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楼主 |
发表于 2006-12-22 15:17:42
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幼い頃から、とにかくよく眠る人だったようだ。「学校の授業も、半分以上眠っていただろう」。長じて俳句を詠むときには、俳号を「眠女(みんじょ)」にした(岸田今日子『あの季(とき)この季(とき)』知恵の森文庫)。
岸田さんが、76歳で亡くなった。睡眠過多症の他に高所恐怖症、方向音痴などを自認していた。ぼんやりとたたずめば、そのとらえどころのないようなところに確かな存在感が宿るという不思議な俳優だった。
長い眠りからさめた大きな目には独特の輝きがあり、まなざしは人を現実から別世界へと誘うかのようだった。映画の「砂の女」や「秋刀魚(さんま)の味」、アニメのムーミン、そして童話の朗読。妖艶(ようえん)さや霊妙さに穏やかさと純真さを備えた独特の声を、ゆったりと転がすようにして演じ分けた。
手元に1枚の手書きの資料がある。かつての本紙連載「新人国記」の取材班に岸田さんが寄せた。生年月日欄の生年が空白で、脇にこうある。「もう書かないことにしました」
名前の欄は当然ながら「岸田今日子」だが、ひときわ大きく書かれた「今」の字に妙な味わいがある。「ラ」のような部分が、あのふっくらとした唇を大きく開いて笑っているように見えてくる。
父は劇作家の岸田国士で、中学2年の時に岸田家で開かれた家族ら4人の句会が初めての句会だったという。〈黒猫の影は動かず紅葉散る〉はその時の一句で、大人びた感性がうかがえる。後年にはこんな句を詠む。〈春雨を髪に含みて人と逢う〉。少女と女とが早くから、そしていつまでも同居していたのかも知れない。 |
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