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发表于 2005-10-21 09:19:47
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その後君からは一度か二度問い合わせか何かの手紙が来たきりでぱったり消息が途絶えてしまった。岩内から来たという人などに邂(あ)うと、私はよくその港にこういう名前の青年はいないか、その人を知らないかなぞと尋ねてみたが、さらに手がかりは得られなかった。硫黄(いおう)採掘場(さいくつば)の風景画もとうとう私の手もとには届いて来なかった。
后来你曾给我来过一、二封问函之类的信件,仅此而已,此后便杳无音信了。我每次遇到从岩内来的人,总要向他们打听岩内港是否有叫这个名字的青年,是否知道有这样一个人,但是得不到任何线索。硫磺采掘场的风景画到底也没有送到我的手中。
こうして二年三年と月日がたった。そしてどうかした拍子に君の事を思い出すと、私は人生の旅路のさびしさを味わった。一度とにかく顔を合わせて、ある程度まで心を触れ合ったどうしが、いったん別れたが最後、同じこの地球の上に呼吸しながら、未来永劫(えいごう)またと邂逅(めぐりあ)わない……それはなんという不思議な、さびしい、恐ろしい事だ。人とは言うまい、犬とでも、花とでも、塵(ちり)とでもだ。孤独に親しみやすいくせにどこか殉情的で人なつっこい私の心は、どうかした拍子に、このやむを得ない人間の呙颏筏撙袱撙雀肖袱粕瞍ゃd(ゆううつ)に襲われる。君も多くの人の中で私にそんな心持ちを起こさせる一人だった。
这样过去了二、三年。其间每当想起你的时候,我便体味一次人生旅途的无奈。好不容易有一面之交,二颗心又发生了某种程度的碰撞,志同道合的人一旦分别,尽管同在这个地球上呼吸,结果却沦为万世不复的永劫中再也不能相会……那是多么不可思议、多么悲哀、多么可怕的事啊。不用说人,就是猫狗、花草、尘埃也会有同感吧。我虽然喜欢孤独,但却有点儿重情,常常思念远方的人,在我的心里往往深切地感受着这种无奈的人生命运并常让我陷在忧郁的深渊里。在众多的能够引起我这种情绪的人群中,你也是其中的一个。
しかも浅はかな私ら人間は猿(さる)と同様に物忘れする。四年五年という歳月は君の記憶を私の心からきれいにぬぐい取ってしまおうとしていたのだ。君はだんだん私の意識の閾(しきい)を踏み越えて、潜在意識の奥底に隠れてしまおうとしていたのだ。
然而浅薄的我们人类和猴子没有分别,不长于记忆。在四、五年的岁月里,我差不多把你忘得干干净净。你渐渐踏出我意识的门栏,蛰伏到我潜意识的深处去了。
この短からぬ時間は私の身の上にも私相当の変化をひき起こしていた。私は足かけ八年住み慣れた札幌(さっぽろ)――ごく手短に言っても、そこで私の上にもいろいろな出来事がわき上がった。妻も迎えた。三人の子の父ともなった。長い間の信仰から離れて教会とも縁を切った。それまでやっていた仕事にだんだん失望を感じ始めた。新しい生活の芽が周囲の拒絶をも無(な)みして、そろそろと芽ぐみかけていた。私の目の前の生活の道にはおぼろげながら気味悪い不幸の雲がおおいかかろうとしていた。私は始終私自身の力を信じていいのか疑わねばならぬかの二筋道に迷いぬいた――を去って、私には物足らない都会生活が始まった。そして、目にあまる不幸がつぎつぎに足もとからまくし上がるのを手をこまねいてじっとながめねばならなかった。心の中に起こったそんな危機の中で、私は捨て身になって、見も知らぬ新しい世界に仱瓿訾故陇蛴鄡xなくされた。