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天声人语(5,14)

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发表于 2006-5-14 07:22:49 | 显示全部楼层 |阅读模式
 56年前の客車の座席に、もの言わず腰を掛けている老夫婦がいる。山手線の運転シミュレーション装置を巧みに操る小学生がいる。    一对老夫妇沉默地坐在56年前的客车座席上。还有小学生灵巧地摆弄着山手线模拟驾驶装置。  きょう閉館する東京・神田須田町の交通博物館は、男性の鉄道ファンを指す「鉄(てっ)ちゃん」だけでなく、鉄子に鉄爺(じい)、鉄婆(ばあ)、まさに老若男女でごった返している。    昨天闭馆的东京·神田须田町交通博物馆,不仅是针对男性铁路迷“铁男”,还有“铁孩”、“铁爷”和“铁婆”,男女老少人头攒动拥挤不堪。  カメラを向ける対象は、生まれた時代や住んでいた地域の違いによって一様ではない。「毎日の通勤電車だった」「帰省のたびに乗った」。それぞれの思いの残る列車や連絡船の模型に見入る姿があちこちで見られた。    据参观者们的出生年代和居住地方不同,他们举起照相机拍摄的对象也不尽相同。“每天上下班时的电车”“回家探亲时乘坐过”。到处都能看到参观者们入神地凝望着留有自己怀念之情的列车和渡轮的模型。  当初の東京駅近くからこの地に移って70年。空襲でも焼け残り、東京大空襲の当日から約10カ月間休館した以外、展示を続けてきた。戦後の来場者数は延べ3千万人近い。遠足や修学旅行で訪れた記憶のある方も多いだろう。老朽化に加え、手狭になったこともあり、閉館せざるをえなくなったという。    该博物馆从当初的东京站附近搬迁到此地已有70年时间。在空袭中也没有被烧掉,除了东京大空袭的约10个月时间内停止开放以外,一直持续进行展览。战后,参观者共计近3千万人。想必不少人还留有远道而来或是修学旅行时参观这儿的记忆吧。据说,博物馆因过于破旧,再加上空间狭窄,不得不闭馆了。  明治末から大正初めにかけて中央線の起点だった旧万世橋駅の階段が、館内にそのまま残されている。草むしたホームに向かってゆっくり上っていくと、不思議な時間旅行の気分が味わえる。多くの展示物は来年さいたま市につくられる博物館に移されるが、今の施設を小規模な形でいいから残してほしいという声も、入場者から聞かれた。    馆内还原封不动地保留着明治末年到大正初年中央铁路线起点旧万世桥车站的楼梯。朝着青草茂盛的站台慢慢地往上走时,能够享受到种时间旅行般奇异的心情。大多数展览品将于明年搬到琦玉县内建成的博物馆中,然而在参观者中也听到有将现在的设施以小规模形态留下来都行,总之希望能够留下来的呼声。  陳列されている蒸気機関車C57と同じ年に生まれた菅建彦館長(66)は「閉館間際になって、年配のお客さまが増えました。日本人の鉄道への愛着を強く感じます」と話す。最後の日は特にイベントなどはせず、静かに幕を引く予定だという。    与博物馆中展览的蒸气机关车C57同年出生的菅建彦馆长(66岁)说:“在闭馆之前,年长的客人数量增加了。我深深地感受到日本人对铁路的留恋之情。”据说,预定在最后那天不会举行特别活动,而将静静地拉下帷幕。
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发表于 2006-5-14 09:18:41 | 显示全部楼层
有一言不发静静地坐在56年前客车座位上的老夫妇,也有灵活操纵着山手线驾驶模拟装置的小学生。 今天闭馆的东京·神田须田镇的交通博物馆,不仅面向男性铁路爱好者的“铁哥”还面向铁娃、铁公和铁婆,这里被男女老幼挤得是拥挤不堪。 相机所对准的镜头,因人们的出生年代和地域是各不相同。“这是我以前上班每天搭乘的电车”“这是我每次返乡时乘坐的”。到处可见凝视着带着各自记忆列车和渡模型的人们的身影。 博物馆由当初东京站附近迁至此处已经70年。即使在空袭中也没被烧毁,除了在东京大空袭当天开始的10个月左右闭馆以外,都一直持续展出。战后,来此参观的总人数近3千万人。其中不少人都存留者郊游和修学旅行来此参观的记忆吧。据说博物馆因为老化,再加上显得有些狭窄,不得不闭馆了。 从明治末到大正初年时中央线起点的旧万世桥站的台阶,原封不动地保留在馆内。慢步走向长满青草的月台,似乎能体会到一种不可思议的时间之旅。众多的展品将于明年迁至崎玉市新建的博物馆内,但参观者中有呼声希望现在的展馆可以保留下来,哪怕是比现在更小规模的形式。   和展品蒸气机车C57同年出生的菅建彦馆长(66岁)说到“闭馆之际,来馆的年长顾客增加了。能够强烈地感觉到他们对日本的铁路的留恋”。据悉最后一天并没有特别的活动,而将悄然地拉下帷幕。
