(原文)
結核のことを「日本民族の災害」と医師で評論家の松田道雄さんが評したのは1949年のことだった。戦後、刊行を再開した岩波新書の一冊『結核をなくすために』の「あとがき」にある。
長く日本人の死亡原因の1位を占めてきた結核が、ストレプトマイシンなどの抗結核剤で、制圧され始めるのは、それからしばらく後のことである。すでに過去の病気と思われていた結核が息を吹き返す兆しを見せたのが90年代末のことだ。政府は99年、「結核緊急事態宣言」を出した。
茨城県は24日、病院で結核の集団感染が発生したと発表した。3人が死亡したらしい。いずれも80歳を超える高齢者である。かつては若い世代の病のようにいわれてきた。いまは抵抗力の衰えたお年寄りが発病することが多い。
途上国ではなお猛威をふるう病だが、日本も「結核中進国」とされる。10万人あたりの罹患(りかん)率は、スウェーデンやオーストラリアなどが5人前後に対して、日本はいわゆる先進国の中では極めて高く30人近くにのぼる。
「やまひは 胸。物の怪(け)。脚の気(け)」と『枕草子』にもあるように、胸の病、結核はしばしば文学にも登場してきた。壮絶な闘病生活を送った正岡子規をはじめ哀切で美しい作品を残した堀辰雄など枚挙にいとまがない。
「秋 青い空の向うに/かなしみは行き かへらず」。こんな一節を残した詩人立原道造も結核のため24歳の若さで亡くなった。「夭折(ようせつ)の美学」をいわれたこともあった。いまは「お年寄りを襲う災害」のようでもある。30日まで、結核予防週間だ。
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