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天声人语(2,14)

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发表于 2006-2-14 06:25:01 | 显示全部楼层 |阅读模式
 70歳になったら、トイレでも歌わないし、シャワーを浴びる時も歌わない——。テノール歌手パバロッティが、2005年の70歳の誕生日を限りに引退すると述べたと報じられたのは4年前だった。その人が、トリノ冬季五輪の開会式に登場して歌った。    到了70岁,我就算是在洗手间时或是洗澡时也不会再唱歌了。——4年前,媒体报道了男高音歌唱家帕瓦罗蒂将于2005年70岁生日时引退歌坛的消息。然而这次,他将在都灵冬奥会的开幕式上再次引吭高歌。  本人のテーマソングともいわれた「誰も寝てはならぬ」で、イタリアの作曲家プッチーニのオペラの中の曲だ。テレビで見る限り、「私は勝つ。勝利する」と歌い上げるくだりは、突き抜けるような驚異的な往年の声の張りを思わせるものがあった。    意大利作曲家普契尼的歌剧选段《今夜无人入睡》或许已经称得上帕瓦罗蒂的招牌曲目了。看到他在电视中高吭着“我将赢取胜利”,让人不由回想起他曾经极具穿透力和张力的歌声。  今回の登場の経緯は分からないが、パバロッティは北イタリアのモデナの出身だ。生家は貧しく、12歳の時には伝染病で命を落としかけたこともあったという。歌手として大成した後も、ふるさとには強い愛着を抱いていた(M・ルイス『三大テノール』ヤマハミュージックメディア)。    帕瓦罗蒂这次登台献声的来龙去脉暂不清楚。但他出生于北意大利摩德纳,当时家境贫苦,12岁时染上传染病,险些丧命。在他成为享誉世界的歌手后,仍深深地眷恋着自己的故乡。(M·Lewis《三大男高音歌唱家》山羽音乐媒体)  過去のオリンピックの開会式を顧みると、84年のロサンゼルス五輪のあたりから大がかりな機械仕掛けのテレビ向けの演出が多くなってきた。そんな流れの中で、一個の生身の人間の内側から発せられる朗々とした歌声は懐かしく、そして新鮮でもあった。    回顾过去的奥运会开幕典礼,从84年洛杉矶奥运会起,奥运会开幕式演出便越来越倾向于大费周张地使用大型机械装置,向全球转播实况。在这种风潮中,从一个活生生的人从内心中发生的歌声很是令人怀念,同时也感到有点新鲜。  「今こそ最悪の時だ。やるべきことはすべてやった……ついに舞台へ出る時が来た。最後の死の行進が始まる」。パバロッティは、舞台に立つ直前の心境をこう述べている。    “现在是最糟糕的时间。该做的事情我都做了……终于到了该登台的时候了。我将开始最后的拼死奋斗。” 帕瓦罗蒂就自已走上舞台前的心情时如是说道。  トリノという舞台の上でも、選手たちは極度に緊張したり、それを解きほぐしたりしているのだろう。それぞれに「最悪の時」と戦いながら、滑り、舞い、競っている。    就算站在都灵这一舞台上, 选手们也可能会极度紧张,无法缓和心情吧。每个人都在与自己“最糟糕的时间”斗争的同时,滑翔着,飞舞着,相互竞争着。
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发表于 2006-2-14 09:34:30 | 显示全部楼层
引用第0楼asfog2006-02-14 06:25发表的“天声人语(2,14)”:  70歳になったら、トイレでも歌わないし、シャワーを浴びる時も歌わない——。テノール歌手パバロッティが、2005年の70歳の誕生日を限りに引退すると述べたと報じられたのは4年前だった。その人が、トリノ冬季五輪の開会式に登場して歌った。   到了70岁,我就算是在洗手间时或是洗澡时也不会再唱歌了。——4年前,媒体报道了男高音歌唱家帕瓦罗蒂将于2005年70岁生日时引退歌坛的消息。然而这次,他将在都灵冬奥会的开幕式上再次引吭高歌。 .......
