1.旅立ちの決意
大正末期から昭和の初期にかけて我が国は全国的に渡って不況が続き、好況の兆しは見えていなかった。
そんな中で若者達は海外への雄飛を夢みていたが、アメリカへの移民は既に閉ざされていたので中国大陸か、ブラジルへの方向しか門戸は開いていなかったのである。
当時、就職難の若者達の間ではその世相を反映してか、次のような歌が流行っていた。
一天四海 いづち行きても
住めば都ぞ 海外の外まで
雄飛せずして 何をかなさむ
国を出づるも 御国の為ぞ
いけや海外へ 行け海外へ
こうして移り変わっていく世相の中で、私が十七才の春、思いもかけず父が亡くなった。
親戚中の話し合いの末、心ならずも叔父の家に引き取られることになった私は、その稼業の米屋もて伝いをすることになった。
ところが、親戚の中でも最右翼と目されていた極度の封建的な叔父の性格と私の若い感性には歩み寄りようも無い大きなへだたりがあって、何時しか図書館で読んだことのあった、まだ見ぬ国、中国・上海での新たな人生に懸けてみようかという気持ちが湧きはじめてきていた。
そしてついに行動を起こして、わずかな面識しかないかったにもかかわらず、上海に在住と知っていた同郷のN倉さんへ「何とか上海で人生の活路を開いて見たいと思っております」と、必死の想いをこめた手紙を書いた。
その想いを扱み取って下さったか、大変な難病と戦っておられる最中にもかかわらず、「三井物産に勤務している私の親友のHさんに全てを依頼しましたので、安心して出て御出で下さい」と、もう、どう感謝の心を伝えたら良いのかわからないほどのうれしく希望のあふれたお便りをいただいた。
もとより私の独立には猛反対が明らかな叔父達には内緒での行動ゆえに、ひそかに私を応援してくれていたキク姉が全ての準備を引き受けてくれ、それに見方になって下さる数人の親戚の人達もコレに加わって着々と故郷を旅立つ日の備えが整えって来た。
[ 本帖最后由 ミョウミョウ 于 2006-8-30 13:37 编辑 ] |