誰かに殺されかけたんです」
「何だって?」
「嘘《うそ》じゃないんですよ。本当です。バッグなんか穴があいちゃって、もう――」
「大丈夫なのか? けがは?」
「してない……と思います」
「そうか。警察へは?」
「まだ……」
「よし。僕が連絡するよ。外へ出るんじゃないよ」
「ええ。もう大丈夫」
「いや、心配してたんだ。今日昼間から、何度か電話してたんだがね」
「すみません。出かけてて。何か用だったんですか」
「用心しなさい、と言おうと思ってね」
「え?」
「例の爆発だがね。どうやら、誰かが爆弾のようなものをガスの元栓の辺りに取り付けて、リモコンで爆発させたらしいんだ」
「リモコン?」
「といっても、そう難しいものじゃない。しかし、それよりね、問題は、誰が、なぜそんなことをしたのか、だ」
「ええ、そうですね……」
 奈々子は、あの直前に、無言の電話があったことを思い出した。それを話すと、
「やっぱりね」
「というと?」
「その電話は君が店にいるのを、確かめたんだと思うね」
「じゃ、あの爆発は――」
「奈々ちゃんを狙《ねら》ったんだよ」
 ――どうして?
 どうして私が狙われるの? こんな善人が!
 奈々子は、不安と怒りとやり切れなさで……。ともかく何が何だか分らない混乱の中、旅立とうとしていたのである……。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-6 20:23:33 | 显示全部楼层
11 出 発

 お断りしておくが、奈々子だって、そう毎回毎回、アクション場面を楽しんでいるわけじゃないのである。
 作者としても、奈々子のために、美しいドレスと宝石で着飾った大舞踏会とか、夕焼のモンブランを背景にしたラブシーンとかを書いてやりたいと思ってはいるのだが、残念ながら、物語はまだその段階ではない。
 従って今回も、やや唐突ながら――。
「何すんのよ!」
 奈々子は、すぐ後ろへ寄って来た男を、エイッと突き飛ばしてやった。
「ワッ!」
 男がみごとに引っくり返る。
 奈々子としても、多少神経過敏になっている気配、なしとしない。
 それもまあ無理からぬことで、何しろ、二度も殺されかけたのだから。
 一度は爆弾、一度はナイフ。で、「二度あることは三度ある」なんてことわざが、急に実感を持って迫って来る。「三度目の正直」とも言うし。
 明日はドイツへ出発、って今になって、やたら周囲に用心していたのである。
「おお、いてえ。何するんだよ」
 と、男は、やっとこ起き上って来た。
「あんた……」
 例のK探偵社の森田である。
 奈々子は、最後の買物(?)に出かけて来たところで、横断歩道で信号が青になるのを待っていたのだ。そこへ、妙な男が寄って来たので……というわけである。
「何してんのよ。こんな所で」
 と、奈々子は言った。
「聞いてないのか、志村さんから」
「あんたが、ボディガードになるっていうんでしょ。知ってるわよ」
 と、奈々子は言ってやった。「頼りないボディガード」
「お前なんか守ってやる必要もないけどな」
「じゃ、やめれば」
「仕事だ」
「へえ」
 やり合っている内に信号が変っていた。奈々子はあわてて横断歩道を渡った。
 もちろん、森田もついて来る。
「私なんかより、美貴さんについててあげれば?」
「向うへ行ったら、お前についててくれ、と言われたんだ」
「どうして?」
「向うは今日一歩も外へ出ない、とさ」
「なるほどね」
 奈々子は納《なつ》得《とく》した。「じゃ――はい」
「何だ?」
「これ持って」
 スーパーの袋を森田に持たせる。
「どうして俺《おれ》が――」
「ボディガードでしょ」
 と、奈々子は言ってやった。
 しかし――もちろん、奈々子も死ぬのは怖い。
 それも、理由も分らなくて死ぬなんて、いやだ! それは、カフカみたいな「不条理の世界」ってものだ。
 いや、まあ、もちろん奈々子を襲った誰かは、別にカフカに影響されたわけではないだろうし、ちゃんとした(というのも何か変だが)理由があったのだろう。
 しかし、その「理由」というのが何なのか、奈々子には見当もつかない。
 大体、奈々子は、たまたま美貴の夫の失《しつ》踪《そう》に係《かかわ》り合っただけだ。それも、特別深く係り合っているわけでもない。
 何か、殺されるような秘密を握っているわけでもない。それなのに……。
 私が美し過ぎるのがいけなかったのかしら、とも考えてみたが……。やはり、これは違うだろう、と思い直した。
 アパートへ帰りつくと、奈々子は、森田を部屋へ上げて、優しくお茶を出してやったりは、しなかった……。
 電話が鳴っていた。
「――はい」
「浅田奈々子君かね」
「あ、志村さんですか」
「明日、出発だね」
「ええ、まあ」
「ちょっと会いたいんだが」
「構いませんけど。――どこで?」
「迎えに行くよ、車で」
 あの凄《すご》い外車!