ASさん: 過去形。もう歌った。  
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发表于 2006-2-14 09:47:59 | 显示全部楼层
引用第0楼asfog2006-02-14 06:25发表的“天声人语(2,14)”: 過去のオリンピックの開会式を顧みると、84年のロサンゼルス五輪のあたりから大がかりな機械仕掛けのテレビ向けの演出が多くなってきた。そんな流れの中で、一個の生身の人間の内側から発せられる朗々とした歌声は懐かしく、そして新鮮でもあった。   回顾过去的奥运会开幕典礼,从84年洛杉矶奥运会起,奥运会开幕式演出便越来越倾向于大费周张地使用大型机械装置,向全球转播实况。在这种风潮中,从一个活生生的人从内心中发生的歌声很是令人怀念,同时也感到有点新鲜。。.......
说不清楚,但是感觉是演唱方式的问题. 使用扩音装置形式与歌剧式的完全依靠声音穿透力的形式. 等待了解实情的人士指正中......
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发表于 2006-2-14 09:51:58 | 显示全部楼层
【天声人語】 2006年02月14日(火曜日)付 70歳になったら、トイレでも歌わないし、シャワーを浴びる時も歌わない——。テノール歌手パバロッティが、2005年の70歳の誕生日を限りに引退すると述べたと報じられたのは4年前だった。その人が、トリノ冬季五輪の開会式に登場して歌った。 “到了70岁以后,我既不会在都灵冬奥会上献唱,也不会在淋浴时唱歌了——。”这是4年前著名男高音帕瓦罗蒂宣布将在2005年自己70岁的时候退休时的宣言。然而,在都灵冬奥会的开幕式上,他还是登台演唱了。  本人のテーマソングともいわれた「誰も寝てはならぬ」で、イタリアの作曲家プッチーニのオペラの中の曲だ。テレビで見る限り、「私は勝つ。勝利する」と歌い上げるくだりは、突き抜けるような驚異的な往年の声の張りを思わせるものがあった。 他所演唱的是意大利的作曲家普契尼的歌剧中的选曲《今夜无人入睡》。这首歌堪称是帕瓦罗蒂的看家名曲。看电视直播时,听到他力不从心地唱着“我胜利了,胜利了”时,不禁让人怀念起他往年那具有穿透性张力的令人惊叹的声音来。  今回の登場の経緯は分からないが、パバロッティは北イタリアのモデナの出身だ。生家は貧しく、12歳の時には伝染病で命を落としかけたこともあったという。歌手として大成した後も、ふるさとには強い愛着を抱いていた(M・ルイス『三大テノール』ヤマハミュージックメディア)。 不太清楚这次帕瓦罗蒂肯登台的原因是什么,但帕瓦罗蒂的确是出生在意大利北部的莫迪那。据说他小时候家里很穷,12岁时还得了传染病差点没命。后来,他成为了著名的歌唱家后,依然对家乡怀有深深的眷恋。(M・路易斯《三大男高音》雅马哈音乐杂志)。  過去のオリンピックの開会式を顧みると、84年のロサンゼルス五輪のあたりから大がかりな機械仕掛けのテレビ向けの演出が多くなってきた。そんな流れの中で、一個の生身の人間の内側から発せられる朗々とした歌声は懐かしく、そして新鮮でもあった。 回顾以往的奥运会开幕式,自从1984年的落杉矶奥运会开始,使用大型的机械装置的针对电视直播的表演越来越多了。在这样的潮流里,从一个活生生的人的身体里发出的嘹亮的歌声更让人留恋,同时也会给人带来新鲜感。  「今こそ最悪の時だ。やるべきことはすべてやった……ついに舞台へ出る時が来た。最後の死の行進が始まる」。パバロッティは、舞台に立つ直前の心境をこう述べている。 “现在是最严峻的时刻。能做的都已经做了……终于走上舞台的时间到了。最后的死亡行进开始了。” 帕瓦罗蒂对走上舞台前那一刻的心情如此叙述道。  トリノという舞台の上でも、選手たちは極度に緊張したり、それを解きほぐしたりしているのだろう。それぞれに「最悪の時」と戦いながら、滑り、舞い、競っている。 在都灵这个舞台上,现在各个选手应该也在极度的紧张中或是正想办法去缓解紧张情绪吧。大家都在与“最严峻的时刻”作战的同时在滑着、跳着、竞赛着。
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发表于 2006-2-14 09:54:14 | 显示全部楼层
遭了,第一句话把厕所看成都灵了。
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发表于 2006-2-14 10:04:11 | 显示全部楼层
引用第0楼asfog2006-02-14 06:25发表的“天声人语(2,14)”: 「今こそ最悪の時だ。やるべきことはすべてやった……ついに舞台へ出る時が来た。最後の死の行進が始まる」。パバロッティは、舞台に立つ直前の心境をこう述べている。   “现在是最糟糕的时间。该做的事情我都做了……终于到了该登台的时候了。我将开始最后的拼死奋斗。” 帕瓦罗蒂就自已走上舞台前的心情时如是说道。  トリノという舞台の上でも、選手たちは極度に緊張したり、それを解きほぐしたりしているのだろう。それぞれに「最悪の時」と戦いながら、滑り、舞い、競っている。   就算站在都灵这一舞台上, 选手们也可能会极度紧张,无法缓和心情吧。每个人都在与自己“最糟糕的时间”斗争的同时,滑翔着,飞舞着,相互竞争着。 .......
