カイロで、モスクの尖塔(せんとう)が見え隠れする狭い路地を歩いたことがある。道に面した古い建物のそこここから、大きな出窓が突き出している。通りからその中は見えないが、内側からは通りの様子が見える。マシュラビーヤと呼ばれる格子窓だ。
笔者曾在开罗,清真寺尖塔掩映下若隐若现的窄胡同中行走。面朝马路这些古建筑的不少地方,都有大大的凸窗向外凸显者。马路上看不到清真寺里边,而里面却可见街路。这是一种被称之为马修拉比亚的格子窗。
「彼女は……マシュラビーヤに向い、その扉を開けて中へ入った。それから閉ざされた檻のような場所にたたずみ、格子窓にいっぱいあいている小さな丸い隙間から道路の方へ視線を投げながら左右に顔を動かした」。旧市街に住む一家の物語をつづるナギーブ・マフフーズ氏の『バイナル・カスライン』(河出書房新社・塙治夫訳)の一節だ。
“她……朝着马修拉比亚格子窗方向,推开门扉进入。然后伫立于那紧闭如牢笼般的建筑内,不停地调整头部位置、从那满是小圆间隙的格子窗缝向马路望去。这是作家纳吉布·迈哈福兹(Najib Mahafuz)描写居住在旧街市一家子的故事『バイナル・カスライン』中的一节(河出书房新社·塙治夫译)中的一节。
真夜中に戻る夫を迎えるため、妻が起き出した場面で、読者を一気に旧市街にたたずむ家の中へ引き込む。庶民の暮らしを描き、88年に、アラビア語圏で初のノーベル文学賞を受けたマフフーズ氏が94歳で亡くなった。
为迎接深夜回家的丈夫,妻子起床的这个场面,一下子将读者拉进了旧街市中的这个家庭中。一直描绘平民生活,并于88年,荣获阿拉伯语圈首个诺贝尔文学奖的纳吉布·迈哈福兹先生去世了,享年94岁。
マシュラビーヤの通りを歩いたのは3年余り前で、マフフーズ氏に取材を申し込んでいた。いったんは日時も決まったが、少し前に「家で倒れた」と連絡が来た。
笔者曾于3年多前在满是马修拉比亚格子窗的马路上行走,当时已经申请好了要采访纳吉布·迈哈福兹先生。日期时间都已经约好了,可就在采访前几日,笔者却接到通知“纳吉布·迈哈福兹先生在家摔倒了”。
この国民的作家は、時代と世界についても発言を続けていた。イスラム過激派に「背教者」と宣告され、首を刺されたこともある。その前に、警官の護衛を断っていることについて「自分を監獄の中に入れるのを拒否しているのだ」と本紙に述べた。
这位国民作家,一直都在为时代和世界说话。他甚至曾被伊斯兰急进派宣判为“叛教者,遭到刺杀。之前,他还谢绝了警察对自己的保护,在本报中,他曾这样说过“我拒绝将自己放入监狱”。
カイロの街の生き生きとした営みへの思いも、深かったことだろう。じかに聞けなかったのは心残りだが、描かれたマシュラビーヤの世界にも、それはしっかりと息づいている。
纳吉布·迈哈福兹先生对开罗街道上这些生气勃勃的日常生活的思考,是相当深刻的。无法亲自对其采访实在是件憾事。但在他所描写的马修拉比亚的格子窗世界中,却能深深地感觉到他的呼吸。 |