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一级阅读

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发表于 2005-7-26 09:10:27 | 显示全部楼层 |阅读模式
日本語能力試験の読解文法の部分は、大量な練習を通じて語彙などの基本的な知識を身に付け、言語の実践力レベルを高め、日本語に対する全体的に把握し、日本各方面の状況と日本式の考え方を理解し?正確的に日本語を身につける目的に達するのである。  読解は能力試験としての綜合反映で?受験生が?習った語彙の量?言語の表現能力?論理的に推理能力?知識の広さなどと深い関係がある。ここ数年その内容にも?数量にも?難しくなる勢いがある。読解部分は常に二篇の長い文章と六篇の短い文章からなっている。長い文章の後に六至七個の問題があり、短い文章の後に一至三個の問題がある。形式は正しい答えを四つから一つ選んでくださいというような形である。1999年と2000年の新しい変化は表と図の形式で問題を出すのである。文章の内容を正しく理解する上で一番ふさわしい答えを選ぶ。  文法の部分は読解の後で現れ?受験生の文法知識を検査するのである。毎年少し違ったのですが大体の範囲は変わらない。?<語能力考試語法精解>1,2級(上海外語教育出版社)という本には1,2級の文法範囲がある。形式も四つから一つ選ぶのである。  次例を見てみましょう   日语能力考试的阅读理解和语法部分猪只在于通过大量阅读,加强对词语基础知识的掌握,提高语言的实际运用能力,培养对日语的整体感性认识,加深对日本各方面状况及日本人思维方式的理解,已达到真正掌握日语的目的。   阅读是能力的综合反映,与考生掌握的词汇量,语言综合表达能力,逻辑推理能力,知识面等均有很大关系。日语能力考试的阅读和语法部分近几年来有容量扩大难度增加的趋势。阅读的文章数量增多,信息量大,文章长度减少,无疑增加了考试的难度。阅读部分通常由2篇较长的文章与6篇较短的文章构成。常文章一般每篇后有6至7个问题,端文章后一般有1至3个问题,形式均为选择答案式。从给出的4个大案中选择1个符合题干的答案。最近两年的考试中一个较新的变化就是配合题干出现了图表式问答。要求考生在正确理解文章内容的基础上识图,根据原文选择符合题意的图表。   语法部分是在阅读理解部分之后,主要考察考生的语法知识。考点虽然年年有所不同,但基本范围是不变的。在《日语能力考试语法精解》1,2级(何文晔,徐旻编著)(上海外语教育出版社)上列出了1,2级的语法范围。其形式也为四选一。 下面我们看例题 車の哕灓颏筏皮い肴摔胜槔斫猡扦毪瑜Δ恕⒆苑证吻胺饯溽岱饯钎抓抓盲去楗伐绁螭Qると気になるものです。たとえば、交差点の信号が青になったのに気がつかずに、後ろから『プププープー』と長いクラクションを鳴らされたら、人によっては驚きたり、『うるさいなあ』と不快に感じるでしょう。 社会心理者の木下富雄先生の書かれた『クラクションランゲージ』という論文の中に、クラクションのエピソードがあります。ある教授が道を歩いていたとき、後ろからきた車からクラクションを鳴らされた。教授は車を通すために道を譲った。ところがすれ違ったときに車はもう一度クラクションを鳴らした。人がどいてやったのにまたクラクションを鳴らすとは失礼な奴だ、と教授は怒っている。木下先生はそこで最初のクラクションは『A』という意味だが、後のクラクションは、『B』という感謝の意味のクラクションですよ、と説明をされたという話です。木下先生はこの体験から、日本では車を哕灓工肴摔冗転しない人との間にマイカー文化とノーカー文化という異なる文化圏が成立しており、このエピソードは一種の文化摩擦ではないかと述べています。 筆者は実験で交通状況を設定してクラクション反応を求め、状況の違いによりどのようなクラクションが存在するかを分析しました。刺激場面を実験室でスてライドプロジェクターにっよ提示させ、実験教示を聞いた後に被験者はスイッチを押してクラクションを鳴らします。 細部は省きますが、分析の結果、クラクションには社会的エチッケト、安全確保、感情表現の三つのパターンがあると推定できました。非常に短い社会的エチケットのクラクション、中程度の長さの安全確保のクラクション、最も長い(0.5秒を越える長さ)感情表現のクラクションです。初心者は長さの違いがはっきりせず、安全確保や社会的エチケットと感情表現のクラクションが重なっています。また、いかなる交通状況でも、平均して0.5秒を越えるクラクションを鳴らすドライバーが一定の比率で存在しています。しかし、こういう何気ないクラクションが(中略)『この馬鹿野郎!』という挑戦的で攻撃的な意味と受け止められる恐れがあります。 (注)クラクション:自動車の警告ベル (注)マイカー:自分の車 (注)ノーカー:車を持っていないこと (注)刺激場面:実験で反応を導き出すための場面 (注)スライドプロジェクター:スライドを映すための機械 (注)被験者:実験を受けるひと 問1『人』とあるが、ここでは誰のことか。 1、木下先生 2、ある教授 3、車を哕灓筏皮い咳薥 4、筆者 問2『教授は怒っている』とあるが、なぜ教授は怒ったのか。 クラクションの 1、音がうるさかったから 2、音に驚いたから 3、意味を誤解したから 4、意味が間違っていたから 問3『A』と『B』に入る組み合わせを選べ。 1、A:ありがとう B:ご苦労さま 2、A:こんにちは B:しみません 3、A:あぶないぞ B:お先にどうぞ 4、A:どいてくれ B:どいてくれてありがとう 問4『説明をされた』とあるが、誰が説明したのか。 1、木下先生 2、ある教授 3、車を哕灓筏皮い咳薥 4、筆者 問5『一種の文化摩擦』とあるが、かかではどのような意味か。 1、国や文化が異なると、同じクラクションの意味が異なる 2、いつ鳴らすかによって、同じクラクションでも意味が異なる 3、クラクションの長さが異なると、クラクションの意味、も異なる 4、哕灓工肴摔冗転しない人では、同じクラクションの意味が異なる 問6『クラクション反応』とは、ここではどのようなものか。 1、クラクションがどのような意味を持つか 2、クラクションにどのような反応をするか 3、クラクションをどのように鳴らすか 4、クラクションについてどう思うか
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:11:06 | 显示全部楼层
『悪魔』は日本にも存在するのだろうか。日本人にとっての悪魔の概念を、国際日本文化センターの山折哲雄教授(宗教学)に本誌、羽賀神朋子が聞いた。 善悪の感覚について、日本には、ユダヤ教やキリスト教の悪魔に相当するものは存在しない。日本にも鬼というものはあるが、これには『悪』の側面と同時に『神』の側面もあり、 神はときに鬼の面をかぶって他界からやって来たりする。 つまり善とは悪に対立せず、ダブルイメージとしてお互いに融合し互換可能な関係にある。 これが日本人の善悪に関する考え方の一つのメルクマールだ。 仏教の思想について、仏教では、地獄に堕ちた者でも仏の慈悲により直ち往生できるようにさまざまな救済措置が用意されている。地獄に堕ちた悪魔的な人間が永久に閉じ込められているキリスト教的な考え方とは、この点が大きく異なる。 こうした仏教の考えを背景としているため、善悪にあまりこだわるべきでないという考え方が日本人にはある。宗教の極地は善悪を越えたかなたに存在し、善悪はむしろ世俗的な問題だ、というわけだ。善悪にこだわるのは、生き方の本質ではないと考えられてきたのである。 そのため日本人には絶対的な悪の観念がなく、根源的に悪を掘り下げ突き詰めていくという思考形態も培われていない。それで子どもに悪魔という名前をつけるような、悪の『遊び化』といった現象も起こる。 オウム事件について、オウム真理教のような事件はある意味で、キリスト教やユダヤ教で問題にされてきた『悪』が眼前に現れてきたような出来事だった。事件を機に、日本人は初めて『根源悪』ともいうべきものに直面し、人間の悪の姿に気づきはじめたといえるのではないか。 だから今回の事件でも、非常にヒステリックに反応するばかりで、オウム抹殺論のような極端で幼稚な議論しかできない。 逆の言い方をすれば日本人はこれまで、そのくらい幸福だったともいえる。そういう人生観を今後ももっていけるなら、それはそれで必ずしも悪いことでない。さらにこうした楽観的な考え方が世界のものになれば、世界全体は平和になるのかもしれない。そうはいないのが現実なのだが。 難しい言葉 悪魔:あくま/恶魔,魔鬼 ユダイ:犹太 懲らしめる:こらしめる/制裁を加えて懲りるようにさせる/惩罚,教训ダブルイメージ:二重の印象/双重印象 慈悲:じひ/慈悲往生:おうじょう この世を去って他の世界に生まれ変わること。特に死後、極楽に生まれる こと。(佛)极乐掘り下げる:ほりさげる /突っ込んで考える。深く究明する。/深挖,深入思考培う:つちかう /能力や性質を養い育てる。育成する。/培养,培育ヒステリック:ヒステリーを起こしているさま。また、興奮して、極度に感情の高まっているさま。/歇斯底里抹殺:まっさつ /人や事実などの存在を否定し、消し去ること。/抹杀,勾消 【読解練習】 前の文章を読んで、後の問いに答えなさい。下線のある部分にどれを入れるか、1、2、3、4から最も適当なものを一つ選びなさい。 1、日本人の感覚からいえば、____________。 1)鬼は『悪』である 2)鬼は『善』である 3)悪魔はかならずしも悪いものではない 4)『鬼』は『神』と同じものである 2、日本人の善悪に関する考え方と合っているものはどれなのか。 1)善と悪をはっきり区別するのは無意味である 2)善と悪は対立している 3)善と悪は一つになることはできない 4)善と悪は同じものである 3、山折哲雄教授からみれば、日本人の善悪に関する考え方はどれなのか。 1)世界平和につながるかもしれない 2)幼稚なものである 3)積極的な面がある 4)世界のものになれる 4、日本人はオウム事件を___________。 1)冷静にとらえている 2)きっかけに反省しはじめている 3)いろいろ議論してきた 4)『鬼』の代表と見ている 5、『ユダヤ教やキリスト教の悪魔に相当するものは存在しない』にある『相当』の意味と合っているものはどれなのか。 1)お互いに向きあうこと 2)相対する関係にあること 3)両者の関係がつりあうこと 4)両者が『ほぼ』同等の資格や働きを持つこと 6、『そうはいかないのが現実なのだが』にある『そはいかない』と一番意味の近いものはど れなのか。 1)日本人はこれから幸福になれない。 2)これまでの善悪の考え方がこれからもっていけない 3)世界のものになれない 4)世界全体は平和になれない 【読解練習の参考答案】 1(3)  2(1)   3(3)  4(2)   5(4)   6(2) 本期读解1的翻译 本杂志的宇贺神朋子采访了国际日本文化研究中心的山折哲雄教授:在日本是否真的存在恶魔。 (山折哲雄教授作了如下回答) 关于恶魔的感觉--在日本是不存在相当于犹太教或基督教中的恶魔的。 在日本虽然有鬼一说,但是在鬼的一说中存在邪恶的一面的同时也存在神的一面,在对人类实行惩罚的同时也会保护人类。比如,在传统艺能或宗教的仪式中,神有的时候就会戴着鬼的面具从他界而来。 简言之,善与恶并不是对立的,而是作为双重的身份相互融合,并存于可能转换的关系之中。这是日本人关于善恶的一种思维方式的印记。 关于佛教的思想--在佛教中,即使是深陷地狱的人,由于佛的大慈大悲,为使其能够超脱,会有各种各样的拯救方法。在这一点上,其思想与深陷地狱的罪恶之人永世也不得超脱的基督教思想是截然不同的。 由于以这样的佛教思想为背景,日本人认为并不应该局限于善与恶,在宗教之极尽处存在着超脱于善恶的彼地,而善恶则只不过是世俗的一种观点。日本人认为仅受限于善恶这种想法并不是生存的本质。 正是由于这个原因,在日本人的思维中,并不存在绝对的恶的观念,也并没有追究恶的根源这种思考形态。所以就出现了像给孩子起恶魔名字那样的恶魔游戏这样的现像。 关于奥姆事件--像奥姆真理教那样的事件,在某种意义上,出现了犹太教和基督教中的恶魔。以这件事为契机,可以说日本人开始直面应该称之为“根源恶”的事实,开始意识到人类邪恶的一面。 所以对于这次事件,全是一些歇斯底里的反应或像奥姆抹杀论那样的极端幼稚的论调。 如果换一种说法,也可以说日本人至今都是非常幸福的。如果他们今后也怀有那样的人生观生活下去的话,也未必是件坏事。甚而如果这种乐观的思维方式如果可以成为世界的一种思维方式的话,也许全世界都会和平。但这是不可能的却也是一种现实。
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:11:36 | 显示全部楼层