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发表于 2006-5-14 10:38:56 | 显示全部楼层
【天声人語】2006年05月14日(日曜日)付 56年前の客車の座席に、もの言わず腰を掛けている老夫婦がいる。山手線の運転シミュレーション装置を巧みに操る小学生がいる。 有老年的夫妇默默端坐在56年前的客座席上,也有小学生在熟练地操作着山手线的驾驶模拟装置。  きょう閉館する東京・神田須田町の交通博物館は、男性の鉄道ファンを指す「鉄(てっ)ちゃん」だけでなく、鉄子に鉄爺(じい)、鉄婆(ばあ)、まさに老若男女でごった返している。 東京・神田須田町的交通博物館今天要闭馆了,到这里作最后的参观的除了专指男性铁道迷的“铁道男”外,还有“铁道小子”“铁道大爷”“铁道婆婆”,可谓男女老少,观者如潮。  カメラを向ける対象は、生まれた時代や住んでいた地域の違いによって一様ではない。「毎日の通勤電車だった」「帰省のたびに乗った」。それぞれの思いの残る列車や連絡船の模型に見入る姿があちこちで見られた。 不同年代出生及不同地方居住的人,他们举起照相机拍的东西也不一样:“这是我每天上下班搭的火车”“这是我回乡探亲时坐过的”。很多人恋恋不舍地观看着这些装载着各人回忆的火车及渡船的模型。  当初の東京駅近くからこの地に移って70年。空襲でも焼け残り、東京大空襲の当日から約10カ月間休館した以外、展示を続けてきた。戦後の来場者数は延べ3千万人近い。遠足や修学旅行で訪れた記憶のある方も多いだろう。老朽化に加え、手狭になったこともあり、閉館せざるをえなくなったという。 交通博物館从当初的东京火车站搬到这里后已经过了70年。在空袭中也得以幸存,除了自东京大空袭始的约10个月休馆以外,展览一直在进行。从战后算起,参观总人次已达近三千万。很多人大概都是在学校郊游或毕业旅行时来的。据说,不得不闭馆的原因是由于建筑老化而且地方也过于窄小了。  明治末から大正初めにかけて中央線の起点だった旧万世橋駅の階段が、館内にそのまま残されている。草むしたホームに向かってゆっくり上っていくと、不思議な時間旅行の気分が味わえる。多くの展示物は来年さいたま市につくられる博物館に移されるが、今の施設を小規模な形でいいから残してほしいという声も、入場者から聞かれた。 从明治末年到大正初年曾经是中央线的起点站的旧万世桥站的楼梯,还完好地保存在馆内。沿着楼梯慢慢走上已长满青草的站台,有一种奇妙的时光旅行的感觉。大多的陈列品会移至明年在琦玉市建造的博物馆继续展出,也有的参观者提出意见说,还按现在的小规模就行了,希望保留现在这个馆。  陳列されている蒸気機関車C57と同じ年に生まれた菅建彦館長(66)は「閉館間際になって、年配のお客さまが増えました。日本人の鉄道への愛着を強く感じます」と話す。最後の日は特にイベントなどはせず、静かに幕を引く予定だという。 与馆内陈列的蒸汽火车C57同年出生的菅建彦馆长(66岁)介绍说:“在临近闭馆的这段时间,上年纪的客人增加了很多。可以很强烈地感觉到日本人对铁路深厚的喜爱之情。”据说,最后一天并不打算举办什么特别的活动,只是静静地把大幕拉上。
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发表于 2006-5-14 12:12:18 | 显示全部楼层
