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SL:江澤民国家首席のスピーチ
SL①:1997年7月1日這一天,將作為人們永遠紀念的日子。
D:1997年、7月1日は、人々が、永遠に、記憶して、いる、この歴史的な、時間であります。
F:1997年7月1日、この日は、人々が永遠に忘れることのできない歴史的な日となりましょう。
G:97年7月1日この日、人々は、忘れられない日となることでしょう。
SL②:在暦史上経暦了百年創傷的香港回帰了祖国,標誌着香港同胞從此成為祖国這塊土地上的真正主人。
D:百年の歴史を経て、香港は祖国に戻りました。これは香港の同胞が、今日から、祖国の、祖国の
本当の主人公になったことを意味しています。
F:そして、長い困難を経た香港は、現在、正式に祖国の、土地の、主人公となったのであります。
G:百五十年以上もの間植民地であった香港が、今祖国に返り、そして人々も皆、祖国の主人となったのです。
SL③:香港的發展从此進入一个嶄新的時代。
D:そして香港の発展は、まったく新しい時代へ入り、(以下は次の文と続けて1文で処理されている)
F:これによって香港は新たな時代を迎えます。
G:香港の発展はこれからも新しい頁を開いていくことになるでしょう。
それぞれの風格は異なれ、いずれも聞きやすい通訳である。特に目立つ違いは、SL②の「百年の歴史を経て」、「長い困難を経た」、「百五十年以上もの間植民地であった」だろう。原文が「経歴了百年創傷」という、いわば曖昧で象徴的な表現(*4)になっていることから、その解釈の相違が訳出に表れたと考えることができる。Gは具体的に言い過ぎた。その一方で、SL①でGは「永遠」「歴史的」などの語を訳出せず、SL③でも他の二者が訳出している「新しい時代に入る・迎える」を「新しい頁を開く」という比喩で表現しているなど、Gの通訳は割合に自由度が高い。聴取したSLの言葉が通訳者の脳裏でどんなイメージと結びついたのかが訳出からうかがい知れるようで面白い現象である。
聴取した印象では、Dはところどころ早口になり、少し焦っているような印象を与えるが、どちらかと言えば香港の祖国復帰への喜びを伝えようとしているようだ。Fは声が低く非常に落ち着いた感じを与え、返還記念式典の荘厳な雰囲気を伝えようとしている印象である。Gにはやや要約的な部分が目立ち、この三者のなかでは最も淡々とした口ぶりだが、時々、視聴者にアピールしようという、いわゆる受けを狙っているような感じもある。通訳者の感情が声に表れることを改めて気づかされた。訳出した内容に大差がなければ、最終的に聞き手の評価を決めるのは音声表現の技術なのだろう。
同じSLが訳出では別の表現になっている例をさらに見てみよう。次の例はサイトラ同時通訳と原稿なしの同時通訳の比較になる。 |
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