「はい! じゃ何時ごろ――」
「五分ぐらいしたら行く」
「五分? どこからお電話を?」
「車の中」
 なるほど。
「分りました」
 電話を切ると、あわてて着替えをして、外へ出た。
 森田が、表でむくれて立っている。
「どこへ行くんだ?」
「あんたはついて来なくていいの。雇い主のご用だから」
 と、奈々子は言ってやった。
 
「色々大変だったようだね」
 と、志村は言った。「殺されかけたっていうじゃないか」
「おかげ様で」
 と、奈々子は言った。「いつの間にか、VIPになったみたいです」
 志村が忙しいというので、車の中で、お茶をもらっている。
「――君をとんでもないことに巻き込んだようで、すまんと思ってるよ」
「いい男でも捜して下さい」
 と、奈々子は言ってやった。「でも、妙じゃありませんか」
「うん?」
「そりゃ、美貴さんと、そのご主人、若村麻衣子って女。――三角関係とか、色々あっても、そりゃ分ります」
「うむ」
「でも、それと、私のこと殺そうとするのが――」
「それは確かに分らない」
「いえ、そうじゃないんです」
 と、奈々子は言った。「その殺し方です。喫茶店に爆弾しかけたり、私を殺そうとしたのも、たぶん、誰かに頼まれた人間だと思うんです」
「なるほど」
「そんなのって、ただの三角関係のもつれ、なんかとうまく結びつかないと思いませんか?」
「全くだ」
 志村は肯《うなず》いて、「君はなかなか頭のいい子だね」
「どういたしまして」
 志村は少し考えていたが、
「これは、君に話したものかどうかと迷っていたんだが」
「何でしょう?」
「これは美貴の全く知らないことなんだ。そのつもりで聞いてくれ」
「はあ」
「三枝が向うで姿を消したのについては、もちろん、色々 噂《うわさ》も飛んでいる。例の若村麻衣子の線も、もちろんある」
「じゃ、何か他にも?」
「実はこのところ、妙な噂が耳に届いているのだ。――三枝が、何か密輸に係っていたらしい、というんだよ」
「密輸?」
「まあ、詳しいことは分らないんだが、そんな噂だ。向うで消えたのも、何かそれに関連してのことじゃないか、というんだ」
「密輸……。それなら、何となく分りますね」
 と、奈々子は肯いた。
「君の身に起ったことを考えると、その密輸の話も、本当かもしれん、と思えて来たんだよ」
 と、志村も肯く。「もちろん美貴は何も知らない。大体、潔癖な子だ。夫がそんなことに係ってると知って、黙ってはいない」
「でも、なぜ私が狙《ねら》われるんですか?」
「さあ、そこまでは分らない」
「それに――もしその話が本当なら、ドイツへ行って色々調べるの、危《あぶな》いんじゃありません?」
「うん」
 志村は、アッサリと肯いて、「確かに、危い」
「そんな!――あの頼りないボディガードだけなんですよ、頼りは」
「そこを何とか頑《がん》張《ば》ってくれ!」
 いくら頑張れ、って言われてもね……。
 奈々子は、自分の方が蒸発したくなって来たのだった……。
「よいしょ、よいしょ」
 と、奈々子は、成田空港のロビーで、スーツケースを撙螭抢搐浦盲取ⅴ榨Ε盲认ⅳ颏膜い俊
「さて、と……」
 美貴さんはどこかな? この辺りで待ち合せたんだけど。
 ともかく、平日といっても、人の多いこと! これだけの人が、毎日毎日、外国へ行ったり、戻《もど》ったりしているのだ。
 電車に仱毪韦却螭筏茐浃椁胜じ幸櫎违鹰弗庭攻蕙螭猡い搿
 しかし、何といっても、奈々子にとっちゃ大変なことなのである。
「ルフトハンザのカウンター……。ここよね、確か」
 と、何度も確かめていると、
「奈々子さん!」
 と、呼ぶ声がする。
 美貴にしては、元気のいい声だ。
 キョロキョロして捜すと、
「おーい!」
 手を振りながらやって来るのは、何とルミ子!
