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[天声人语] 天声人语(8.11)

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发表于 2006-8-11 16:17:58 | 显示全部楼层 |阅读模式
 街角で、店の夏休みを告げる張り紙を見かけた。地下鉄がすいている。旅に出る人がふくらむ時季になった。電車や車で旅をすると、意外なほど多くの川を渡ることに気づく。川の名は地名ともつながっている。旅するとは地名と出会うことでもある。
  在街角看到店铺暑假休业的告示。地铁空荡了不少。又到了人们蜂拥去旅游的季节。乘电车或驾车出游时,留心到要经过许许多多的河,数量让人吃惊。河名与地名也相互关联。旅游一趟,也是一次与地名相会之旅。

 全国の地名や、それと縁の深い名字の研究に取り組んだ丹羽基二さんが86歳で亡くなった。子供のころから名字に関心があり、国学院大では民俗学者の柳田国男に学んだ。「苗字(みょうじ)を課題にしたい」と告げると、柳田は「憐(あわ)れむように見つめ」、「それでは食えないぞ」と言ったと丹羽さんは書いている(『日本人の苗字』光文社)。
  丹羽基二先生潜心研究全国地名及与之渊源颇深的姓氏,86岁时与世长辞。他在《日本的姓氏》(光文社)一书中写道,自小热衷姓氏,国学院大学时从师于民俗学者柳田国男。“想把姓氏作为研究课题”,当他告诉柳田先生时,柳田先生“怜惜地”看着他说“研究这个不糊口呀。”

 名字の研究は、すぐに暮らしに役立つわけではないから、公的な後ろ盾は期待できない。丹羽さんは高校教師をしながら研究を続け、約29万件の名字を約半世紀かけて集めた「日本苗字大辞典」などを編んだ。
  研究姓氏不能立即有助于维持生计,也很难期待政府支援。于是丹羽先生边做高中老师边坚持研究,把约29万个名字用将近半个世纪时间编纂成《日本姓氏大辞典》等书。

 81年、東京の植物学の研究者が、私費を投じて10年がかりで地名12万余を集めて分類し「日本地名索引」を刊行した。副産物もあり、例えば地名に使われている漢字は、山が一番多くて1万を超え、次は田で約9千、以下、川、大、野の順と分かった。
  东京的植物学研究者投入私人经费,用十年时间把12万多的地名收集分类后,于1981年出版了《日本地名索引》一书。作为成果之一,书中总结了地名中常用的汉字。“山”名列第一,使用数超过1万次,紧接着是“田”,约9千次。之后依次是“川”、“大”、“野”。

 当時、丹羽さんは発刊をこう評価した。「小字(こあざ)まで入れると日本の地名は推定1千万にもなる……しかし実際にこのような裏づけのあるデータが得られたのは、初めてのこと。貴重な仕事です」。市井の人の努力への共感もあったのだろう。
  当时丹羽先生对该书出版发行做了如下评价:“把街巷名计入在内的话,据推断日本地名多达一千万……但实际上得出这样有据可循的数据,数该书首创。真是宝贵的工作成果呀。”这里也包含着对民众努力的共鸣吧。

 人生の旅で出会った地名を愛着をもって記し、それが、時の流れでいたずらに消されてゆくのを惜しんだ。
  把人生之旅中遇到的地名饱含感情地记录下来,在时光的流转中缅怀它们消逝。

[ 本帖最后由 露小荷 于 2006-8-11 13:12 编辑 ]
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发表于 2006-8-11 17:47:23 | 显示全部楼层
 街角で、店の夏休みを告げる張り紙を見かけた。地下鉄がすいている。旅に出る人がふくらむ時季になった。電車や車で旅をすると、意外なほど多くの川を渡ることに気づく。川の名は地名ともつながっている。旅するとは地名と出会うことでもある。
        街角处忽见店铺暑假休业的告示,地铁也空荡荡的。已到了出游者骤增的季节了。乘电车及驾车旅行时,注意到要渡过许多河流,数量多得颇令人意外。河名和地名也有关联,旅行即意味着与地名的邂逅。