野薔薇 小川 未明 大きな国と、それよりすこし小さな国とが、となり合っていました。当時、その二つの国の間には、何事も起こらず、平和でありました。 ここは、都から国境であります。そこには、両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は、老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。 二人は、石碑の建っている右と左に、番をしていました。いたってさびしい山でありました。そして、まれにしか、その辺を旅する人影は、見られなかったのです。 初め、たがいに顔を知り合わない間は、二人は、敵か味方かというような感じがして、ろくろくものも言いませんでしたけれど、いつしか二人は、仲良しになってしまいました。二人は、ほかに話をする相手もなく、たいくつであったからであります。そして、春の日は長く、うららかに頭の上に照りかがやいているからでありました。 ちょうど国境の所には、だれが植えたということもなく、一株の野薔薇が茂っていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その速い羽音が、まだ二人のねむっているうちから、夢心地に耳に聞こえました。 『どれ、もう起きようか。あんなに蜜蜂がきている。』と、二人は、申し合わせたように起きました。そして、外へでると、果して、太陽は、木の梢の上に元気よくかがやいていました。 二人は、岩間から湧き出る清水で口をすすぎ、顔をあらいにまいりますと、顔を合わせました。 『やあ、おはよう。いい天気でございますな。』 『本当にいい天気です。天気がいいと、気持ちが清々します。』 二人は、そこで、こんな立ち話をしました。互いに頭をあげて、辺りの景色をながめました。毎日見ている景色でも、新しい感じを、見るたびに心にあたえるものです。 青年は、最初、将棋の歩み方をしりませんでした。けれど、老人についてそれを教わりましてから、このごろは、のどかな昼ごろには、二人は、毎日向かい合って、将棋を指していました。 初めのうちは、老人のほうがずっと強くて、こまを落として指していましたが、しまいには、当たり前に指して、老人が負かされることもありました。 この青年も老人も、いたっていい人々でありました。二人とも正直で、親切でありました。二人は、一生懸命で将棋盤の上で争っても、心は打ち解けていました。 『やあ、これはおれの負けかいな。こう逃げ続けては、苦しくてかなわない。本当の戦争だったら、どんなだかしれん。』と、老人は言って、大きな口を開けてわらいました。 青年はまた、勝ち味があるので、うれしそうな顔つきをして、一生懸命に目をかがやかしながら、相手の王様を追っていました。 小鳥は、梢の上でおもしろそうに歌っていました。白い薔薇の花からは、よいかおりを送ってきました。 冬は、やはりその国にもあったのです。寒くなると、老人は、南の方をこいしがりました。その方には、せがれや孫が住んでいました。 『早く、ひまをもらって帰りたいものだ。』と、老人は言いました。 『あなたがお帰りになれば、知らぬ人がかわりに来るでしょう。やはり親切なやさしい人ならいいが、敵、味方というような考えを持った人だとこまります。どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、春がきます。』と、青年は言いました。 やがて、冬が去って、また春となりました。ちょうどそのころ、この二つの国は、何かの利益問題から戦争を始めました。そうしますと、これまで、毎日なかむつまじくくらしていた二人は、敵、味方の間がらになったのです。それが、いかにも不思議なことに思われました。 『さあ、お前さんとわたしは、今日からかたきどうしになったのだ。わたしは、こんなに老いぼれていても少佐だから、わたしの首を持っていけば、あなたは出世ができる。だから、殺してください。』老人は言いました。 これを聞くと、青年はあきれた顔をして、『何を言われますか。どうして、わたしとあなたとが敵どうしでしょう。わたしの敵は、ほかになければなりません。戦争は、ずっと北の方で開かれています。わたしは、そこへ行って戦います。』と、青年は言い残して、去ってしまいました。 国境には、ただ一人、老人だけが残されました。青年のいなくなった日から、老人は、呆然として日を送りました。野薔薇の花がさいて、蜜蜂は、日が上がってからくれるまで群がっています。今、戦争はずっと遠くでしているので、たとえ耳をすましても、空をながめても、鉄砲の音も聞こえなければ、い堡啶辘韦菠工椁撙椁欷胜盲郡韦扦ⅳ辘蓼埂@先摔稀ⅳ饯稳栅椤⑶嗄辘紊恧紊悉虬袱袱皮い蓼筏俊H栅悉长Δ筏平Uちました。 ある日のこと、そこを旅人が通りました。老人は、戦争について、どうなったかとたずねました。すると。旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみな殺しになって、戦争は終わったということを告げました。 老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思いました。そんなことを気にかけながら、石碑の礎にこしをかけてうつむいていますと、いつかしらず、うとうとと居眠りをしました。かなたから、大勢の人の来る気配がしました。見ると。一列の軍隊でありました。その軍体はきわめて静粛で、声一つ立てません。やがて、老人の前を通るときに、青年は、黙礼をして、薔薇の花をかいだのでありました。 老人は、何かものを言おうとすると、目が覚めました。それは、全く夢であったのです。それから一月ばかりしますと、野薔薇がかれてしまいました。 その年の秋、老人は、南の方へひまをもらって帰りました。 言葉の解説 番をする/ 見張りをする ろくろくものも言いません/ まともなものも言いません。十分にお話もしません。 当たり前に指す/ こまを落さないで指す どんなだかしれん/ どんな様子だか知れません 青年の身の上を案じていました/ 青年の呙蛐呐浃筏皮い蓼筏縗 かの青年でありました/ あの青年でありました 手引き 1 二人の心の結び付きがよく表れているところを、ぬきだしてみましょう 2 野薔薇がかれたことから、どんなことが想像されますか。また『野薔薇』という題がなぜ付けられたのか、考えてみましょう。 3 二人の兵士が仲良になった理由はどのように書かれているでしょうか。その理由を、さらにほり下げて考えてみましょう 读解译文 野蔷薇 [小川未明] 一个大国和一个比其小的国家接壤相邻。当时,两国之间无任何纠纷,和平相处。 这是一处远离首都的边境所在。在这里,两国都只派遣一个士兵守护着国境线上的界碑。大国的士兵是一位老者,小国的士兵则是一位青年。 二人在界碑的一左一右值班。此处是一个十分寂寞的深山,很少能见到游客的身影。 最初,当两个人还不认识时都有一种敌我双方的感觉,很少跟对方讲话,可是不知何时,两个人却成了好朋友。这是由于除两个人外再没有任何说话的伙伴,同时也是由于春天的太阳长时间地暖洋洋的照在头上的缘故。 正好在国境线处,自然的生长着一株茂密的野蔷薇。蜜蜂一大早就飞来聚集到蔷薇花上(采蜜)。蜜蜂那悦耳的振翅声,当两个人还在睡梦中就传入了耳底。于是,两个人就会不约而同的说道:“啊,该起床了。蜜蜂都来这么多了。”起床后来到外边一看,果然太阳已经照在了树梢上。 当两个人准备用岩石缝里涌出的泉水漱口洗脸时就碰了面。于是两个人就会站在那里交谈几句:“啊,早上好,今天真实个好天啊。”“的确是个好天啊。天气一好,心情也格外舒畅。” 说完,两个人还会抬头眺望四周的景色。虽然是每天都见惯了的景色,可是每看一次都会给你一种新的感受。 那位青年最初不会下象棋,可是在跟老者学了一段时间之后,近来两个人便可在和暖的中午时分每天对坐而弈。 最初,老者棋艺高超,下棋时要让子给青年,可是到了后来,两个人就可以平下,有时青年甚至还能让老者输上几盘。 这位青年和老者都是十分好的人,两个人既正值又热诚,虽然两个人在棋盘上互不相让,可是内心深处却十分融洽。 “哎呀,这次又是我输了。这么逃来逃去真是难受死了。要是真的战争,真不知会是什么样子?” 老者说着又张开大嘴笑了起来。 青年由于又有了取胜的希望,因此他一副笑逐颜开的样子,两眼泛着兴奋的光彩拼命的追杀着对方的老帅。 小鸟在枝头快乐的歌唱,白色的蔷薇花送来了诱人的芳香。 这个国家仍然也有冬季。天一冷起来,老者便开始怀念起南方,那里住着他的儿子和孙子。老者说:“真想请个假早点回去。”于是青年人则回答说:“如果您回去了,就会来一个不认识的人吧。如果同样是一位和蔼可亲的人还算罢了,要是一个持有敌我意识的人就难办了。请您无论如何再坚持一阵子。不久,春天就会来的。” 不久,冬去春来。正在这时,两国之间由于某种利益问题爆发了战争。这样一来,每天和睦相处的两人(一下子)便成了敌我关系。这的确令人感到费解。 “今天起你和我就成了敌对关系。我虽然已经这么老了,总还是个少佐,把我的人头拿去的话,你就可以出人头地了。所以,你把我杀了吧!” 老者如是说道。听了这些话,青年大吃一惊。 “您怎么能这么讲。为什么我和您是敌对关系呢?我的敌人必须是其他人。战争正在大北方进行,我到那儿打仗去。” 青年留下了这句话便离开了。 国境线上只留下了老者一个人。当青年人不在的日子里,老者便茫然度日了。野蔷薇开了,蜜蜂从早到晚聚集在花丛上。目前,战争在很远的地方进行,因此侧耳倾听或是遥望天空,既听不到枪炮声,也看不见硝烟。老者从青年离开的那天起便担心着青年的命运,日子便这样过了下来。 一天,一位游人从此经过。老者便向其询问战争的进展如何。于是,那位游人告诉他,小国被打败了,该国的士兵都被杀死了,战争(已经)结束了。 老者想,那样的话,青年也肯定死去了吧。当他心里想着这件事,坐在界碑的石基上低头沉思时,不知什么时候便迷迷糊糊的打了个盹儿——他觉得从远处好像来了很多人。仔细一看是一队士兵。并且骑马指挥这些士兵的便是那位青年。这队士兵非常肃静,不发一丝声响。过了一会儿,当青年通过老者面前时,向他默默的敬了个礼,并嗅了嗅蔷薇的花香。 当老者想要说什么时,就醒了。这原来是一个梦。打那之后,仅过了一个月,野蔷薇便枯萎了。 那年秋天,老人请假回到了南方。
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:11:59 | 显示全部楼层
 死体ははたしてだれのものか。  自分のものだとしても、死んだ後では、所有権を実際に自分で主張することはできない。  法的には、そこはどうなっているのか.それを私は、実は知らないのである。職業柄、年中扱っている「もの」の、所有権が不明である。そんなことで、よく仕事が勤まる。そう怒られそうだが、無論常識的には、死体は、遺族のものである。  しかし、ちょっとご想像いただくと分かるはずだが、遺族というのは、しばしば単数ではない。遺産相続の場合なら、子供にはすべて、平等の権利があるはずであるか。そんな議論は、聞いたこともない。  こういう議論自体が不謹慎だ.ひょっとすると、そうお考えになる方があるのではないか。もしそうなら、私としては、たいへん我が意を得たことになる。不謹慎であるとか、世の中乱れるとか、人心に与える影響を恐れる。こういった、かならずしも明確に定義できない常識が、死体にかかわる多くの問題の背景となっているからである。  こうした常識を考え、それと戦うことは、決して容易ではない。私は死体を扱うのが仕事だから、そうはいっても、それを考えざるをえない。したいをめぐって、しばしばトラブルが生じるからである。  こうした漠然とした常識.それの背景をしるためには、じつは日本の文化そのものを追究せざるを得ない.私の仕事は、いつの間にか、そういう方向を向かいてしまった。  遺族だって、決して明瞭ではない。しばしば複数の遺族が出現することがあるからである.東京に住んでいる遺族が親の解剖を承諾したが、田舎から出てきた遺族がそれに反対する.こういう例も多い。すでに解剖が始まっているときに、「私は解剖するとは聞いてなかった、実は反対だ」という親族が現れる.これは、われわれがいちばん困惑するケースである。  事前に十分に調べろといったって、よその家族の事情だから、それは困難である.解剖を承諾しますといっていただくだけで、当方としてたいへん感謝している。そこを押して、「お疑いするようでもうしわけないが、もしかしたら、田舎のご親族で、解剖に反対の方がおられませんか」。そんなことを、きけるはずがないではないか。  遺族に私が殴られたりするのは、こうしたケースである.仕事の上だから、別にどうということはないが、250年の歴史を持つ解剖ですら、この国では、必ずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる。 注1遺族:死んだ人の家族や親類 注2遺産:死んだ人が残した財産 問い1文中の1~7の問いに対する最も適当な答えはどれか.1,2,3,4から一つ選びなさい。 1、「自分」とはだれか。 1)死んだ人 2)死んだ人の親 3)死んだ人の子供 4)解剖する医者 2、「もの」とは何か。 1)法律  2)権利  3)死体  4)職業 3、「怒られそうだが」とあるが、だれが怒られるのか。 1)死体  2)筆者  3)遺族  4)子供 4、「そんな議論」とは、何についての議論か。 1)死体を分けること 2)子供を分けること 3)遺族を分けること 4)家族を分けること 5、「それ」に含まれる内容として適当なものは、次のどれか。 1)明確に定義できない常識 2)自分の仕事のやり方 3)死体をめぐるトラブル 4)死ぬことの意味 6、「こうしたケース」とは、どんな場合か。 1)解剖を承諾した遺族に、感謝の言葉を言わなかったような場合 2)解剖が始まってから、解剖に反対の遺族が現れるような場合 3)「田舎のご親族で、解剖に反対の方がおられませんか」と聞いた場合 4)遺族全員が解剖に反対している場合 7、「必ずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる」とあるが、文章中の何によって、それが「よくわかる」のか。 1)いぞくがしばしばたんすうでないこと 2)常識と日本文化には関係があること 3)遺族の意見を十分に調べるのが無理なこと 4)遺族に筆者が殴られたりすること 問い2この筆者の職業として、最も可能性の高いものは何か。 1)作家  2)弁護士  3)日本文化研究家  4)医者 問い3最近筆者は主にどんなことに関心を持っていると考えられるか。 1)死ぬ権利をめぐるさまざまな議論 2)遺産相続に関する常識 3)死体にかかわる常識の文化的背景 4)解剖技術の発展の歴史 問題2次の文章を読んで、後の問いに答えなさい.答えは、1,2,3,4から最も適当なものを一つ選びなさい  私の知っている寿司屋の若い主人は、なくなった彼の父親を、いまだに尊敬している.死んだ肉親のことは多くの場合、美化されるのが普通だから、彼の父親追憶もそれではないかと聞いていたが、そのうち考えが変わっていた。  高校を出たときから彼は父親にすしの握り方、飯の炊き方ーー寿司屋になるすべてを習った.父親は彼の飯の炊き方が下手だとそれをひっくりかえすぐらい厳しかったが、何といっても腕に差があるから文句は言えない。だがある日、たまりかねて「なぜぼくだけに辛く当たるんだ」ときくと、「おれの子供だから辛く当たるんだ」と言い返されたという。  父親が死に、一人前になって店をついで見ると、その辛く当たられた技術が役に立ち、なるほど、なるほどと彼は分かったそうである。  私はこの若い主人の話を聞くたびに羨ましいと心の底から思う。