「あら……。どうしたの?」
 奈々子はルミ子がすっかり旅行者風の軽装なのを見て、びっくりした。「まさか、一緒に行くんじゃないでしょ?」
「その『まさか』」
「だって――学校は?」
「特別に休みを取ったの。父も諦めて出してくれた」
「危いのよ!」
「大丈夫。向うには知り合いがいるから。――美貴さんは?」
 奈々子は、しかしまだ面食らっていて、
「それにしても――何を考えてんだ、あの親父」
 なんて呟《つぶや》いていた。
「え?」
「何でもないの」
 と、奈々子は首を振った。
「あ、来た」
 と、ルミ子が言った。
 なるほど、美貴がやって来た。しかし――凄《すご》い荷物!
「ちょっと、これ見てて。手伝って来るわ」
 と、奈々子は駆け出した。
「奈々子さん! ルミ子も一緒なのね」
「そうらしいです」
「良かったわ。あの子の方が、私より度胸もあるし、助かるわ」
「それにしても、凄い荷物ですね。――私、持ちますよ」
 と、奈々子は、美貴の手から、トランクを受け取ったが――。
「ずいぶん古いトランクですね」
 はっきり言えば、ボロだった。
「ええ。私のじゃないわ」
「じゃ、誰の?」
 美貴は、後ろを指さした。――あの森田が両手に大きなスーツケースを下げて、フウフウ言いながら、やって来る。
「あの人……。あの荷物は?」
「自分のよ。私は、この二つだけ」
「じゃ――一人で三つも?」
「旅に慣れてないと、どうしても多くなるのね」
 それにしても!
 奈々子は頭に来て、森田の方へ歩いて行った。
「ちょっと! そんなんで、ボディガードになるの?」
「大きなお世話だ」
「何を持って来たのよ」
「色々必要な物だ」
「へえ。――呆《あき》れた。私だってそんなにないわよ」
「ワッ!」
 と、森田が声を上げる。
 手に下げていたスーツケースも、相当古かったらしい。
 とめ金が外れて、パッと開いてしまい、中身がドドッと出て来てしまった。
 奈々子は目を丸くした。枕とかけ布《ぶ》団《とん》が飛び出して来たのである。
「俺は枕が変ると眠れないんだ!」
 と、真赤になって、森田があわてて枕をスーツケースへ戻《もど》している。
 これで無事に行けるのかしら?
 行くのはともかく、帰って来るのは、かなり絶望的かもしれない、と奈々子は思わざるを得なかったのである……。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2005-1-7 21:57:24 | 显示全部楼层
等你发全了打下来看。努力啊。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2005-1-8 18:09:59 | 显示全部楼层
谢谢你!
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2005-1-9 11:32:19 | 显示全部楼层
12 話しかけて来た男

 陰证坤铮
 奈々子は、苦しさに喘《あえ》ぎながら思った。
 私としたことが……。美貴を守るために、わざわざこうしてついて来たというのに、ドイツにも着かない内に、敵の陰证艘盲盲皮浃椁欷皮筏蓼Δ胜螭啤
 でも――敵も卑《ひ》怯《きよう》だわ。こんなやり方は汚《きた》ない!
「――大丈夫、奈々子さん?」
 と、美貴が、心配そうに訊いた。
 奈々子は、声も出せずに、それでも肯《うなず》いてかすかに笑って見せた。少なくとも、この努力は評価すべきであったろう。
「胃の薬、服《の》む?」
 と、ルミ子も後ろの席から覗《のぞ》き込んでいる。
「大丈夫……。少し楽になったから」
 奈々子は必死の努力でそう言った。
「悪かったわ」
 と、美貴が心配げに、「機内で食事が出るっていうのを話しておかなかったから」
 だって――飛行機は夜の九時半に飛び立ったのだ。夜の九時半なら、みんな夕食を済ましてると考えて当り前じゃないの!