全国の地名や、それと縁の深い名字の研究に取り組んだ丹羽基二さんが86歳で亡くなった。子供のころから名字に関心があり、国学院大では民俗学者の柳田国男に学んだ。「苗字(みょうじ)を課題にしたい」と告げると、柳田は「憐(あわ)れむように見つめ」、「それでは食えないぞ」と言ったと丹羽さんは書いている(『日本人の苗字』光文社)。
        丹羽基二先生曾潜心研究全国地名及与其渊源甚深的姓氏,他于86岁时撒手人寰。他自幼对姓氏抱有浓厚兴趣,后在国学院大学从师于民俗学家柳田国男门下。丹羽先生在《日本人的姓氏》(光文社)中写道:当他告诉老师“想以姓氏作为研究课题”时,柳田“怜悯般地看着我”,说“这个可养不活你啊”。

名字の研究は、すぐに暮らしに役立つわけではないから、公的な後ろ盾は期待できない。丹羽さんは高校教師をしながら研究を続け、約29万件の名字を約半世紀かけて集めた「日本苗字大辞典」などを編んだ。
        研究姓氏既不能立刻有助于维持生计,也无法期待会有政府的支援。丹羽先生一边就职于高中教师,一边持续进行研究,他花了约半个世纪时间收集了约29万个姓氏,编纂成《日本姓氏大辞典》一书。

81年、東京の植物学の研究者が、私費を投じて10年がかりで地名12万余を集めて分類し「日本地名索引」を刊行した。副産物もあり、例えば地名に使われている漢字は、山が一番多くて1万を超え、次は田で約9千、以下、川、大、野の順と分かった。
        东京一名植物学研究学者花费了十年时间,自费收集分类了12万多条地名,于81年出版了《日本地名索引》一书。从中得知了一些结论,诸如地名使用的汉字中“山”用得最多,超过了一万条,接下来是“田”,约9千条,然后依次为“下”、“川”、“大”、“野”。

当時、丹羽さんは発刊をこう評価した。「小字(こあざ)まで入れると日本の地名は推定1千万にもなる……しかし実際にこのような裏づけのあるデータが得られたのは、初めてのこと。貴重な仕事です」。市井の人の努力への共感もあったのだろう。
        当时,丹羽先生评价这份刊物:“如果加上小街小巷,日本地名估计多达一千万……然而该书第一次给出了这般确凿的数据。这是份非常宝贵的成果。”他的这番话中也应包含有对人们这般努力的同感吧。

 人生の旅で出会った地名を愛着をもって記し、それが、時の流れでいたずらに消されてゆくのを惜しんだ。
        怀着依恋的心情,将人生的旅途中所邂逅的地名铭记于心,这也是惋惜辗转流年中徒然消逝的风景。

[ 本帖最后由 asfog 于 2006-8-11 10:01 编辑 ]
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发表于 2006-8-11 20:59:33 | 显示全部楼层
 街角で、店の夏休みを告げる張り紙を見かけた。地下鉄がすいている。旅に出る人がふくらむ時季になった。電車や車で旅をすると、意外なほど多くの川を渡ることに気づく。川の名は地名ともつながっている。旅するとは地名と出会うことでもある。

在街角看到了商店通知夏休的告示。地铁里也空了下来。正是人们都蜂拥外出旅游的季节。乘坐电车或者汽车外出旅游,发觉到经过的河流数目竟然出乎意料的多。河流的名字都和地名相关联。所谓的旅行,也就是一场同地名的约会。

 全国の地名や、それと縁の深い名字の研究に取り組んだ丹羽基二さんが86歳で亡くなった。子供のころから名字に関心があり、国学院大では民俗学者の柳田国男に学んだ。「苗字(みょうじ)を課題にしたい」と告げると、柳田は「憐(あわ)れむように見つめ」、「それでは食えないぞ」と言ったと丹羽さんは書いている(『日本人の苗字』光文社)。

致力于全国地名及其相关联的名字研究的丹羽基二86岁时去世了。从小时候起就对名字感兴趣,在国学院大学时拜民俗学者柳田国男为师。丹羽在(《日本人的名字》光文社)写到,对老师说道“想以名字为课题”时,柳田“怜惜般地注视着我”,说道“这可不好写啊”

 名字の研究は、すぐに暮らしに役立つわけではないから、公的な後ろ盾は期待できない。丹羽さんは高校教師をしながら研究を続け、約29万件の名字を約半世紀かけて集めた「日本苗字大辞典」などを編んだ。