そこにはわれわれがある意味で理想とする父親と子供の関係があるからである。  子供はその時、技術だけではなく父親の生き方も学んでいく.自分の作る寿司に妥協しない父親、飯の炊き方一つにも找猡虺证盲皮浃敫赣Hの生き方を技術と同時に習っていく。それが本来、父親というものだ。  私がこの若主人を羨ましいと思ったのは、私には、自分の息子にそのような技術が教えられぬからだ。私は小説家だが、息子は別の道に進むに違いない.私が今日まで習得した小説を書く技術を彼に教えることはできない.今の多くの父親も私と同じ酔うな悲しみをこどもにもっているにちがいない。自分が習得した技術を子供に教えられぬ悲しみ、あるいは教えるべき技術を持たない悲しみが心のどこかにあるに違いない.そして子供にとっても父親はそれによって、自分が将来を生きる知恵を伝えてくれる師ではなく、ただけむったい存在か、友人のようなパパにすぎないのであろう。  せめてそれなら子供に自分の趣味を吹き込もう.ツリノ好きな父親は子供にツリを、レコードの好きな父親は子供にクラシックを、薔薇作りの好きな父親は花の作り方を子供に教えようと私は思うことがあるが。 問い1  1「それ」が指す内容として最も適当なものはどれか。 1)死んだ肉親の追憶 2)死んだ肉親の美化 3)死んだ肉親への尊敬 4)死んだ肉親厳しさ 問い2  2「そのうち考えが変わってきた」のは、だれの考えか 1)筆者 2)寿司屋の若主人 3)なくなった父親 4)筆者の息子 問い3  3「なぜぼくだけに辛く当たるんだ」とあるが、「つらくあたる」とはこの場合どういう意味か 1)はげしくぶつかる 2)必要以上に厳しくする 3)理由を言わずに殴る 4)何も教えてくれない 問い4  4「なるほど、なるほどと彼はわかった」と在るが、彼がわかったことは何か 1)父親が死んだ理由 2)店をついだ理由 3)父親が辛く当たった理由 4)筆者が彼を羨ましいと思っている理由 問い5筆者が考える5「理想とする父親と子供の関係」とは、どんな関係か 1)違う仕事をする関係 2)趣味を教える関係 3)お互いに文句を言わない関係 4)技術とともに生き方を伝えられる関係 問い6  6「それなら」が指している内容として最も適当なものはどれか 1)教えられる技術がないから 2)伝えるべき理想がないなら 3)こどもにちえがないなら 4)子供に趣味がないなら 問い7この文章に表れている筆者の気持ちはどれか。 1)死んでから尊敬される父親になるために、趣味を教えよう 2)父親というのは、死んでから子供に尊敬されたいものである 3)子供には暴力を使ってもいいから、技術を教えるべきだと思うのだが. 4)技術を通して子供に生き方を教えられれば良いのだが 問題3次の1~4の文章を読んで、それぞれの問いに対する最も適当な答えを1,2,3,4から一つ選びなさい。 1、私は自分の行動について、いかなる批評もしなかった。人の目には.あるいはそうすることが行動を規制する、ただ一つの方法であるように見えたかもしれないのに、私にとっては、それも不要であった.いや、不要ではない.その暇もないほど、それは素早かった。気が付いたときには、もう行動していた。 問い「それ」とは、何のことか。 1)批評  2)人の目  3)規制  4)行動 2、今、公園の池にかかっている橋のあたりに目を向けているとしよう。すると、橋の向こうから一人の少女がやってくる。目はその少女にひきつけられる。このとき。端や池など周辺のものはすべて、単なる背景になってしまう。カメラで言えば、あっという間に、ピントが小女にあわせられてしまうのである。ところが逆に、その橋の形が珍しく、それに注目しているときは、その上を通る人などは背景になってしまう。 問いこの文でいいたいとは何か 1)人はどのようなものでも同じような見方をしている 2)何に注目するかによって見えるものが違ってくる。 3)人はどのような時でも人間を中心に見る 4)カメラを通してみると、ものが違ってみる。 3、もし、宇宙人がわたしたちの住む太陽系の探検にやってきて、地球を見つけたらなんというでしょうか。おそらくこの地球を「青く光る美しい水球」と名づけることでしょう。  海は地球の表面の70.8%を覆っています。また。陸地にもたくさんの川が流れていますし、大きな湖もあります。  宇宙人はまた、地球のところどころが、いつも雲におおわれているにおどろくことでしょう。雲のかかっている空からは、水が雨となって降り、陸地もつねに、みずであらわれています。こうしてみると、わたしたちは水の世界で暮らしているとさえいえます。 問いこの文で筆者が言いたいことは何か 1)宇宙人が地球を「青く光る美しい水球」と名づけたこと 2)宇宙の中で地球は水の豊富な星であること 3)宇宙人がはじめてわたしたちの住む地球にやってくること 4)宇宙の中では地球がどの星よりも美しいこと 4、日本は、その初期と近代に二つの計画都市を作った。京都と札幌である。古い都市の代表である京都も、あたらしい都市の代表選手である札幌も、ともに自然発生的な都市ではなく、日本ではひじょうにまれな人工の都市である。京都は中国を、札幌はアメリカをモデルにした都市であり、東洋文明の特徴があらわれているといえないだろうか。文明とは自己の持つ原理原則の不変性を根本とする。日本の文明は、可変性という原則を不変的に持ちつづけた文明であり、札幌の発展は、古代以来の日本文明が、いまだに健在であることのよき例証であろう。 問い1札幌と京都の共通点は何か 1)同じ都市をモデルにして作られたこと 2)自然にできた都市であること 3)人工的に作られた都市であること 4)東洋の都市をモデルにしていること 問い2筆者によると日本文明が不変的に持ち続けている特徴は何か 1)計画性  2)発展性  3)可変性  4)人工性 問題1-問い1:1-1 2-3 3-2 4-1 5-1 6-2       7-4     問い2ー4     問い3ー3
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:12:40 | 显示全部楼层
 人間が環境に適応してうまく生きていくためには、子どもにしろ、学生にしろ、あるいはまた社会人にしても、さらに一家の主婦でも一国の総理大臣でも、自分の置かれた状況を意識し、その中での自身の立場をよく知り、考え、それによって今どのように行動したらよいかを正しく判断することがもとめられます。この場合に動員される精神機能が、知能です。したがって知能には、直感とかひらめきのような瞬間的に心に浮かぶ判断力から、瞬間的にはわからないが長時間熟慮の末にようやく一つの判断にたどりつく心の働きまで含まれることになります。〔①〕、心の働きのみちすじや精神活動の手続きを踏まない本能的行動や動物本来の反射的行動などは。知能とはいえません。たとえとして、②野生のサルが食べ物を探して食べる行動を見てみましょう。  まず、サルが空腹を覚えることは、動物本来の生理的感覚ですから知能ではありません。しかし、その空腹感によって食べ物を求めようとするとき、どこに食べ物がありそうかと考え、そちらの方向へ移動を始めようとするのはサルなりに判断が働きますから知能でしょう。ところで移動のさい、どの道を都通ったら安全で効果的かの選択は知能によりますが、走ったり歩いたりの筋肉邉幼陨恧稀C械的になされますから知能活動とはいえません。〔A〕  ともかくそのようにして、ある物体を目撃し、それが食べ物か否かの判断はサルの知能によります。つまり、サルはその物体を直感的にか仔細にかいずれにせよ観察して、③それがやはり食べ物だと見抜きます。そこで食べ始めるわけですが、元来物を食べる行為は、無防備になることですから、サルは安全に食べられる場所をさがさなければなりません。安全と思われる場所で食べはじめても、不意の外敵に襲われないよう絶えず周囲に気を配っていなければなりません。このような用心は〔④〕。[B]  一方、サルが食べ物をムシャムシャ食べるさい、食べ物をかむことは機械的に行われ、同時に唾液が口中に出てくることも反射によるものですから、知能とはいえません。じゅうぶん噛んでから胃のほうへ飲み込むことも消化管の反射邉婴扦工韦侵埭扦悉ⅳ辘蓼护
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:12:58 | 显示全部楼层
わたしももう48歳で「お若いですね」とお世辞を言われるような年頃になった。もちろん、そのようなお世辞はたいてい聞き流すが、ときには「若くないよ。昔なら人生50年、もうすぐ終わりだ」と①言い返すこともある。そのようなことを言われ始めるのは、人びとにわたしが老人と見られ始めたということに過ぎないからである。  それは、自分が自分を見る場合にも言えることで、「自分は(②)」と思いはじめたら、それは(③)しるしなのである。実際、若い人は「自分はまだ若い」なんて思っていないし、むしろ「もう歳だ」と言うようなことを言いたがる。それが老いはじめると「自分は若い」と言い出すわけで、たいていの老人は自分は実際の年齢より若く見えるし、たとえ若く見えなくても本当は精神的にも肉体的にも若いと信じている。④自分は実際の年齢よりも老けていると思っている老人にお目にかかったことはまだない。  たしかに老化の進み具合は人によって異なり、年齢の進み具合と必ず市も一致しないが、ほとんどの老人が実際より若いと言うことは論理的におかしな話で、それなら、実際の年齢通りに老けている老人のほうが例外だと言うことになってしまう。⑤そんな馬鹿なことはない。老人がそう思っているのが希望的観測に過ぎないことは明らかで、自分の状態よりさらに老けている状態を勝手に「年齢相応」と決め込み、それと自分を比較しているに過ぎない。  つまり、老人になればなるほど自分は若いと思いたがるわけで、したがってこのことから当人の老化の程度を判定できるのではないかとわたしは考えている。かりに老化指数と言う言葉を使えば、⑥(老化指数)=(暦年齢)-(当人が思っている年齢)という方程式が成り立つ。たとえば15歳の人が自分はもう一人前のおとなで、20歳で通ると思っていれば老化指数はマイナス5、20歳の人が自分は20歳程度と思っていれば老化指数は0、40歳の人が35歳程度思っていれば5、60歳の人が50歳程度だと思っていれば10である。ここに自分は50歳と変わらないと思っている70歳の人と、自分は60歳ぐらいには見えると思っている同じく70歳の人がいるとすれば、老化指数は前者が(⑦)、後者が(⑧)で、前者のほうが二倍もより老化しているわけである。「近頃の若者は」なんて言うと老いた証拠と笑われるかもしれないが、⑨近頃の若者には、はたちを過ぎたばかりなのにもう「おじん」または「おばん」になったと嘆き、10代にみられたがる者が、22歳の者が自分は18歳に見えると思っているとすれば老化指数は20代にしてすでに4である近ごろ、そういう若者が多いと言うことは、一方では若者の幼児化がいわれているが、他方では早くから精神的に老けこんでいる証拠ではなかろうか。 (注1)「もう歳だ」:「もう老人だ」 (注2)老化指数:老化の程度を示す数字 (注3)暦年齢:実際の年齢 (注4)おじん:おじさん (注5)おばん:おばさん 問1①「言い返すこともある」とあるが、なぜだと考えられるか。 1お世辞を言われるような年頃になったから 2自分の人生はもうすぐ終わりだと考えたから 3老人と見られ始めたことを意識させられるから 4お世辞を聞き流すのは相手に失礼だと思ったから 問2(②)と(③)に入る組み合わせとして、最も適当な者を選びなさい。 1②もう歳だ③若い 2②もう歳だ③老人になった 3②まだ若い③若い 4②まだ若い③老人になった 問3④「自分」は、だれを指すか。 1老人 2筆者 3若い人 4お世辞を言う人 問4⑤「そんな馬鹿なこと」とは、どのようなことか。 1老化の進み具合は人によって異なること 2精神的にも肉体的にも自分は若いと信じていること 3実際の年齢通りに老けている老人が例外になること 4年をとると、「若いですね」とお世辞を言われること 問5 筆者が⑥「(老化指数)=(暦年齢)ー(当人が思っている年齢)と言う方程式が成り立つと考え   たのは、なぜか。 1人によって体力のおとろえ方が異なるから 2老化が進むほど人は若いと思いたがるから 3ほとんどの老人が暦の年齢より若いから 4年齢相応の老け方を決められないから 問6(⑦)と(⑧)に入る組み合わせとして、最も適当な者を選びなさい 1⑦5  ⑧10 2⑦10 ⑧5 3⑦10 ⑧20 4⑦20 ⑧10 問7「老化指数」によると、次のうち最も老化しているといえるのはどれか。 1自分が20歳だと思っている30歳 2自分が35歳だと思っている40歳 3自分が40歳だと思っている30歳 4自分が45歳だと思っている40歳 問8⑨「近ごろの若者」について、筆者が最も指摘したかったことは何か。 1精神的に幼児化している 2精神的に老け込んでいる 3若く見えるようになった 4老けて見えるようになった 問題Ⅱ 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一    つ選びなさい。  重苦しいほど蒸し暑い晩だった。  空には星一つなく、海は不気味に静まりかえっている。  わたしはいつものように、後甲板の方へ歩いていった。後甲板には先客が一人いた。デッキの手すりにもたれ、その男はしきりに暗い海をのぞきこんでいる。 「今晩は」とわたしはこえをかけた。 振り返った男の顔は骸骨のように痩せ細っていた。眼が落ち窪み、顔色がひどく青白い。 「今晩は・・・」  男は低くしゃがれた声でそういうと、薄い唇をゆがめて笑った。 わたしは男の隣に歩み寄って、同じように暗い海を見つめた。海はいつでもわたしをもの哀しい気分にさせる。海の中にいる誰かが呼んでいるような・・・・・・ 「いやな晩ですね」とわたしは言った。 ①「そうですか・・・・・・」 男は骨ばった長い指で髪の毛をかきあげた。 「ぼくはこんな晩の方がすきなんですよ。なんとなく不気味で面白いじゃありませんか」 わたしは変わった男だなと思った。私が黙っていると、彼が問い掛けてきた。 「②この船に幽霊が出ると言う噂があるんですが、しっていますか?」 「幽霊?」 と私は聞き返した。 