日本で一番古いという仏像を見たのは、2年前の春だった。奈良県明日香村の飛鳥寺の本尊、釈迦如来の座像で、3メートル近くある。7世紀の初め、女帝の推古天皇が仏師の鞍作鳥(くらつくりのとり)(止利)につくらせたという。
2年前的春天我参观了据说是日本最古老的佛像——奈良县明日香村的飞鸟寺本尊——释迦如来的坐像。佛像高近三米,据说是7世纪初,女帝推古天皇命令佛师鞍作鸟(止利)建造的。
後年火災で焼けた。修復のあとが痛々しい。しかし、一部は当時のままだという顔のあたりをしばらく眺めていると、かすかな笑みの中に古代のおおらかな息吹が感じられた。
后年佛像遭遇了火灾,修复的痕迹让人心痛。但是,仔细眺望佛像那据说是部分保持原样的脸部,不由得会从那微笑中感觉到古代安祥的气息。
飛鳥寺は、大化の改新にもゆかりのある史跡だ。645年6月、豪族の蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は飛鳥寺に入った。そして甘樫丘(あまかしのおか)の自邸にこもった入鹿の父、蝦夷(えみし)とにらみ合ったという。
飞鸟寺是与大化改新都有联系的历史遗迹。645年6月,暗杀了豪族苏我入鹿的中大兄皇子进入了飞鸟寺。然后与固守甘樫丘自宅的入鹿的父亲虾夷相互对峙。
その甘樫丘のふもとの遺跡で、入鹿の屋敷の一部だった可能性のある建物などの遺構がみつかった。今回発掘された柱の穴から想定される建物や塀は、小規模なものだ。しかし、94年には、すぐ近くから焼けた木材や土が見つかっている。1400年近く前の時代への想像をかきたてる発見だ。
在甘樫丘山脚的遗迹中,发现了可能是属于入鹿家宅部分建筑的构造遗留。按照此次发掘出的梁柱上的孔洞推测,该建筑以及围墙属于小规模建筑。但是,在94年曾在这附近发现过燃烧过的木材与泥土。此次的发现唤起了人们对近1400年前的那个时代的遐想。
「冬(ふゆ)十一月(しもつき)に、蘇我大臣(そがのおほおみ)蝦夷(えみし)・児入鹿臣(こいるかのおみ)、家を甘橿岡(うまかしのをか)に双(なら)べ起(た)つ。大臣の家を呼(よ)びて、上(うへ)の宮門(みかど)と曰(い)ふ。入鹿(いるか)が家をば、谷(はさま)の宮門と曰ふ……家(いへ)の外(と)に城柵(きかき)を作(つく)り、門(かど)の傍(ほとり)に兵庫(つはものぐら)を作る……恒(つね)に力人(ちからひと)をして兵(つはもの)を持(も)ちて家(いへ)を守(まも)らしむ」(『日本書紀』岩波書店)。この記述の通りだったとするならば、丘は砦(とりで)のようだったのかも知れない。
“冬,11月,苏我大臣虾夷及子入鹿臣同建家于甘橿冈。唤大臣之家曰上宫门。称入鹿之家曰谷宫门……家外造城栅,门旁设武库……常遣力士持兵器守家。”(《日本书纪》岩波书店)。若此记述属实,则当时这个山坡可能就像个山寨。
今、この丘には誰でも登れる。坂の上の見晴らし台から大和三山も一望できる。古代の権力が激しくせめぎあった舞台は、時にさらされ、穏やかな風景となって心をなごませてくれる。
现在,游人可随意登上这个山坡。从山坡上的观景台极目远眺,大和三山亦可尽收眼底。古代权力激烈斗争的舞台,经过时间的洗礼,成为了宜人的风景,舒缓着人们的心情。 |