老帕在谈到自己临上舞台前的心情的时候说: 现在才是最严酷的时刻.该做的事情我已经都做了.....终于到了改上台的时候了,我将竭尽最后的力量. 另外站在都灵冬奥会场的选手们,也是一直处于极度紧张与缓解紧张的压力之中吧.每个人都与各自的"严酷时刻"斗争的同时,滑动飞舞彼此竞争.
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发表于 2006-2-14 10:05:22 | 显示全部楼层
引用第4楼reiuka22006-02-14 09:54发表的“”: 遭了,第一句话把厕所看成都灵了。
啊~~千万别让意大利人民看见.......
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发表于 2006-2-14 14:16:44 | 显示全部楼层
70歳になったら、トイレでも歌わないし、シャワーを浴びる時も歌わない——。テノール歌手パバロッティが、2005年の70歳の誕生日を限りに引退すると述べたと報じられたのは4年前だった。その人が、トリノ冬季五輪の開会式に登場して歌った。 到了70岁,我将不会在洗手间唱歌,也不会在淋浴时唱歌了——。这是4年前,男高音歌唱家帕瓦罗蒂,对媒体声称自己将于2005年,70岁生日引退歌坛时的发言。然而这位歌唱家,在都灵冬奥会上,再次引吭高歌。  本人のテーマソングともいわれた「誰も寝てはならぬ」で、イタリアの作曲家プッチーニのオペラの中の曲だ。テレビで見る限り、「私は勝つ。勝利する」と歌い上げるくだりは、突き抜けるような驚異的な往年の声の張りを思わせるものがあった。 堪称帕瓦罗蒂的金牌曲目《无人入睡》,是意大利作曲家普契尼歌剧中的一段曲目。只要在电视前观看他的演出,“我将胜出、我将胜利”这高亢的曲调,总不由得让人回想起他那曾经饱富穿透力,震撼人心的声音。  今回の登場の経緯は分からないが、パバロッティは北イタリアのモデナの出身だ。生家は貧しく、12歳の時には伝染病で命を落としかけたこともあったという。歌手として大成した後も、ふるさとには強い愛着を抱いていた(M・ルイス『三大テノール』ヤマハミュージックメディア)。 不明白帕瓦罗蒂此次登台的缘由。他出生于北意大利的摩笛纳,家境贫寒。据说在其12岁时,还差点因传染病而丧命。在他作为歌唱家响誉全球之后,他对故乡依然满含深深的爱恋。 (M·路易斯『三大高音歌唱家』雅马哈音乐传媒)。  過去のオリンピックの開会式を顧みると、84年のロサンゼルス五輪のあたりから大がかりな機械仕掛けのテレビ向けの演出が多くなってきた。そんな流れの中で、一個の生身の人間の内側から発せられる朗々とした歌声は懐かしく、そして新鮮でもあった。   回顾以往的奥运会开幕式,我们发现大约自84年的洛杉矶奥运会起,大型机械配备的电视转播节目丰富了起来。在这种潮流中,一个发自血肉之躯的朗朗歌声,是那样令人怀念,同时又让人感觉如此新鲜。  「今こそ最悪の時だ。やるべきことはすべてやった……ついに舞台へ出る時が来た。最後の死の行進が始まる」。パバロッティは、舞台に立つ直前の心境をこう述べている。  “现在是最遭的时机。该做之事已全部做完……终于迎来自己登台的机会。感觉通往死亡之路也拉开了序幕。”帕瓦罗蒂,是这样描述自己登台前的心境的。  トリノという舞台の上でも、選手たちは極度に緊張したり、それを解きほぐしたりしているのだろう。それぞれに「最悪の時」と戦いながら、滑り、舞い、競っている.  在都灵这个舞台上,选手们都是极度紧张,而试图缓解这种情绪吧。他们在与各自“最遭情境”相搏之时,滑翔着,飞舞着,竞争着。
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 楼主| 发表于 2006-2-14 17:29:11 | 显示全部楼层