「ええ。やはりぼくたちみたいな客の一人が、自殺したことがあるんだそうです。こんあふうに重苦しくて、風のない晩だったといいますよ。その男はしばらく海を眺めていて、ふいに飛び込んだんです。ちょうどここから、今、ぼくらがこうしているところからね・・・・・・」  男は私の顔をのぞきこむようにして、にやりと笑った。 「あがった死体は、右の腕がなかったそうです。スクリュウに切り取られたのかもしれませんね」 二人は暗い海にほの白く泡だっているスクリュウのあとをしばらくみつめた。 「それで、その幽霊が出るんですね」  私の声は少し震えているような気がした。 「ええ、自分の失った右腕をさがしているのだという噂です。こういうふうにむしむしして、海が妙に静まり返った晩、③男が一人でその海を眺めてる。そして、しばらくするとふっと消えてしまうのです。」  男は自分自身をかき消すようなしぐさをした。 「なぜ、その男が自殺したのか知っていますか。」 と私は訊いた。 「(④)、何の原因もないのです。金に困っているわけでもなく、失恋したわけでもなかった・・・・・・」 眉をひそめ、男は遠いところを見る眼つきで海をみつめた。 「多分・・・・・・」といって男は口ごもった。 「多分、この海をみているうちに、なにもかもいやになったのでしょうね。そして、ひきずりこまれるように、飛び込んだのでしょう。ぼくには、その気持ちがわかるな。こうしていると、何もかも忘れて、この海の底でねむりたくなる。あなたは、そうおもいませんか?」  私も、海を見つめた。海は暗く、静かにわたしを呼びかけているように思えた。 (注1)骸骨のように痩せ細かった:非常に痩せた (注2)私を呼びかけている:通常は「私に呼びかけている」   ここまで読んで、次の問1から問4に答えなさい 問1①「そうですか・・・・・・」の意味に最もちかいものは、どれか。 1わたしもそう思います 2わたしはそう思いません 3わたしは夜が嫌いです 4わたしも夜が嫌いじゃありません 問2②「この船に幽霊が出ると言う噂」とあるが、この噂によると幽霊はどんな時に出るか。 1蒸し暑くて海の静かな晩 2もの哀しい気分にさせる晩 3海がほの白く泡立っている晩 4自殺したいと思っている客がいる晩 問3③「男が一人でその海を眺めている」とあるが、それは何のためか。 1自殺するため 2自分の右腕をさがすため 3幽霊が出るのを待つため 4海の中にいるだれかを呼ぶため 問4(④)に入る適当なことがを選びなさい 1それを2それで3それに4それが 上の文章の後には、次の文章が続きます。最後まで読んで、下の問い5問い6に答えなさい。   「そうなのです」 ため息を吐きながら、私は言った。 「それで、⑤あの晩私は飛び込んだのです。」 私の右腕がないのに男が気づいたのは、その時だった。 問5⑤「あの晩私は飛び込んだ」のは、なぜか。 1借金と失恋で生きる希望をなくしたから 2自分の失った右腕を捜そうと思ったから 3すべてを忘れて海の底でねむりたくなったから 4海の中の幽霊に呼ばれたような気がしたから 問6次の「幽霊」についてのべたもののうち、正しい物を選びなさい 1「わたし」が幽霊だった 2甲板にいた男が幽霊だった 3甲板にいた男と「わたし」が幽霊だった 4幽霊はでてこなかった 問題Ⅲ 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一    つ選びなさい。 (1) 言葉は時代と供に変わる。今の若い女性の仲には平気で男言葉で話す人も多い。男性が語尾に「よね」をつけて話したり、女言葉にちかづいてもいる。男女の言葉の差は昔に比べれば格段に少なくなっている。今の時代の男女の生き方を象徴しているのでもあるだろう。そんな中で「男言葉」「女言葉」を守ろうと言うのではない。時代の流れに任せてもなお自然に残る言葉は残るのではないかと思うのだ。口に出す時ちょっとした抵抗感があるかないかという形で。その感覚を大切にしたい。それが日本語の中の文化であり味わいであるかもしれないと思うから。 問この文章で、筆者はどのようなことを言おうとしていると考えられるか。 言葉の男女差は1将来、残らないだろう        2今後もなくなってほしくない        3今日では、意識されていない        4しだいに、大きくなっていくだろう (2) 旅行に出かける理由はいろいろありますが、一番の喜びは、旅先での解放感ではないでしょうか。  この解放感は、自分を知っている人が誰もいないと言う心理に起因します。つまり、自分が恥をかい  たり、失敗したり、あるいは、破廉恥なことをしても、そのことで後後困ることは起こらないと思う  からです。 旅先にいる私は、家庭や職場のわたしではなくて、どこのだれかわからないような匿名性をもった、  一人の人間なのです。 このように、自分を見つめることを忘れ、他人から批判される懸念も薄れ、恥とか罪と科による自己規  制も弱まり、いつもならしないような行動をとることを、没個性化現象といいます。こうした没個性  化は、大勢お見知らぬ人びとの中にいる時や群肖沃肖摔い霑r、自分が誰だか人にわからないような  時に現れます。 注1破廉恥なこと:道徳的にしてはならないこと 注2匿名:名前を隠すこと 注3懸念:心配 問「没個性化現象」は、どんな時に生じるか 1解放感が失われた時 2自己規制が強まった時 3匿名性が保たれている時 4批判される懸念が生じた時 (3) 言うまでもなく、木々の葉の緑を見る時、そのはには緑”色”という”物”がついているのではな   い。ある一定の状態の光の中で、その葉を前にしてもつ視覚的な体験のある種のあり方を、ひとは   緑という”色”を見たと表現しているのである、 目の前には”形”と”動き”があり、そこに人は”色”を見る。”色”は人の(①)にあるのでは   なくて、人の側にあるものなのだ。”色”とは、この地上で人が外界に対してもつ視覚的な対応の   仕方の一例であり、それは人の内側で起こる出来事の一例なのである。それに対し、”形”や”動   き”となると、そのあり方の把握は人の(②)でのことであるとはいえ、基本的には人の(③)で   起こっている出来事であるといえるだろう。 問(①)--(③)には、「内側」か「外側」が入る、その組み合わせとして最も適当な者を選びなさい 1①外側②内側③外側 2①外側②外側③外側 3①内側②内側③内側 4①内側②外側③内側 (4) ある言語が豊かさを獲とくするのは、ちいさな村落や島に、純粋に保存されることによってではなく、でくるだけ多くの異なる背景を持った人たちによって、できるだけ多くの異なる場面で、多様な目的のために用いられることによってである。そうでなければ、ことばは「       」。 問この文章の「       」の部分には、どんな内容の表現をいれることができるか。 1獲とくされない 2用いられない 3純粋にならない 4豊かにならない (5) 税に関する本を読んでも、最近の世界の税制改革を調べても、望ましい税の条件としてまっさきにあげられているのが負担の公平です。「公平」とは、とりあえず、国民がそれならば負担してもよい、負担するのもやむをえないと考える税負担の決め方と理解しておいてください。それでは、なぜ公平なのか。納税が義務、つまり強制だからです。寄付のように自発的な負担なら、負担の決め方が不公平だと思えば寄付を断ればよいのです。したがって、公平だと思う人だけが頼みに応じて負担する寄付はつねに公平です。ところが、強制的な税の場合はそうはいきません。負担の決め方が不公平だと思っても、納税は拒否できないのです。 問「なぜ公平なのか」というのは、別の表現で言うと、この場合、つぎのどれに近いか。 税負担が1なぜ公平になるのか 2なぜ公平だと言えるのか 3なぜ公平になりにくいのか 4なぜこうへいでなければならないのか (6) 自然現象を説明する主な仕方に、万物を生き物になぞらえて説明するやり方と、すべてを機械になぞらえて説明するやり方の二種類がある。前者を有機体論、後者を機械論という。科学の発達を大ざっぱにいえば、昔は自然を、世界を生き物としてとらえる考え方が(①)が、近代、17世紀からとくに万物を機械論的自然観が定着し、そのなかから近代科学を生み出してきて、今日にいたっている。動物や人間の身体も、機械のようにみなしてかなりうまく説明がつくのである。 しかし②むかしはそうではなかった。自然万物を生きとし生けるものとみなした。生き物の方が無機物よりずっと親近感があったからである。生きて活発に動く物の方が、鈍で動かないものよりずっと印象的だったからである。 問1この文章の(①)に入る適当なことばをえらびなさい。 1強かった2特別だった3不十分だった4めずらしかった 問2②「昔はそうではなかった」とあるが、どういうことか。 昔は1自然現象に関心をもたなかった。 2世界を生き物として考えなかった 3人間を機械とみなすことはなかった 4無機物については説明できなかった 正解 問題Ⅰ 1-3  2-4  3-1  4-3  5-2  6-4  7-1  8-2 問題Ⅱ 1-2  2-1  3-2  4-4  5-3  6-1 問題Ⅲ 1-2  2-3  3-1  4-4  5-4  6-(1,3)
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:13:19 | 显示全部楼层
 旅に出るときカメラは一応持っていくけれど、実際に写真を写すことは少ない。  大袈裟な主義主張があるわけではないけれど、わたしにとっては邪魔になることのほうがはるかに多い。その理由はーーカメラを持っていると、どうしても写真がとりたくなる。いや、とりたくなるというより取らなければいけないような義務感が心のなかに生ずる。  ーー「A」--と思って感銘した次の瞬間、  ーー「B」--そんな意識が脳裏に蠢いて、これがわずらわしい。  そればかりではない。いったんシャッターをおしてしまうと、  ーー「C」--といった気分が心を占め、目の前の佳景をしっかりと観賞し、記憶に留めおくという作用がどうしても甘くなる。中途半端にながめて、あとは後日写真ができあがったときに委ねてしまおうという心理が働く。  これがどうも風物を観賞するうえで間違った道のような気がしてならない。  私自身が入江泰吉さんとか浅井慎平さんとか、一流カメラマン並みの撮影技術を持っているのならよいけれど、実力は安いカメラでスナップを写す程度のもの。後でできあがった写真は絵葉書にも①遠く及ばない。結局のところ、景色をろくに見なかったこととさして変わりがない。そんなことなら初めからカメラなど当てにしない方がいい。数年前にそう悟って、以来めったに写真をとらなくなった。  カメラはないとなると、観賞法そのものもおのずと厳しくなる。②余計なことを考えずにすむから、心ゆくまで賞味することができる。  しかも、これから先にのべることは自分でもはっきりと断定できない微妙な心の作用なのだが、カメラがなければめのあたりに見たことをハーフ・メードの形で文章化しておくという仕事も、無意識のうちでやってしまうようだ。  ーーこの風景を小説の中で描写するとしたらどう書くだろうかーー  頭の片すみでそう考え、完全に文章化することまではしないが、なにかしら頭の中に文章に近い形に変えて貯蔵するようになる。  ハーフ・メードというのは、その言葉の語義からいって50パーセントほど製品化することだろうから、わたしの場合はとてもそこまではやらないけれど、10パーセントか20パーセントくらい(③)を自分の表現に変えて脳裏に記録するところがあるようだ。これがあとで小説やエッセイを書くときに役に立つ。  ④こんな作用は一般の人びとにはあまり必要なことではあるまいが、旅先で写真を撮ることにばかり夢中になっている人を見るとーーあんなことで風物をよく観賞することができるのだろうかーーと、不思議に思わないでもない。 注1感銘:深い感動 注2脳裏に蠢く:頭の中で動き出す 注3佳景:いい景色 注4委ねる:任せる 注5入江泰吉、浅井慎平:有名な写真家 注6さいて:それほど 注7心ゆくまで:気が済むまで 問1「A」「B」「C」に入る組み合わせとして、最も適当なものを選びなさい。 1A)いい景色だなあ  B)うん、これでいい  C)ああ、そうだ。写真に写しておかなくちゃあ 2A)ああ、そうだ。写真に写しておかなくちゃあ  B)いい景色だなあ  C)うん、これでいい 3A)うん、これでいい  B)ああ、そうだ。写真に写しておかなくちゃあ  C)いい景色だなあ 4A)いい景色だなあ  B)ああ、そうだ。写真に写しておかなくちゃあ  C)うん、これでいい 問2①「遠く及ばない」とはここではどういうことか。  1)写真も絵葉書も実際の景色のすばらしさにはとてもかなわないこと  2)自分で撮った写真より絵葉書のほうがはるかにすぐれていること  3)自分のカメラでは絵葉書のように遠くの景色がうまく撮れないこと  4)絵葉書よりも自分で撮った写真のほうがずっと価値があること 問3筆者は自分の撮影技術をどのように思っているか。正しいものを選びなさい。  1)カメラなどもつ資格はない。  2)それほど上手だとはいえない。  3)絵葉書の写真程度には写せる。  4)かなり高い撮影技術を持っている。 問4②「余計なこと」とはどのようなことか。  1)景色を十分に味わわなければならないということ  2)景色をしっかり記憶しなければならないということ  3)景色を写真に撮っておかなければならないということ  4)景色を文章で表しておかなければならないということ 問5(③)に入る適当なことばを選びなさい。  1)写した写真  2)頭の片すみの文章  3)眼で見たもの  4)微妙な心の作用 問6④「こんな作用」とはどのようなことか。  1)風景をある程度文章にして記憶すること  2)風景を深く観賞し、記憶に留めること  3)風景をテーマに小説やエッセイを書くこと  4)風景の写真を撮ることに疑問を感じること 問7筆者にとってカメラのない旅の利点は何か。  1)写真の代わりに文章の形で残るので小説などの作品がふやせること  2)無意識のうちにハーフ・メードの文章を書く技術が進歩すること  3)一流カメラマン並みに写真を撮れたかどうか心配しなくてもいいこと  4)風物を十分観賞できるうえに、ある程度文章化して記憶できること 問題Ⅱ次の文章を読んで、後の問に答えなさい。