因为名字的研究无法立即给你的生活带来帮助,也无法期待政府的支持。丹羽在做高校教师的同时继续着研究,经过了大约半个世纪收集了大约29万件名字,编写了《日本名字大辞典》等。

 81年、東京の植物学の研究者が、私費を投じて10年がかりで地名12万余を集めて分類し「日本地名索引」を刊行した。副産物もあり、例えば地名に使われている漢字は、山が一番多くて1万を超え、次は田で約9千、以下、川、大、野の順と分かった。

81年,东京的植物学研究者,自己出资花了10年时间收集的12余万条地名,进行分类,发刊了《日本地名检索》。它的副产品,例如地名所使用的汉字,使用最多的山超过了1万件,其次是田约9千件,以下依次是川,大,野。

 当時、丹羽さんは発刊をこう評価した。「小字(こあざ)まで入れると日本の地名は推定1千万にもなる……しかし実際にこのような裏づけのあるデータが得られたのは、初めてのこと。貴重な仕事です」。市井の人の努力への共感もあったのだろう。

当时,丹羽对这本刊物这样评价道:“连小字也收录在内日本的地名估计有1千万。。。但是得到这样的有根据的数据实际上还是第一次。是非常珍贵的工作。”这也含有对市民努力的同感吧。

 人生の旅で出会った地名を愛着をもって記し、それが、時の流れでいたずらに消されてゆくのを惜しんだ。

带着依依不舍之情记录下人生旅途中遇到的地名,那是对于随着时间流逝而徒然消逝的地名的珍惜。
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发表于 2006-8-11 21:32:15 | 显示全部楼层
街角で、店の夏休みを告げる張り紙を見かけた。地下鉄がすいている。旅に出る人がふくらむ時季になった。電車や車で旅をすると、意外なほど多くの川を渡ることに気づく。川の名は地名ともつながっている。旅するとは地名と出会うことでもある。

在街道一角,看到小店张贴的暑假通知。地铁很空。又到了蜂拥出行的季节。如果乘电车或者驾车旅行,就会发现,居然要经过那么多的河流。河流的名称和地名都有联系。旅行,也就意味着邂逅许多地名。  

全国の地名や、それと縁の深い名字の研究に取り組んだ丹羽基二さんが86歳で亡くなった。子供のころから名字に関心があり、国学院大では民俗学者の柳田国男に学んだ。「苗字(みょうじ)を課題にしたい」と告げると、柳田は「憐(あわ)れむように見つめ」、「それでは食えないぞ」と言ったと丹羽さんは書いている(『日本人の苗字』光文社)。

丹羽基二先生,曾致力于全国地名以及与其有着极深渊源的姓氏研究,最近去世了,86岁。丹羽先生从孩提时代起就对姓氏感兴趣,在国学院大学师从民俗学者柳田国男。他曾写道(『日本人的姓氏』光文社),当我告诉老师“我要将姓氏作为研究课题”时,柳田先生“用怜悯的眼神看着我”,说“这个可填不饱肚子哦”。
 
名字の研究は、すぐに暮らしに役立つわけではないから、公的な後ろ盾は期待できない。丹羽さんは高校教師をしながら研究を続け、約29万件の名字を約半世紀かけて集めた「日本苗字大辞典」などを編んだ。

姓氏研究不可能立刻给大家的生活带来好处,因此不能奢望得到公费支助。丹羽先生一边当着高中老师一边从事着研究,历经大约半个世纪,收集了29万个姓,编撰了《日本姓氏大辞典》等。
 
81年、東京の植物学の研究者が、私費を投じて10年がかりで地名12万余を集めて分類し「日本地名索引」を刊行した。副産物もあり、例えば地名に使われている漢字は、山が一番多くて1万を超え、次は田で約9千、以下、川、大、野の順と分かった。

81年,东经的植物学研究者,出版了《日本地名索引》。他们自掏经费,花费10多年时间,收集了约12万多地名并进行了分类整理。出版本书还得到一些附加收获,如弄清楚了地名中使用最多的汉字是山,超过1万个;其次是田,约9千个;以下分别是川、大、野。
 
