覚悟を決める
指導者は大事にいたれば、度胸をすえてそれに当たることである
織(お)田(だ)信(のぶ)長(なが)の武将柴(しば)田(た)勝(かつ)家(いえ)が近(おう)江(み)の佐(さ)々(さ)木(き)承(しょう)禎(てい)と戦(たたか)った時(とき)、戦(たたか)い利(り)あらず、ついに城(しろ)を十(と)重(え)二(は)十(た)重(え)に取り囲まれてしまった。しかも、城の水の手を絶たれたため、城兵の士気が衰え、落城も目前の姿になった。
その時に、佐々木勢から城内の様子を探るため使者が来た。すると勝家は、実際には残り少ない水ではあるが、それを惜しみもなく使って見せたので、使者はまだ水がたくさんあり、籠城(ろうじょう)は当分続くだろうと考え帰っていた。ところが、そのあと勝家は、残りの水ガメを全部運ばせ、全員に存分に喉を潤(うるお)させた後、その水ガメを打ち割り、「武士たるもの座して、死を待つより、打って出て立派に死のう」と叫び、翌朝未明城門を押し開いて斬(き)って出(で)た。その決死の勢いに、佐々木勢の大軍も見る見るうちに崩れ立ち、大勝利を収め、以来“かめ割り柴田、鬼柴田”の名が鳴り響いたという。
いわゆる死中に活を求めて成功したわけである。人間誰しも命を惜しい。死にたくない。けれども、それにとらわれている間は本当に力強い働きはできない。といって、命を惜しむなということをいくら口でいってもなかなか、おいそれとそうなるものでもない。そこを勝家は、命(いのち)の綱(つな)である水ガメを打ち割るというショッキングな方法で、断ち切ったのであろう。いわば、絶体絶命の境地に自ら追いやり、それによって部下に決死の覚悟をさせたわけである。
そのような全員討(うち)死(じに)の覚悟で打って出たところ、もちろん戦死者は出たであろうが、結果は大勝利に終わった。ここが、理外の理とも言うべきもので、まことに面白いところだと思う。
平常の場合は、命を惜しみ、物を惜しみ、金を惜しむということも大切だと思う。しかし非常の場合、一大難局面に直面したというような時は、そういう心持ちでは、かえってそれらを失うことになることが多い。非常に際して、貴重なものであり金であり命ではあるが、これを失うこともやむをえない、むしろ進んで捨てるというような覚悟を一面に持ってことに当ることが大切だと思う。そういう覚悟でやれば、十失うべきところを五で済むとか、あるいは全く失うことなく、かえって成果をあげるということにもなる。
こうしたことは理屈では割り切れないけれども、やはり歴史なりお互いの体験が物語っている一つの真実として、指導者は知っておかなくてはならないと思う。
必死决心
领导者若逢大事,当大胆而为
织田信长的武将柴田胜家在与近江(注:地名,现在的滋贺县。)的佐佐木承祯作战时,局势不利,最后其城池被围了个水泄不通,并被断了水源,守城军队士气低落,城池失守近在眼前。
此时佐佐木方面派来使者,打探城内的虚实。于是胜家故意在使者面前将所剩不多的水肆意挥霍,让使者误认为城内水还很多,围城恐怕将会旷日持久。然而,在使者回去后,胜家便命人将尚存的水全部拿出来,让所有的人畅快地润了润嗓子,然后将水缸统统砸碎,大喝道:“为武士者岂能坐以待毙,自当冲锋陷阵,死得其所。”,于次日凌晨打开城门冲杀了出去。在他们舍命拼死的气势之下,佐佐木的大军节节败退,最后胜家取得了辉煌的胜利,从此“砸缸柴田、魔鬼柴田”的名声便传遍了四方。
正所谓置之死地而后生。人都是爱惜生命而不愿去死的。然而,受到这种思想的束缚时,是不可能有什么坚强的作为的。即使嘴上再怎么说不要怕死,结果也还是没有用。胜家用砸碎命根子——水缸这样刺激性的手段,斩断了大伙对生的留恋。他亲自将大家逼上绝路,使部下下定了必死的决心。
在这种预备全体战死的思想准备下冲入敌阵,自然也有牺牲,可结果终获大胜。其中颇有些可称是理外之理、耐人寻味的地方。
在平时,珍惜生命、珍惜财物当然是极其重要的。但在非常时期,面临艰难局势时,若也是同样的心情则往往适得其反。在非常时期,重要的是要有对贵重的财物乃至生命保不住也是无可奈何,甚至更进一步,主动抛弃的思想准备。有了这样的思想准备,则该失十份的只失五份,或不失,有时甚至反而能取得成果。
这种事虽然不合常理,但却是历史和经验告诉我们的真实情况,作为领导者必须明白。 |