答えは、1,2,3,4から最も適当な者を一つ選びなさい。  仕事のことで、あなたは同僚の村山氏に助けを求めた。村山氏は自分の仕事を犠牲にして、時間もお金も使って助けてくれた。しかし結果は、あなたの窮状をわずかに救ってくれたにすぎない。他方、あなたは小沢氏にも助けを求めた。小沢氏は電話1本で、窮状を救ってくれた。さて、あなたは二人のどちらにより強い恩義を感じるだろうか。  対人心理学では、恩義の強さはコストとあなたが得た利益で決まると考える。  コストとは、相手があなたを助けるために費やした時間やお金、もろもろの犠牲のことである。利益もお金や物とは限らない。地位や名誉、失わずにすんだ面目の場合もあるだろう。  コストや利益が何であるにせよ、恩義はコストが(a)ほど、また利益が(b)ほど、強く感じる。恩義の強さは、コストの量と利益の量の(c)で決まるというのである。  「恩や義理は、日本人の人間関係の根幹にかかわる問題だ。それを①コストだ利益だなどいうのはけしからん」と思う人もいるだろう。(d)、「恩を売ったり」「借りを返したり」、見舞いの半返しをしたり・・・・・・②日本人の人間関係だって意外と計算高い。  そこで、冒頭の話をこう言い換えてみよう。  村山氏の払ってくれたコストが(e)、彼がもたらした利益を(f)とすると村山氏には11の恩義が生じる。小沢氏の支払ったコストは(g)、もたされた利益が(h)とすると小沢氏にも11の恩義が生ずる。同じ値になったとき、実感として、あなたはどちらに強い恩義を感じるだろうかというのが当方の問いだったのである。  この問いに対して、アメリカの心理学者は、小沢氏の方に強い恩義を感じるといっている。結果が重要だということであろう。ところが、日本人を対象として検討したところ、〔i〕という結果が出た。  どうも日本人は、結果もさることながら、助けてくれるために多くのコストを支払ってくれたという事実を重んじて、恩義を感じるようである。 注1 窮状:非常に困った状態 注2 恩義:恩と義理、人から受けた親切に感謝し、いつかお礼をしなければならないと思う気持ち 注3 根幹:基本、基礎 注4 けしからん:許せない 注5 半返し:贈られた金や品物の半額にあたるものを相手に返すこと 注6 当方:私 問1(a)(b)に入る言葉の組み合わせとして正しいのはどれか。 1a)小さい   b)大きい 2a)大きい   b)小さい 3a)大きい   b)大きい 4a)小さい   b)小さい 問2(c)に入る最も適当な言葉はどれか。 1)割り算   2)引き算   3)暗算   4)足し算 問3①「コストだ利益だなどという」とあるが、ここではどういうことか。 1)コストや利益はつまらないことだということ 2)コストや利益というような概念で考えること 3)コストや利益ということばの意味を考えること 4)コストと利益のどちらが重要か考えること 問4(d)に入る最も適当な言葉はどれか。 1)だから   2)それに   3)いわゆる 4)しかい 問5②「日本人の人間関係だって意外と計算高い」とあるが、「計算高い」人間関係が存在する社会とはどのような社会か。 1)恩や義理などが計算の対象となりうるものだと考えるような社会 2)恩や義理を売ったり返したりすることで非常に金がかかるような社会 3)計算が得意か不得意かということが人間の評価と関係するような社会 4)自分の金と時間を犠牲にしてでも他人を助けようとするような社会 問6(e)~(h)に入る数字の組み合わせとして正しいのはどれか。 1)  e:1    f:10    g:10   h:1 2)  e:10   f:1     g:1    h:10 3)  e:10   f:1     g:10   h:1 4)  e:1    f:10    g:1    h:10 問7〔i〕に入る言い方として最も適当なものはどれか。 1)村山氏にはそれほど恩義を感じない 2)小沢氏にも同じくらい恩義を感じる 3)村山氏の方に強い恩義を感じる 4)小沢氏には恩も義理も感じない 問題Ⅲ次の文章を読んで、それぞれの問いに対する答えとして最も適当なものを1・2・3・4から一つ選びなさい。 (1)今日ほど「労働」が見失われている時代はあるまい。働くなかで仕事や人に教えられ、あるいは人と力を合わせて働くこと、また働いた成果で社会と結ばれていることを実感し、それらによって自分の働きの意味と生きていることの意義を確かめられる、そういったことから私たちはしばらく無縁でいる。「労働の喜び」といった表現がひどく古めかしくかんじられるほど、「労働」は私たちの生活から遠ざかっている。 注 無縁:関係がないこと 問「『労働』が見失われている時代」とは、どのような時代か。 1)労働する場が減ってk、失業が増えている時代 2)古くから社会にある仕事が忘れられている時代 3)労働することの意義が実感できなくなった時代 4)個人の楽しい生活を仕事とは分けて考える時代 (2)コンピュータは他の機械とは本質的にちがっている。普通の機械はそれぞれ固有の目的のために作られていて、その他の目的のためには使えない。これに対して、コンピュータは計算をするだけでなく、他のいろいろな機械の働きを模擬することができる。そこでコンピュータは人間の知的活動を模擬することができるのではないかと考えて、これを人工知能研究と名づけ、人間への挑戦が始まった。 注 模擬する(やや特別な使い方):まねをする 問「人間への挑戦」というのは、どのような意味か。 1)人間の能力とどちらが優れているか競争すること 2)機械を支配する人間から自立する戦いをすること 3)人間が持つ知能の働きに近づけようとすること 4)他の機械の働きも入れて人間の能力以上になること (3)「太田さん、変わりませんね」(中略)、四年ぶりにホテルのテールームでお会いした編集者のAさんからそのようにいわれた時、わたしはみた目のことを言われたのだと思って、自然ににっこりした。 「Aさんも、お変わりありませんわ」ダーク・グレイのスマートな背広姿は、四年前と変わりがなかったが、その髪にはいくらか白いものが目立つようになったなと思いながらそういったのである。 「いや、ちょうど十五分、遅刻したところがですよ」Aさんは眼鏡の奥の眼をいたずらっ子の少年のように、わざと大きくしながらわれた。私は、しばらくの間顔を上げることができなかった。 注 ダーク・グレイ:濃い灰色 問1①「変わりませんね」とあるが、Aさんは何が変わらないといったのか。 1)人と会うときは「お変わりありませんね」と言うこと 2)約束の時間にいつもちょうど十五分だけ遅刻するくせ 3)四年前に会ったときの見た目と今回会ったときの見た目 4)人と会うときはいつも外観のことばかり気にするくせ 問2②「しばらくの間顔を上げることができなかった」とあるが、それはなぜか。 1)Aさんのいたずらっ子の少年のような眼がとてもおもしろかったから 2)約束の時間に十五分も遅れたことを恥ずかしいことだと思ったから 3)Aさんのダーク・グレイーの背広姿があまりにスマートに見えたから 4)Aさんが言ったことばを自分が誤解していたことに気がついたから 問題Ⅳ次の文章を読んで、それぞれの問いに対する答えとして最も適当なものを1・2・3・4から一つ選びなさい。  心魅かれる女性にあうと、「この人は何歳だろうか」と考えてしまう自分に気がつく。なぜ年齢に関心を持つのだろうか。女もすてきな男を見たときは、歳をしりたがるのだろうか。  他人と関係するには、自分と相手との年齢の距離を測っておいたほうが都合がいいのだろうか。結婚したいとか、養子にとりたいと思う場合には、年齢は多少考慮の余地があるかもしれない。ビジネスの場合は、とくに日本ではまだ目上・目下という序列の感覚が残っているから、①そういう配慮が必要かもしれない。  けれども、単に好きになった相手の年齢がどうしてひつようなのだろうか。その人がそこにいる、というだけでは、こころが満たされない。人間は、その来歴にかかわる情報が伴なって、はじめて完全な人間と認められるのだろうか。そこが他の動物と違うところなのか、あるいは、ぼくたちが②ゆがんだ文化のなかにいるのか。  先日、東京で一人の中年男性が病死した。五年間いっしょに生活していた女性が、死亡届を出そうとしたら、彼の戸籍抄本も身分証明書も偽物だったという。夫はいったい誰だったのだろうかという疑問が彼女の心を揺り動かす。  決して彼にだまされたとは思わないし、ともに過ごした月日に悔いはないが、それでも夫の正体を突き止めたいという気持ちは強い。出身、経歴、資格、そして年齢と言う情報を抜きにしては、アイデンテテが成り立たないのであろう。  人を見るとすぐ年齢を推測すると言う習慣は、日本の社会にかぎらないが、年齢によって行動様式が規制される文化のなかで育った意識だろうか、「年相応」という考え方は、とくに日本において強いようである。  ぼくたちは、人にあったときに、相手が何歳ぐらいだろうかという見当をつける。そして、その見当があたっているかどうかを確かめたい誘惑にかられる。「若い」とか「老けている」という評価は、戸籍の上の年齢を知った上でなければ下せない。つまり、③)な印象なのである。  日本では、成人してしまえば、それから年を取ることは(a)」であり、それはもう(b)を意味している。小さな字が見えなくなり、すぐつかれるようになり、記憶力も衰えてくる。(a)のイメージはすべてマイナスである。  けれども、最近の研究によると、戸籍上の「暦年年齢」は、実際に仕事をする能力とはあまり関係がないのだそうである。そこで、アメリカでは④「機能年齢」という新しい概念が生まれた。主として労働市場で使われているようだが、これは職務遂行能力を測って決められる年齢なのだ。  (⑤)だから、暦年を基礎とする定年制は、年齢による差別だとして、アメリカでは禁じられるようになったという。日本人も、この十五年間のあいだに、機能年齢がほぼ十歳若返ったようだ。  無論機能年齢が暦年年齢より若い人ばかりとはかぎらない。四十歳でも能力は六十歳なみに落ちているという人もいる。だから、暦年年齢で割り切ると不公平になるのである。 注1序列:身分や年齢を一定の基準で並べた順序 注2来歴:物や人の今までの歴史 注3戸籍:家族の名前、生年月日などを書いた公式の文書 注4抄本:元の書類から一部を写した書類 注5遂行:(仕事を)最後まですること 問1①「そういう配慮」とはどういうことか。 1)異性に会ったときその人の歳を考えること 2)自分と相手がいくつ違うか考えること 3)自分が相手より歳が多いと思わせること 4)年齢の離れている人とは付き合わないこと 問2②「ゆがんだ文化」とは、ここではどういうことか。 1)相手の存在だけで満足できず、年齢などの情報を求める文化 2)どの人も完全な人間だと認めようとしない文化 3)動物と違って、相手のことを理解しようとしない文化 4)年齢などの情報だけで相手を完全に信じてしまう文化 問3(③)に入る適当な言葉を選びなさい。 1)主観的   2)感覚的   3)個別的   4)相対的 問4(a)(b)に入る組み合わせとして正しいのはどれか。 1a)退化    b)能力が衰えること 2a)退化    b)筋力が弱くなること 3a)老化    b)能力が衰えること 4a)老化    b)筋力が弱くなること 問5④「機能年齢」とはどういうことか。 1)体の機能を調べて、どのぐらい正常かという数値で見た年齢のこと 2)能力とは関係のない、まったく新しい概念で考え出した年齢のこと 3)きちんとした仕事がどのくらいできるか、という基準で見た年齢のこと 4)どのぐらい働くとどのぐらい疲れるか、という統計から考えた年齢のこと 問6(⑤)に入る最も適当な文章はどれか。 1)中高年の職業能力は、思ったよりも高く、安定しているので、暦年年齢はむしろ当てにならない。 2)中高年の職業能力は、あまり高くなく、年とともに低下するので、暦年年齢はかなり当てになる。 3)中高年の職業能力は、思ったよりも高いが、かなり不安定なので、暦年年齢を考慮した方がいい。 4)中高年の職業能力は、人によって個人差があるので、暦年年齢を無視しては正しい判断ができない。 問7作者は「年齢」をどのように考えているか。 1)日本では年齢がたいへん重要だが、アメリカではそれほど重要視されていない。 2)日本では年齢を考えた行動を期待されるが、年齢はその人の本当の姿を伝えていない。 3)日本人は年齢を気にするから、アメリカの機能年齢という概念は受け入れられない。 4)日本でもだんだん年齢を重要視しなくなっているので、年齢を気にする必要はない。 正解 問題Ⅰ(1)4 (2)2  (3)2  (4)3  (5)3   (6)1 (7)4 問題Ⅱ(1)3 (2)4  (3)2  (4)4  (5)1   (6)2 (7)3 問題Ⅲ(1)3 (2)3  (3)2 4  問題Ⅳ(1)2 (2)1  (3)4  (4)3  (5)3   (6)1 (7)2
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:13:45 | 显示全部楼层