それは文学者としての生活だった。私は今度こそは全くひとりで歩かねばならぬと決心の臍(ほぞ)を堅めた。またこの道に踏み込んだ以上は、できてもできなくても人類の意志と取り組む覚悟をしなければならなかった。私は始終自分の力量に疑いを感じ通しながら原稿紙に臨んだ。人々が寝入って後、草も木も寝入って後、ひとり目ざめてしんとした夜の寂寞(せきばく)の中に、万年筆のペン先が紙にきしり込む音だけを聞きながら、私は神がかりのように夢中になって筆を撙肖筏皮い胧陇猡ⅳ盲俊K饯沃車欷摔贤鲭懁韦瑜Δ驶辘窑筏幛い啤⒓垽沃肖松蓼斐訾瑜Δ瓤啶筏撙ⅳ护盲皮い毪韦颏悉盲辘雀肖袱渴陇猡ⅳ盲俊¥饯螭蕰r気がついてみると、私の目は感激の涙に漂っていた。芸術におぼれたものでなくって、そういう時のエクスタシーをだれが味わい得よう。しかし私の心が痛ましく裂け乱れて、純一な気持ちがどこのすみにも見つけられない時のさびしさはまたなんと喩(たと)えようもない。その時私は全く一塊の物質に過ぎない。私にはなんにも残されない。私は自分の文学者である事を疑ってしまう。文学者が文学者である事を疑うほど、世に空虚なたよりないものがまたとあろうか。そういう時に彼は明らかに生命から見放されてしまっているのだ。こんな瞬間に限っていつでもきまったように私の念頭に浮かぶのは君のあの時の面影だった。自分を信じていいのか悪いのかを決しかねて、たくましい意志と冷刻な批評とが互いに衷(うち)に戦って、思わず知らずすべてのものに向かって敵意を含んだ君のあの面影だった。私は筆を捨てて椅子(いす)から立ち上がり、部屋(へや)の中を歩き回りながら、自分につぶやくように言った。
在这段不短的时间里,我的境遇伴随我发生了相应的变化。札幌,我前后住了八年——简短地说,我在那里的生活发生了种种变故。我娶了妻子,成为三个孩子的父亲,背叛了多年的信仰并与教会脱离了关系。我对以前从事的工作渐渐感到失望,新生活的蓓蕾无视周围的排挤慢慢开始萌芽。既对眼前的生活道路感到迷惘,不幸的阴云又令人沮丧地袭来。我对自己的能力始终迷失在自信和怀疑二股道上——离开迷途,我开始过上自己不甚满意的都市生活,揪心的不幸事件还是接踵而来,我眼巴巴地望着它们束手无策。我的心里危机四起,被迫无奈,我决意孤注一掷,步入前所未有的崭新世界,那就是选择文学这条生活道路。我痛下决心,这次必须完全由我独自走下去。而且,既然步入这条道路,无论成功与否,我必须与人类的意志抗争。我虽然始终怀疑自己的能力,但还是面对着稿纸。当人们熟睡之后,当草木熟睡之后,我独自醒着,在夜深人静的寂寞中,只有钢笔的笔尖在稿纸上吱吱作响。有时我犹如神灵附体,忘我地写作;有时我历历感到亡灵一般的灵魂纷纷拥挤在我的周围,它们焦灼地挣扎着要跃然纸上。这时我才发现我的眼眶里噙满了激动的泪水。虽然说不是陶醉在艺术中,但是有谁能够体会那个时候的痴迷呢!然而,当我的心被痛苦地撕裂成碎片,哪个角落里都找不到一块单纯的心情,那时候的惆怅又能用什么言辞来比拟呢!此时此刻我完全变成了一个空壳,地地道道的空壳。我怀疑自己是一位文学家,世间还有比文学家怀疑自己是文学家更虚无、更缥缈的吗!如果说有的话,那个时候他显然是被生活遗弃了。也就是在这样的瞬间,我的脑海里总要浮起你那个时候的身影。那是这样一副身影,不能决断自信是好是坏,顽强的意志和冷酷的批评相互厮杀,在不知不觉之间对所有东西怀有敌意。我放下笔从椅子上站起来,在房间里一边来回踱着,一边自言自语地嘟噜道:
