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午夜临江见孤舟
遥闻江上汽笛鸣,
孤舟一叶江海行。
几度红日落地平,
吾心悠悠志趣泯。
夜来幽梦见甘蝇,
无射神箭入空灵。
物我归一方入定,
岂怕世间诸狰狞?
注:五句中的甘蝇是诸子百家中《列子》中的人物。是纪昌和飞卫的师傅。
战国的时候,邯郸城里有位叫纪昌的青年,立志要成为当世第一的箭术高手,而飞卫是当时公认的箭术第一大家,于是纪昌就找到飞卫,拜了飞卫为师,飞卫说:“你先回去练不眨眼的技法!”于是纪昌回家后,躺在妻子的织布机的下面,天天盯着马上就要踏到自己的眼球的织布机,练了二年,终于哪怕连一个飞刀飞到他眼前,他也能不眨眼!于是到飞卫处,飞卫又让他练视小为大视远若近的技艺。要让他看见雕刻在芝麻上的文字!于是纪昌回家,问路边的乞丐要了一只虱子,挂在门口,每天就一眨不眨地盯着那个虱子看,看了一年,那虱子有蚕豆那么大,到二年就有馒头那么大了,到第三年就有一头猪那么大了!于是他跑到门外,看到的马像高山那么大!于是纪昌又回到飞卫那里,飞卫让他试箭,没想到纪昌的箭法不但已经能箭箭中靶芯,而且后一支箭接着前一支箭的箭尾连成一条很长的直线!这时纪昌心中忽然产生了歹念,心想:这个世界上还有一个箭术和我一样的人存在啊!这个人就是飞卫!于是有一天,当飞卫在旷野沉思的时候,纪昌突然发箭偷袭。此时,飞卫忽然警觉,马上回箭,他们的箭一支一支地在空中互相击中坠落在地上。到最后纪昌的箭囊中还剩最后一支箭,飞卫的箭已经用完了!纪昌拉满弓,说道:“去死吧!”箭就离弓而去射向飞卫,当箭快到飞卫的脸部时,飞卫张嘴以齿接箭,只听到“狰”地一声,把那支箭硬生生地咬在嘴中。这时,双方都激动而泣,结为义父子,并发誓今生不把这绝技不传给第三人!飞卫对纪昌说:“你想成为当世第一箭术大师,你到霍山之颠,去寻找我的老师甘蝇老人,我们的箭术在他看来只是婴儿学步!”于是纪昌打点行李到了霍山之顶,找到了甘蝇老人,并向他显示满弓射飞雁了箭术。甘蝇道:“不错,不过你随我来!”甘蝇把纪昌带我了一块玄在山尖上的岩石上,说道:“你在这里再显示一下你的箭术吧!”纪昌站在那岩石上,岩石被风一吹晃动得不停,连站都站不稳还怎么射箭啊?纪昌吓得满身冷汗,说道:“在这里不行啊!”甘蝇站在那岩石上,不用弓箭,用手指着一直在空中盘旋的大雁,说声:“下!”那大雁果真就落在地上不动了!纪昌当场就惊呆了!于是纪昌就拜在甘蝇老人的脚下,在霍山学艺9年,这9年中学了些什么没人知道。只是当初莽撞的青年,一下子变得无比老成,甚至不太说话。此时的纪昌回到邯郸城里,好多乡亲都来祝贺他学成而归,飞卫也来陪笑道:“恐怕我这个时候给您来提鞋子,你都看不上呢!”纪昌只是一味得打坐,不去理睬!好多人都想看看此时的纪昌的箭术。“你就展示一下嘛!”纪昌道:“至动无动,至言无言,至射无射,是以不射!”纪昌回到邯郸城,在家打坐修炼40余年后去世,这40余年中没有一个人见过他拿起弓箭!直到他死后的几百年里,他住的那房子上面还有一股箭气冲向云天,令空中飞翔的燕雀都不敢靠近!
今译:
在寂静的午夜,听到了从远处江上传来的汽笛声,知道那一定是一叶小船在江海中,甚至没有人知晓地默默地前行!在那条小船上,曾经也看到无数次太阳依靠着西面的地平线落下的情景。这时的我,心中孤寂,那些宏图大志也在不知不觉中泯灭了!夜色静了,我迷迷糊糊地进入了梦乡,在梦中我见到了传说中的甘蝇老人,他那不射而射的神箭,令我神往,把我带入了空灵的境界!其实只要达到物和我没有差别的境地,这个世界也就没有什么可怕的事物了!
点评:
这首诗,应该是我比较高的水准了!但是还是不管从结构还是境界上来说没有突破《取舍诗》,只是再一次地模仿了《取舍诗》罢了!一个人超越别人这个目标可以实现的,但是要超越自我实在是太难了!