うまかうまか 明治の初期、まだ牛肉料理がぜいたくなころの話ですが、ある東京の人が九州から上京してきた友達を、牛なべ屋(牛肉火鍋店)に連れて行ってごちそうし、「どうだ、おいしいだろう。」と言ったところ、九州からきたその友だちは「うまかな」と言って感心しています。東京の人はあわてて「これは牛肉だよ」と否定しても、九州の人は依然として「やっぱりうまかな。」と舌つづみを打っているので、その東京の人は、大いに感情を害したということです。これは、どういうわけかというと、九州では大くの地域で形容詞の語尾の「い」を「か」というので、「うまか。」とは「うまい。」つまり「おいしい。」という意味です。ところがこの東京人は、九州のそんな言葉の使い方を知らないので、せっかく()高いお金を出して牛肉料理をごちそうし、相手から「うまか、うまか。」と言われて憤慨し、九州からきた友だちを、牛なべ屋に置き去りにして、ひとりで、さっさと帰ってしまったそうです。 注釈: きゅうしゅう 【九州】(名) 高いお金 高いお金を出して 生詞: 1、つれて【連れて】(連語) 2、うまか【旨か】【=うまい(旨い)】(形) 3、したつづみ【舌鼓】(名、自サ) 4、おきざり【置き去り】(名、自サ) 5、さっさと(副) 練習: A組 問一、次の文の1から4のなかで、いちばんいいものをひとつ選んで 1、明治の初期、まだ牛肉料理が_____ころの話です。 1)珍しい     2)はでな     3)つまらない     4)ぜいたくな 2、東京の人があわてて否定しても、その友だちは_____と言って舌つづみを打ちながら食べています。 1)「しかし、うまかな。」   2)「きっと、うまかな。」 3)「やっぱり、うまかな。」   4)「たぶん、うまか。」 3、この東京の人は九州のそんな言葉の使い方を_____。 1)覚えていません         2)知っていません 3)知りません           4)忘れました 4、せっかく高いお金を出して牛肉料理をごちそうし、相手から「うまか、うまか。」と言われて、東京の人は_____しまいました。 1)おこって   2)かなしんで 3)笑って       4)ないて 5、九州からきた友だちを、牛なべ屋に_____ひとりで、さっさと帰ってしまいました。 1)連れて     2)捨てて     3)置き去りにして 4)置いて 問二、次の文の( )の中に、下のたんごの中からいちばんいいものをひとる選んで書き入れなさい。 1、「うまか。」とは( )という意味です。 2、九州には( )言葉の使い方があります。 3、まだ牛肉料理がぜいたくな( )の話です。 4、その東京の人は( )感情を害したということです。 5、東京の人は( )「これは牛肉だよ。」と否定しました。 6、いくら否定しても彼は( )として「やっぱりうまかな。」と言って食べています。 1)大いに     2)うまい     3)あわてて 4)ころ       5)依然     6)そんな 問三、次の例文の中、下線のついている言葉と同じ用法、意味のものをつぎの(1-4)から選んでください。 1、ところが東京の人は九州のそんな言葉の使い方を知りません。 1)彼の住んでいるところがわかりません。 2)彼女にもなかなかいいところがある。 3)正しいと思っていたところがまちがいだった。 4)ご飯を食べようとしているところへ友だちがきた。 2、大いに感情を害したということです。 1)きのう学校でたいへんなことがおこりました。 2)北京には一度しか行ったことがありません。 3)つまらないから、そんな話はやめることにしましょう。 4)彼は英語は話せるが、日本語は話せないとのことでした。 問四、一つの問いに対して答が四つあります。正しいと思う答えを選んでください。 1、友だちに牛肉料理をごちそうした人はどこの人ですか。 1)九州の人です。         2)東京の人です。 3)京都の人です。         4)東京の人の友だちです。 2、友だちに牛肉料理をごちそうした人は、なぜ感情を害したのですか。 1)ごちそうされた友だちが牛肉の味をしらないからです。 2)牛肉を「うまか」と言われたからです。 3)ごちそうされた友だちがお礼を言わないからです。 4)「うまか」と言う方言の意味がわからないからです。 3、なぜ友だちを牛なべ屋に置き去りにしてひとりで帰ってしまいましたか。 1)ほかに用事があるからです。 2)友だちがきらいからです。 3)腹を立てたからです。 4)お金が足りないので、家へとりに行きました。 B組 問題1 次の文の_____の部分に入れるのに最も適当なものをそれぞれ1、2、3、4から一つ選びなさい。 1、夏休みはどこ_____行かず家にいた。 1)でも       2)にも     3)とも         4)かも 2、部屋を散らかした_____ではだめですよ。 1)まま       2)つつ     3)まで         4)ほど 3、_____に、もう一校受験します。 1)転び止め   2)倒れ止め   3)滑り止め     4)流れ止め 4、お急ぎの_____申し訳ありません。 1)ところ     2)ところで   3)ところが     4)ところに 5、授業中_____窓の外を眺めていたら、先生に叱られた。 1)なんだか   2)なんとなく 3)なんとか     4)なにかしら 問題2 意味の説明を読みなさい。その説明に最も近いものをそれぞれの1、2、3、4の中から一つ選びなさい。 1、全部終わらず次の時にまわすこと。 1)持ちこたえる 2)繰り越す   3)やりこなす     4)持ち越す 2、批判や現象がどんどん上がること。 1)こいのぼり   2)うなぎのぼり3)たきのぼり     4)やまのぼり 3、考え直してやめること。 1)思いやめる   2)思いとめる 3)踏みとどまる   4)思いとどまる 4、人人の関係が穏やかでなくなること。 1)腕が立つ   2)つのが立つ 3)腹が立つ     4)かどが立つ 5、人やものが並んでいるようすの表現。 1)くらりと   2)すらりと   3)ぞろりと     4)ずらりと 問題3 次の文の内容に最もふさわしいものを1、2、3、4の中から一つ選びなさい。 1、私の國の冬も寒いが、日本の冬のほうが寒いです。 2、日本の冬も寒いが、私の國の冬のほうが寒いです。 3、日本の冬は寒くないが、わたしの國の冬は寒いです。 4、わたしの國の冬は寒いが、日本の冬は寒いです。 朝   顔 私は十数年前から、毎年朝顔()を植えている。朝起きて花を見るのも楽しみだが、それよりも、葉が毒虫にさされた時のくすりになるので、絶やさない、(絶やす/)ようにしている。蚊やぶよ(蚋)はもとより、むかで(蜈蚣)でも蟹でも非常によく利く。葉を三、四枚、両の手でもんでいると、ねっとりとした汁が出てくる。それを葉といっしょにさされた箇所にすりつけると、痛みもかゆみもすぐ止まり、あと、そこからいつまでも汁が出たりするようなことがない。私は今住んでいる熱海大洞台の住まいの裏山()の中腹()に小さい掘る立小屋()の書斎を建てた。狭い場所で、窓の前はすぐ急な傾斜地なので、用心のため、低い四つ目を結い、その下に茶の実をまいた。ゆくゆくは茶の壁にするつもりだが、それは何年か先のことなので、ことしは東京の百貨店で買った幾種類かの朝顔の種をまいた。あと一週間もしたら、芽が出てくるだろうと、仕事のあい間に、ときどきそこをながめている。 注釈: 熱海大洞台(あたみおおほらだい) +つもりだ(です) 今年から日本語を勉強するつもりだ。 生詞: 1、ささる【刺さる】(自五) 2、もむ【揉む】(他五) 3、ねっとり(副、自サ) 4、すりつける【摩り付ける】(他下一) 5、ゆくゆくは【行く行くは】(副) 6、あいま【合間】(名) 練習 A組 問一、次の文の1-4のなかで、いちばんいいものをひとつ選びなさい。 1、葉を_____両の手でもんでいると、ねっとりとした汁が出てくる。 1)五、六枚   2)七、八枚   3)二、三枚     4)三、四枚 2、それを葉といっしょにさされた_____すりつけると、痛みもかゆみもすぐ止まる。 1)所に       2)場所に     3)部分に       4)箇所に 3、あと、そこから何時までも汁が出たりするような_____。 1)ことがある   2)ことです   3)ことがない     4)ことだそうだ 4、せまい場所で、窓の前はすぐ急な_____である。 1)坂       2)山       3)傾斜地       4)道 5、ゆくゆくは、茶の壁にするつもりだが、それは、何年か_____である。 1)前のこと   2)以前のこと 3)あとのこと     4)先のこと 6、1週間もしたら_____出てくるだろうと思う。 1)花が       2)芽が     3)葉が         4)枝が 7、仕事のあい間に、_____そこをながめている。   1)しばらく   2)ときどき   3)たまたま     4)ちょっと 問二、次の文の( )の中に、下の単語の中からいちばんいいものをひとつ選んでください。 1、花を見るのもたのしみだが、それよりも葉が薬になるので( )ようにしている。 2、私は住まいの裏山の中腹に( )堀立小屋をたてた。 3、用心の( )低い四つ目を結いました。 4、このくすりを飲むと( )なおります。 5、彼女は日本髪を( )とよく似合う。 6、私は( )医者になるつもりです。 1)ため       2)すぐ     3)絶やさない 4)小さな     5)ゆくゆくは 6)結う 問三、次の例文の中、下線のついている言葉と同じ用法、意味のものをつぎの(1-4)から選びなさい。 1、用心のため、低い四つ目を結い、その下に茶の実をまいた。 1)母のために、くすりを買ってきた。 2)病気のため欠席をした。 3)あなたのためになることなあ、何でも致します。 4)生活のため学校をやめて働かなければならない。 2、蚊やぶよはもとより、むかででも蟹でも非常によく利く。 1)彼はもとよりイギリス生れたから、英語が話せるのはあたりまえだ。 2)父は大学をやめたことはもとより、兄が結婚したことさえ知らなかった。 3)兄が大学をやめたのはもとより、母が承知のうえだった。 4)母はもとより、亡くなった父のあとを継いで、私を医者にするつもりだった。 B組 問題1、次の文の_____の部分に入れるのに最も適当なものをそれぞれ1、2、3、4から一つ選びなさい。 1、つゆが完全に_____まで我慢してください。 1)あげる     2)あく     3)あける       4)あがる 2、当日の予約の_____は、応じられません。 1)とり消し   2)もみ消し   3)うち消し     4)かき消し 3、だいじょうぶ、台風は東に_____そうです。 1)はいる     2)とおる     3)それる       4)ながれる 4、遠いところを_____来てくれて、ありがとう。 1)せかせか   2)わざと     3)せっかく     4)わざわざ 5、この薬はなにに_____んでしょうか。 1)のる       2)たよる     3)きく         4)する 問題2、意味の説明も読みなさい。その説明に最も近いものをそれぞれ1、2、3、4の中から一つ選びなさい。 1、夢を見ているような気持ち。 1)夢ごころ   2)夢ごち     3)夢気持       4)夢ごこち 2、夕方西の空が赤くなること。 1)夕もや     2)夕やけ     3)夕がた       4)夕やみ 3、何か、危ないことがおこうそうなようす。 1)ぶっそう   2)ぶしょう   3)ぶつかり     4)ぶそう 4、長い間座っていて、足の感覚がなくなること。 1)しばれる   2)しびきれる 3)しびれる     4)しびる 5、ちょっとしたことでも涙がでてきてしまうこと。 1)なきじょうご 2)なみだやすい3)なみだ弱い     4)なみだもろい 問題3、次の文の内容に最もふさわしいものを1、2、3、4の中かあら一つ選びなさい。あなたが来ると知っていたら私も行ったのに。 1、知らなかったから行きませんでした。 2、知らなかったから行きました。 3、知っていたから行きませんでした。 4、知っていたから行きました。 答え 第1課 A組 問一、1、(4)   2、(3)   3、(3)   4、(1)   5、(3) 問二、1、(2)   2、(6)   3、(4)   4、(1)   5、(3)       6、(5) 問三、1、(3)   2、(4) 問四、1、(2)   2、(4)   3、(3) B組 問題1-1、(2)   2、(1)   3、(3)   4、(1)   5、(2) 問題2-1、(4)   2、(2)   3、(4)   4、(4)   5、(4) 問題3、 (2) 第2課 A組 問一、1、(4)   2、(4)   3、(3)   4、(3)   5、(4)       6、(2)   7、(2) 問二、1、(3)   2、(4)   3、(1)   4、(2)   5、(6)       6、(5) 問三、1、(2)   2、(4)   3、(2) B組 問題1-1、(3)   2、(1)   3、(3)   4、(4)   5、(3) 問題2-1、(4)   2、(2)   3、(1)   4、(3)   5、(4) 問題3   (1)
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:15:04 | 显示全部楼层
次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。  若いときは二度ないーーと言う。だから、若い時代を大事にせよ、といった意味だある。  なるほど、その通りである。だが、皮肉屋のわたしは、このことばに反論したい。確かに若いときは一度しかないが、中年だって、老年だって一度しかないのである。われわれは若い時代を大事にすべきであるが、同様に中年を大事にすべきであるし、老年を大事にしなければならない。①若い時代だけを特別視する必要はないのである。  私自身は先ごろ、五十三歳になった。昔の呼称だと、もう立派な“老年”である。だから、(注1)ひがんでいっているのではない。わたしは、老年には老年のよさがあると思っている。(中略)人生のそれぞれの段階には、それぞれに違った。②人生のこくがある。わたしはそう思っている。わたしたちはそれぞれの段階に特有な人生の喜びと悲しみを味わいながらいきたい。  (③)、どうして若い時代だけが特別視されるのか!?わたしには不思議だある。思うに、人々は若い時代を準備段階と考えるようだ。若い時にしっかりと学問や体験の蓄積をしておかないと、後になって困る。だから、若いうちから(注2)遊びほうけていてはいけない。と、結局は、若者に自制と禁欲を呼びかけているのである。  でも、わたしは、④それはまちがいだと思う。若い時代に、若い時代に特有の人生の喜び・悲しみを(⑤)、中年や老年になって、その段階での人生の喜び・悲しみが、味わえない。若者はそのことを(注3)銘記すべきである。 注1ひがむ:すなおでなくなる 注2遊びほうける:遊びに夢中になる 注3銘記する:忘れないように心に強く残す 問1①「若い時代だけを特別視する必要はない」とあるが、それはなぜか。 1)若い時は一度しかないから 2)自分が皮肉屋だから 3)若い時代と同様に、中年、老年も大事だから 4)老年には老年のよさがあるから 問2②「人生のこく」とは、ここではどのようなことか。 1)人生の特別さ 2)人生の喜びと悲しみ 3)人生の大切さ 4)人生の準備段階 問3(③)の中に入る最も適当な言葉を選びなさい。 1)だからといって 2)それどころか 3)したがって 4)にもかかわらず 問4④「それはまちがいだと思う」とあるが、何がまちがいであると思うのか。 1)若いうちから遊びほうけること 2)若い時代にしっかりと学問や体験の蓄積をすること 3)若い時代を準備段階と考えること 4)若者に自制と禁欲を呼びかけること 問5(⑤)に入る言い方はどれか 1)体験しておけば 2)体験しておかないと 3)体験しておいても 4)体験しておかなくても 正解 問(1)3 (2)2 (3)4 (4)4 (5)2
