姓
かばね
日本古代の豪族が氏名のもとにつけた称号。古代国家における政治的・社会的な位置の上下関係をあらわし,一族が世襲した。姓には,臣(おみ),連(むらじ),君(きみ),直(あたい),造(みやつこ),史(ふひと)など多数があり,古くは公的・私的に用いられた尊称や称呼であったものに由来する。姓の君や別(わけ)は,かつて首長を意味する豪族の尊称や称号,連はムラ(村)ジ(主)をあらわす尊称,首(おびと)は集団のカシラ(頭)を示しオホヒト(大人)に語源をもつ統率者の称呼と考えられるが,大和国家の発展にともなって,諸豪族が朝廷のもとに組織づけられるようになると,かつての尊号や称号が一定の政治的・社会的な上下関係を示す称号として,秩序あるものとなってきた。その時期は,おそらく6世紀に入ってからで,すでにその萌芽は5世紀の後半にみられたであろう。《日本書紀》允恭天皇4年条などにみられる氏姓を定めるための盟神探湯(くかたち)の伝説は,姓の制度の発生の一端を伝える伝説であろうし,また埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した鉄剣銘にワカタケル(視加多支炎)大王の時代の人として乎視居盲(臣)の人名が記され,称号としての視居(ワケ,別,和気)の下に,姓的な臣の称呼がそえられてあるのは,姓の制度が成立してくる様相を端的に示している。姓の制度は,684年(天武13)に制定された真人(まひと),朝臣(あそん),宿衝(すくね),忌寸(いみき)など八色の姓(やくさのかばね)で一段と整ったものとなり,律令国家において皇親の下に諸貴族,諸氏族を身分的に秩序づける標識とされた。姓の制度は,日本古代において独自なもので,東アジアの他の国々にはみられない。ただし姓をカバネと読むのは,朝鮮の新羅(しらぎ)の社会制度で,位置の上下を示すのに〈骨品(こつぴん)〉の語を用いたので,その〈骨〉に相当する日本語カバネ(骸骨)が用いられたものとする説がある。⇒姓(せい) 佐伯 有清
(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved. |