 奈々子は出発前に、時間潰《つぶ》しに入ったレストランで、たっぷり夕食をとってしまったのだ。
 ところが――飛び立って一時間余り、十一時近くになって、夕食が出た。
 海外旅行が初めての奈々子としては、これにはびっくりしたが、「いらない」と断るのは失礼かもしれないと思って(というより、もったいない、と思ったのだ)、出るもの出るもの、ジャンジャン食べてしまったのだった。
 ファーストクラスなので、座席は大きいし、間隔もゆったりしているし……。しかし、それとは裏腹に、奈々子のお腹はパンク寸前、おかげで眠るに眠れず、ウンウン呻《うな》っているのだった。
「誰だって知ってると思ってたから」
 と、ルミ子が言った。「成田で食事してるの見て、奈々子さん、よっぽどお腹空いてるんだな、と思ったんだけど……」
 どうでもいいよ、と奈々子は思った。我ながら、自分のドジに呆《あき》れてしまう。
「――貧乏人は困ったもんだな」
 と、いや味を言っているのはボディガードの森田である。
「何よ」
 と、奈々子はにらんでやった。
「無理して食うからだ。もったいないとかいって」
「フン、あんただって、ガツガツ食べてたくせに」
「無理してまで食ってないぞ」
 と、森田はやり返した。「ちゃんと今日は昼飯から抜いて来たんだ! 参ったか」
 どっちもどっちだ。
「アンカレッジまでは大分あるわ」
 と、美貴が言った。「ゆっくり休んで下さいな」
「ええ……。生きてドイツへ着けたら、神社へ行っておさい銭を上げなきゃ」
「ドイツに神社があるか」
 と、また森田がにくまれ口をきく。
「森田さん」
 と、美貴はキッと、この頼りないボディガードをにらんで、「あなたは私だけじゃなくて、奈々子さんを守るのも仕事なんですからね」
「はあ」
 森田は座席のリクライニングを一杯に倒して、「しかし、その女は丈夫そのものです。殺したって死にゃしませんよ」
 ヤッ、と弾《はず》みをつけて、後ろへ体を倒したが、クッションが良すぎて、はね返り、
「ワッ!」
 みごとに座席から上半身がはみ出し、逆さに床へ落っこちてしまった。
「ざま見ろ」
 と、奈々子がベエと舌を出す。
 スチュワーデスが、笑いをかみ殺して、真赤な顔をしていた。
 ルミ子がキャッキャッと声を上げて笑い出す。
 ――まことににぎやかな旅の始まりとなったのだった。
 
 ドイツへ果たして無事に辿《たど》り着けるかしら、という奈々子の不安も、何時間かウトウトして、ルフトハンザ機がアンカレッジへ降りたころには、大分薄らいで来ていた。
 アンカレッジはもちろんアラスカの都市である。ここでジャンボ機は燃料補給や亞Tの交替で、一時間ほど停るのだった。
 その前に起こされて朝食が出たが、さすがに奈々子も今度は遠慮することにした。
 アンカレッジでは、空港の一画だけを自由に歩ける。
 免税品の売店がズラッと並んで、食べ物のカウンターもある。しかし、奈々子はアイスクリーム一つも見たくない気分だった。
 それでも、時計だの香水だののケースを眺めていると、大分気分も良くなって来る。
 空港を見渡す椅《い》子《す》に腰をおろしていると、
「奈々子さん」
 と、ルミ子がやって来た。「どう、ご気分は?」
「最低の状態からは、何とか這《は》い上りつつあるわ」
「良かった。奈々子さんって元気一杯にしてないと、何だか別人みたい」
 元気だけが取り柄《え》みたいね、と奈々子は思った。――ま、それも事実ではある。
「私、ちょっと売店を覗《のぞ》いて来るわ」
 と、ルミ子は言った。
「どうぞ」
「仱霑r間になったら、アナウンスもあるけど、ここへ呼びに来るわね」
「よろしく」
 仱赀Wれて置いてかれたらことだ。
 一人になって、表を見ていると……。
「――失礼」
 と、声がした。「お邪魔かな」
 隣に座ったのは、髪が半ば白くなった、五十代半ばくらいと見える紳士だった。高そうなジャケットを着て、パイプなど手にしているのが、いかにも似合う。
「いえ別に……」
 と、答えてから、思い出した。
 同じファーストクラスの客の一人だ。
「あの……同じ飛行機の……」