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:15:50 | 显示全部楼层
次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさいぼくの子どものころは、買い物をするにも、定価の決まっていない買い物が多かった。それで、店の人とうまくなじみになって、買い物のやり取りをする要領が大事なことだった。同じ物を買うにしても、要領が悪くドジだと、高い値段で買わされてしまう。普段からのつきあいだって、買い物のときになって、(①)のだった。  これは、ある意味で、不平等なことであった。同じものを買うのに、相手しだいで値段が変わる。ドジだと、損になる。  いまでは、定価が決まっている。平等に、だれでも同じ値段で、買い物ができる。しかし、時にはそれが、②ちょっと味気ない気がしないでもない。何よりも、要領を身に付けようと、努力することがなくなった。店の人と関係を取り結ぼうと、普段から心がけることがなくなった。平等なかわりに、冷たい関係になってしまった。  なんどかドジをして、だんだんと要領をおぼえていくものでもあった。その意味では、店の人というのは、要領の先生であった。(中略)  値段の交渉をするということは、買い手のほうでも、その値段へ意味を介入することであった。与えられた定価のもとでの、買うか買わないかだけの判断ではない。そして交渉に参加したからには、たとえそれが高い値段であったとしても、それは買い手の責任に属する。つまり、自分の意味で、自分の責任で、値段を判断する余地が残っていたのだ。  このことの逆として、自分で判断し、自分で責任を取る機械は、平等や公正の名のもとに、だんだんと少なくなってきているのではないだろうか。さらにそれが、学校などで、共同で買い物をしたりするものだから、ますます自分から③遠くなっているような気がする。  どんなに平等や公正を保証された社会になっても、終局的に自分を守るのは、自分の判断と自分の責任だ、とぼくは考えている。そして、不平等で不公正だった昔の買い物は、その判断や責任を訓練していたような気もするのだ。  普段からの関係に気をくばり、要領よくふるまうのは、ズルイこととされている。それでは、平等で公正にならない。  にもかかわらず、不平等や不公正のなかで要領よくたちまわるズルサ、そのことの意味を、もう一度、考えなおしてみてもよいのではないだろうか。要領を否定した制度は、人間の関係を信頼しないことで、平等が強制されているような気もするのだ。 問1(①)にはどんな言葉が入るか。 1)ものになる 2)ものをいう 3)ものにする 4)ものともしない 問2②「ちょっと味気ない気がしないでもない」とあるが、どういう理由からか。 1)不平等で冷たい関係になってしまったから 2)店の人と関係を取り結ばなくてはいけなくなったから 3)要領を身につけようと努力することがなくなったから 4)人間関係で苦労する必要がなくなって、楽になったから 問3③「遠くなっている」とあるが、何が「遠くなっている」のか。 1)要領の先生 2)自分で買い物をする機会 3)平等や公正を保証された社会 4)自分で判断し、自分で責任を取る機会 問4筆者は「要領」と言う言葉を、どういう意味で使っているか。 1)物事のいちばん大事な点 2)本能的に身についている能力 3)物事をうまくやるためのコツ 4)苦労や努力をしないでうまくたちまわること 問5この文章の内容と合わないものはどれか。 1)要領よくたちまわるズルサもわれわれには必要である。 2)要領よくたちまわることは人間の信頼関係をこわすことになる。 3)どんな世の中でも、自分で判断し自分で責任を取ることが、自分を守ることになる。 4)平等で公正な世の中で、われわれの人間関係はおもしろみのない冷たいものになってきた。 正解 問(1)2 (2)3 (3)4 (4)3 (5)2
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:17:15 | 显示全部楼层
次の文章を読んで,後の問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。  どこの家でもそうだと思うが、母親というのはやけに物持ちがよくて、ときどきあっと驚かされることがある。二十年も前のカーデイガンを今でも着ていたり、三十年も前に使っていたカーテンを未だに押入の奥にしまっていたり・・・・・・中でも自分の子供に関係する類のものは、今や何の役にもたたないと分かっていながら、(注1)後生大事にとってある。  むろん、①ぼくの母親も例外ではない。つい先日も、押し入れの奥から②驚くべきものを出してきて、ぼくをあっと言わせた。そのときぼくは母親と差し向かいで、お茶を飲みながら昔の話しに花を咲かせていた。大学時代のぼくが、③海のものとも山のものともつかないのに。いつもシコシコ原稿を書いていたという話題になったとき、母親は急に何か思いついたような顔をして、「そういえばあなたの・・・・・・あれは何、カードみたいなものが一杯あるけど」てなことを言った。何のカードなのかぼく自身にも全然わからなかったので、ちょっと見せてくれと頼んだところ、押入れの奥からに風呂敷に包んだ五百枚近いカードを出してきたのである。  一目見て、ぼくはそれが何であるのかを思い出し、声を上げそうなほど驚いた。それはぼくが十九歳から二十歳にかけての約一年半、勉強のつもりで記していた日記のようなカードである。(注2)俗に“京大式カード”と呼ばれるもので、裏は真っ白、表には何本かの罫線読書カードが引いてあるだけのシンプルなカードである。当時のぼくはこれを使って、まず個人的な読書カードを作り始めた。短篇小説を一篇読んでは、一枚の京大式カードに読後感を記していたのである。半年もしない内にカードはかなりの枚数になり、段段面白くなってきたので、今度は自分なりの小説論とか、自分の書いている小説の欠点、あるいは(注3)徒然に思うことなどをここに記すようになった。  十数年を経た今、このカードを改めて読んでみると、その勤勉さ、④その暗い情熱には頭の下がるものがある。二十歳のぼくが本当に心から、何が何でも小説家になりたいと願っていたことが、よく分かる。(中略)  ぼくは、⑤二十歳の原点に還るべく、再び京大式カードをつけてみようかと考えている。 注1 後生大事: 大事にすること 注2 俗に:   一般に 注3 徒然に:  自分の思うままに   問1①「ぼくの母親も例外ではない」とはここではどのようなことか。 1)ぼくの母も物持ちがよいこと 2)ぼくの母親も押入れの奥から驚くべきものを出してくること 3)ぼくの母親もよく人を驚かすということ 4)ぼくの母親もよく昔の話しに花を咲かせること 問2②「驚くべきものを出してきて」とあるが、それは何のことか。 1)筆者の書いた原稿 2)筆者の書いたカード 3)筆者の書いた日記帳 4)筆者の書いた小説 問3③「海外のものとも山のものともつかない」とはここではどのようなことか。 1)筆者が、小説家になるかどうかわからないということ 2)筆者が、休みなのにどこにも遊びに行かないと言うこと 3)その原稿が、売れるかどうかもわからないということ 4)筆者が、小説家になる才能があまりないこと 問4④「その暗い情熱」とあるが、何に対する情熱か。 1)読書カードを作ることに対する情熱 2)小説を読むことに対する情熱 3)まじめに勉強することに対する情熱 4)小説家になることに対する情熱 問5⑤「二十歳の原点に還る」とはここではどういうことか。 1)京大式カードに、小説の読後感を書くこと 2)小説をたくさん書くこと 3)目的に向かって勤勉に情熱を注ぐこと 4)若さを失わないように努力すること 正解 (1)1 (2)2 (3)1 (4)4 (5)3
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:17:33 | 显示全部楼层
次の文章を呼んで、後の問に答えなさい。答えは、1,2,3、4,から最も適当なものを一つ選びなさい。  「昨夜、悪魔がやってきました」と、患者は医者にいった。「癌で死にかけているわたしに,地獄へ落ちてもいいのなら,もっと生き続けさせてやるという取引を申し出たのです。もちろん,わたしは喜んでこの①申し出を受けましたよ。わたしはまだ生き続けなきゃならなんのです。仕事がありますのでね」そこは癌研究所の患者病棟の一室だった。  医者は,この患者の言葉に,あまり驚かなかった。死期の追った患者の妄想だろうと判断したのである。何しろこの患者は,ただ胃癌であるというだけではなくその癌が食道や肝臓へも移っていて,②死ぬのは時間の問題だと思われていたからである。  ところがそれから一ヶ月が経ち,二ヶ月経っても,患者は死ななかった。それどころではない。入院当初は半死半生だったこの患者はますます血色がよくなり,元気になってきたのだ。しかも癌はどんどん彼の全身に広がり,彼の内臓の器官すべてに移り,今や人間のからだの中に癌があるというよりは,癌が人間の形をしていると言った方が早いと言うような状態になった。医者は远悉韦筏瑜Δ胜ⅳ长欷摔悉郡馈ⅳⅳ欷毪肖辘坤盲俊  ついに癌が、患者の全身を占領した日,完全に元気を取り戻した患者は、医者に退院の許可を求めた。  「まあ,元気なんだから退院したっていいんですがね」③医者は首をひねりながら答えた。  「しかし不思議だなあ。あなたは本当ならもうとっくに④死んでなきゃ、いけないんですがねえ」  「わたしは、それほど不思議とはおもいませんね」患者は健康そうに朗らかな笑いを見せ、医者にいった。「ほら,昔バンパイヤ(吸血鬼)というのがいたでしょう。あの連中は,⑤血を吸い取られることによって永遠の生命を得たのです。わたしも、全身を癌に犯されたため、完全に癌と一体になり、もしかすると、これで永遠の生命を得たのかもしれないのです」 (注)唖然としている医者にむかって、患者はさらにいった。 「ところで、ながい間病人用の食事だったもので,腹が猛烈に減っています。いかがでしょう。この病院の患者の体内から切除した肉腫を――詰まりその,癌を,少しゆずっていただけないでしょうか」 (注) 唖然としている: あきれているようす 問1①「申し出た」のは誰か。 1)患者     2)医者     3)悪魔       4)わたし 問2 ②「死ぬのは時間の問題」とはここではどのような意味か。 1)何時死ぬかわからない     2)もうすぐ死ぬ 3)死ぬ時間が問題である     4)死ぬまで時間がかかる 問3③「医者は首をひねりながら答えた」とあるが,医者の気持ちは次のどれか。 1)まだ退院するには早すぎる。 2)退院できるぐらい元気なのが不思議である。 3)本当は元気ではないので心配である。 4) 医者のいうことを聞かないので腹立たしい。 問4④「死んでなきゃ,いけない」とはここではどういう意味か。 1)死んではいけない       2)死ぬべきである。 3)死ぬわけにはいかない   4)死んでいるはずである 問5⑤「血を吸い取れること」とあるが,この患者にとって,それは何にあたるか。 1)バンパイヤになること   2)肉腫である癌に犯されること 3)癌患者の生命をうること   4)病人用の食事を食べること 正解 (1)3 (2)2 (3)2 (4)4 (5)2
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:19:26 | 显示全部楼层