「あの少年はどうなったろう。道を踏み迷わないでいてくれ。自分を誇大して取り返しのつかない死出の旅をしないでいてくれ。もし彼に独自の道を切り開いて行く天稟(てんびん)がないのなら、どうか正直な勤勉な凡人として一生を終わってくれ。もうこの苦しみはおれ一人だけでたくさんだ」
“那个少年怎么样了呢?希望他不要犹豫自己选择的道路,不要夸大自己以免踏上难以挽回的不归路。假如他没有开创自己独特道路的天赋,那么就设法做一个正直、勤勉的普通人度过一生。这个痛苦让我一个人承担就已经够受的了。”
ところが去年の十月――と言えば、川岸の家で偶然君というものを知ってからちょうど十年目だ――のある日雨のしょぼしょぼ[#「しょぼしょぼ」に傍点]と降っている午後に一封の小包が私の手もとに届いた。女中がそれを持って来た時、私は干し魚が送られたと思ったほど部屋の中が生臭くなった。包みの油紙は雨水と泥(どろ)とでひどくよごれていて、差出人の名前がようやくの事で読めるくらいだったが、そこにしるされた姓名を私はだれともはっきり思い出すことができなかった。ともかくもと思って私はナイフでがんじょうな渋びきの麻糸を切りほごしにかかった。油紙を一皮めくるとその中にまた麻糸で堅く結わえた油紙の包みがあった。それをほごすとまた油紙で包んであった。ちょっと腹の立つほど念の入った包み方で、百合(ゆり)の根をはがすように一枚一枚むいて行くと、ようやく幾枚もの新聞紙の中から、手あかでよごれ切った手製のスケッチ帳が三冊、きりきりと棒のように巻き上げられたのが出て来た。私は小気味悪い魚のにおいを始終気にしながらその手帳を広げて見た。
然而去年十月——也就是说,我在河岸的房子里偶然认识你整整过了十个年头——的某个细雨朦胧的下午,一个小邮包送到了我的手中。女佣人拿来的时候,房间里满是鱼腥味,我还以为咸鱼干寄到了。包裹的油皮纸被雨水和稀泥弄得很脏,好不容易才认清寄件人的名字,我却想不起来是谁了,心想打开来再说。我用小刀费力地切断结实的柿油麻绳,掀开油皮纸,里面又是一层用麻绳捆得结实的油皮纸包,把这层油皮纸包解开后又露出一层油皮纸包。这种小心翼翼的包法着实令人有点儿生气,就像剥百合的茎,一层一层剥下来,终于从几层报纸中露出满是手垢的三册速写本,卷得紧紧的,像一根纸棒。我始终觉得有股令人不快的鱼腥味翻开了画册。
それはどれも鉛筆で描かれたスケッチ帳だった。そしてどれにも山と樹木ばかりが描かれてあった。私は一目見ると、それが明らかに北海道の風景である事を知った。のみならず、それは明らかにほんとうの芸術家のみが見うる、そして描きうる深刻な自然の肖像画だった。
三册都是用铅笔画的速写本,每册都是山和树木。一看就明白是北海道的风景,不仅如此,而且那些深刻的自然肖像画显然是只有真正的艺术家才能捕捉、才能描绘的。
「やっつけたな!」咄嗟(とっさ)に私は少年のままの君の面影を心いっぱいに描きながら下くちびるをかみしめた。そして思わずほほえんだ。白状するが、それがもし小説か戯曲であったら、その時の私の顔には微笑の代わりに苦(にが)い嫉妬(しっと)の色が濃くみなぎっていたかもしれない。
“到底干了这个!”我顿时一边尽情勾勒着你少年时的身影,一边紧闭双唇露出了会心的微笑。坦白地说,假如它们是小说或者是剧本的话,我那时候的脸上恐怕就不是微笑,而是汗颜的强烈嫉妒了。
その晩になって一封の手紙が君から届いて来た。やはり厚い画学紙にすり切れた筆で乱雑にこう走り書きがしてあった。
那天晚上,我收到了你的一封来信。那封信仍然写在厚厚的学画纸上,你用磨秃了的毛笔没有章法地狂草道:
「北海道ハ秋モ晩(オソ)クナリマシタ。野原ハ、毎日ノヨウニツメタイ風ガ吹イテイマス。
