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发表于 2006-9-7 22:29:26
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地上3階まで吹き抜けとなっている地下3階の床に立つと、足元に波音が響いた。次いで静けさが訪れ、今度は鳥のさえずりが頭上を通り過ぎていく。
这里是负3楼,挑高竟达地面3樓,站在地板上,可以清晰地听到脚底传来的浪涛声。不一会恢复了宁静,又有小鸟唱着歌从头顶飞过。
「自然のゆらぎ」を室内音に反映する。そんな空間が、東京・渋谷の商業施設「表参道ヒルズ」にある。表通りのケヤキ並木が風や光に姿を変える。その不規則な変化をカメラがとらえ、コンピューターで音を出す間隔を微妙に変えていくという。
将“自然界的摇动”通过室内音来表现。我在东京涩谷的商业设施“参拜大道之丘(Hills)”体验了一番。临街大道上榉树的树姿随着风、光的变化而不断变幻。摄像机捕捉到这种不规则的变化后,用电脑控制声音再现的时间间隔。
天井で直径約1メートルの半球形スピーカーがゆっくり首を振る。音は光の束のように届き、床でも直径5メートルほどの円内しか強く聞こえないという。100を超す大小のスピーカーがあり、時と場所によって音がうつろう。静寂に感じる間をおいて浴びる「音のスポットライト」が心地よい。
安装在天花板上的直径约1米的半球形扬声器,慢慢地转动着。声音像光束一样传下来,即便在地板上,也只有在直径5米的圈内才会听到很大的声响。大大小小的扬声器超过100个,发出声响的时间和位置是动态变化的。在无声的间隙,和“声音聚光灯”静静相伴,感觉真是好极了。
「間は魔に通じる」。歌舞伎では間の大切さや難しさを、こう表現する。間をとるという古来の発想が、コンピューターを通して演出した音のつくりものらしさを薄めるのかもしれない。
“间即魔”(注:日语中,间和魔发音相同)。在歌舞伎中,人们用这句话表达了间隙的重要和困难。留出间隙这种想法古来就有,或许可以由此淡化计算机合成音乐带给人的非自然感觉。
「変化させても、変化させられた音という感じがのこる」。作曲家の高橋悠治さんはコンピューター音楽の難しさを、一瞬ごとに変化する風の音と比べて述べる。「おなじように発音されるおなじことばの微細な表情の翳りを何千年も読みとってきた人間の耳をだますことができない」(『音の静寂 静寂の音』平凡社)。
作曲家高桥悠治将电脑合成的音和瞬息万变的风的声音进行比较后,道出了电脑音乐的艰难,“不管怎么做变化,那声音总会留下人为加工过的痕迹。同样的发音,同样的词语,因了细微的表情而变化出不同的声音,人类的耳朵经过了几千年的锤炼,任何细小的瑕疵都不可能漏过”。( 《音的静寂 静寂的音》)
街には人工音があふれている。街頭の大画面が絶えず発する音に、店外まで響くBGMが絡む。携帯電話の音も入り交じる。時には、私たちの耳が読みとってきた自然の「間」との調和を大切にしたい。
大街上到处充斥着人工音。街头大荧幕不断发出的声音,再加上站在店外都能听得到的店堂BGM。还有手机铃声。偶尔,应该让我们的耳朵休息,从人工音中解放出来,倾听自然之声,珍惜“间隙”带来的和谐。
这篇翻译比较头疼。
[ 本帖最后由 t_hikari 于 2006-9-7 14:48 编辑 ] |
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