一次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1,2,3,4から最も適当なものを一つ選びなさい。  東海道新幹線の「のぞみ」は東京と大阪の間を二時間半で突っ走る。「ひかり」より三十分近く短縮ということになった。午前六時東京発の下り列車は「明のビジネス超特急」と呼ばれているそうだ。  同佊洡蛘iみ、①面白いような悲しいような心地になった。伩亭伟烁瞍媳硯谧摔摔肖螭蛱幛菠炕嵘鐔T風の男たちだという。五時ごろには起きたはずだ。発車とともに弁当を買い、そそくさと朝食。富士山が大きく見えるころには大半が就寝。「窓の外を見ても速すぎる。食うものを食って寝るだけ」だそうな。  亜諉Tも忙しい。時間との闘いだ。車内販売の女性は、外の風景をみて、それを時間の流れの目安西ながら仕事をした。今度はそれで目算が狂う。そこで景色は見ないことにした。速さの感覚に慣れた「ひかり」に亜栅工毪取ⅱ冥郅盲趣工毪饯Δ馈¥饯Δ坤恧Α  ③そうではあろうが、人々は、ふしぎなもので「のぞみ」にもまだ、いつのまにかなれるに違いない。どこまで忙しさに慣れてゆけば、人間は気がすむのだろうか。便利なものができ、④それに順応でくるのは結構だが、人間が道具に使われることにはならないか。  ⑤浅見祐三賛から聞いた話を思い出す。浅見さんは東京の牧師さんだ。長年インドネシアはスマトラ島のランプン州に住んで伝道をしていた。ある時、急いで三ヶ所に書類を届けなければならぬ用事ができた。五十がらみのスプリアデさんが仕事を買って出た。  自転車で三ヶ所、二十キロほどを回る。帰って来た彼が、なぜか静かで、ぼんやりしている。具合でも悪いのかと、わけをきくと、こう言ったそうだ。「速く回りすぎました。身は帰って来たんですが、魂がまだ帰ってきていないんで。」  私たちの戦後をも見ずに全力疾走、まだ走っている。  速すぎて、魂を置き忘れたりしなければ良いが。 問1「面白いような悲しいような心地になった」とあるが、なぜそのような気持ちになったのか。 1「のぞみ」が二時間半で東京と新大阪の間を走るから。 2伩亭吧庖姢氦恕③偷堡颏郡伽郡椁工扒蓼皮筏蓼Δ椤 3亜諉Tが時間と闘って、車内販売をしているから。 4「のぞみ」の速度にいつか人が慣れてしまうだろうから。 問2②「ほっとするそうだ」とあるが、それはなぜか。 1外の景色で時間の目算立つから。 2車内販売が暇になるから。 3ゆっくり外の景色が見られるから。 4伩亭未蟀毪撙盲皮筏蓼Δ椤 問3③「そう」が指す内容として最も適当なものはどれか。 1食べるものを食べて寝るだけということ。 2外の景色が見られないということ。 3「のぞみ」にはほとんど会社員しか仱椁胜い趣いΔ长取 4速さにまだ慣れないということ。 問4④「それ」が指す内容して最も適当なものはどれか。 1時間 2忙しさ 3人間 4外の景色 問5⑤「浅見祐三さんから聞いた話」とあるが、この話に対する筆者の気持ちはどれか。 1三ヶ所、二十キロを回るだけで、疲れるようではいけない。 2自動車で回らなければならないのは、不便で仕方がない。 3日本は交通機関が発達していて便利だ。 4日本はすべてのものが速すぎる。 問6筆者はどのような気持ちから、この文章を書いたと思うか。 1便利さの代償に人間らしさを失わないようにすることが大切だ。 2忙しさに追われて病気にならないように注意が必要だ。 3さらに便利な社会をつくるために努力を続けなければならない。 4道具によって仕事の時間が短縮されても、時間の大切さは変わらない。 二次の文の論点および問題となる事実について答えよ。  日本は、1960年代の高度成長を経て、国民総生産はアメリカにつぎ自由世界第二位となり、日本経済の動向が他国の経済に大きな影響を及ぼす「経済大国」となった。1970年以降も、国内的にはさまざまな困難を抱えながらも、世界全体からみれば、インフレも沈静化しつつあるうえに失業率も相対的に低く、非産油国中数少ない大幅な止趣胜盲皮い毪趣いΦ悚
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:19:51 | 显示全部楼层
人生はたえざる選択の連続である――これはおそらく文句のつけようがない定義だ。「我、思う。 故に我あり」を実生活に置き換えると、「我、選択する。故に我あり」ということだろう。(中略)   現代がことさらあらたまって選択の時代と騒がれるのは、ニュー・メディアなどの導入により生活の 表面的選択肢が増えたからではない。経済神話と神妙な精神主義に無抵抗であったこれまでの「会 社人間」たちの世代が、だらしなくも、自ら選択を下すことを忘れていたからだ。狼は選択するが、ヒツ ジの群れは、選択しない。いたん群れの一員として馴致されると、これはこれで気楽の境遇といって いい。羊飼いに管理され、番犬に導かれるままに動いていれば、生命の危険はない。飢えることもな い。でも、ヒツジにだって多少の自尊心はある。本当は完璧に管理され、判断を放棄し、選択の勇気 も持っていないのに、①そうではない、と思いたい。となると、自らを暗示にかけるか、いわば「疑似選 択」を行うことによって、かろうじての自己の存在証明を求める以外ない。暗示は、組織と自らを一体 化しようという心の動きである。疑似選択はいくらでもできる。「右に曲がれ」という番犬の命令に逆ら うふりをしてちょっと左へ走ってみるのがそれだ。他の仲間より少し早く(あるいは遅く)走る自由がそ れだ。あてがわれた餌のうち、これを食べ、あれは食べない、という選択もそれだ。しかし、実際には こんな自由や選択にはたいした意味がない。あくまで主人が許容した範囲内での自由であり、選択で あるのだから。   人生は選択である、といったが、本当をいうと実生活において私たちに多く場合、この種の選択を さもおおげさにしているに過ぎない。②選択ごっこ、といっていい。   たとえば、どの学校にへるか、どこへ就職するか――。ごっこの中でもこの辺は案外深刻な選択 だが、もともと進学、就職というだれが決めたか分からない人生コースをそのまま受け入れ、そのコー ス内での選択であるから、どうころんでもたいした違いはない(どうころんでも自己を見失わぬ、と言う だけ強固な自己を持っていれば、の話であるが)。また、休日に山へ行くか海へ行くか、あの馬に賭 けるか、トヨタを買うかニッサンを買うか――この類の大小無数の選択に直面しながら私たちは日々 を生きているわけだが、結局のところはこれらはみんな(③)。選択を楽しむ、という程度の意味しかあ るまい。今、ふりかえって、「選択を誤ったとき」の切実な思い出がひとつも浮かんでこないのは、私自 身も「人間の条件」を忘れた④ヒツジの群れの一員として、時にぶつくさ文句をいいながらも結局は太 平楽にこの世を生きてきたからにほかなるまい。   (⑤)、人生は選択の連続である、という当初の定義もあやしくなってきた。むしろ、選択ごっこの連 続ごあるといい直すべきか。⑥やはりそうは思わない。たとえ、それが日常生活の中の小さな選択で も、それが何らかの形で自らめざす人生の実現にかかわってくる類の選択であれば、そのひとつが 真剣勝負と思いたい。少なくとも自己との対話においては、それだけ気を張って毎日を生きたい。個 々の選択はゆるがせにできぬが、その当否はすぐ朗かにはならない、日々の小さな選択の集積の収 支決算がいつか徐々に表面化しはじめ、棺に入る直前になって人は「オレは然るべく生きた」あるい は「どうやらオレは選択を誤った」と初めて口にできるのではあるまいか、だから、まあ、⑦とりあえず は小さなことでくよくよするな、ということにもなるのだが――。   問1①「そうではない、と思いたい」とあるが、どう思いたいのか。 1自分で判断できると思いたい 2選択肢が増えたと思いたい 3生命の危険がないと思いたい 4飢えることがないと思い 問2「選択ごっこ、といっていい」とあるが、それはどうしてか。 1実生活ではどう選択するかの判断を放棄しているから 2実生活ではどう選択してもたいした違いはないから 3実生活ではどう選択するかを楽しんでいるから 4実生活ではどう選択してもけっして誤らないから 問3(③)にはどんな文を入れるのが適当か。 1誰かが選択してくれるものだ 2選択しなくてもいいものだ 3非常に重要な選択なのだ 4どうでもいい選択なのだ 問4④「ヒツジの群れの一員」とあるが、これはどういうことか。 1多少の自尊心はあるということ 2今までは選択をしてこなかったということ 3生命の危険もなく、飢えることもないこと 4管理され、判断を放棄しているということ 問5(⑤)に入れる言葉を次の中から選びなさい。 1となると2となっても3とみると4といえば 問6⑥「やはりそうは思わない」とあるが、どう思わないのか。 1人生は選択の連続であるとは思わない。 2人生の選択を誤ったとは思わない。 3人生は選択ごっこの連続であるとは思わない。 4人生は無数の選択に直面することだとは思わない。 問7⑦「とりあえずは小さなことでくよくよするな」とあるが、筆者はなぜこのように思うのか。 1選択の結果は死ぬ直面までわからないのだから。 2選択を間違えても、結果は同じだから。 3選択はあくまで許容された範囲内での選択なのだから。 4選択は本来遊びのようなものだから。 問8筆者は日々の選択についてどのように考えているか。 1重要ではないし、間違えてもたいした問題にはならない遊びのようなものである。 2決定的ではないかもしれないが、それらが集まって人生を形づくるのだから、真剣に行うべきだ。 3選択の一つ一つが人生を左右する非常に重要なものだから、人と相談して慎重に行うべきだ。 4ある範囲内での選択なのだから、自分で選択しているように思っても、実はそれは誰かに管理され ているものだ。   問1―1  問2―2  問3―4  問4―4  問5―1  問6―3  問7―1  問8―2
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 楼主| 发表于 2005-7-26 09:20:07 | 显示全部楼层
人生はたえざる選択の連続である――これはおそらく文句のつけようがない定義だ。「我、思う。故に我あり」を実生活に置き換えると、「我、選択する。故に我あり」ということだろう。(中略) 現代がことさらあらたまって選択の時代と騒がれるのは、ニュー・メディアなどの導入により生活の表面的選択肢が増えたからではない。経済神話と神妙な精神主義に無抵抗であったこれまでの「会社人間」たちの世代が、だらしなくも、自ら選択を下すことを忘れていたからだ。狼は選択するが、ヒツジの群れは、選択しない。いたん群れの一員として馴致されると、これはこれで気楽の境遇といっていい。羊飼いに管理され、番犬に導かれるままに動いていれば、生命の危険はない。飢えることもない。でも、ヒツジにだって多少の自尊心はある。本当は完璧に管理され、判断を放棄し、選択の勇気も持っていないのに、①そうではない、と思いたい。となると、自らを暗示にかけるか、いわば「疑似選択」を行うことによって、かろうじての自己の存在証明を求める以外ない。暗示は、組織と自らを一体化しようという心の動きである。疑似選択はいくらでもできる。「右に曲がれ」という番犬の命令に逆らうふりをしてちょっと左へ走ってみるのがそれだ。他の仲間より少し早く(あるいは遅く)走る自由がそれだ。あてがわれた餌のうち、これを食べ、あれは食べない、という選択もそれだ。しかし、実際にはこんな自由や選択にはたいした意味がない。あくまで主人が許容した範囲内での自由であり、選択であるのだから。   人生は選択である、といったが、本当をいうと実生活において私たちに多く場合、この種の選択をさもおおげさにしているに過ぎない。②選択ごっこ、といっていい。   たとえば、どの学校にへるか、どこへ就職するか――。ごっこの中でもこの辺は案外深刻な選択だが、もともと進学、就職というだれが決めたか分からない人生コースをそのまま受け入れ、そのコース内での選択であるから、どうころんでもたいした違いはない(どうころんでも自己を見失わぬ、と言うだけ強固な自己を持っていれば、の話であるが)。また、休日に山へ行くか海へ行くか、あの馬に賭けるか、トヨタを買うかニッサンを買うか――この類の大小無数の選択に直面しながら私たちは日々を生きているわけだが、結局のところはこれらはみんな(③)。選択を楽しむ、という程度の意味しかあるまい。今、ふりかえって、「選択を誤ったとき」の切実な思い出がひとつも浮かんでこないのは、私自身も「人間の条件」を忘れた④ヒツジの群れの一員として、時にぶつくさ文句をいいながらも結局は太平楽にこの世を生きてきたからにほかなるまい。   (⑤)、人生は選択の連続である、という当初の定義もあやしくなってきた。むしろ、選択ごっこの連続ごあるといい直すべきか。⑥やはりそうは思わない。たとえ、それが日常生活の中の小さな選択でも、それが何らかの形で自らめざす人生の実現にかかわってくる類の選択であれば、そのひとつが真剣勝負と思いたい。少なくとも自己との対話においては、それだけ気を張って毎日を生きたい。個々の選択はゆるがせにできぬが、その当否はすぐ朗かにはならない、日々の小さな選択の集積の収支決算がいつか徐々に表面化しはじめ、棺に入る直前になって人は「オレは然るべく生きた」あるいは「どうやらオレは選択を誤った」と初めて口にできるのではあるまいか、だから、まあ、⑦とりあえずは小さなことでくよくよするな、ということにもなるのだが――。   問1①「そうではない、と思いたい」とあるが、どう思いたいのか。 1自分で判断できると思いたい 2選択肢が増えたと思いたい 3生命の危険がないと思いたい 4飢えることがないと思い 問2「選択ごっこ、といっていい」とあるが、それはどうしてか。 1実生活ではどう選択するかの判断を放棄しているから 2実生活ではどう選択してもたいした違いはないから 3実生活ではどう選択するかを楽しんでいるから 4実生活ではどう選択してもけっして誤らないから 問3(③)にはどんな文を入れるのが適当か。 1誰かが選択してくれるものだ 2選択しなくてもいいものだ 3非常に重要な選択なのだ 4どうでもいい選択なのだ 問4④「ヒツジの群れの一員」とあるが、これはどういうことか。 1多少の自尊心はあるということ 2今までは選択をしてこなかったということ 3生命の危険もなく、飢えることもないこと 4管理され、判断を放棄しているということ 問5(⑤)に入れる言葉を次の中から選びなさい。 1となると 2となっても 3とみると 4といえば 問6⑥「やはりそうは思わない」とあるが、どう思わないのか。 1人生は選択の連続であるとは思わない。 2人生の選択を誤ったとは思わない。 3人生は選択ごっこの連続であるとは思わない。 4人生は無数の選択に直面することだとは思わない。 問7⑦「とりあえずは小さなことでくよくよするな」とあるが、筆者はなぜこのように思うのか。 1選択の結果は死ぬ直面までわからないのだから。 2選択を間違えても、結果は同じだから。 3選択はあくまで許容された範囲内での選択なのだから。 4選択は本来遊びのようなものだから。 問8筆者は日々の選択についてどのように考えているか。 1重要ではないし、間違えてもたいした問題にはならない遊びのようなものである。 2決定的ではないかもしれないが、それらが集まって人生を形づくるのだから、真剣に行うべきだ。 3選択の一つ一つが人生を左右する非常に重要なものだから、人と相談して慎重に行うべきだ。 4ある範囲内での選択なのだから、自分で選択しているように思っても、実はそれは誰かに管理され ているものだ。   問1―1  問2―2  問3―4  問4―4  問5―1  問6―3  問7―1  問8―2
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