日ゴロ愛惜シタ樹木ヤ草花ナドガ、イツトハナク落葉シテシマッテイル。秋ハ人ノ心ニイロイロナ事ヲ思ワセマス。
日ニヨリマストアタリノ山々ガ浮キアガッタカト思ワレルクライ空ガ美シイ時ガアリマス。シカシタイテイハ風トイッショニ雨ガバラバラヤッテ来テ道ヲ悪クシテイルノデス。
昨日スケッチ帳ヲ三冊送リマシタ。イツカあなたニ絵ヲ見テモライマシテカラ故郷デ貧乏漁夫デアル私ハ、毎日忙シイ仕事ト激シイ労働ニ追ワレテイルノデ、ツイコトシマデ絵ヲカイテミタカッタノデスガ、ツイカケナカッタノデス。
コトシノ七月カラ始メテ画用紙ヲトジテ画帖(ガジョウ)ヲ作リ、鉛筆デ(モノ)ニ向カッテミマシタ。シカシ労働ニ害サレタ手ハ思ウヨウニ自分ノ感力ヲ現ワス事ガデキナイデ困リマス。
コンナツマラナイ素描帳ヲ見テクダサイト言ウノハタイヘンツライノデス。シカシ私ハイツワラナイデ始メタ時カラノヲ全部送リマシタ。(中略)
私ノ町ノ知的素養ノイクブンナリトモアル青年デモ、自分トイウモノニツイテ思イヲメグラス人ハ少ナイヨウデス。青年ノ多クハ小サクサカシクオサマッテイルモノカ、ツマラナク時ヲ無為ニ送ッテイマス。デスガ私ハ私ノ故郷ダカラ好キデス。
イロイロナモノガ私ノ心ヲオドラセマス。私ノスケッチニ取ルベキトコロノアルモノガアルデショウカ。
私ハナントナクコンナツマラヌモノヲあなたニ見テモラウノガハズカシイノデス。
山ハ絵ノ具ヲドッシリ付ケテ、山ガ地上カラ空ヘモレアガッテイルヨウニカイテミタイモノダト思ッテイマス。私ノスケッチデハ私ノ感ジガドウモ出ナイデコマリマス。私ノ山ハ私ガ実際ニ感ジルヨリモアマリ平面ノヨウデス。樹木モドウモ物体感ニトボシク思ワレマス。
色ヲツケテミタラヨカロウト考エテイマスガ、時間ト金ガナイノデ、コンナモノデ腹イセヲシテイルノデス。
私ハイロイロナ構図デ頭ガイッパイニナッテイルノデスガ、ナニシロマダカクダケノ腕ガナイヨウデス。オ忙シイあなたニコンナ無遠リョヲカケテタイヘンスマナク思ッテイマス。イツカオヒマガアッタラ御教示ヲ願イマス。
十月末」
北海道的秋天已经很晚了。田野上每天吹着寒冷的北风。
平时喜爱的树木和花草悄悄掉光了叶子。秋天让人心里产生各种各样的感慨。
天空晴朗的时候,我就想,附近的山今天又露出来了吧。但是,刮风的日子多,雨水也跟着哗哗下起来,路也不好走了。
昨天给你寄了三册速写本,因为老想着什么时候让你看看画。在家乡,我是一个穷苦的渔夫,每天都忙着干活和繁重的劳动,所以只好让你看今年以前的画。不过,我终于不能画画了。
从今年七月开始,我把学画纸订成了速写本,用铅笔对着(东西)试了试,但是被劳动磨糙了的手不能随心所欲地表现自己的感力,没有办法。
说是请你看这些没用的速写本,的确不好意思。但是,我毫不隐瞒地把所有的画全部寄给你。
(中略)
我所在的小镇有些青年虽然也有几分文化素养,但与我交谈,肯动脑筋的人好像不多。大部分青年人爱耍小聪明,安于现状,无所事事地打发时光。但是,因为是我的家乡,我爱她,各种各样的事情都让我心动。在我的速写本上有可取的画吗?我总觉得不好意思让你看这样没有价值的东西。我想郑重地拿起画笔,描绘从地上隆起直指天空那样的大山。用我的速写本怎么也画不出自己的感受,真为难。与我实际感受的山相比,我的山好像太平面化了。树木也觉得缺乏物体感。
我琢磨着要是涂上颜色也许好一些,但是,因为没有时间和钱,只好这样发泄感情。
我的头脑里装满了许许多多的构图,然而好像我还没有这个能力描绘她们。在你百忙当中打搅你,实在不好意思。如果有空的话,请给予指教。
十月末