在56年前的客车座席上,坐着一对沉默无言的老夫妇;有的小学生在灵巧地摆弄着山手线模拟驾驶装置。   预定今天闭馆的东京神田须田町交通博物馆不但有男性铁路迷“铁男”,还有“铁孩”、“铁爷”和“铁婆”参观,真可谓男女老少,人头攒动。     参观者们因各自的出生年代和居住地的不同,他们的照相机拍摄的目标也不尽相同。“每天上下班时的电车”“回家探亲时乘坐过”的。到处都能看到参观者们入神地凝望着留有自己怀念之情的列车和渡轮的模型。     该博物馆从当初的东京站附近搬迁到此地已有70年时间。在空袭中也没有被烧毁,除了从东京大空袭的当天起的大约10个月时间内停止开放以外,一直没有停止过展出。战后,参观者共计近3千万人。想必不少人记得是在远足或是修学旅行时来这儿参观的吧。据说,博物馆是因为过于破旧,再加上空间狭窄,不得不闭馆了。     馆内还原封不动地保留着明治末年到大正初年期间的中央铁路线起点站旧万世桥车站的台阶。朝着青草茂盛的站台慢慢地拾级而上时,能够体验到不可思议的时空旅行感觉。大多数展品将于明年搬到琦玉市内建成的博物馆中,然而有参观者呼吁:尽管规模小也没有关系,希望保存下现在的博物馆。     与博物馆中展出的蒸气机车C57同样年纪的菅建彦馆长(66岁)说:“在闭馆之前,年长的参观者数量有所增加。我深深地感觉到日本人对铁路的留恋之情。” 据悉博物馆不准备在闭馆那天举行特别的活动,它将静静地落下帷幕。
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发表于 2006-5-15 22:04:12 | 显示全部楼层
060514天声人語 56年前の客車の座席に、もの言わず腰を掛けている老夫婦がいる。山手線の運転シミュレーション装置を巧みに操る小学生がいる。 一对老夫妇默默地端坐在56年前的客车座位席上。一个小学生在灵巧地摆弄着山手线的驾驶模拟装置。  きょう閉館する東京・神田須田町の交通博物館は、男性の鉄道ファンを指す「鉄(てっ)ちゃん」だけでなく、鉄子に鉄爺(じい)、鉄婆(ばあ)、まさに老若男女でごった返している。 在今天闭馆的位于东京・神田须田町的交通博物馆里,不仅有专指男性铁道迷的“铁哥”,还有“铁娃”“铁大爷”“铁婆婆”,真所谓男女老少,人山人海。  カメラを向ける対象は、生まれた時代や住んでいた地域の違いによって一様ではない。「毎日の通勤電車だった」「帰省のたびに乗った」。それぞれの思いの残る列車や連絡船の模型に見入る姿があちこちで見られた。 照相机所捕足的对象,也因其主人所诞生的年代或所居住的地方不同而不同。“这是我上下班坐的火车”“这是我探亲时坐过的”。参观的人群这一拨那一堆的,津津有味地看着这些带有各自怀念的火车以及轮渡的模型。  当初の東京駅近くからこの地に移って70年。空襲でも焼け残り、東京大空襲の当日から約10カ月間休館した以外、展示を続けてきた。戦後の来場者数は延べ3千万人近い。遠足や修学旅行で訪れた記憶のある方も多いだろう。老朽化に加え、手狭になったこともあり、閉館せざるをえなくなったという。 博物馆从最初的东京火车站搬到这里,已经70年了。空袭时也幸免于难,除了自东京大空袭那天起关了约10个月外,一直开放着。战后的参观总人次已近三千万。或许很多人都记得在远足或修学旅行时来过的吧。不过,听说因其建筑老化并且也过于狭窄,不得不关闭了。  明治末から大正初めにかけて中央線の起点だった旧万世橋駅の階段が、館内にそのまま残されている。草むしたホームに向かってゆっくり上っていくと、不思議な時間旅行の気分が味わえる。多くの展示物は来年さいたま市につくられる博物館に移されるが、今の施設を小規模な形でいいから残してほしいという声も、入場者から聞かれた。 从明治末年到大正初年,曾经是中央线始发站的旧万世桥站的阶梯,还原封不动保存在馆内。当你慢慢地走向杂草丛生的站台时,会体会一种奇妙的时光旅行的感觉。多数陈列物将搬到明年在琦玉市建造的博物馆里,但参观者也提出了这样的意见,说规模小一点无所谓,还是保留现在这个博物馆好。  陳列されている蒸気機関車C57と同じ年に生まれた菅建彦館長(66)は「閉館間際になって、年配のお客さまが増えました。日本人の鉄道への愛着を強く感じます」と話す。最後の日は特にイベントなどはせず、静かに幕を引く予定だという。 与馆内陈列的蒸汽火车C57同年诞生的菅建彦馆长(66岁)说:“到了快如今关闭的时候,上年纪的参观者多起来了。可以强烈感觉到日本人对铁路的留恋之情。”据说,在最后一天并没有什么特别的活动,只准备静静地拉上大幕。
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