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ワシントンの桜が今満開だそうだ。咢堂(がくどう)・尾崎行雄が、かの地に桜3千本を贈るきっかけになったのは、100年前に開戦した日露戦争だった。
听说华盛顿现在已经盛开樱花。100年前爆发的日俄战争,成为咢堂·尾崎行雄向华盛顿赠送3000株樱花的楔机。[/COLOR]
開戦の翌05年、明治38年に米大統領セオドア・ルーズベルトの仲介があり、日本の勝利で講和となる。東京市長の尾崎には、相応の謝意を表したいという気持ちがあった。「しかし当時、日本人は自力でロシアを負かしたと思つて有頂天になつてゐたから、私の真意を明かにしては事が撙肖胜い人激膜啤⒐堡摔悉筏胜膜俊梗ā何财閱@堂全集』公論社)
在开战的第二年1905年,即明治38年,在美国总统西奥特·罗斯福的斡旋下,以日本胜利达成了媾和。东京市市长尾崎有表示相应感谢的意向,“不过在当时,日本人以为是凭自己的力量叫俄罗斯屈服的,趾高气昂;因此,想到如果公开我的真实心意,事情反而难办,就没有公之于众。”(《尾崎咢堂全集》公论社)[/COLOR]
お礼は本来、政府の仕事だが、内閣は考えていなかったとも記す。やがてポトマック河畔に日本の桜を移植する話を知り、09年、東京市から贈ろうと議会に諮って同意を得る。
尾崎还写道,答谢本来是政府的事情,内阁却未予考虑。后来听说要将日本的樱树移植到ポトマック河畔的消息,便于1009年,决定以东京市的名义赠送,咨询议会后得到了同意。[/COLOR]
桜はその年に横浜を出たが、到着時には病虫害に侵されていた。全部焼却したことを米代理大使から知らされた尾崎は、少年ワシントンと桜の故事を引いて答えた。「桜の木を焼却して、しかも包まずその事実を語るのは、初代大統領ワシントン以来、米国の伝統的なやり方である。(略)大いに誇つていゝだらう」
樱花于当年离开横滨,到达华盛顿时已受到了病虫害的袭击。尾崎从美国代理大使那里得知业已全部烧毁,引用少年华盛顿和樱树的故事作了回答。“烧毁樱树且不隐瞒地讲出事实,这是自首位总统华盛顿以来,美国的传统做法。(略)大概可以理直气壮吧。”[/COLOR]
ワシントンに根付いたのは、3年後に再送した桜だった。その桜が、戦後2度「里帰り」した。その中から育った1本を、東京の公園で見た。周りのソメイヨシノより、つぼみの赤が濃い。隣り合うオオシマザクラの白さに映える。
种在华盛顿的樱树是3年后重新赠送的,二战结束后2度“重归故里”。在东京的公园曾经见过其中一株生长的樱树。花蕾比周围的染井吉野樱更红,与相邻的大岛樱的白色樱花互相呼应。[/COLOR]
桜は、日露の戦争のあと米国へ渡り、日米の戦争のあと日本へ来た。幹の表示板には、サクラ・アメリカとある。今は、木の古里ともいえるその国が、戦争をしている。
樱树在日俄战争结束后去了美国,又在太平洋战争结束后来到了日本。那棵树干上的牌子上写着:美国樱。现在,相当于那棵樱树故乡的那个国家正在发动战争。[/COLOR]
战战兢兢地译完了今天的《天声人语》,有错译和译得不妥的地方,还请指出。对各位的意见,有时不能一一答复,敬请原谅。
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