引用第1楼oicu20052006-02-14 09:34发表的“”: ASさん: 過去形。もう歌った。  
汗,谢谢~~~:) 开幕式都完了,还写成“将要”,真是……
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发表于 2006-2-14 20:16:56 | 显示全部楼层
不建议大家自顾自的发布自己的译文, 这样根本没有什么用处。 而是应该针对已经发布的译文谈谈看法, 找出不足, 提出良案。 以使大家共同提高。
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发表于 2006-2-14 21:32:20 | 显示全部楼层
060213休刊 060214天声人語 70歳になったら、トイレでも歌わないし、シャワーを浴びる時も歌わない——。テノール歌手パバロッティが、2005年の70歳の誕生日を限りに引退すると述べたと報じられたのは4年前だった。その人が、トリノ冬季五輪の開会式に登場して歌った。   到了70岁,我就不唱歌了,不管是在洗手间、还是在洗淋浴时都不唱了——。4年前媒体曾报道,男高音歌唱家帕瓦罗蒂自己声称将于2005年,70岁生日之时告别歌坛。可他却在都灵冬奥会的开幕式上再次引吭高歌。  本人のテーマソングともいわれた「誰も寝てはならぬ」で、イタリアの作曲家プッチーニのオペラの中の曲だ。テレビで見る限り、「私は勝つ。勝利する」と歌い上げるくだりは、突き抜けるような驚異的な往年の声の張りを思わせるものがあった。   被人称为他本人的主题歌的《今夜无人入睡》,是意大利作曲家普契尼的歌剧中的一段曲目。光是在电视中观看他高唱“我会赢,我会胜利”这一段,就让人回想起他往年那激越透澈,震撼人心的嗓音。  今回の登場の経緯は分からないが、パバロッティは北イタリアのモデナの出身だ。生家は貧しく、12歳の時には伝染病で命を落としかけたこともあったという。歌手として大成した後も、ふるさとには強い愛着を抱いていた(M・ルイス『三大テノール』ヤマハミュージックメディア)。   他此次登台演唱的原委不甚明了。帕瓦罗蒂出生于意大利北部的摩德纳,家境贫寒。据说在他12岁那年,还差点因传染病而夭亡。而在他作为歌唱家而功成名就之后,对故乡依然怀有深深的眷恋。(M·路易斯《三大高音歌唱家》雅马哈音乐传媒)。  過去のオリンピックの開会式を顧みると、84年のロサンゼルス五輪のあたりから大がかりな機械仕掛けのテレビ向けの演出が多くなってきた。そんな流れの中で、一個の生身の人間の内側から発せられる朗々とした歌声は懐かしく、そして新鮮でもあった。   回顾以往的奥运会开幕式,会发现自84年的洛杉矶奥运会以来,动用大型器械面向电视转播的排场多了起来。在次潮流之中,一个发自血肉之躯的高亢的歌声,令人怀念,也给人新鲜感。  「今こそ最悪の時だ。やるべきことはすべてやった……ついに舞台へ出る時が来た。最後の死の行進が始まる」。パバロッティは、舞台に立つ直前の心境をこう述べている。  “现在正是最糟糕的时候。该做的事全都做了……终于要上台了。最后的死亡行军就要开始了。”帕瓦罗蒂是如此描述自己登台前的心情的。  トリノという舞台の上でも、選手たちは極度に緊張したり、それを解きほぐしたりしているのだろう。それぞれに「最悪の時」と戦いながら、滑り、舞い、競っている.  在都灵冬奥这个舞台上,选手们也都处在一会儿极度紧张,一会儿又得以舒缓的反复之中吧。在与各自的“最糟糕的时候”相抗争的同时,滑驰、飞舞、竞技。
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