「そうです。いわばお仲間ですな」
 と、その紳士は微《ほほ》笑《え》んだ。
 どことなく、志村を思わせるが、こちらの方は、ビジネスマンというよりも、どっちかというと芸術家風。
「お騒がせして、すみません」
 と、奈々子は謝《あやま》った。
「いや、旅は楽しい方がいい。にぎやかなのも大いに結構」
「恐れ入ります」
「しかし――何となく面白いグループだな、と思いましてね。四人、ですな」
「ええ」
「男性一人は離れて座っているし、どうも、あまりファーストクラスに慣れていない方のようだ」
「ボディガードです」
「なるほど」
 と、その紳士は大げさに肯いて、「ではVIPのご旅行というわけですな」
「いえ、別に……。私も初めてです。ファーストクラスどころか、セカンドもサードも、仱盲郡长趣胜啤筡
 野球と間違えられそうである。
「あなたはあの若いお二人の先生といったところですかな」
「先生?」
 ちょっとショックである。美貴は二十四か五になっているのだ。私、まだ二十歳よ!
「いえ――ただの知人で」
「そうですか。いや、あの二人が、何だかあなたのことを頼りにしておられるように見えたのでね」
「そ、そうですか。まあ、多少頼られることもありますけど」
 そう答えて、はて、この人はどうしてそんなことを訊くんだろう、と思った。
 もちろん、単なる好奇心ってこともあるだろうが……。
 こりゃ用心した方がいいかもしれない。何といっても、用心棒ではないまでも、奈々子は美貴のことを助けるためにやって来ているのだから。
 相手が何か他のことを訊《き》いて来る前に、
「失礼ですけど、何をなさってらっしゃるんですか?」
 と、奈々子は訊いてみた。
「私ですか? いやまあ……。何といいますかね。暇を持て余してる人間、とでも申し上げておきましょうか」
「まあ、羨《うらやま》しい。そんな方もいらっしゃるんですね。――やっぱりドイツへ?」
「ええ」
「どちらへ行かれるんですか?」
「まあ……取りあえずはフランクフルトに泊って、それからゆっくり決めたいと思っています」
「もう何度も行かれてるんでしょうね」
「そうですね。もう二、三十回は――」
「二、三十回! 凄《すご》い!」
 と、奈々子はオーバーに驚いて見せた。「凄いお金持なんですねえ」
「いやいや……」
 何だか相手も、奈々子からこれ以上訊かれても困ると思ったらしい。立ち上って、
「お邪魔しましたな」
「いいえ。とんでもない」
「では、また……」
 歩いて行く紳士の後ろ姿を見送っていると、
「おい」
 と、いきなり肩を叩《たた》かれ、びっくりした。
「何よ、気楽に触んないで」
 と、奈々子は森田をにらんだ。
「心配して、声をかけてやったんだぞ」
 と、森田はふくれている。
「あんた用心棒でしょ。少し怪しい客はいないか、とか調べたらどう?」
「何の話だ?」
「今、ここにいた人よ。ファーストクラスの客だけど、何だかいやに私たちのこと、詳しく訊きたがってたわ」
「ふーん。物好きなんだろ、お前に話しかけるぐらいだから」
「もう一回言ってみな」
 と、拳《こぶし》を固めて突き出して見せる。
「それでも病人か。――よし、ちょっと後を尾《つ》けてみよう」
「もう遅いわよ」
 と、奈々子は言ってやったのだった。
 ――飛行機に戻《もど》ると、あの紳士は先に席について、イヤホンで、音楽を聞いて目を閉じていた。
「あの人、見たことあります?」
 と、奈々子は美貴に、そっと訊いてみた。
「どの人?――あの方? いいえ、全然知らない」
「やっぱりね……」
「何かあったの?」
「そうじゃありませんけど、要注意ですね」
 奈々子はそう言って、いつの間にやら、胸や胃の、気持の悪さがすっかり治ってしまっていることに気付いたのだった……。
回复 支持 反对

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2025-6-5 19:36

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表