当時、丹羽さんは発刊をこう評価した。「小字(こあざ)まで入れると日本の地名は推定1千万にもなる……しかし実際にこのような裏づけのあるデータが得られたのは、初めてのこと。貴重な仕事です」。市井の人の努力への共感もあったのだろう。

当时,丹羽先生对出版本书给于很高的评价,“如果将小巷都算进去的话,推测日本地名将近1千万个……可是,得到可靠的数据证明是第一次,非常宝贵。”这句话也表达了他对普通人所作努力的赞赏吧。
 
人生の旅で出会った地名を愛着をもって記し、それが、時の流れでいたずらに消されてゆくのを惜しんだ。
将人生旅途中邂逅的地名满怀深情地记录下来,是一种珍惜。若这些地名随着时光流逝而消失,将是多么遗憾。

[ 本帖最后由 t_hikari 于 2006-8-11 13:35 编辑 ]
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发表于 2006-8-12 03:09:16 | 显示全部楼层
【天声人語】2006年08月11日(金曜日)付

 街角で、店の夏休みを告げる張り紙を見かけた。地下鉄がすいている。旅に出る人がふくらむ時季になった。電車や車で旅をすると、意外なほど多くの川を渡ることに気づく。川の名は地名ともつながっている。旅するとは地名と出会うことでもある。
在街上,看到了贴在店门口夏日休息的公告。地铁空了。到了外出旅游的人开始多起来的季节了。乘电车或是开车旅行的话,发现穿过的河流比想象的多。河流的名称与地名联系在一起。提起旅行,也就是与地名相遇。

 全国の地名や、それと縁の深い名字の研究に取り組んだ丹羽基二さんが86歳で亡くなった。子供のころから名字に関心があり、国学院大では民俗学者の柳田国男に学んだ。「苗字(みょうじ)を課題にしたい」と告げると、柳田は「憐(あわ)れむように見つめ」、「それでは食えないぞ」と言ったと丹羽さんは書いている(『日本人の苗字』光文社)。
致力于研究全国地名以及名字渊源的丹羽基二先生逝世了,享年86岁。从孩子时代起,就对名字感兴趣,向国学院的民俗学者柳田国难学习。将“想把研究名字作为课题”的想法告诉老师时,柳田说“怀着怜悯来关注”,“这是不能当成吃饭的家当啊”。丹羽写下了上述一段话。

 名字の研究は、すぐに暮らしに役立つわけではないから、公的な後ろ盾は期待できない。丹羽さんは高校教師をしながら研究を続け、約29万件の名字を約半世紀かけて集めた「日本苗字大辞典」などを編んだ。
名字的研究,并不能马上对生活产生有效的作用,不能成为公正的后盾。丹羽变做老师,变继续研究,花了进半世纪的时间,收集了29万个名字,编写了《日本名字大辞典》等书。

 81年、東京の植物学の研究者が、私費を投じて10年がかりで地名12万余を集めて分類し「日本地名索引」を刊行した。副産物もあり、例えば地名に使われている漢字は、山が一番多くて1万を超え、次は田で約9千、以下、川、大、野の順と分かった。
81年,东京的植物学研究家,私费投资花了10年时间收集的12万多的名字,分类编写了《日本地名索引》并发行。这也产生了副产品,例如在地名里广泛使用的汉字,“山”是最多的,超过1万,接下来是田约占9千,接下来是、川、大、野。
 当時、丹羽さんは発刊をこう評価した。「小字(こあざ)まで入れると日本の地名は推定1千万にもなる……しかし実際にこのような裏づけのあるデータが得られたのは、初めてのこと。貴重な仕事です」。市井の人の努力への共感もあったのだろう。
当时,丹羽对发行期刊如此评价。“包括小镇在内,日本的地名估计有1千万左右……但是实际上能够得到这些地名的证据,是最初做的事,是重要的工作。”
这是市井百姓共同努力的结果啊
 人生の旅で出会った地名を愛着をもって記し、それが、時の流れでいたずらに消されてゆくのを惜しんだ。
   深爱着人生旅途中遇到的地名,并记住它,这是对时光流逝,甚至消逝的事物的珍惜。
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发表于 2006-8-12 05:34:44 | 显示全部楼层
晕倒!
你们都在自己翻译自己的,
有什么意义啊?

这样的结果是谁也不能得到应该得到的提高。
翻译是互相学习、互相提高的过程。
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