4.対中国経済関係5 ]: Y5 j% C( \ X/ U) h% A
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. k* l% f+ Z6 X: J& q/ ](1) 中国の安定した発展、及び日中両国の友好関係の構築は日本のみならずアジア・太平洋地域の平和と繁栄にとり極めて重要との立場から、日本は中国に1980年よりODAを一貫して提供。90年代に入り、経済発展に伴う中国の国力増大や第三国に対する援助、日本の厳しい経済・財政事情等を背景に、日本国内において対中ODAに対する厳しい見方が現れた。このため、日本は様々な機会を捉えて中国側に対し、第三国援助や軍事費の透明性向上、中国国内での広報強化等を要請。また、日本は、2001年10月に策定した「対中経済協力計画」に基づき、環境問題や内陸部開発を中心に、日本の国益との関係等を勘案しつつ対中経済協力を実施。2002年度の円借款(全8案件)は、前年比約25%の減額(1,225億円)となったが、そのうち環境分野が6件(金額ベースで72.6%)、すべての案件が内陸部を対象としている。+ F9 b; m6 N# N
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(2) 4月28日、SARSに関する支援として、中国に対しマスク・防護服等総額約2億500万円相当の医療器材の供与を決定した。% v# G. b( N0 A7 s/ L6 ^; L
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- ]* V8 T: V4 }5.日中間の交流活動
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+ \! z$ q7 S0 _) I" f0 V 2002年は日中国交正常化30周年を記念し、文化、経済、貿易、観光、教育、青少年交流等の分野で「日本年」「中国年」と称する一連の記念行事や交流活動を展開し、特に若い世代における相互理解・信頼の醸成を推進した。2002年9月下旬、橋本元総理をはじめとする国会議員85名を含む日本人約1万3千人が訪中し、北京にて歓迎レセプション、植樹式典及び交流式典が行われた。江沢民主席は同交流式典で演説し、日中友好関係の強化及びアジア地域の繁栄のために日中間の協力が重要と強調したほか、戦後、日本が平和発展の道を選んだことを評価。日中国交正常化30周年当日(同29日)には、北京の在中国日本国大使館にて祝賀レセプションが開かれ、中国側からは銭其シン副総理らが参加。同10月には日中双方実行(組織)委員会主催による日中フォーラムが開催された。& e' L3 [1 b. B1 O5 d' ~
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+ I2 K" d; ]6 I) P' H1 Z0 ?1. 内 政
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(1) 1997年7月1日の中国返還により香港特別行政区(SAR)となった香港において「一国二制度」は基本的に順調に機能。董建華(とう・けんか)行政長官は2002年2月、第2期行政長官に無投票にて再選し、同3月、中国中央政府により任命され、同7月に就任(任期は5年間。再々任は不可)。 ) O3 P z" V9 E$ Q8 j
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(2) 2002年9月、香港SAR政府は、「基本法第23条実施に関する諮問文」と題する政府基本案を発表し、その立法化への第一歩を踏み出した。2002年末には立法反対派、立法支持派がそれぞれデモ・集会を行うなど、香港返還後で市民が最も高い関心を寄せる事案となっている。SAR政府は2003年2月に法令案を立法会に提出し、7月までに成立させることを目指している。
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. @. e! c3 F! |5 P- p! ~(3) 2003年1月、董建華行政長官は、再選後初めての施政方針演説を行い、香港経済の再生、中国本土との協力強化、財政赤字の解決及び基本法第23条関連立法について今後の改革の方向性と具体的施策を提示した。
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6 Z4 R* x9 N/ I% ~3 W7 L7 d e2. 経 済
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(1) 香港経済はアジア経済危機に伴う景気後退から脱却したものの、デフレ、失業、財政赤字等の構造的問題に直面している。2001年は米国経済の減速等の影響を受け、経済成長は0.6%にとどまったが、2002年は2.3%と回復が見られた。2002年下半期には回復の兆しが見られたが、重症急性呼吸器症候群(SARS)の発生以降、観光客の減少等による経済の悪影響が懸念される。(GDP成長率:98年-5.0%、99年+3.4%、2000年+10.2%、2001年+0.6%、2002年+2.3%)。 ( l/ ^6 r4 b6 z4 b) V: w2 o* P
2 A2 q! m' w/ I(2) 中国との経済関係では、中国と香港の自由貿易区設立構想(「中国本土と香港の緊密な経済貿易関係アレンジメント(CEPA)」)に関する協議が進められており、2003年6月までに大筋合意を目指している。また、香港と広東省(特に珠江デルタ)との経済一体化が着実に進展しており、インフラ・環境等の協力が進められている。 0 E' R/ V* h" Y: C% d' q
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3. 日港関係6 I. a7 _: q4 ?7 b
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日港間の要人往来においては、2001年3月、董建華行政長官が訪日した際、森総理を表敬し、河野外務大臣等と会談。2002年8月、松浪外務政務官が香港を訪問し、梁逅桑ēⅴ螗去拴`=リョン)財務庁長官と会談。また、2002年11月、曾蔭権(そう・いんけん)(ドナルド=ツァン)政務庁長官が訪日し、福田官房長官を表敬した他、川口外務大臣等と会談。 $ r5 v0 r$ `4 r3 l' y
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台 湾
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! h* K4 S8 q; R# p3 Z1. 内 政0 U2 _2 s- b( @* T: `+ M8 ^+ s1 g/ j+ o
% O+ C, f' S* r; W3 \+ H(1) 2000年5月に就任した民進党の陳水扁(ちん・すいへん)第10代「総統」は、新「内閣」を政党にこだわらない「全民政府」として位置付けたが、立法院で***が過半数を占める状況の下、少数与党として苦しい政局邌婴驈姢い椁欷皮俊; b" n# j" Z, S: E
3 a0 a3 ]% t4 ^1 Z( h! {: D(2) 2001年12月の立法院選挙において***は大敗し、民進党が立法院において初めて第一党となったものの、台湾団結連盟と合わせても過半数には到らず、引き続き与野党が拮抗する不安定な構造が続いている。
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6 g) P/ }9 E4 _, S8 G, \0 c8 R5 S(3) 次期総統選挙(2004年3月)に向け、野党陣営の動きが活発化し、2003年2月、国民・親民党の党首(連戦(れんせん)、宋楚瑜(そう・そゆ))が選挙協力につき合意し、同4月、両名が正副総統候補として出馬することが発表された。. q t' m' z/ b, P" W0 M
* F h% w: n% N$ C, N5 u" v2. 経 済8 M" Q! v6 U/ E1 b
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2002年の台湾経済は、内需は依然として低迷したものの、世界景気の緩やかな回復に伴い、対外貿易及び製造業生産が好転し、経済成長率は3.54%(2001年は-2.18%)、GNPは2889米億ドル(2001年は2868億米ドル)となった。一方で、失業率過去最悪の5.17%を記録した。2003年度について、台湾当局は、経済成長率を3.68%と予測している。(2002年の台湾の主要経済指標)( S6 K) w% ^: k( ~. A& y) ^
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: ~5 @3 R# [( q6 e8 j. ^8 G4 |3. 両岸関係
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(1) 99年7月、李登輝(り・とうき)「総統」(当時)が「両岸関係は特殊な国と国との関係」と発言し、中国側がこれに激しく反発して以来、両岸対話は中断している。陳水扁は「総統」就任演説の中で「5つのノー」に言及したが、中国側が両岸対話再開の条件として提示している「1つの中国」原則の受け入れには同意していない。' E/ ~% ~/ Z. M4 T/ T. Y* k; ^
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(2) 胡逄 |