注:第五行目にある甘蝿というのは諸子百家の《列子》の中にある人物である。紀昌と飛衛の先生である。
中国の戦国時代、邯鄲城の中に紀昌という若者がいて、その世の第一の箭術の達人になることが志を立てていた。そして、飛衛さんは当時の第一の箭術大師ということが皆で認められている。そこで、紀昌は飛衛さんを探し当てて、飛衛さんの門下に入った。飛衛さんはお前はとりあえずまばたき一つもしない技法を訓練しようと言った。それで、紀昌は家に帰った。妻の織機の下で横たわって、毎日その自分の瞼まで踏み込まれようとする踏み板を見て、二年間を経って、やっと一つの飛び刀を目の前に飛んできてもまばたきもしないようになった。それで、紀昌はまた飛衛さんの所に行って、飛衛さん今度の要求は小さなものを大きく見えて、遠いものを近く見える技法を訓練しよう、その同時に、胡麻を出して、その胡麻に書いてある文字が見られるかと質問した。紀昌は黙ったまま、家に帰った、ついでに、路傍にいる乞食から1匹のシラミをもらった。窓際に掛かっていて、毎日まばたきを一つも無しにずっと見ていた。一年後、そのシラミは大豆のような大きさが見えて、二年後、饅頭のような大きさが見えて、三年後、一頭豚のような大きさが見えた。それから、紀昌は外に出て、馬は山のような大きさが見えた。それから、紀昌は飛衛さんのところに行って、飛衛さんは紀昌に矢を射てみると依頼して、不思議なことは紀昌の箭術はただ的の中心に当たるだけではなくて、百本の矢をまっすぐの一ラインに繋がって来た。その時、紀昌の心の中で、急に悪い考えを生んできた。この世の中で、もう一人箭術が僕と同じぐらいの人がいて、その人は飛衛だよ。ある日、飛衛が広々とした野原で深く考えこんでいた時、紀昌は突然に飛衛に矢を射て、奇襲する。この時、飛衛は突然に警戒心を引き起こして、すぐ矢で反撃する。彼らの矢は一本ずつ空中がお互いに的中して地面に墜落した。最後に、紀昌の矢の袋の中でまだ最後の1本の矢が残って、飛衛の矢はすでに使い終わった!紀昌は弓をいっぱい引き延ばして、“死ににいけ!”と言ってから、矢を出した。その矢は弓を離れて飛衛に発射していって、矢がもうすぐに飛衛の顔に着く時、チンという音が耳に入って、飛衛は口を開いて歯で矢を噛んで、その矢を無理やりに口の中で噛んだ。この時、双方とも感動しすぎのため泣いて、義父子を結んだ。そして、今生この特技を第三者に伝わらないことに誓いを立てた。あなたはこの世の中で第一の箭術大家になりたいという志を抱いたら、あなたは霍山の頂に着いて、私の先生の甘蝿老人を探しにいって、私達の箭術は彼と比べて赤ん坊が道を歩く稽古とおなじぐらいだな!と飛衛さんは紀昌に対して言った。それから、紀昌は荷物を準備して霍山の頂に着いて、甘蝿老人を探し当てて、そして彼に弓をいっぱい引いて雁を発射する箭術を甘蝿老人に見せた。悪くないんだ。でもあなたは私に従って来てねと甘蝿が言った。甘蝿さんは紀昌を連れて、山頂に揚げている岩に着いた。お前はここでさっきの箭術をもう一回演じてみてくださいと甘蝿が言った。紀昌はその岩に立って、その岩は風に吹かれて、すごく揺れているから、ちゃんと立つことさえもできなくて、矢を射ることも言うまでもまい。紀昌は全身で冷や汗を出るほど怖くて、“ここで駄目だ!”と言った。甘蝿老人はその岩の上で立って、矢を使わないで、ただ指で空中でずっとぐるぐる回っているオオカリを指して、“おりる!”と言って、あのオオカリは地面に落ちて、動かなくなった。紀昌はその場で驚いてぽかんとした。そこで紀昌は甘蝿老人の足もとに礼拝して、霍山で9年間勉強して、その9年間でいったいどんなものを勉強したか、誰にも知らなかった。ただ無鉄砲な青年は、急にすごく老成になって、話さえもあんまりしなくなった。この時の紀昌は邯鄲城に帰って、多くの同郷の人は彼が学んで帰ることを祝賀しにきて、飛衛も笑いながら来て“恐らく私はこの時にあなたに靴を持ちにきて、あなたはすべて気に入らない!”と言った。紀昌は何も答えずに、ひたすらただ座禅をしていて、多くの人はこの時の紀昌の箭術を見てみたくて、“あなたは少しだけ演じていただけませんか。”と言った。紀昌は“至極の動きが何にも動かないこと、至極の言語は何にも言わないこと、至極射ることは射ないこと、だから射ないにする”と言った。紀昌は邯鄲城に帰って、家にいて座禅を組んで40数年修行を積んだ後に亡くなった。この40数年の間で、皆は彼が弓と矢を手に取ったことが見られなかった。彼が死んた後の数百年の間で、彼の居住したあの家の上はある一筋の矢の息は空に突き進んで、空中に飛び回っているアトリはすべて近付く勇気がない!
今訳:
静寂な真夜中には、遠い所の大きな川の上から伝来する汽笛の音を耳にして、それはただ一葉の小舟が江海で、皆さんに知れないように、黙々として前に進んでいることだろうと思っている。あの小舟で、かつて、太陽が西側の地平線から落ちる情景を数え切れないほど見ただろう。この時の私は、心が孤独で寂しすぎて、それらの宏図大志がいつの間にかで消滅してきた。夜は静かになってきた。私はぼんやりと夢の世界に入って、夢の中で私は伝説の中の甘蝿老人と会って、彼のその発射しない矢は私を捉えどころない境界に連れていた。実は物と私の違いがない境界に入ったこそ、この世界はすぐどんな恐ろしい物事がなくなかった!
評論:
この詩は、私の比較的に高いレベルに達したと思っている。しかし、その構造それとも境界の方はただ《取捨詩》を模倣しただけなんだろう。《取捨詩》に超えたことが全然ないと思っている。人間としては、他人を超越することができるけど、自分を超越することがなかなか難しいよね。
2005年4月29日 深夜
陈 钢 |
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