こう思ったままを書きなぐった手紙がどれほど私を動かしたか。君にはちょっと想像がつくまい。自分が文学者であるだけに、私は他人の書いた文字の中にも真実と虚偽とを直感するかなり鋭い能力が発達している。私は君の手紙を読んでいるうちに涙ぐんでしまった。魚臭い油紙と、立派な芸術品であるスケッチ帳と、君の文字との間には一分(ぶ)のすきもなかった。「感力」という君の造語は立派な内容を持つ言葉として私の胸に響いた。「山ハ絵ノ具ヲドッシリ付ケテ、山ガ地上カラ空ヘモレアガッテイルヨウニカイテミタイ」‥‥山が地上から空にもれあがる‥‥それはすばらしい自然への肉迫を表現した言葉だ。言葉の中にしみ渡ったこの力は、軽く対象を見て過ごす微温な心の、まねにも生み出し得ない調子を持った言葉だ。
「だれも気もつかず注意も払わない地球のすみっこで、尊い一つの魂が母胎を破り出ようとして苦しんでいる」
私はそう思ったのだ。そう思うとこの地球というものが急により美しいものに感じられたのだ。そう感ずるとなんとなく涙ぐんでしまったのだ。
你信笔而书的信让我多么感动啊,你肯定是想象不到的。只因为自己是文学家,我从别人的字里行间感受真实和虚伪的敏锐能力是相当发达的。读着你的来信,我的眼睛里噙满了泪花。散发着鱼腥味的油皮纸、堪称精美艺术品的速写本和你的文字彼此紧密相联,没有一分空隙。“感力”,你所创造的这个词汇包含着丰富的内涵在我的心中回荡。“我想郑重地拿起画笔,描绘从地上隆起直指天空那样的大山”……大山从地上隆起直指天空……那是表现折服于大自然的生动语言。渗透在语言中的这种力量不是那些抱着蜻蜓点水、无关痛痒的心能够模仿出来的。
“在谁也没有留心,谁也没有注意的地球的一个角落,一颗高贵的灵魂正在痛苦地从母胎里破胎而出。”
我这样想着。一想到这里,我顿时感到这颗地球变得更加美好了。有了这样的感受,我不由得泪水盈眶。
そのころ私は北海道行きを計画していたが、雑用に紛れて躊躇(ちゅうちょ)するうちに寒くなりかけたので、もういっそやめようかと思っていたところだった。しかし君のスケッチ帳と手紙とを見ると、ぜひ君に会ってみたくなって、一徹にすぐ旅行の準備にかかった。その日から一週間とたたない十一月の五日には、もう上野駅から青森への直行列車に仱盲皮い胨阶陨恧蛞姢い坤筏俊
札幌(さっぽろ)での用事を済まして農場に行く前に、私は岩内にあてて君に手紙を出しておいた。農場からはそう遠くもないから、来られるなら来ないか、なるべくならお目にかかりたいからと言って。
農場に着いた日には君は見えなかった。その翌日は朝から雪が降りだした。私は窓の所へ机を持って行って、原稿紙に向かって呻吟(しんぎん)しながら心待ちに君を待つのだった。そして渋りがちな筆を休ませる間に、今まで書き連ねて来たような過去の回想やら当面の期待やらをつぎつぎに脳裏に浮かばしていたのだった。
那时,我曾计划去北海道,因为杂事缠身有些踌躇,天气也开始寒冷起来,所以正打算索性不去了。然而,看了你的速写本和来信,我决定务必见你一面。我立即着手出发的准备。从那天起一周内,也就是十一月五日,我已经坐在了从上野开往青森的直达列车。
在札幌办完事去农场之前,我向岩内给你发了一封信。我在信中说,因为离农场不是很远,能来的话还是来,我希望尽可能见见面。
到达农场的那一天没有见到你。第二天早晨下起雪花。我把桌子移到窗边,面对稿纸,一边低吟一边焦急地盼望着你。而且在放下迟滞的钢笔停止写作的时候,刚刚串缀的往事回忆以及眼前的期待陆续浮现在我的脑海里。 |
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