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【天声人語】
2006年01月19日(木曜日)付
「申し訳ございません。拒絶させてもらいます」。耐震強度の偽装事件をめぐる国会の証人喚問で、小嶋進・ヒューザー社長の回答拒否は、30回近くに及んだ。
“对不起,我拒绝回答。”在国会围绕伪造抗震强度数据事件的证人聆询上,候杂公司董事长小岛进已是将近30次拒绝作答了。
テレビの中継を見て、歯がゆい思いをした人も多かっただろう。しかし法律では、正当な理由があれば証言を拒否できると定められている。自己に不利益な供述を強要されないという憲法の規定もある。
大概很多人看电视直播时都恨得咬牙切齿吧。然而在法律上是规定如有正当的理由证人是可以拒绝作答的。宪法也规定不能强迫证人作对自己不利的供述。
拒否が連発された喚問には、ほとんど意味が無かったかといえば、そうではない。小嶋社長が回答を拒んだのは、こんな項目についてだった。「構造計算書の偽造を、いつ、どこで知ったか」「ヒューザーで急きょ開かれた会議の内容」「販売中のマンションが問題物件だと、いつ認識したのか」
提问被屡屡拒答,那是不是说这些提问就毫无意义了呢?答案非也。小岛拒绝回答的,都有以下这些提问:“伪造构造计算表一事是在何时、何地知道的呢?”“候杂公司召开的紧急会议的内容是什么?”“是什么时候意识到正在销售的公寓是有问题的呢?”
いずれも、事件の核心部分にあたる。回答を拒むのは認められた権利の行使だが、証人にとっては不利な事態を招く一面もある。肝心なところで明確に否定しないことで、暗に認めたとも取られかねないからだ。世間が、やはり後ろ暗いところがあるのかといった見方に傾くとしても、口を開くよりはいいと考えたのだろうか。「黙して語らず」というが、黙してもなお語るところがあったように思う。
这些问题,个个都关联到事件的核心部分。虽然拒绝作答是行使被承认的权利,但对于证人来说也会招致对自己不利的局面。因为一般人认为,如果在关键的地方不作明确的否认的话,大概就等于暗地里承认了。难道小岛认为就算让人人都怀疑其背后有黑幕,也比开口说好吗?虽说“沉默不语”,但其实沉默有时也是在说着话的。
フランスの政治思想家で法学者だったモンテスキューが述べている。「自由とは法律の許すすべてをなす権利である」(『法の精神』岩波文庫)。
法国的政治思想家法学家蒙特司基曾经讲过:“自由就是做法律所允许的一切事情的权利”(《法律精神》岩波文库)。
国会で黙された部分の実相が、「法律の許すすべて」の範囲を踏み外していなかったかどうか。その究明はこれからだが、沈黙は、問題のありかを繰り返し指し示していた。
在国会被拒绝回答的事情的真相,到底有没有超出“法律所允许的一切事情”的范围呢?虽然其答案有待查证,但沉默本身就已经在反复提示问题的所在了。 |
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