「大阪万博 史上最大の警備作戦」[/COLOR]
8 R- D( i3 B1 k) r' A2 A% ^ 昭和45年に大阪で開かれた「日本万国博覧会」。183日間で入場者6400万人、日本の人口の半数以上が訪れたことになる“史上最大のイベント”である。アメリカ館の「月の石」などが大変な人気を呼んだ。
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この祭典を、会場警備という裏方として支えた1200人の人々がいた。警察出身者とガードマンからなる「万博協会警備隊」である。
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警備隊は、開幕直後の3月15日から、大きな問題に直面した。ゲートを開けたとたん、数万人が目当てのパビリオンに一斉に走り出し、転倒者が続出。「動く歩道」では将棋倒しが発生。さらには、迷子ならぬ「迷い大人」。長蛇の列で頻発する客同士のトラブル。想像を超えた事態に次々と向き合った。それでも、警備隊は、「入場者は、万博を楽しみに全国からやって来る。力づくの警備はダメだ。1に安全、2にサービスを心がけよう。」と話し合い、巨大イベントにおける、新たな警備のノウハウを構築していった。
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2 {# B9 p/ J" a6 u. d 最大の正念場は、閉幕一週前の土曜日。入場数はなんと島根県の人口をはるかに超える83万人。ゲートで入場者と退場者の群れが衝突、全く身動きの出来ない最悪の事態が生じた。警備隊は体を張った大誘導作戦に出たが、終電後、なお数千人が会場に取り残された。その時、現場の警備隊長が、思い切った決断を下す。
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高度成長期を象徴する史上最大のイベントを支え、その後のイベント警備の原点を形づくった人々の知られざる奮闘を描く。 |